第21怪 校舎裏の幽霊⑤

「ど……どうされたんですか!? 七星様!?」

「良いから、どけ!!」


 七星は施設に戻るなり、入り口に立っていた警備員に怒鳴った。


「ですがここは……『審美眼』のサーバールームですよ!? いくら七星様といえど、上の許可なく入ることは……」

「もう侵入されてるんだよ!」

「えぇっ!?」

「いちいち許可なんか取ってられるか! そんなもん、後でどうにでもなる……」

「ちょ、ちょっと待ってください! 私はずっとここに立ってたんですよ!? いくら何でも……」

 それ以上、話は聞いていなかった。七星は狼狽える警備員を強引に押しのけると、入り口の前に立って顔認証と声帯認証を始めた。さらに指紋認証や、パスワードの入力など……合計12項目に渡る本人確認の手続きに、七星は思わず舌打ちした。時間が経つのが、酷く遅かった。絶対不可侵の要塞は、敵の手に落ちた途端、今度は巨大な壁となって自分の前に立ち塞がってきた。


「早くしやがれ……!」

「待ってください、七星様……!」

 永遠にすら感じられる長い時間を経て、ようやく全ての認証が終わった。分厚いガラスの扉が開くや否や、彼は廊下を突き進み、一番奥の部屋まで駆け出した。


「クソッ……ふざけやがって!!」

 苛立ちを隠せぬまま、サーバールームに飛び込んで、

「何だ……?」

 七星は思わず面食らって、その場に立ち尽くした。


 青白い光に包まれた暗室で、彼を待っていたのは……何の変哲も無い、いつものサーバールームだった。ずらりと並んだ『審美眼』の心臓部分は、昨日と同じように、正常に動作している。七星は素早く左右を見渡した。一見どこにも侵入された形跡はない。待っているであろう七雲の姿も、さっぱり見当たらなかった。


「どうなってやがる……?」

 慎重に辺りをうかがいながら、中を確かめていく。半分ほど進んだところで、不意に後ろから声をかけられた。

「やぁ兄さん」

「!」


 驚いて振り返ると、先ほどの警備員が、入り口のところで、何とも気さくな感じで七星に片手を上げていた。


「案内してくれてありがとう」

「まさか……」


 七星が急いで『AIグラス』を取る。警備員もまた、ゆっくりと変装を解いた。


「七雲……!!」

「今度こそ、久しぶり」


 警備員の格好をした小泉七雲が、ほほ笑みを浮かべてそこに立っていた。


□□□


 体育館は、静まり返っていた。

 たからが顔を覗かせると、そこには、均等にずらりと並んだ生徒たちが、ただ黙って前を向いていた。直立不動で、無表情のまま何も言わず、じっと佇むその姿を見て、たからは唾を飲み込んだ。


「みんな……」

 掠れた声が、暗がりの体育館に転がる。誰も、電気が点いていないことすら気にしない。ゆっくりと歩を進める。もちろん誰1人として、たからの声に応える者はいなかった。


「みんな、ごめん……」

 ポツリ、ポツリと零した声は、もはや誰の胸にも届かない。列を乱さない生徒の間を縫って、たからは今にも泣き出しそうな顔になりながら、ただ闇雲に前に進んだ。途中、名前も知らない生徒の1人とぶつかっても、彼は何の反応も示さなかった。


「ごめんなさい……こうなって欲しかった訳じゃないの。私は……」

 よろめきながらも、たからはゆっくりと前に進んだ。


「私は、確かに『清正美うつくしく』あって欲しいと思ったけど……でも」

「でも、こんな風に、人形みたいになって欲しかった訳じゃなくて、私は」

「私は、みんなと一緒に……いたくて。楽しく学園生活を送って欲しくて……だから」


 うわ言のように繰り出す言葉は、誰にも拾ってもらえなかった。それがどんなに恐ろしいことか、たからは全身の震えが止まらなくなった。

「だから……お願い」


 気がつくとたからは、一番先頭まで辿り着いていた。恐る恐る列を振り返ると、先頭には白川を始め、生徒会メンバーがずらりと並んでいた。かつては7色に輝いていたメンバーも、今や全員が真っ黒な『AIグラス』をつけている。その目は誰も、たからを見ようともしなかった。ただ真っ直ぐに前を向き、彼女を通り越して、ひたすら虚空へと視線が注がれていた。たからはうなだれた。


「もう清正美うつくしくなくても良いから……お願いだから、みんな元に戻って!」


 たからは最後の望みをかけて、手にしていた『緊急避難装置』を解除した。


□□□


「てめぇ……!!」

「ごめん。でもまさか、同じ手に引っかかるとは思ってなくて」


 酷く顔を歪ませる七星を見て、七雲は彼の『AIグラス』を指差した。七星の顔が途端に真っ赤に染まった。


「じゃあ、あの映像は偽物フェイクか……」

「うん。いくら双子でも、指紋やら眼球やら、全部成り済ますなんて無理だよ」

 警備服を脱ぎ捨て、制服に戻った七雲が涼しげに笑った。それから周囲を見渡すと、小さく感嘆の声を漏らした。


「すごいな。これが、『審美眼』……」

「あぁ。母さんの形見だ」

 七星が七雲に詰め寄った。


「そして今や、この国の判断基準でもある。高度に洗練された『AI』が、人間にはとても及ばない最適解を瞬時に計算して提案してくれるのさ。政治も、経済も、全部『審美眼』が動かしてる。これが無くなっちまえば、この国はたちまち大混乱だ。それで、てめーの目的は何だ?」

「みんなを、元に戻してほしい」

 七雲が落ち着きを払って答えた。


「兄さんのその『グラス』で、操ってるんだろ? どうにか洗脳を解除して欲しい。そしたら僕は……」

 七雲が少し目を伏せた。

「そしたら僕は、どうなっても良い。あの学園からいなくなるよ。これ以上、僕のせいで誰かを傷つけたくない」

「……それで?」

「……そうしなきゃ、僕は『審美眼』を破壊する」

「ったく。話聞いてたんかてめー」


 七星は自分の『AIグラス』を地面に叩きつけると、そのまま勢い良く足で踏み潰した。『グラス』はたちまち白い煙を上げ、火花を撒き散らして機能停止した。


「やなこった。誰がテメーなんかに従うか!」

「……だと、思ったよ」

 七雲は少し悲しそうにその場に立ち尽くした。ゆっくりと屈み、壊れた『AIグラス』を拾い上げる。装着してボタンを押しても、『グラス』の画面は真っ黒のまま、何の反応も示さなかった。七星が唇の端を釣り上げた。


「無駄だ。『親機』を壊したから、もう命令は下せねえ。あいつらは、一生『審美眼』に操られたままだ……」

 その時だった。


「動くな!」

 扉から大勢の警備員たちが乱入してきて、2人に銃口を向けた。その瞬間、七雲が七星を指差して叫んだ。


「助けてくれ! 弟に襲われてる! 誰かこいつを捕まえろ!!」

「ンな……!?」

 

 目玉が飛び出そうなほど驚く七星に、壊れた『AIグラス』をかけた七雲が、小さく笑みを浮かべた。

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