第12怪 ドッペルゲンガー

『ねえぇ、檸檬れもんお嬢様? 若い殿方をなさるだなんて、あんまり褒められたコトではございませんよ? いくら小泉七雲様に、からって……』

「シッ! ちょっと黙ってろ、金星ウェヌス!!」


 塀の陰に身を潜め、四谷檸檬よつやれもんは『AIグラス』の音声を『OFF』にした。


 彼女の視線の先には、アスファルトを右に左にフラフラと、何とも覚束ない足取りで家路に着く小泉七雲の背中が写っていた。四谷は、何故か検索しても全く引っかからない彼の家を突き止めるために、学園からずっと後を着けてきたのであった。


 だが……校門を出てから、もう小一時間。


 目標ターゲットの小泉七雲は、本屋に寄ったり、誰もいない公園のブランコに1人腰掛けたり、一向に自宅へと帰ろうとしない。およそカタツムリよりも遅いんじゃないかと言うスピードで、さっきからノロノロと寄り道をしてばかりなのである。しばらくは息を殺して彼の動きを窺っていた四谷も、今ではすっかり眉間にシワを寄せていた。四谷があからさまに舌打ちした。


 もしかしたらまた、尾行されているのがバレているのかもしれない……そんな不安が、四谷の頭を掠める。しかし、口をポカンと開けたまま、流れる雲に見惚れ電柱にぶつかりそうになる七雲を見つめながら、『コイツに限ってそれはない』と彼女は確信するのだった。演技だとしたら、下手すぎる。それにそもそも、今時『AIグラス』も持たない一般人以下の学生七雲に、『防音厚底ブーツ』に『透明マント』を羽織った四谷の姿を見破られる筈はなかった。


「ククク……探偵事務所ジーちゃんトコから借りてきた、まだ市販もされてない最新式よぉ」

 四谷の瞳が嬉しそうに光った。

「名探偵は『秘密道具』を使うもんだぜ。で、私に勝ったと思うなよ……なあ? ウェヌス」

 黄色い画面上で、声を消音ミュートにされたウェヌスの絵が『うんうん』と頷いた。


 それから七雲は一軒の巨大なビルの前で立ち止まった。綺麗に整えられた生垣の端で、四谷が目を丸くした。七雲は後ろで気配を消している四谷の方を振り返ることもなく、当たり前のように自動ドアの向こうへと入っていった。


「オイオイオイオイ……アイツ、こんなトコに住んでんのかよ!? 高級マンションじゃん……」

 夕陽に染まったそびえ立つビルを見上げて、彼女は思わず感嘆の声を漏らした。生垣に身を隠したまま、四谷が画面上に自動で流れてくる周辺情報を読み漁った。


「マジかよ……なんじゃこの家賃。巫山戯ふざけてんのか。え? 近くに水族館もあるの?? 今度行ってみよ……。ん? 此処って……」

 次々に小画面表示ポップアップする周辺情報に目を踊らせつつ、次第に、四谷の視線はある一点に釘付けになった。


「【政府関係者……? 親族等宿泊所……?】」

 だが次の瞬間、四谷は突然何者かに後ろからグイッ!! と首を絞められ、『AIグラス』を乱暴に取り上げられた。


「ぐあっ!?」

「気づいてないとでも思ったか?」

「……ッ!! て、てめェ……!?」

 子供のように軽々と持ち上げられた四谷は、空中で足をバタバタと動かして抵抗した。必死に顔を動かし、見上げたその先には、さっきまで尾行していた男の視線が待っていた。


「小泉、ななくも……!!」

「……ったく、ウザッテェんだよ。テメーは色々と、だ」

 その声は獣のように低く、その眼は氷のように冷たかった。

 四谷が目を見開いた。

「ど、どうして……『透明マント』を……!?」

 何故見破られたのか。

 その返事は無いまま、いつの間にか黒い『AIグラス』を装着した彼は、四谷の黄色い『AIグラス』を地面に叩きつけて踏み潰した。


「ウェヌス!!」

「高名な探偵のお孫さんだか何だか知らねーが……何でも許してもらえると思ったら、大間違いだからな? テメーのケツはテメーで拭けってんだよ。それができて、やっと一人前だろうが」

「ウェヌス!! いやぁ!? そんな……!!」

 『AIグラス』は硬い地面の上で半分に折れ、剥き出しになった部分から、黒い煙を上げていた。

「う、ぐ……!?」

「ハッハァ!! いい顔だなァ! 探偵ごっこはこれまでだ。これでちったぁ、自分テメーの無力さを思い知ったか!?」

 四谷の首を絞める腕の力が、だんだんと強くなっていった。

 薄れ行く意識の中で、四谷は、耳元で嘲笑う声を聞いていた。


 それから、四谷檸檬高等学校2年生の消息は途絶えた。


 彼女の祖父・四谷大五郎は今でも現役バリバリの名探偵ということで、全国で警察と探偵事務所が血眼になって捜索に当たったが、それでも見つからなかった。『もはや監視カメラや個人用のカメラが写していない場所はない』と言われる、この現代においてである。


 誰にも、四谷檸檬を見つけられなかった。

 まるで何者かに、たとえば巨大な組織にでも、彼女の存在を消されてしまったかのように……。


【2X20年。


 科学技術の発展によって、全ての怪奇現象、心霊現象、オカルト、怪異、秘境の地、宇宙の謎、伝説、伝承、神秘……その他諸々の『おかしなもの』の存在が、全否定された現代。


 AIの情報管理によって犯罪は激減し、人々は未来永劫の”平和”と”幸福”を手にしていた。


 過去の歴史や膨大な情報の中から蓄積された『悪いもの』や『間違ったもの』、『汚らしいもの』は、中央統制局が開発したスーパー”マザー”コンピューター:『審美眼』の判断によって事前に排斥され、誰もが『清く正しく美しく』生きられるようになった。


 中でも『審美眼』によって選ばれた一握りの人間達は、それぞれ『統治者』、『王』、『大統領』、『リーダー』と行った役職につき、人々を導いて行く事を義務付けられ……】



「またまたぁ、何難しそうな本読んでるのよ、たからちゃん?」

「ど、道明寺先輩っ!?」


 放課後の図書室。


 薄暗い部屋の中で不意に背後から声をかけられ、清澄たからは慌てて分厚い本から顔を離した。「やっほー。来ちゃった」

 いつの間にか、たからの後ろに立っていた前生徒会長・三年生の道明寺は、いたずらっぽく笑うと彼女の横に腰掛けた。


「たからちゃん。元気してる?」

「は、はいっ」

 恐縮する後任者に、道明寺が優しくほほ笑んだ。


「最近何だか、たからちゃん変わったね」

「え!? ホントですか?」

「うん。ほんと。たからちゃんだけじゃなくって、この学園も。たからちゃんに合わせて、何だか前より柔らかくなったみたい」

「やわらかく……?」

 道明寺があはは、と笑った。


「褒めてるのよ? これでも」

「あ、ありがとうございます……っ!」

 林檎のように顔を赤面させたたからだったが、彼女はすぐに視線を本の頁に落とし、小さくため息を漏らした。横で頬杖をついてそれを見ていた道明寺が小首をかしげた。


「どうしたの? 何か悩み事?」

「いえ……」

 たからは、視線を『清く正しく美しく』の辺りでウロウロさせながら、やがてゆっくりと口を開いた。

「分からなくなったんです……」

「分からない? 何が?」

「その……『清正美うつくしさ』、が」

 たからは少しバツが悪そうに顔を上げた。すると、道明寺の目が想像以上に優しかったので、たからは思わず心臓を高鳴らせた。


「私、その……」

 やがてたからは小さな声で呟いた。


「自分で言うのも変かもしれないですけど、子供の頃から、大切に育てられて……。この世界ってなんて、”平和”で”幸福”なんだろう……って。そりゃたまに犯罪とかも起こりますけど、それでも『みんな最後には分かってくれるよ』って。誰だって『清く正しく美しい』のが1番だって。でも……」

 あぁ、と道明寺が嘆いた。

「新しい広報さん、四谷さんだったっけ。可哀想に」

 たからは目を伏せ、悔しそうに唇を噛んだ。


「でも……どれだけ『清正美うつくしさ』が広まっても、犯罪は起こります。じゃあ私のやってることって、『審美眼』が広めていることって一体何なのかな……って」

 そこでたからは再び道明寺を見上げた。道明寺はまだ、たからの目をじっと見つめていた。


「自分のやっていることに、無力感を感じているの?」

「それだけじゃありません」

「じゃあ、他に何か?」

「……私、色々な人に出会いました。生徒会の人も、それからそうでない人にも……」

「…………」

「それで……何が『正しい』かなんて、何が『美しい』かだって、やっぱり人によって違うじゃないですか。野球が好きな人もいれば、柔道が好きな人もいて。怖い話が大好きな人もいれば、大嫌いな人もいて。こんなこと生徒会長の私が思っちゃいけないんでしょうけど……」

「…………」

「私が『これが1番だ! これが正しいんだ!』って押し付けるのは、何か……変だな……って」

「たからちゃん」

「!」


 道明寺がたからの名を呼び、顔を上げた彼女に、グッと顔を近づけた。

 

 たからは驚いて目を丸くした。


 道明寺は、泣いていた。


「忘れないで。これから何があったって、たとえ、私はたからちゃんの味方だから!」

「ちょ……先輩!?」

 道明寺の瞳から零れた涙が、たからの頬に落ちた。突然の出来事に吃驚したたからは、呼吸もできずに体を強張らせた。道明寺は、勢いのまま押し倒されたたからの体をぎゅっと抱きしめようとして……すんでのところで、止まった。


「せ、先輩……?」

「……また、来るね」

「あ、待ってください! 道明寺先輩!?」


 急に踵を返して図書室を出る道明寺の背中を、たからは慌てて追いかけた。


「先輩!? さっきのって、どう言う……あれ?」

 

 しかしたからが廊下に飛び出た時には、長い廊下の左右どちらにも、道明寺の姿は見えなかった。

「ウソ……だって確かに……」

 たからが眉をひそめた。まるで煙のように消えてしまった道明寺の代わりに、扉のそばに、生徒会副会長の白川が立っていた。


「会長! ここにいたんですか! 探したんですよ! 通信も切ってるから……」

「白川くん! ごめんなさい、図書室にいたから……どうしたの?」


 目を丸くするたからの前で、白川は深刻な表情で声を絞り出した。


「四谷さんが、発見されました」

「ホントに!?」

 たからが飛び上がった。

「見つかったの!? どこにいたの……四谷さん、生きてるのよね!?」

「ええ」

「良かった……!」

 安堵したたからの瞳から、涙が零れ落ちた。

「ですが……」

 だが白川の表情は、たからとは対照的に曇ったままだった。


「どうしたの? まさか、怪我!?」

「違います。ただ……」

「何?」

「とにかく、見れば分かります」


 そう言って白川は自身の『AIグラス』を操作し、空間にホログラムを映し出した。するとたからと白川の間に、大量の警察官に誘導されて歩く、制服姿の四谷の顔がアップで現れた。ニュースキャスターの音声が、2人しかいない放課後の廊下に響き渡る。


【……繰り返します! 少女は無事保護されました! 無事です! なお『学校の怪団』を名乗る、誘拐犯グループからの声明文では……】


「ね? おかしいでしょう?」


 空中に描かれたニュース映像を眺めて、白川が珍しく不安そうな声を出した。


「四谷さん、こんな黒い『AIグラス』なんてつけてなかったのに。それに彼女、制服着るの嫌がって、いっつも黄色いジャージだったでしょう。おかしいと思いませんか? 捕まってる間に、犯人に妙なことされてないといいですけど……」


 だけどたからは、その場で固まったまま、もうそれ以上白川の言葉を聞いてはいなかった。

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