第4話ふたりの恩師

 学校という場所が嫌いだった。中学校でも高校でもいじめられていたし、学校という場所へ行くのが苦痛でしょうがなかった。それでも意地を張って毎日欠かさず通っていた。

 そんな私にとって中高時代に出会ったふたりの恩師は、暗い教室に差し込む唯一の光だった。


 中学の国語教師の先生は、線の細いおだやかな女性で、耳鳴りのキーンという音を「あれってなんでしょうね? 地球が回っている音かしら?」と表現なさった人だった。当時は生徒からいじめを受けていて、その後学校を辞められたと聞いた。

 きっと私のようにとても生きづらいひとだったのだろうけれど、提出した作文を受け取る時に「あなたには才能がある。頑張りなさい」と言葉をかけてくださった。

 そのときはさしてうれしくもなかったのだけれど、それから時々この言葉を思い出すたびに勇気づけられている。


 高校の国語の先生はとても美しい字を黒板にお書きになる人で、漢字とひらがなに強弱のアクセントが効いたその文字は、私の手書き文字にも大きな影響を与えた。

 彼女が古典の授業の際に板書した「無常」という文字がひときわ美しく心に響いたことを、今でも鮮明に覚えている。特に「常」の最後の一画が流麗な線で描かれていたので、私もこの字を書くときには真似して書いている。

 先生は情熱的なロマンチストでもあって、教科書に載った「羅生門」を扱う際には、芥川の整った手について熱っぽく語っておられたのだった。

 私が日本近代文学の扉を開いたのは、ひとえに彼女の授業のたまものだった。

 芥川との出会いがなければ、ここまで近代文学にのめり込むことはなかっただろうし、今に至るまで芥川は私にとって特別な作家のひとりだ。


 また三橋鷹女の魅力を教えてくれたのも、この先生だった。


   鞦韆(しゅうせん)は漕ぐべし愛は奪うべし


   この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉


   きしきしときしきしと秋の玻璃を拭く


 これらの句の情念を「おそろしいですねぇ。このきしきしという神経質な感じ……!」と情感たっぷりに語る彼女の姿に、私は鷹女の影を見た気がした。黒板に大きく鬼女と書いたあの日、先生もまた鬼女になったのではないか。高校を出てから鷹女の句集を買って読んだのだが、鷹女の句に触れると彼女の幻影が立ち昇ってくるようだ。

 そして先生は中国の古典の扉をも私に開いてくださった。西施や褒似といった中国の傾国の美女を語る口調はうっとりとしていて、彼女の美しい声と相まって私を魅了した。

 そう、彼女はたいそうな美声の持ち主で、アナウンサーの加賀美幸子さんによく似た、深みと艶のある落ち着いた声のトーンは、日中の古文漢文を読み上げる響きと相まって、私を夢中にしたのだった。


今でも時々思い出すのは、昼休みの教室でひとり本を読んでいて、先生が「何を読んでいるの?」とお尋ねになったので、読んでいたバイロン詩集をお目にかけると、あの美しい声で「ああ」と感嘆したような、納得したようにおっしゃったこと。

 当時はだいぶ背伸びをして読んでいたけれど、あれ以来、私は折に触れて古今東西の詩集を読むことにしている。


2017.07

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