第9怪 しゃべりだすベートーヴェン②

「いや、っつってもなぁ……」


 音楽室で、天井付近に飾られた肖像画を見上げながら、二神がボリボリと頭を掻いた。モーツァルトに、バッハ、ショパン……長い音楽室の壁に、偉大な音楽家たちの肖像画がずらりと並ぶ。そのほぼ真ん中に飾られているのが、『ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン』であった。二神がため息をついた。


「【ベートーヴェンが喋り出す】、ねえ。確かにガキの頃、一回はそんな噂耳にしたこたァあるけどよ。今更【絵が動き出す】とか、そんなんで驚く奴いんのか? 無料アプリとか、それなりの道具使えば今の時代いくらでも出来るだろ、そんなもん」

「そうですね……なので」

 七雲が頷いた。


横賀オーガ先生には、【絵画の中に入り込んで】もらいます」

「は?」

「つまり、計画はこうです」

 ぽかんと口を開ける二神に、七雲が笑みを浮かべた。


「ステップは⑤つ。まず、【①放課後、横賀先生を音楽室に呼び出す】」

「⑤つもあんのかよ」

「そして一度音楽室の中を見てもらって、【②部屋の中がいつもと変わらない音楽室だと確認させる】。ここ大事です。額縁の中に、ちゃんと『ベートーヴェン』がいるのを見てもらわないといけません」

 七雲が二神の隣まで来て、肖像画を見上げた。


「それから【③横賀先生が帰ろうと振り返ったその時! 突然照明が落ち、『ババババーン!!』とベートーヴェンの『運命』が鳴り出して……】!」

「う……!」

 急に顔をずいっと近づけてきた七雲に、二神は思わず顔を背けた。


「ちょ……近えよ!」

「【その④。先生が慌てて周りを見渡すと、音楽室はあら不思議! 中世の家具や食器が置かれた、絵画の中の世界へと大変身!】」

「だから……!」

 二神は鬱陶しそうに、顔を近づけてくる七雲を引き離した。


「……それを【どうやって】やるのかって話だろ!」

「色々考えたんですが……」 

 七雲が小さくため息をもらした。


「やっぱりここは、もう一つ別の部屋を用意するしかないかなって」

「もう一つの部屋?」

「それで、暗くなった瞬間に横賀先生を気絶させて、ですね……」

「オイ、待て」

「それから先生を予め用意していた【絵画の部屋】で目覚めさせ、そこで『ベートヴェン役』の人に会わせる」

「待てって」

「そして『ベートーヴェン役』の人が、横賀先生に教育とは何たるやを訥々と説き……心を開いた先生は、それから生徒に優しく接するようになる。そんな計画です」

「オイ! 何だその茶番。ふざけんな。大体気絶させるって……誰が?」

「それはもう」


 七雲が二神を見てほほ笑んだ。

「力自慢の、二神くんしかいないでしょう」

「はぁ!?」

 二神が七雲の首根っこを締め上げて吊し上げた。


「痛い!」

「出来るわきゃねーだろ!! 監督をぶん殴るとか、そんなんバレたら退学どころじゃ済まねーぞ!!」

「痛い……離して! 離して下さい、死んじゃう……まだあります! まだ計画が、【その⑤】があるんです!」

「その⑤だぁ!?」

 二神に持ち上げられ、宙に浮いた七雲が、苦しそうに足をジタバタと動かした。すると音楽室の扉が、突然ガラッと開いた。


「ちょっと、七雲!!」

 やって来たのはたからと、茜の二人組だ。何やら衣装を抱えた生徒会長が、顔を真っ赤にして音楽室に怒鳴り込んできた。


「何なのよ!? この服は!?」

「何って……【バニーガール】ですけど……」

「【バニーガール】ですけど……じゃ無いわよ!! こんなバカばかしい服、私は絶対着ないから!!」

「うぅ……! こんな恥ずかしいの、着られないっス……!」

 たからの隣で、茜が青いバニーガール衣装を抱え、モジモジと恥ずかしそうに身を縮こまらせた。


「いやいや、お2人とも」

 七雲は急に真面目な顔をして低い声を出した。


「元はと言えば、お2人が悪いんでしょう? 先生の心を傷つけて……うさぎ跳び100周とバニーガール姿、どっちが良いんですか? 僕に助けて欲しかったら、それなりの誠意を見せてください」

「宙に浮いたまま凄んでんじゃないわよ。あのねえ、一体この計画のどこに、私たちがバニーガールになる必要があるって言うの!?」

「この人に助けを求めたのが、そもそもの間違いだったかもっス」


 七雲はなぜか勝ち誇ったように笑みを零した。

「とにかく、【その⑤お2人がバニーガール姿になること】! これが絶対条件です。じゃないと、ベートーヴェンは喋り出しません!」

「ンなアホな……」

「テメーが女2人侍らせたいだけだろーが! オイ!!」

「こんな杜撰な計画、絶対上手く行きっこないっス……」

 

 それから怪団員たちは、各々気が済むまで七雲を責め立て続け、誰もこの計画に賛成しないまま、放課後家路に着いた。


□□□


「“ウェヌス”」

『はぁい、檸檬れもん様』


 ”金星ウェヌス”と呼ばれたAIプログラムが、四谷檸檬の呼びかけに応えて起動した。四谷は、音楽室へと続く廊下の端に身を潜め、たから達4人の背中を覗き込んでいた。


「聞こえたか? 今の……」

『いいえ、はっきりとは……音声ファイルを分析します?』

「あぁ、頼む」

 廊下の角で、四谷が目を細めた。


「オイオイオイオイ。怪しすぎるぜ。生徒会長サマが、音楽室に何の用だ? 何で、あんな奴らと一緒に?」

 彼女の視線の先には、たからと並んで階段を降りていく茜、それに二神と七雲が写っていた。


「どういう繋がりだよ。それに、アイツ誰だ?」

 四谷は黄色い『AIグラス』の画面の中で、七雲を拡大表示クローズアップした。


「あんな奴ウチの学園にいたか?」

 持ち主の疑問に、DNAウェヌスはのんびりとした声で答えた。

『……おかしいですねえ。照合しましたが、データにありません』

「オイオイオイオイ!」


 四谷が咥えていた棒突きキャンディをバリン! と噛み砕いた。


「それって、不法侵入ってコト? 部外者をウチの学園に入れてんの? そりゃ、清澄会長もタダじゃ済まないんじゃねえ?」

『何だかヤケに嬉しそうですね、檸檬様』

「もし【緑野殺し】の犯人がアイツらだとしたら、裏で生徒会長と繋がってたとなると、こりゃ学園がひっくり返るぞ」

『緑野様は、まだ死んでませんけど……』

 嬉々として白い歯を見せる四谷を、『AIグラス』が窘めた。


「”ウェヌス”、今すぐあの連中を調べ上げろ。しばらく、アイツら見張るぞ」

『もう調査済みです、檸檬様』 

 ウェヌスが、少し誇らしげに声を張り上げた。


『彼らの名は、右から順に小泉七雲、二神晴人、六道茜。後の2人は、この学園の生徒です』

「小泉、ナナクモ?」

 ウェヌスが黄色い『グラス』上に、2人のデータを表示した。四谷が眉を潜めた。


「どっかで聞いたことあるような……」

『彼らはその小泉七雲を中心に、何やらサークルめいたものを結成したみたいですねえ。【学校の怪団】を名乗って、この学園で悪さをしてるとかしてないとか』

「学校の怪談だと?」


 その時、階段を降りていた七雲が、何気無しに後ろを振り返った。

 四谷は慌てて顔を引っ込めたが、その一瞬、彼女は七雲と目が合った……ような気がした。


 だが彼女の心配もつかの間、七雲たちは四谷の存在には気付かず、そのまま階段を降りて行った。


「……っぶねぇ!」


 やがてたから達が去り、静かになった廊下の端っこで、四谷は1人額に滲む汗を拭った。窓の外はすっかり暗くなり、廊下の端から、順に照明がバチン! バチン! と音を立てて点灯し始めた。


「小泉七雲、か……」

『檸檬様? 大丈夫ですか?』

「……フン。面白え」

 真っ白な蛍光灯の光が、四谷のいる真上から降り注いだ。彼女はゆっくりと廊下の角から姿を現し、誰もいなくなった廊下の先を睨んだ。


「この私とり合おうってのか? 怖い話で、【四谷】は避けて通れねえよなァ」


 四谷檸檬は足元に影を落とし、1人不敵な笑みを浮かべるのだった。

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