怪想 VRタイムトラベル

「2人とも、ご飯よーっ」


 台所から、威勢良くたからが叫んだ。正確には七雲たちの母親・小泉節子が叫んでいるのを、たからは彼女の視点なかから眺めていた。


 節子たからが叫ぶと、上の階からドタドタドタドタ!! と大きな音がして、小学生くらいの可愛らしい男児が2人、食卓に滑り込んで来た。どうやら『VRビデオ』は、七雲たちの赤ん坊時代から幼少期へと飛んだらしい。七雲と、それから七星の兄弟は大人用の椅子に仲良く2人して座り込んだ。


 節子たからはおかずをテーブルに並べながら(今夜の晩ご飯は『ハンバーグシチュー』だ)、子供たちの様子をまじまじと眺めた。

 2人とも、顔が驚くほどそっくりだった。

 恐らく双子なのだろう。目の位置から鼻の形まで、ほとんど同じと言って良いくらいで、他人から見れば違いなど皆無に等しかった。七星が右手にフォークを、七雲が左手にスプーンを握りしめ、無邪気そうに顔を見合わせて笑った。


「「「いただきまぁす」」」

 

 それから3人で手を合わせて、いつかの日の食事が始まった。


「ほら、ほら。七星、あんまりがっつかないで。喉を詰まらせますよ」

「はぁい」

「七雲、ちゃんとよそ見しないで食べなさい!」

「はぁい」

「また零しちゃって、この子は本当にもう……」

 節子が七雲の顎を拭った。小言を言う割には、母親の声色はどこか嬉しそうだった。


 実に仲睦まじい、一家団欒のひと時だ。

 『映像』だから、実際に食事しているわけではない。それでもたからは『VR』を眺めながら、思わず自分の頬が緩んでいるのを感じていた。よくよく観察して見れば、どうやら七星の方が『腕白』で『元気』が良かった。七雲の方が『内気』で『引っ込み思案』なところがあった。


 さっさと手を動かしてハンバーグを掻っ込んでいる方が七星で、七雲は、食事にはさほど夢中になっておらず、時折天井を見上げては意味もなくぼんやりとしていた。外見は同じに見える双子でも、性格は各々違いがあるようだった。


 そんな息子たちの様子を、たからは節子の中でほほ笑みを浮かべ眺めていた。家族と食事している間も、母親は白衣を着たままだった。たからは、息子と母親を挟んだ、中央の席が空っぽなのに気がついた。状況から察するに、真ん中は節子の夫、七雲たちの父親の席だろう。先ほどから数十分ほど再生時間は過ぎているが、父親の姿は、未だに映像に出てきてはいなかった。


「……ごちそうさまぁ」

「ごちそうさま!」

 やがて双子が、ほとんど同時に持っていたフォークとスプーンを置いた。


「ちゃんと歯、磨くのよ。お母さん、研究所に戻りますからね。何かあったら電話してね」

「「はぁい」」

「おかーさん、ありがとう!」

「……ありがとう」

「2人とも、いい子にしててね」


 2人の息子たちの頭を撫でて、節子は満面の笑みでお別れを言った。こんな幼気いたいけな子供が、数十年後には人前で平気で鼻くそを穿るようになるなんて……などとたからが感慨に耽っているうちに、彼女の視界を再び『0』と『1』の羅列が覆い、『映像』は次の場面へと移った。



 次にたからの目に飛び込んで来たのは、七雲の、大学の卒業式であった。


 校庭にずらっと並んだ大学生たちの群れの中に、驚いたことに、中学生くらいの七雲がちょこんと混じって座っていた。先ほどよりも少し背の伸びた七雲が、卒業証書を受け取り、みんなと一緒に四角い帽子を宙へと投げ捨てた。


「卒業おめでとう、七雲」

「ありがとう」


 式が終わると、節子たからは七雲に駆け寄り、力強く息子を抱きしめた。


「その歳で飛び級で大学まで卒業できるなんて、お父様もきっとお喜びになるわ」

「どうだか」

 節子とは対照的に、七雲の態度は若干冷めたものだった。


「あんまり、意味はなかったよ。周りはどこに就職できるかしか考えてないし、僕はただ、すでに知っていることをもう一度分かりにくく聞かされただけだった」

「まぁ、まぁ……」


 ……何とも生意気な少年である。年相応と言えばそうかもしれないが、彼にもこんな時代があったのかと、節子たからは思わず苦笑した。2人はゆっくりと桜並木道を歩き出した。七雲がいかにもつまらなそうに、卒業証書の入った筒をポーンと空中に投げ出した。


「今に勉強なんて、しなくていい時代がくるよ。わざわざ何十年もかけて学校に行かなくても、コンピューターが数秒で『答え』を弾き出してくれる時代が来るんだ」

「はいはい。だけど学校は、『答え』を教えてもらいに行くだけじゃないでしょう? 友達とか……」

「今作ってる『AI』は、すごいんだ」

 七雲は母親の言葉を遮って、目を輝かせて振り返った。


「人間の『美しさ』とか『正しさ』とかも、全部『AI』に判断してもらうんだよ。宗教も、文化も超えて。全員が同じことを考えて同じ基準を持っていれば、今に争いもなくなっちゃうよ。まだ発展途上だけど、僕は『審美眼』って呼んでる」

「七雲」

「完成すれば、きっとお母さんの研究にも……」

「七雲」


 次第に熱が篭って行く七雲とは対照的に、節子の言葉は冷淡だった。

 

「家の外で、お母さんの研究のこと言わないで」

「……ごめ」

「……行きましょう。車で、七星お兄ちゃんが待ってるわよ。今夜はお祝いしなくちゃ。ね?」

「……うん」


 七雲は初め面食らったような顔をしたが、やがて顔を赤らめて俯いた。節子たからは踵を返し、背筋を伸ばして駐車場へと歩き出した。後ろで七雲が「お母さんも、もっと家に帰れると思ったのにな……それにお父さんだって……」と小さく呟く声が聞こえたが、節子はもう、振り返らなかった。


 車のウインドウに写った節子たからは、驚いたことにまだ白衣を着たままだった。どうやらよっぽど、その研究とやらが忙しいらしい。助手席には中学生になった七星が座って待っていたが(こちらも七雲に負けず劣らず生意気そうな顔だった)、相変わらず父親の姿は見当たらなかった。


 窓の外でデジタルの桜が舞った。節子たからがアクセルを踏み込むと、ウインドウは瞬く間に『0』と『1』で埋め尽くされて行って、『VR映像』は再び次の場面へと飛んだ。



 断片的な記憶の旅が続く。次の場面は、薄暗い部屋の中だった。

 数分前七雲たちと和気藹々と食事をしていた、あの部屋である。


 明かりのついていない部屋の中で、節子たからはテーブルの上に置いてある、離婚届をじっと見つめていた。


「……最初から」

 節子たからの口から、低く、凍るような声が転がり落ちた。それは今まで聞いてきた彼女のどの声よりも、温度のない重たいこえだった。


「私の研究だけが目当てだったのね」

 そう言って顔を上げると、斜め向かいに、節子を眺めている1人の人物が立っていた。やたら背の高い、大柄な男だった。暗がりで表情はよく見えないが、その男は静かに右手を伸ばし、節子の髪に触れた。


「……それだけじゃないさ。他の部分も、存分に愉しませてもらったよ」

「触らないで!」


 節子たからが男の右手を弾き飛ばした。


 数分前とは打って変わって、冷え冷えとした空気が食卓を覆っていた。

 『映像』の中ではいつも綺麗にウェーブがかけられていた節子の髪は、今日に限ってボサボサに掻き乱れ、視界に映る両手もいつになく荒れているようだった。

 苛立ちを隠しきれない節子とは対照的に、その男は、状況を楽しむかのように嗤っていた。たからはようやく、この男が節子の旦那なのだと気がついた。いつ頃だろう……先ほどの大学の卒業式の『映像』からは、さほど日が経っていないように思われた。


「勘違いするな。これは夫婦間の問題じゃない。国からの命令ということさ」

 男が嗤いながら唸り声を上げた。節子が、憎々しげに吐き捨てた。


「……散々人をこき使っておいて」

「それから、七雲ももらっていく」

「な……!?」

「あいつは案外、優秀に育った。もしかしたら、君よりもな」

「そんな……」


 節子が突然立ち上がり、男の胸ぐらを掴んで金切り声を上げた。


「そんな……絶対イヤよ! 子供たちだけは……絶対渡さないからね!!」

「黙れ!」


 映像がガクガクガク! と乱れ、節子の視点が右に左に彷徨った。殴られて倒れたのだ、と気づいたのは数秒後だった。男が覆いかぶさるようにして、床に倒れこんだ節子を見下ろした。


「研究は、ありがたくもらっていく。それから、七雲頭脳の方もな」

「…………」


 それだけ言うと、男はどこかへと歩き去ってしまった。その間節子はじっと動かず、床にポツポツと散らばった、自らの吐血をじっと眺めていた。


 何分……いや、何十分経っただろうか。

 『映像』だから、実際に痛みがあるわけではない。


 それでもたからは、胸の奥がジンジンと痛み、頬を伝う涙を零さずにはいられなかった。

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