第18怪 校舎裏の幽霊②
その日、学園内はまだ授業中で、生徒の喋り声ひとつ聞こえてこなかった。
清澄たからは、校長室へと向かう道すがら、ふと1年の教室の中を垣間見た。
その異様な光景に、たからは思わず足を止め、息を飲んだ。
中ではちょうど、社会の授業が行われていた。
黒い『AIグラス』を被った1年生たちが、全く同じ動きでノートに黒板の内容を書き写している。手の動きもペンが紙を擦る音も、全く同じだった。皆無表情で、顔は真っ直ぐ前を向いたままだ。一糸乱れぬその動きに、たからは軽い目眩を覚えた。
今や学園中の生徒全員が、『審美眼』に洗脳されているのだ。
まるで機械のように、己の行動を疑うことなく、全員が同じ動きを繰り返している。
たからが中の様子に釘付けに見とれているうちに、ふと、社会の先生(彼も数日前から、黒い『AIグラス』を被っている)が教室の端にいる生徒に何やら問題を出した。当てられた生徒はにこりともせず、淀みない調子で『正解』を答える。それから次の生徒にもう1問。問題、正解。その次の生徒にもう1問。問題、正解。問題、正解。問題、正解。問題、正解。問題、正解……。
まるで誤作動チェックだ。
たからは授業風景から目を逸らした。それ以上、見届ける気にはならなかった。
逃げるようにその場を立ち去り、彼女は一階にある校長室へと急いだ。
□□□
校長室を開けると、中から大きく犬が吠える声が聞こえてきた。
「わんっ! わんわん、わん!!」
赤い絨毯の上で、四つん這いになってたからに向かって吠えているのは、先日までこの学園の校長だった人だ。たからはゾッとした。威厳たっぷりだった校長は今や、黒い『AIグラス』と赤い首輪をつけられ、自分を犬と誤認させられていた。
「わん! わん、わん!!」
「ホラホラ、ポチ山。おすわり」
「わん!」
ポチ山と呼ばれた校長が、そう言われ途端に大人しくその場に座り込んだ。声の主……小泉七星は、代わりに牛革の席に座り、両足を机の上に投げ出しながらその様子を見ていた。たからは絶句した。
「いいぞポチ山。お行儀良くな」
「クゥ〜ン」
「あなた……よくも……!」
たからとは対照的に、七星は涼しげな表情を崩さなかった。
小泉七星は、『VR』で見た中学生の頃と、ほとんど変わっていなかった。相変わらず黒い『AIグラス』をしているが、その顔立ち、仕草、体型に至るまで、七雲そっくりだった。
たからはポケットの中で【緊急避難装置】を握りしめた。
『いざ』という時のためにと、七雲から手渡されたものだ。
予想以上だ。たからは唇を噛んだ。
予想以上に、この学園は『審美眼』と、この
「おかしいな」
七星は余裕ぶった笑みを絶やさず、しかし不思議そうに小首をかしげて見せた。
「確かに四谷って女に、『VRビデオ』を見せるように頼んだんだけどな……」
七星がゆっくりと口を開いた。その声も、喋り方も七雲と全く同じ調子だった。正にドッペルゲンガーだ。たからは何故か、それが無性に腹が立って仕方なかった。彼女が肩を震わせた。
「あんなもんで、私を洗脳できると思ったわけ? 冗談……」
「だったら余計おかしいだろ」
七星がせせら笑った。
「せっかく『VRビデオ』から逃れたってのに、わざわざ
たからは黙ったままだった。黙って七星を見つめ続けた。
……悟られてはいけない。
自分が、ただの時間稼ぎの囮だということを。
たからはぎゅっと拳を握りしめた。なんとか敵の毒牙にかからないように、しかしできるだけ長く、相手の注意を逸らして置かなくてはならない。その間に、七雲が……。
「なぁ」
たからの思考を遮るように、七星が短く声を飛ばした。彼はゆっくりと校長席から立ち上がり、たからの方へと近づいて来た。
「何しに来たんだ? 元生徒会長サンよぉ」
七星は『元』を強調して発音した。七星がたからの肩に手を置き、瞳を覗き込むように顔を近づけて来た。彼女もまた睨むように、黒い『AIグラス』の奥を見つめ返した。
「なぁ。何が不満なんだよ?」
七星が少し戯けるように肩をすくめた。
「『審美眼』は、政府公認の情報統制AIだ。コイツに従っとけば……要するに、俺に従っとけばってハナシだが……」
七星が可笑しそうに唇の端を歪めた。
「”幸福な未来”は確実も確実、学園は”平和”そのものになる。だってそうだろ?」
「…………」
「今までずっと、そうだったんだぜ? 『審美眼』が、この国で何が正しいかを決めて来た。先週の2年A組の、数学の小テストの結果を教えようか?
全員が100点だよ。
『審美眼』の力を使ってな。おまけに誰も、校則に逆らうような真似はしない。遅刻もしない、私語もなしだ。校庭の片隅に、秘密基地を作るなんて以ての外さ。成績優秀で、誰もが従順。これこそ、正に平和だろう……」
「何が不満か、ですって?」
たからが七星の言葉を遮った。
「誰からも何ひとつ不満が出ないのが、何よりの不満よ!」
たからは自分の声が震えているが分かった。
こんなものは、”平和”でもなんでもない。
生徒会長になって、たからが目指していた”幸福”とも程遠い。
全員が同じことを考え、ロボットのように同じ『正解』だけを出し続けるのが、”平和”で”幸福”であるはずがない。
これじゃ……美しくない。たからはそう思った。
清い考えであっても、正しい答えだとしても、美しくない。
彼女はもう、知っていた。
たとえ間違っていても、汚れても、それでも精一杯この学園で生きていた生徒たちの姿を。仲間たちの姿を。人間の姿を。その美しさを、彼女はもう知っていた。
たからは口を真一文字に閉ざして、しばらくそのまま
「……ま。大方七雲の差し金なんだろうけどよ」
七星はほんの少し『AIグラス』をずらし、疑り深そうな目でたからを見つめた。直立不動の彼女を見つめ、七星は半ば呆れたように笑みをこぼした。
「ここに来たのはどう考えても間違いだったな。さぁて。お前も犬にしてやろうか? それとも猫の方が似合うかな……」
「……っ!」
七星が、たからの頬に手を伸ばした。彼女が手を振り払おうとした、その時、
「何だ……?」
七星が何かに気づき、怪訝そうに手を止めた。たからは急いで窓の外に視線を移した。突然校庭から大音量の音楽が響き始め、その振動が小刻みに校長室を揺らした。
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