柴藤綾乃は“となり”にいる。

エスコーン

始まりの日

 川原雅樹かわはらまさきは普通の高校生だ。

 勉強もスポーツも友人関係も性格も何から何まで普通だから友人達から“お前、モブキャラみたいだな”と冗談まじりに言われていた。とはいえ、雅樹自身も“普通でいいや”ぐらいにしか思っていなかったので特に気にすることはなかった。


 そう、までは──。


 ある日の放課後、雅樹は図書室にいた。友人の図書委員から備品運びを手伝って欲しいと頼まれ、二つ返事で引き受けたためである。

 運ぶくらいだから大したことはないだろうと考えていた雅樹だが、備品の数はかなりあり、一階から三階の図書室まで運ぶというのは結構ハードなものだった。

 それでも友人を含めて図書委員たちのがんばっている姿を見て“大変なのは自分だけじゃないしな”と思い、黙々と作業をこなしていた。備品を全て運び終えたのは夕日が差したそんな時間であった。

 

「雅樹、今日はありがとなー!」

「気にすんなよ、別に暇だったしさ」

「今度何か奢るぜ、ドリンク的なかんじだけどな」

「ははは、期待してるよ」


 友人と談笑しながら校門に差し掛かったそのとき──。


「川原……雅樹くん、だよね?」


 雅樹は不意に背後から声をかけられ振り返った。


「……えっと、誰だっけ?」


 そこにいたのは長い髪とカチューシャが特徴的な少女だった。


「もうっ!私のこと忘れるなんて失礼だよ、雅樹くんっ!」

「いや、でも、記憶になくて……」


 少女にそんなことを言われてしまうが、雅樹には面識──というより記憶になかった。だから誰なのかは分からず終い。唯一分かるのは、少女の制服が自分の学校の制服ということだけである。


『おい、雅樹!』


 友人が雅樹に耳打ちをする。


『彼女、A組の柴藤綾乃しばふじあやのさんだぜ!』

『シバフジアヤノさん……?』


 彼女の名前は柴藤綾乃しばふじあやのというらしい。


『水泳部のマネージャーさんなんだけど、明るくて可愛くて結構ファン多いんだぜ!それがお前に声をかけるなんて羨ましいぜ〜!コノコノォ!』


 たしかに可愛いコだと友人に肘打ちされながら雅樹も思った。同時にそんな人気者がなぜ自分の前に現れたのかと不思議に思っていた。

 そんな雅樹をよそに友人はニヤリと笑い、


「わりぃ!雅樹!俺、用事あるんだった!んじゃ、また明日な〜!」


「えっ、おいッ!」


 その場を駆け足で退散するのだった。


(空気の読める俺はクールに去るぜ!)


 と思いながら。


「……え〜と、柴藤、さん?」

「な〜に、雅樹くん?」

「とりあえず、帰ろっか?」

「うん!雅樹と同じ帰り道だしね!」

「えっ、そうなの?」


 夕暮れの校門前に残された男女は共に帰路を歩み始めた。




「まさか、柴藤さんと帰る方向が同じだったんなんて」

「えへへ、奇遇だね〜。でもさぁ、雅樹くん」

「どうしたの、柴藤さん?」

「柴藤じゃなくてって呼んでほしいんだけどぉ?」


 となりを歩く綾乃はジトォとした目でそんなことを言った。


「ええっ!?あの、柴藤さ──」

「綾乃」

「えっ?」

「綾乃」

「……綾乃さん?」

「あ・や・の」

「……え〜と、綾乃」

「な〜に、雅樹くんっ!」


 綾乃は満面の笑みを浮かべて見せた。


 ──ドキッ。


 その笑顔に雅樹の頰が赤くなる。ただ、それをごまかすように話し始めた。


「あっ、えっと、綾乃って水泳部のマネージャーさんなんだよね?」

「そうだよ、昔から水泳は趣味だったけど、競技だと自信がなくて。だから、マネージャーしてるんだけどね」


 雅樹は元気なく俯くその姿を見て悪いことを聞いてしまったと思った。


「ごめん、聞いちゃって」

「ううん、いいよ、大丈夫」

「でもさ、うちの学校の水泳部って大会でもイイところまで行ってるし、それって綾乃がマネージャーとしてみんなを支えているからじゃない?」


 綾乃の足がピタリと止まる。


(うわ、不味い、余計なことを言ってしまった!?)


 “しまった!”という後悔が雅樹を襲う。それと同時に早く謝らなくてはという自責の念に駆られてしまっていた。


「ごめん、綾乃、俺──」

に雅樹くんに言われたこと思い出しちゃって、私、嬉しくて」

「去年の夏?……あっ!」


 雅樹はやっと思い出した。



※※※



 去年の夏、水泳部の部室まで荷物を運んでいる女子がいた。彼女は部のマネージャーのようだったが、炎天下の中をがんばっている姿を見た雅樹は「俺が運ぶよ」と言ってそれを手伝ったのである。


「えっ、そんな悪いですよ。私が運びますから」

「大丈夫、大丈夫。キミ、水泳部でしょ?俺の友達の友達も水泳部でさあ、そいつとこの間遊んだから多分大丈夫!」

「いや、でも」

「あと、マネージャーさんだよね」

「あっ、はい、そうですけど本当は──」

「じゃあ、尚更手伝わないとね!大変だろうし、いろいろあるだろうけど、みんなを支えているんだしさ!きっとキミがいるからがんばれるんだよ、俺はそう思う!昨日読んだラノベにもそう書いてたしね」


(みんなを支えている……)


 雅樹のその言葉に綾乃は強く惹かれるものを感じた。

 本当は選手になりたかった。でも、自分の実力ではその枠に入ることは難しいというのも知っていた。だからマネージャーとしてでも水泳と繋がっていれたらいいと自分に言い聞かせて妥協していたのだ。

 しかし、マネージャーはそんなに甘くはなかった。それと同時にいつも見る選手たちの姿と自分にどこかコンプレックスを抱いていた。もやもやとした気持ちが自分の心の中にあるのを感じていたのである。

 それが見ず知らずの男子生徒のちょっとした言葉で心の霧が晴れていった気がした──綾乃はそう思ったのである。


「よいしょ、ここでいいんだよね」

「は、はい!ありがとうございます!それとさっき言ってたラノベって?」

「ああ、アレね。古豪のバスケ部のマネージャーがみんなと協力して再び強豪を目指すって話なんだけど、これがおもしろくてさ、名言も多いし、アニメ化されるし。まあ、水泳部じゃないんだけどね、ははは」

「ふふふ、そうなんですね」

「もし良かったら読んでみてね。じゃあ、俺は帰るからタカハシくんに川原雅樹が応援してるって伝えてね」

「あっ」


 そう言うと雅樹は帰って行った。


『カワハラマサキって言うんだ、あの人』


 綾乃は小さく呟いた。



※※※



「たしかにあった、思い出した……」

「むぅ、今まで忘れてたなんてホント失礼なんですけど」

「いや、あのときの綾乃って今より髪短かったしさ」

「それはそうだけどぉ」


 頰を膨らませた綾乃は少し怒るように雅樹にそう言った。


「まあ、今日は綾乃と仲良くなれたし、俺は嬉しいよ」

「うん!私も!あっ、それとね、これ」

「あっ、それって」

「私が元気になれた大切な思い出ラノベ!」


 綾乃が鞄の中から取り出したのは雅樹があのとき話していたラノベだった。


「ありがとう、雅樹くんっ!」


 二人の物語の秒針が動き出した瞬間だった。

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