第17怪 トイレの花子さん③

「……な?」

「うん……」


 何処からか、子供たちの声が聞こえる。七雲と、それから七星の声だった。

 節子たからはそれを暗がりの部屋の中から、耳を澄ますようにして聞いていた。


 画面は真っ暗のまま固まっていて、音声だけが立体音響サラウンドで聞こえていた。恐らく節子は今、ベッドか何かに突っ伏しているのだろう。


「俺たちは双子だから……な?」

「うん」


 目を閉じた節子たからの斜め後ろから、七雲たちの囁き声が聞こえる。


「絶対バレねえ。入れ替わっても。父さんはほとんど家に帰っちゃいないし……」

「そう……だね」

「お前が母さんの方に残れ。いいな、七雲」

 七星が少し楽しそうに囁いた。


「俺は父さんの方に潜り込んで、例のナントカって言う研究をぶっ壊す!」

「あぁ……」


 七雲の返事は重く、さほど乗り気ではないようだった。

 既に子供の耳にも、先ほどの両親の離婚話は届いているのだと節子たからは知った。


「お前は俺より頭が良いから……母さんを支えてやるんだ」

「……大丈夫、かな?」

「大丈夫だって! 心配すんな。約束しろよ。お前が母さんを守るんだぞ」


 不安そうな七雲の想いを打ち消すように、七星が威勢良く声を張り上げた。節子たからは、暗がりの画面がグニャリと歪んで行くのを見ていた。節子が泣いているのだと気がついた時には、画面上にはまたしても『0』と『1』が舞い踊り、たからの意識は次の場面シーンへと飛び始めた。


 そして最後の映像タイムトラベルで、たからはとうとう、節子の視点では無くなっていた。


(ここは……)


 目の前に広がる光景に、たからは面食らった。

 まず彼女は、天井付近にぶら下がる監視カメラから、眼下の様子を眺めていた。撮影者が節子の視点なかから、監視カメラに切り替わったのだ。カメラが右に左にゆっくりと動くたび、たからの視点もそれに合わせてゆっくりと動いた。


 たからが今見ているのは……いつかの葬式の光景だった。


 こじんまりとした葬式会場に、喪服を来た数名の男女が、ポツポツと座っている。中央では、袈裟に身を包んだ坊主が、先ほどから重く低い声でお経を上げていた。ここはどうやら、葬儀場のようだった。


(ウソでしょ……)


 その中央に掲げられた遺影を見て、たからは息を飲んだ。


 亡くなったのは……先ほどまでたからが中に入って覗いていた、小泉節子本人だった。節子の顔写真が、縦長の白い箱の上の方に、たくさんの白い菊の花と一緒に掲げられていた。


「お前のせいだろ!!」

(……!)


 突然葬儀場の後ろの方から聞き覚えのある怒鳴り声が聞こえて来て、坊主の読経が一瞬止まった。どうやら入口の方で、誰かが叫んでいるらしい。会場が急に騒がしくなり始めた。カメラたからはちょうど窓側ひだりの方を向いていて、入口みぎの方を向くまでほんの少し時間がかかった。


「お前が……お前が殺したんだ!」


 やがてカメラたからが入口を向いた時、ようやく彼女の目に、二人の少年の姿がはっきりと映った。


 声の主は、七星であった。それから彼の下に、七雲の姿もあった。

 

 二人とも黒の学生服を着ていた。同じ顔に同じ服装で、ほとんど違いがないようにも見える。無気力に床に座り込み、項垂れているのが七雲に違いない。七星の方はと言うと、先ほどから激昂し、大声で弟を怒鳴っていた。

「許さねえぞ! 七雲! 約束しただろうが……!!」

「……!」

 近くにいた喪服の大人たちが止めに入った。もみくちゃにされながらも、七星は俯く七雲を鬼の形相で睨みつけ、罵声を浴びせ続けた。



「お前が母さんを、殺したんだ!!!」



 突然映像はそこで途切れた。


 『0』と『1』の羅列に切り替わった画面ドットを、たからは呆然と眺めていた。先ほどの七星の叫び声が、頭の中で何度も木霊したまま、やがてたからの意識はデジタルの海へと吸い込まれていった……。


□□□


「…………」


 ……そして気がつくと、たからは女子トイレの天井を見上げていた。

 『VRビデオ』のタイムトラベルから、現実へと戻って来たのだ。背中がひんやりと、固い床に長時間寝転んでいたせいか、少しだけ首の辺りが痛い。彼女がゆっくりと上半身を起こすと、いつの間にか四谷檸檬の姿は消えていた。


「……おはようございます。清澄生徒会長」

「……!」


 その代わりたからの目に飛び込んで来たのは、先ほど映像にも出て来た少年であった。彼は寝転んでいたたからのすぐそばに座り込み、ほほ笑みを浮かべ彼女を見下ろしていた。


「よく眠れましたか? もう放課後ですよ」

「アンタ……アンタは、七雲ね」

 壁際の小窓から、橙色の夕陽が差し込んで来ていた。たからは少し目を細めながら唸った。少年は大げさに眉毛を動かし、戯けるように肩をすくめた。


「どうして僕が七雲だって分かるんですか? 双子なんだから、もう1人の方かも知れないでしょう?」

「髪がボサボサ」

「うっ」

「黒い『AIグラス』してない。それに、シャツがはみ出てる。ボタン、1つ取れかかってるし……」

「あぁ……ホントだ」

「ったく。アンタみたいな清正美うつくしくない人間、今ドキ滅多にいないわよ」


 たからは小さくため息をつき、七雲の右手に握られている記憶媒体フィルムを見つめた。どうやら彼によって、四谷に見せられていた『VRビデオ』は強制終了されたらしい。彼女は起き上がり、軽く頭を振って、静まり返った女子トイレの中を見渡した。


「四谷さんは……」

「帰ってもらいました。僕が、七星兄さんのフリをして」

 七雲がいたずらっぽく笑った。たからは床の真ん中に座り込む彼をじっと見下ろした。


「アンタ今まで、どこにいたの!? 大変だったんだから! 学園が……」

「すみません。ちょっと七星兄さんに捕まって……」

「七星、って……」

 さっきまで『VRビデオ』に登場していた、七雲の実の兄だ。七雲は、いつになく真剣な表情でたからを見つめていた。

「清澄さん。どこまで見ましたか?」

「どこって?」

「僕の……母さんのビデオです」

「…………」


 シン……と静まり返った女子トイレの中を、さらに深い沈黙が包んだ。

 七雲はたからから視線を外さなかった。彼女の方もまた、じっと七雲を見つめたまま、やがて重たい唇を動かした。


「節子さんが……亡くなるまでよ」

「……そうですか」


 七雲がホッとしたように顔を緩ませ、ゆっくりと起き上がった。たからはまだ、七雲の動きを目で追っていた。


「それじゃあまだ、です。特段脳に影響もないでしょう。一応その後、映像がどう続くかと言うと……」

「…………」

 七雲が、ポーンと天井付近に記録媒体フィルムを投げ出しながら、あっけらかんと笑った。ちょうど『ビデオ』で見た、卒業証書を空に投げる場面シーンそっくりだ、とたからは思った。


「……母さんは、研究の過労が溜まっていて。直接的な死因は心不全ですが、『情報統制システム』を1人で完成させるために、相当無理をしてたんでしょう」

「1人で……って」

「極秘裏に進められていたんです。それから七星兄さんは、母さんの『システム』と僕の『AI』を組み合わせて、『審美眼』を完成させました。『審美眼』は、表向きは最善の選択肢を導き出し、『人々を清く正しく美しく』生きられるようにするものですが……それを個人が悪用すれば……」

「…………」


 たからは七雲の顔が、今まで出会ってから初めて、ほんの少し曇ったように感じられた。


「『何が正しいか』を他人に強要できる……凶悪な【洗脳装置】に成り替わる。ちょうど今の、この学園のようにね」

「…………」


 再び女子トイレに重たい沈黙が訪れた。たからがおずおずと口を開いた。


「あなたのお兄さん……七星は」

「葬式を見たでしょう。七星兄さんは、僕が母さんを殺したと思っています。それで、『審美眼』で父親を洗脳し……」

「父親を洗脳!?」

 目を丸くするたからに、七雲は至極当然と言った顔で頷いた。


「いくら『システム』をぶっ壊すと言っても、相手が国じゃ言葉ほど簡単ではありません。そこで兄さんは、『審美眼』を逆に利用して、国を内側から乗っ取る方向に舵を切ったみたいです。今や父さんは七星兄さんの傀儡に過ぎないでしょう」

非道ひどい……」

「兄さんは政府の内部にいた父親を洗脳し、僕の戸籍情報を抹消しました。文字通り、僕はこの世界に存在しない人間になりました」

「……それで、いくら検索してもアンタの情報が引っかからないんだ」


 たからが、ようやく合点がいったように頷いた。

 七雲と出会った頃、たからは何度も彼の素性を明かそうと躍起になって調査していた。まさか本当に彼が幽霊ではあるまいと思っていたが……小泉七雲なる人物はこの学園の生徒ですらなく……それどころか、政府によって存在を抹消された人間だったのだ。


「だけどどうして……」

「兄さんは、僕を恨んでいるんです。僕がから……」

「だけどそれって、勘違いでしょう!」

 たからが腰に手を当てて鼻息を荒くした。


「節子さんが亡くなった時、あなたはまだ子供だった。いくら大学を飛び級で卒業したからって、まだ中学生じゃない! 家庭を支えるだとか守るだとか、それこそ言葉ほど簡単じゃないわ。がどうこう言ってるけど、私に言わせりゃ……」

「清澄さん」

 七雲は半ば興奮気味のたからの言葉を遮って、少し寂しそうに笑った。


「……!」

「……七星兄さんは」

 七雲が続けた。


「兄さんは僕を事あるごとに呼び出したり……そして僕が居着いた場所で、『審美眼』の洗脳実験をするんです。そうして僕の居場所を奪っていく。きっと兄さんもまだ、僕を許せては……」

「ひとつだけ、教えて」

 表情に暗い影を落とす七雲を見据え、たからが凛とした声を張り上げた。


「なんでしょう?」

「アンタが【学校の怪団】を始めたのは……私を団に誘ったのは、そのお兄さんに復讐するため? それとも……」

「…………」


 七雲は少し驚いたように目を見開き、やがて頭を振った。


「……もちろん、違いますよ。僕は清澄会長の驚いた顔が大好きで……それが見たくて、怖い話やってるようなもんですから」

「……そ。じゃあ、あとは簡単じゃない」

「え?」


 七雲が顔を上げた。

 たからは……泣いていた。

 

「いつもみたいに、私を驚かせなさいよ、七雲」

「清澄さん……」

「この状況で……学園を乗っ取られて。私は『ユピテル』も取られて。仲間も生徒たちも、全員奪われて!」

「…………」

「四谷さんは誘拐されて! 


 犯人は私たちってことにされて!

 二神くんや、茜ちゃんは追い出されて!

 挙句女子トイレに追いやられて!!


 この状況で……いつもみたいにヘラヘラ笑って、何とかしてみせなさいよ! 七雲!!」

「清澄さん!」


 七雲は、泣き崩れるたからを慌てて抱き止めた。それから震えるたからの髪をそっと撫で、彼女の耳元で優しく、力強く呟いた。


「もちろん……そうですね。それが僕の本分です」

「! じゃあ……」

「えぇ。このままやられっぱなしじゃ、【怪団】の名が折れる。やり返しましょう」

「七雲……」

「だからもう泣かないで……たからさん」


 七雲が、その目にいつもの光を取り戻し、またいつものように、冗談とも本気ともつかない顔で不敵な笑みを浮かべた。


「『審美眼』を、破壊します。一緒に奪われた生徒、【全員誘拐】仕返しましょう!」

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