第10怪 しゃべりだすベートーヴェン③
「見ろよ……ま〜た誰か怒られてるぜ」
「シッ……聞こえちゃうよ!」
「
「横賀先生……」
「……こっわ」
放課後。
下駄箱へと向かう生徒たちが、皆一様に一点の方角を見つめヒソヒソと小声で囁き合った。彼らの視線の先にいるのは、天井に頭が届きそうなほど巨大な音楽教師と、廊下に正座させられた数名の生徒たちだった。
「……この私の授業で、私語をするとは!!」
「ひッ……!?」
横賀先生の怒声が廊下中に響き渡り、近くのガラス窓が小刻みに揺れた。正座していた生徒たちは飛び上がり、全員顔を真っ青にしてブルブルと震え上がった。横賀先生が、持っていた指揮棒でバシーン!! と自分の太ももを叩いた。
「貴様らは、貴重な学校の授業を、音楽を何だと思っているんだッ!!」
「すッ……すみませぇ〜んッ!!」
血走った白目で天井付近から見下ろされ、生徒たちは只管平謝りするしかなかった。横賀先生の”怒気”に、1人の生徒は口から泡を吹き、またもう1人の生徒は、座ったまま気絶していた。
「いいかッ!? 貴様らもよォく、聞いておけッ!!」
横賀先生がぐるんッ!! と首を回して周囲を見渡し、見学していた下校途中の生徒たちに聞こえるように声を張り上げた。
「私は曲がった事が、大っ嫌いなんだ!! 私の目の前で私語や遅刻、居眠りなどしてみろッ! 言い訳は一切聞かんぞ! 即刻その場で、生まれてきた事を後悔させてやるッ!!」
「ヒィィ……!?」
「逃げろ!」
「早く下校しろ! 時間、過ぎちまうぞっ!」
渡り廊下は一時騒然となった。横賀先生に睨まれた生徒たちは息を飲み、蜘蛛の子を散らすように下駄箱へと走って行くのだった。
「たから先ぱぁい……あれに謝りに行くんスか??」
「う〜ん。参ったわね……」
その様子を、遠巻きに見ていた茜が涙声を出した。我先にと下駄箱に急ぐ人混みの中で、たからは小さくため息を漏らした。
「何とか謝って許してもらおうと思ったけど……あれじゃあ目が合った瞬間、問答無用でぶっ飛ばされそうね」
「かと言って、団長の計画も絶対上手く行かないっスよぉ! どうするんスかぁ!?」
「そりゃ、私だってバニーガールはイヤよ……でも……」
茜の隣で、たからは『何か手は無いか』と横賀先生の背中を見つめ、1人歯噛みするのだった。
□□□
「あれ? 清澄さんと六道さんはどこですか?」
下校時刻が過ぎた音楽準備室に、七雲がやって来て小首をかしげた。二神は準備した『中世の机』の上に座って腕組みをしたまま、小さく肩をすくめた。
「2人なら、帰ったよ」
「帰った??」
「あぁ。お前の助けを借りるくらいなら、潔く『うさぎ跳びした方がマシ』だとさ」
「そんな! ここまで準備したのに!」
七雲が音楽準備室の中を見渡した。
音楽室の隣にある準備室は、普段は使われていない楽器などを保管しておく場所ではあるが、今は七雲たちによってすっかり様変わりしていた。壁には一面、絵の具で描かれたような奇妙な模様の紙が貼られている。楽器は傍にズラリと並べられ、ぽっかりと空いた中央の空間には、どこから持って来たのか、アンティークの机や椅子が並べられていた。
「僕、ベートーヴェンの衣装まで用意したんですよ!」
七雲が、これまたどこからか調達して来たらしい紙袋を掲げて見せた。中には黒いコートやカツラなど、たくさんの変装用グッズが入っていた。
「あのなぁ……学芸会じゃないんだから」
「でも、電気を消して蝋燭をつけたら、それっぽい雰囲気になりますって……ほら!」
そう言って七雲が部屋の電気を消し、机の上にあった電気蝋燭のスイッチを入れた。
二神は暗くなった部屋を見渡した。橙色の灯りに照らされた準備室は、なるほど確かに一見、幻想的な絵画のような感じだ。
「けどお前さぁ……本気でこれで上手く行くと思ってんの?」
二神は壁に貼られたペラペラの紙を見つめ、小さくため息をついた。
「え……」
「悪りーけど、俺ァパスだわ」
「え?」
「緑野の時はまだ、納得できる理由があったけどよ。今回はどうも乗り気じゃねえ。元々悪ぃのはあの2人じゃねえか。それで監督を貶めるような真似は、俺ァゴメンだ」
「ま……待ってくださいよ二神くん!」
これに慌てたのは、七雲だった。
「もう先生も呼び出してるのに……君がいなくなったら、一体誰が横賀先生を気絶させるんですか!」
「知るかよ。お前が言い始めたんだから、お前がやれ」
二神は冷たい目つきで七雲を一瞥し、準備室を出て行こうと扉を開けた。しかし、廊下に出た瞬間、彼は慌てて部屋の中へと引き返して来た。
「やっべ……!」
「? どうしたんですか??」
「……来てんだよ! もうそこまで! 早く隠れろ!!」
二神はぼんやりと突っ立っていた七雲の手を取ると、急いでロッカーの中に身を潜めた。
(来てる? 横賀先生ですか? おかしいな……先生が来るのは、もうちょっと遅く……)
(違えよ!)
元々楽器が収納されていたロッカーの中で、七雲たちがヒソヒソと小声で囁き合った。
(……あのチビ女だ!)
(え?)
二神は息を殺し、ロッカーの穴から外を覗き見た。
廊下からはコツ、コツ……と、確かに誰かが近づいて来る足音が聞こえる。姿までは見えない。狭いロッカーの中で、七雲は体を捩り、隙間から漏れる光の向こうへと目を凝らした。やがて、足音が準備室の前で止まった。ギィィ……と、扉がゆっくりと音を立てて開かれ……
「見ぃ〜つけた」
(う……!)
……向こうから、満面の笑みを貼り付けた四谷檸檬が顔を覗かせた。三日月型に細められた彼女の目には、獲物を見つけた肉食動物のように、愉悦の色が揺らめいていた。
(……どうすんだよ!? 七雲!?)
ロッカーの中で、二神が冷や汗を滴り落とした。
(ツけられてたんだ! 俺たち、あの生徒会の女に! これじゃ監督をどうこうする前に……俺たちが捕まっちまうぞ!?)
「オイオイオイオイ」
画用紙が敷き詰められた部屋の中に、黄色いジャージ姿の四谷がゆっくりと足を踏み入れた。四谷は中央にあった机に近づくと、その傍にあった紙袋を拾い上げ、満足そうに白い歯を見せて笑った。
「間違いねえ! こいつァ紛れもない……証拠だ! もう言い逃れできねえ!」
(オイ!? 七雲! ヤベえぞ!?)
四谷が紙袋を手に勝ち誇った。逃げ場を失った
(何だ、そりゃ?)
(これは、【運命発生装置】です)
(は? 運命?)
(ここまで来たら、もう運命に身を委ねましょう)
暗がりの中、七雲はほほ笑んで、箱のスイッチを押した。
「何だ……!?」
その途端、準備室の中に大音量で、ベートーヴェンの『運命』が鳴り始めた。
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