第22怪 校舎裏の幽霊⑥

「やめッ……、てめえら、放せッ!!」

「大人しくしろ!!」

「こっちじゃねーよ!! 弟は、七雲はあっちだろうが!」

「お怪我はありませんか、七星様」

「あぁ」

 警備員が敬礼する。七雲は、壊れた黒い『AIグラス』をつけたまま、にっこりと笑った。床では、数名の警備員たちに取り押さえられた七星が、顔を真っ赤にして怒鳴っていた。


「よく見ろ! 俺が七星だ!!」

「全く呆れちゃうね。いくら双子の弟だからって、本気で成りすませると思っているのかな?」

「その通りです。七星様は、片時も『AIグラス』を手放しませんから」 

 警備員がちらりと七雲の『グラス』を見上げた。


「あぁ……これ。こいつが、無理やり壊そうとしてきたんだよ。全くひどい奴だ」

「勝手なこと言いやがって、オイ!! それはテメーの方だろうが! 自分が……」

「しばらく『自分が本物の七星だ』とか、訳の分からないことを言うだろうから、相手にしないように」

「分かりました」

「こいつの言葉に、一切耳を貸すなよ」七雲が咳払いした。

「指紋を調べろとか言い出すだろうけど、どんな手品仕掛けてるか、わかんねえからな。こないだみたいに、しばらく独房に、監禁しとけ」

「はい。こないだ閉じ込めた時は、そういや、えらい暴れようでしたもんねえ」

 そういえば、先日七雲を捕まえたのも彼らだったが……七雲は素知らぬ顔で頷いた。


「あぁ。こないだと、?」

「ええ。

 のたうち回る七星を見て、警備員が苦笑した。

「『俺は七星様だー!』って……1回目ならまだしも、2ともなると、流石に我々も騙される訳にはいきませんよ」

「あぁ。まさかなんて……いくら何でもありえないよ」

 七雲も白い歯を見せた。『審美眼』の心臓サーバーから漏れる光が、取っ組み合う警備員たちを青白く照らした。

「オイ七雲! 七……」

 やがて、連行されていく七星が、噛み付くように叫んだ。


「覚えとけよ! 俺はお前を、許さねえからな! どこまでもお前を追い詰め」

 七星の顔が怒りで真っ赤に染まったが、残念ながら彼の言葉は、最後まで聞き取れなかった。警備員と2人きりになったサーバールームで、七雲が袖捲りした。


「よーし。じゃあこれから『審美眼』に異常がないか確認するから、君は外に出てってくれ。必要があったら呼ぶから。しばらく、誰も中に入れないように」

「分かりました。でも……」

「ん?」

 怪訝そうな顔をする警備員の視線の先には、七雲の壊れた『AIグラス』があった。

 

「大丈夫ですか? それ……」警備員が壊れた『親機』を指差した。

「あぁ……」七雲はしげしげと『グラス』を覗き込んで、それからゆっくりとほほ笑んだ。


「平気さ。すぐ直せるよ。何たって『審美眼これ』を作ったのは、だからね」


□□□

 

 体育館は、静まり返っていた。

『緊急避難装置』を解除しても、生徒たちに何ら反応はない。


 みんな壊れたロボットみたいに、その場に突っ立っているだけだった。

「…………」

 たからはその場に崩れるように膝をついた。

 もちろんこんな呼びかけで、全員が意識を取り戻すと思った訳ではない。それでも、語りかけずにはいられなかった。



 あまり期待できないでしょうけど……と、計画の前、七雲には念を押された。それよりも、万が一生徒たちが暴れ出さないように、体育館に閉じ込めて見張っていてくださいとも。



 だけどたからは、それでも彼らに呼びかけたかった。女子トイレで、四谷の意識が一瞬戻った時のように、奇跡が起きないかと一縷の望みにかけたのだった。しかし……。


 そうだ。

 たとえ洗脳が解かれたところで、全てが元通りにはならない。

 【怪団】の悪評は日本中に広まって、もはや消えることはないだろう。


 『ユピテル』や『ウェヌス』など、壊された『個人用AI』たち、『DNA』も元に戻ることはない。仮にデータを同じもので再現したとしても、独立した学習機能と自我を備えた『DNA』たちは、そっくり元通りにはならないだろう。生まれ変わって人生をやり直しても、決して今と同じ人格に育つとは限らないのと同じだ。


 それに何より、洗脳しているのは、他ならぬ『審美眼』なのだ。


 間違っているものを無理やり教えられているのならともかく、『正しい』ものを、『清正美しい』ものを享受している彼らに、果たして洗脳を解く利点メリットがあるだろうか。


 ふとたからは、図書館で読んだ『洞窟の比喩』を思い出していた。


 洞窟で育った少年は、子供の頃から手足を縛られて、振り返ることもできない。

 彼はずっと前の壁だけを見ている。その後ろから、人形を使って、人影を洞窟の壁に映し出してみせる。すると少年は、壁に映った影を見ているうちに、やがてそれが本物だと思い込む。当たり前だ。彼は決して後ろを振り向けないのだから。彼にとっては目の前の壁、壁に映る影だけが世界なのだ。本当の世界、本当の実体が、すぐ後ろに広がっているにも気がつかず……。


 今生徒たちも、『審美眼』によって縛られ、前だけを見させられている状態だった。そんな彼らに『ちょっとは後ろも向いてよ』と呼びかけることが、どんなに無意味であるかを、たからは身を以て感じずにはいられなかった。


「ごめん……」

 外を舞う風の音だけが、時折ごうごうと天井付近から響いて来る。相変わらず生徒たちは身じろぎひとつせず、無言で前を向いたままだった。たからの口から、少し嘲ったような笑みが溢れた。


「ごめんね……何だかバカみたいね、私」

 その時だった。


 不意に1人の生徒が、たからの前に歩いてきた。たからは顔を上げ、目を丸くした。

「白川くん……!」

 白川だった。

「会長……」

 白川はたからの前で立ち止まると、そっとその手を差し伸べた。


 たからは「あっ」と声を出しそうになった。その『AIグラス』は、黒から、今ゆっくりと白に染まりつつあった。白川が口を開いた。


「……生徒や友人を思いやることが、何がバカみたいなんですか? 今の会長は、僕にはとっても、清正美うつくしい姿に見えますよ」

「……!」

 すると、彼の言葉がきっかけだったように、並んでいる生徒たちの『グラス』に、徐々に七色の光が灯り始めた。たからは急いで辺りを見渡した。赤、青、緑、黄色……と、それはまるで虹のように、体育館中に広がっていった。


 七雲だ。


 彼が、上手く作戦を成功させたに違いない。


 たからは、胸の奥から湧き出て来る歓喜に震えながら、ゆっくりと白川の手を握り返した。


「白川くん……」

「会長」

「会長!」 


 やがてたからの周りに、自分たちの色を取り戻した生徒会の面々が集まってきた。その中には『審美眼』から解放された四谷や、赤羽根たちの姿もあった。たからは白川に飛びついた。他の生徒たちも、洗脳を解かれ、ぽかんとした顔でその場に佇んでいた。


「会長……」


 しばらく互いの無事を喜び合い、抱き合う輪の中で、やがて白川が少し照れたように顔を赤くした。


「こんなことになって、今更かもしれませんが……その」

?」

「いや……!」

 白川が慌てて首を振った。たからはクスクスと笑った。

「ごめんなさい……その、やっぱり我が学園の生徒会長は、清澄会長がふさわしいと僕は思います……」

「あら」

 拍手が、徐々に広がっていく。一体何が起きていたのか、まだ分かっていない生徒たちも皆、たからたちに注目していた。やがて拍手は、七色の体育館全体を包み込んだ。しどろもどろになる白川の手をぎゅっと握り返して、たからは……七雲の顔を思い出し……少しいたずらっぽく笑った。


「いいけど……私の手を借りるつもりなら、それなりのを見せてもらうわよ?」

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