第7怪 真夜中の人体模型③
「見て下さいっス! ちょっと狭いっスけど」
放課後。
たからたちが集まった前で、茶道部一年生・六道茜が、『えっへん!』と誇らしげに胸を張った。
「どうっスか、茶道室は! 校舎から離れてるから誰も近寄らないし、部員は私しかいないから、使いたい放題っス」
「ふぅん……中々良いじゃないの」
「確かに雰囲気は良いけど、ちょっとボロっちいな」
茶室の中を覗き込み、たからや二神が、各々感想を述べる。八畳の茶室には、墨で描かれた鳥獣戯画の掛け軸や囲炉裏もあり、さらに奥には水屋や厨房もキチンと備わっていた。
「実は入部してから、まともにお掃除してなくて……お恥ずかしい限りっス」
ささくれだった畳の上で、茜がそばかすの上をほんのりと紅色に染めた。
時代が移り変わり、使われなくなった茶室は東校舎の裏手側、遠く離れたフェンスの片隅にポツンと一軒建っていた。寂れた茶室の周りには雑草が伸び切り、フェンスの向こうに鬱蒼と生い茂る木々も相まって、辺りは昼間だと言うのにすでに薄暗い。逆に言えば他の生徒たちに邪魔されずに、こっそりと怪しげな集会を開くには、もってこいの場所に違いなかった。
「ここを私たち怪団の、『部室』にするっスよ!」
茜が嬉しそうに声を張り上げた。
六道茜の弟に、あることないこと散々吹き込んだ七雲たちは、そのお礼として、彼女が所属する茶道部の部室を『共有』してもらえることになったのだった。
「でも俺たちは、別に『部活』って訳じゃねえからなァ」
二神が靴を脱いで茶室に上がり込み、破けた障子に巣喰った蜘蛛の巣をジロジロと眺めた。
「じゃあ『部室』じゃなくて、『秘密基地』とか『如庵』とか……」
「ま、呼び名なんて別に何でも良いんだけどよ。良いねえ、『秘密基地』。ガキの頃思い出すわァ」
「じゃあ、『秘密基地』で!」
「ちゃんとお茶は出るんだろうなァ?」
「任せて下さいっス!」
二神と茜が顔を見合わせて、ニシシ、と笑った。
「それにしてもどうして茜ちゃんは、1人茶道部に入ったの?」
「あ……私は元々、柔道部だったっスよ」
たからの質問に、茜が少し寂しげに視線を落とした。
「中学までは、全国で良いところまで行ったんスけど……。進学する時に、『審美眼』が茶道部ってもう決めてて……」
「そう……」
質問した後で、たからはしまった、と後悔した。
スポーツが許可制であるように、数年前から、人々の進路や職業は今や『AI』が計算し『最適解』を出すのが当たり前になった。もちろん自由意志も尊重されるが、わざわざ拒否する人はほとんどいない。
そうしておけば、間違いはないからである。
人の『未来』から感じる『幸福』まで、全てコンピューターが計算して提供する時代だ。
自分には商才があって、商業の道に進めば幸せになるのは分かっているのに、たった一度しかない人生で危険を冒してまで別の道を選ぶ人がいるだろうか。それが『審美眼』が登場した後の、人間の新しいライフスタイルであった。
「……ホントは友達と一緒に、地元の公立高校に行きたかったんスけどねえ……。できれば柔道も続けたかったっスけど……でもまぁ、『審美眼』の判断なら、仕方ないっス」
「…………」
「……それであの後、弟クンの様子はどうなんだよ?」
重くなった空気を察して、二神がさりげなく話題を変えた。たからは二神の仏頂面を覗き見た。
二神もまた奨学金をもらって、この学園で野球をさせてもらっている立場だ。と言っても本人にやる気はなさそうだから、『審美眼』が決めたに違いない。彼も野球をやる前は、何か別の道を夢見ていたのだろうか。
……おかしなものだ。
たからは1人、ソワソワと前髪を撫で付けた。
本来ならば生徒会長である自分は、野球部をサボりがちな二神を諫めなければならない筈だ。なのに彼を見過ごし、あろうことか彼と一緒に連んですらいる。やらなければならないことの逆をやっている自分が、何だか妙にくすぐったくて、たからは罪悪感と高揚感を一緒くたにしたようなものを、一人胸の中で飲み込んでいた。
「リョウは元気っスよ!」
弟の話題になった途端、茜の顔がぱあっと花開いたように明るくなった。
「人体模型の話を聞いてから、すっかり怯えちゃって……私たちが走ってるところも、バッチリ目撃したみたいっス! 私が『リョウは太ももから下があるんだし、まだ走れるよ!』って。リョウもすごく納得みたいで、やる気を出して、今週からリハビリも始めたっス!」
「うーむ……」
「まさか、本当にあの作戦で上手く行くなんて……」
「やはり血は争えないと言うか、“この姉にして、弟あり”と言ったところか……」
「ありがとうございます! 本当に怪団の皆さんには、感謝してるっス!」
茜があっけらかんと笑った。
常人には理解できないやる気の出し方にたからたちが戸惑っていると、ガラガラと大きな音を立てて、入口から七雲が姿を現した。
「やぁ皆さん! 遅れてすみません」
「オイオイ。お披露目の日だってのに、肝心の団長様が一体どこ行ってたんだ?」
「ちょ……何よそれ!?」
たからは、七雲が引きずってきたリヤカーの荷台を見て、ぎょっと目を丸くした。
「これは、『二宮金次郎像』です」
七雲が滴る汗を拭いながら、巨大な銅像を指差して『えっへん!』と胸を張った。
「はぁ!? 何でそんなもの持ってきてんのよ!?」
「これを我が怪団の、マスコットキャラクター的な存在にしようと思って……」
「うわぁ、すごいっス!」
「他にもたくさんあるな。何だこりゃ?」
「二宮金次郎を、怪しげな人物の象徴みたいに言うのやめて!」
七雲が現れた途端、狭い茶室は急にぎゃあぎゃあと騒がしくなった。
「全く……」
他にも、どこから拾ってきたのか『破れたモナ・リザ』だとか、『壊れて鳴らなくなったピアノ』だのを次々と茶室に運び込もうとする七雲を尻目に、たからは深くため息を漏らした。
「じゃ、私先に戻るから。生徒会の仕事も残ってるし」
「おう」
「また来てくださいっス! それまでに、『秘密基地』バッチリお掃除しておくっスよ!」
「あれ? 清澄さん、もう帰っちゃうんですか?」
「アンタと一緒にいるところを、見られたくないのよ!」
一体何が楽しいんだか。全く、高校生にもなって……。
たからは、口から出そうになったそんな言葉を、一人胸の中で飲み込んだ。
「そっち、重たいぞ。気を付けろよ」
「はいっス!」
「もっともっと、たくさん世の中の”怪しいもの“を集めましょう。ここが僕たち【学校の怪団】の、新たな拠点に……『秘密基地』になるんですから!」
全く高校生にもなって、実に楽しそうにガラクタを運ぶ団員たちを置いて、たからは……ホンのちょっぴり、後ろ髪を引かれる思いで……出来上がったばかりの『秘密基地』を後にした。
□□□
「さて、
「どこがだよ。ただ重ねて積んだだけじゃねえか」
茶室の片隅に積み重なったガラクタの山を見上げて、七雲はやり切ったような笑顔を、二神は呆れ顔を見せた。
「ここにいたのか……」
「ん!?」
すると、突然茶屋の扉がスパーン!! と乱暴に開けられ、向こうから大男のギョロッとした目が中を覗き込んで来た。
「アンタは……!」
「緑野淳!! ……先輩!」
「見つけたぜぇ……!」
やって来たのは、生徒会庶務・緑野淳であった。
緑野は茜の姿を見つけると、意地悪く舌舐めずりした。
「てめーが茶道部にいるのは分かってんだ。よォくも俺の部下を、再起不能にしやがって」
「ひぃ……!」
「観念しろォ!! 逃げられると思うなよ!!」
「きゃあああっ!?」
怯える顔で後ずさる茜を、緑野が茶室に足を踏み入れ捕らえようとした、まさにその時だった。
どすぅん!!
「な……!?」
……と大きな音がして、緑野は畳の上に派手にすっ転んだ。
「何じゃ、こりゃあ!?」
混乱した緑野が慌てて足元を振り返ると、茶室の入り口に、透明な釣り糸がピンと張ってあるのが微かに光った。さらに彼が畳に転んだ衝撃で、隅に積み重ねられていたガラクタの山がゆっくりと崩れ落ちて来て……。
「ぎゃあああああああっ!?」
ごつーん!! と鈍い音が、茶室に響き渡る。
緑野は『ピアノ』や『二宮金次郎像』の下敷きになって、またしても気絶してしまった。
その様子を、片隅で見ていた七雲と二神が顔を見合わせた。
「あーあー……」
「……お前、わざとやっただろ?」
「いやぁ……。まさか同じ手に引っかかるとは思ってなくて」
「とにかく、こいつを病院に運ぶぞ。打ち所が悪かったら、洒落にならねえ」
「僕の時と同じですね。恐るべし、『二宮金次郎像』の呪い……」
七雲がブツブツと呟くのを無視して、二神は救急車を呼んだ。こうして緑野は隣の総合病院に運ばれ、部下共々、全治2週間の大怪我で入院することになった。
□□□
「会長サン」
たからが早足で生徒会室に戻っていると、中庭の隣、吹き抜けになった渡り廊下で、ふと声をかけられた。
「
「へっへーん」
そこに立っていたのは、黄色い『AIグラス』に黄色いジャージ姿の、何とも小柄な少女であった。
四谷と呼ばれたその少女は……頰をいっぱいに膨らませて棒突きキャンディを舐めながら……トコトコとたからの元へと駆け寄って来た。
「会長サン、探してたんですよ。何処行ってたんですか?」
「別に……」
背の低い四谷が、たからのへその辺りから、じっと上目遣いで彼女を見つめて来た。たからは言葉を濁した。他の生徒に自分が七雲や二神たちと連んでいるのを、あまり知られない方が良いと思ったからだ。ましてや相手が生徒会のメンバーなら、なおさらだ。
「ただ、フラッと散歩してただけよ」
「ふぅん……」
「探してたって、何か用かしら?」
「あぁ、そうそう。赤羽根クンが文化祭の予算の件で、会長サンに相談したいことがあるって。至急、生徒会室に来てくれって言ってました!」
四谷が八重歯を覗かせ、ニッコリとほほ笑んだ。
「分かったわ。今向かおうとしてたところよ」
たからは笑顔でお礼を返して、それから足早に生徒会室へと向かった。
□□□
四谷はしばらくその場に突っ立って、たからの後ろ姿をじっと眺めていたが、やがて作り笑いを引っ込めて、その切れ長の目を細めた。
「フラッと散歩……ねえ?」
バキン!! と音を立て、四谷が棒突きキャンディを口の中で噛み砕いた。
すると、向こうから大きなサイレンを鳴らして救急車が校内に入って来た。
「お?」
四谷が急いで現場に駆け寄ると、
「オイオイオイオイ!?」
何と気絶した緑野が、担架に乗せられ運ばれていくところだった。四谷は呆気に取られて、口からキャンディの欠片を零した。
「どうなってんだ……またかよ!?」
四谷は素早く辺りを見渡した。
周囲は雑草に囲まれるばかりで、ただフェンスのそばに、古びた茶室が一軒建っているだけだ。
恐らく現場になったであろう茶室に近づくと、入り口から、髪をほんのりと赤く染めた少女が、怯えた顔で
「オイ、此処で何があった?」
四谷が右腕の『生徒会:広報担当』の腕章を見せながら近づくと、赤髪の少女は一層顔を青ざめさせ、声を震わせた。
「わ、分からないっス! 生徒会の人が急に入って来て、それでこけて……」
「こけただァ!?」
四谷が素っ頓狂な声を上げると、赤髪の少女はビクッと肩を跳ねさせた。
「んなモン、あり得るのかよ? あの緑野が……」
四谷は、縮こまっている少女を押しのけ、ゆっくりと現場へと足を踏み入れた。
「……ふぅん」
「あの……?」
何やら意味ありげに頷く四谷に、少女が不思議そうに顔を傾けた。
「何か、分かったんスか?」
「いや……この足元ンところ」
四谷がふと足元の柱を指差した。
「何か紐みてーなモン結んでた跡があるな。それに畳に凹んだ跡もある」
「え……」
四谷が、今度は薄暗い茶室の中を指差した。
「恐らくついさっきまで、上に重たいモン置いてたんだろうな」
「な、何もないっスけど……」
「片付けたんだろ。もしあそこらへんに不安定なモン積み上げときゃ……ちょうど此処で緑野がこけて、アイツの身長だから、あのへんで上からモノが降ってくる計算になる」
「それってどういう意味っスか……?」
「つまりこりゃ、最初から仕組まれた事件だってコトよ」
四谷は畳と畳の間に挟まった、白い『石膏』の欠片を拾い上げ、ニヤリと八重歯を光らせた。
「
「あ、あなたは……?」
「あたしは、
ぽかんと口を開ける赤髪の少女を前に、四谷はツインテールを翻して、手のひらの中の『石膏』をバキン!! と握り潰した。
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