第二話 しかし、残酷と言えど希望はある。
「よぉ、あんちゃん、よく戻って来れたな。もしかしてアレかい?あんちゃんのスキルって毒物の無効化とかかい?」
「違いますよ、ただの【ものまね】です。」
「なんじゃそりゃあ?」
もう一度牢に繋がれた僕はお向かいさんに歓迎された。お向かいさんは相変わらず無精髭を垂らし、呵々と笑っている。
お向かいさんは僕が生まれる前から此処に居るらしく、若いときの話や自分が捕まったときの大捕り物の話など、色々な話をしてくれた。
楽しい話ばかりではなかったが、僕は彼の話の中で憲兵から逃げ回る話が好きだ。あの手この手で追い詰める憲兵を、四苦八苦して時効まで逃げ延びる話だ。
「俺のスキルは【強制生存】つってよ、自然死以外じゃ死なねんだ」
服毒自殺をしても、舌を噛み千切っても、首吊り自殺をしても、手首を切っても、溺れても、全身を剣に串刺しにされても、全身の血液を抜かれても、全身を燃やしても死なないのだという。
お蔭で逃げるために土の中に潜伏して呼吸が出来なくても、酷い飢餓でも耐えられるという。それでも痛みや苦しさは感じられるというのが辛いらしい。
「で、おじさんって結局何歳なの?見たところそこまで年はいってなさそうだけど。」
「百を超えてからは数えてないが……二百はいってないな。」
「嘘だぁ、そんなの。人間そんなに生きられる訳はないじゃないか。」
「・・・俺のスキル、忘れたか?」
【強制生存】だろうと口を開きかけ合点が行く。このスキルは自然死以外では死ねないのだ。しかしそれを検証しようとするならば、大きな精神的犠牲が伴う筈だ。それをやってのけるとは狂気の沙汰だ。
「俺のスキルはよ、強制的に生かされるって意味だが実験の結果、正しくは『死ぬ直前で当人の時間を停止させる』ってスキルだった。分かりやすくするなら、普通なら死んでしまう一瞬前の状態を維持するスキルってことだ。」
手首を切って血を流した後数日間眠り続け、髭の長さを測ってみたところ長さが変わらなかった事から分かったらしい。自分を省みないところはお向かいさんらしいが、実践している辺り、やっぱり気が狂ってると思う。
「お前さんのスキルはどうなんだ?」
「僕のは読んで字の如くものまねですよ。その動作への理解度が高ければ高いほど似てくる、声真似は自分が出せる範囲内であれば出せる。顔は似ないし体が固かったらやれることも少なくなる。所謂ゴミスキルですよ。」
自嘲気味に笑みを浮かべるとお向かいさんは、スキルの内容を聞いてか、僕の自虐を聞いてか、そのまま笑って監視役に注意されるまで笑い続けていた。
「何でそんなにも笑うんですか?」
「おいおい、考えてもみろよ。お前のそのゴミスキルとやらに騙された裁判長とか神官とかって、ゴミ未満だからその辺の犬のクソと大して変わらねぇってこったろ?それのどこが笑えねぇんだよ。やばい、笑い過ぎて側頭部痛い。」
お向かいさんはまた側頭部を抑えながら笑い始めて、今度は監視役もお隣さん達も笑い始めた。きっとこれは僕を慰めるという優しさとお向かいさんの言葉選びのセンス、そして皆のツボを理解しているという三点から成り立っていると邪推する。
「まぁここだけの話、生まれたときからずっとこんなスキルじゃあないだがな。」
「というと、途中でスキルが変化したって事ですか?」
僕がそう質問すると、お向かいさんは不適な笑みを浮かべて、
「答はお前がここから無事に出られたらな」
そう言って何かを此方に投げつけて、そっぽを向いて寝てしまった。
「それでは昨日に諸事情により刑の執行に失敗してしまった為、再度刑を執行する。言い残した事は昨日の内に言えたものとする。」
どうやら今日は本当に刑を執行するらしい。親指程の黒子がトレーに乗せて運んできたのは黒っぽい小瓶で、外から中身を覗く事は出来ないが恐らくヒュドラの劇毒だろう。
「これがヒュドラの劇毒だ。さあ、飲め。」
黒い小瓶を黒子から受け取ろうともたついて、落としてしまい黒子に拾ってもらう。流石に緊張して手が震えてしまったようだ。
僕は恐る恐る小瓶のふたを開けて、中身をこぼさないようにグッと一気に呷る。最初に変化が起きたのは味覚だ。
無味の液体は食べたことの無いような美味に思えた矢先に、吐くほど不味い溝のような吐瀉物の腐ったような味に変わった。
己の身体が地獄の業火で灼けるように熱く、己の身体が氷獄の銀盤で凍るように冷たく、 薄皮には蚯蚓が這うように、眼球から蛆虫が湧くように、内臓では百足が侵すように、脳髄で羽虫が飛び回るように感じる。
世界が一気に色褪せたかと思いきや極彩色へと移り変わり、刺激臭・腐卵臭・特異臭など様々に臭いを感じるように錯覚する。耳元で五月蝿く騒ぎ立てるのは発狂した僕の声か、それとも様子を観て興奮した観客か。
感覚の千変万化を起こした僕は、まるで心臓が鼓動を打ち止めたように意識がそこでぷつりと途切れた。
「うわぁぁああ!………あ?」
意識を取り戻し飛び起きると、そこは薄暗い穴の中にいた。岩壁にある自然発光する鉱石がいたるところにある為、視界は暗いが影になっているところは無い。
お蔭で周囲の見たくもない者、今となってはモノ達も見付けてしまった。腐肉の付いた骸骨や、僕が寝転がっていたところに至ってはまだ腐りかけで、人としての原型を留めているのだ、気持ちがいい訳がない。
腐臭が脳を抉り続ける中、この場所について
思い出す事が出来た。孤児院でも都市伝説として流れていた噂だったが、事実だったとは驚きだ。火のない所に煙は起たぬと言われればぐうの音も出ないのだが。
「奈落の墓地って本当にあったんだな。シンプルに驚いたな。」
ここが奈落の墓地とするならば、彼ら彼女らは皆僕と同類だったのだろうと思い黙祷し、孤児院で教えてもらった鎮魂の祝詞を詠う。
「『奈落をさまよいし大地の御霊よ、願わくば我らを庇護し救い給え』……っと。」
本当はもっと長いのだが、今回ばかりは流石に簡略化せざるを得なかった。こんな所に長い間居たら、呼吸器まで腐っちまう。
ここから天を仰ぎ遙か彼方に見える若干の明かりを見ると、流石にあれを頼りに壁を登っていくのは体力的にも、他の事を加味しても辛い。辛過ぎる。
どうしたものかと周囲を見回すと、近くの地面に人一人が匍匐前進でようやく通れるほどの穴を見つけた。死骸の丘の端にあったお蔭で、埋もれて隠れる事は免れたようだ。
「……行くしか、ないのかぁ。」
そうして僕は息をできるだけ止めながら匍匐前進でその穴の中を進み始めた。
穴は一直線で薄暗く、臭いが届かなくなった頃眠ってしまった事もあり、自分が今どの位進んでいるのか、どれほど時間が経ったのか、分からなくなっている。
そろそろ空腹感が目立ってくる。そう言えばお向かいさんから貰った小瓶の何かを飲んで以来、お腹には何も入れていない。
「抑、これどこに繋がってるんだ?」
ふと気付いてしまえば疑問が尽きない。もらった小瓶の中身は何だったのだろうか。何でお向かいさんはヒュドラの劇毒が黒い瓶に入っていることを知っていたのだろう。何で
「何で僕の刑が『ヒュドラの劇毒を飲む』だって知っていたんだろう。」
疑問は尽きないまま、僕は穴を進む。考えていると動きが鈍る為、何も考えずに進み続ける。押し迫る飢餓感を無視し、ただただ愚直に進み続けるのみ。
進んでは眠り進んでは眠りを繰り返しどうにかこうにか十数回、飢渇の臨界点に達するのではないかと思えた頃、ようやく目の前に眩い光が見え鞭を打たれた馬のようにスピードを上げる。
穴の終わりから頭を出すと慣れない強めの光で思わず目を瞑る。段々慣れてきた目が見たのはそれなりに驚ける物だった。
「ここは……部屋、なのか?」
見えた景色は誰かが生活していたような痕跡のある空間があったのだ。埃が積もっていることから、しばらくの間使われていないのだろう。
その予測は机の上の日記と思われるものに書かれた日付を見てまもなく、正か否か簡単に判明した。
「最後は潜歴500年人馬ノ月卅一日か。」
今より約五百年前に書かれたものだと推測できる。尤も、そのように偽装されたものであるならば証明のしようもないが、少なくとも偽装する必要はないと思える。
保存状況が良かった為か、日記をパラパラと捲ってみてもページが切れたりしないので分かった事だが、百年前ならばまだ古語や古代文字で書かれているものだが、これは現代語で書かれているようだ。
しかし五百年前は色々あやふやな時期な故、現代語で書かれていてもおかしくはない。帝都の専門家ではないから詳しい事は分からないが、確かそんな感じだった。多分。
中をよく読んでみたいが、それよりも今は食糧だ。小部屋を隈無く探してみると革のベルトのついた木製の箱があり、中には瓶詰めの蒸留酒、蜂蜜、バター、干し肉、そして塩が入っている。
「殆ど喉が渇くものだけど……食べるしかないか……」
幸い、この中でまともに腐りそうな干し肉でさえ塩漬けにされているので、腐っている事はないだろうが、脱水症状になってしまえば少なくともすぐにではないが死んでしまう。
僕は仕方無くもそもそと干し肉を食べて蜂蜜を舐めながら、日記を読み始めた。
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潜歴500年磨羯ノ月一日
地上より逃げ始め俺は漸く隠れ家を見つけた。多分ここは見つかる事はないだろう。食料も持てるだけ持って逃げ出したが、逃げ切る事は難しいだろう。あいつらがまだ生きていると信じて俺は暫くここで潜伏しよう。
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潜歴500年宝瓶ノ月二日
一ヶ月ぐらい潜伏しているが、そろそろ上は治まっただろうか。大砲の音はないし空爆の音もない。食料はまだあるが、水が得られないのが痛い。時折雨が降ってきたのを集めているがもう暫くすれば雨期が始まるだろう。もう一ヶ月して何もなければ水の収集がてらあいつらの様子も見て来よう。
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潜歴500年双魚ノ月五日
ダメだ、ダメだダメだダメだダメだダメだ。あいつら帝国軍に寝返りやがった!水はなんとかなったがあいつらのことだ、すぐにここも見つけるかもしれない。抜け道を造らなければ。
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潜歴500年天秤ノ月廿五日
帝国軍に嗅ぎつけられた。ここも捨てるしかないが負け犬にも牙はあるってとこを見せつけてやる。これが最期だ、忌み子の力を思い知れ
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潜歴500年人馬ノ月卅一日
俺はここを出る。戦争は負けだが薬は死守できたから俺の勝ちだ。ここに置いておくのは危ないし、ここに来たやつには悪いが匣は適当に隠しておく。目印は無い。勝手に見つけてくれ、俺は疲れた。
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僕は本をパタンと閉じると、同時に干し肉を飲み込む。ここに住んでいた人は今はここに死骸としてでも残ってないが、やっぱりここでは水が容易に得られないようだ。
今は丁度乾期の中間なのでまだ暫くは滅多に雨が降らない。何か隠しているらしいが、ここからまた戻るのは大変だろうし、今は書いてあった抜け道を探すのに専念しよう。
ボロボロのベッドに腰掛けて小部屋を見回しても、全く抜け道の影も形も見えない。それもそうだ、隠れ家なのだから。しかし、いったいどうやってここから出ていたのだろう。
物凄い健脚だったのか?それともとても強い探索者だったのだろうか。もしかして、翼が生えていたのだろうか。
「いや、それはないだろう。流石に。」
僕は自分の中で適度なところで納得させて、今日のところはこのボロベッドで眠る事にした。抜け道探しは後回しにしよう。
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