第6怪 真夜中の人体模型②

「緑野軍曹!」


 放課後の廊下を見回っていた生徒会庶務・緑野淳に、後ろから迷彩服姿の少年が威勢良く声をかけた。


「1階は異常なしであります!」

「そうか、ご苦労」


 同じく迷彩柄のパーカーを羽織った緑野が、満足げに顎を撫でた。さらに同じ服装をした生徒たちが、続々と緑野の元に集まってきた。



 彼らは全員、緑野が”風紀の乱れ”を正すために引き連れている”兵隊”である。


 全員がこの学園の生徒であり、全員が同じ迷彩柄の服に帽子、それから『AIグラス』を揃えて着ていた。皆、服の上から筋肉が盛り上がって見えるような、筋骨隆々の力自慢たちである。

 彼らは緑野を『軍曹』と呼び、神のように崇め、彼の手足となってどんな命令にも従っていた。もちろんその行き過ぎた”風紀”のせいで、他の生徒たちから忌み嫌われているのは、言うまでもない。


 やがて最後に一番小さな”兵士”が階段から降りてきて、緑野の前で最敬礼した。


「軍曹、4階の廊下も人払い終わりました! これで北校舎には、生徒は残っていません!」

「よぉし、良くやった。いいか、お前ら!!」

 4名の部下たちが整列した前で、緑野は大きく胸を張り、竹刀を肩で担いだ。


「これから”違反生徒捕縛作戦”を開始するッ!」

「はっ!」

「目標は毎日放課後6時過ぎに、この北校舎2階の廊下に現れ……」


 緑野が喋っている間に、薄暗かった廊下には白い蛍光灯の明かりが次々と点り、周囲を照らした。日没だ。緑野は鋭く廊下の隅々に目を光らせた。窓ガラスの向こうは、夕方6時を過ぎるともう真っ暗で、廊下からは隣接した総合病院の赤十字が輝いて見えた。


「……大凡7時までに、この廊下を許可なく走り抜ける。目標はどちらからやってくるか分からない。それぞれ2名ごとに別れ、東と西の階段入り口に張り込め!」

「はっ!」

「俺は廊下の中央で目標を待つ。くれぐれも、目標が姿を見せても慌てずに、走り出すのを待つように」

「失礼ですが、軍曹!」

 横一列に並んでいた”兵士”の一人が、天井に真っ直ぐ右手を伸ばして声を張り上げた。最後に遅れてやって来た、一番背の低い迷彩服だ。


「走り出す前に、取り押さえてはならないのですか?」

「当たり前だ。現行犯で捕まえねえと、”走るつもりはなかった”なんて言い訳されちゃ困るからな」「分かりました。あくまで違反行為の”予防”ではなく、違反者の”排除”ということですね?」

「そういうことだ」

 緑野が、不健康そうな歯茎を剥き出しにして、ニヤリと笑った。


「それでは配置につけぃッ!!」

「はっ!!」


 緑野の大号令とともに、兵士たちがそれぞれ二手に分かれ、長い廊下の端まで歩いていく。


「さぁて……」

 緑野は竹刀を杖代わりにして、廊下のちょうど中央、理科準備室の前に陣取った。もちろん彼は”予防”よりも”排除”の方が得意で、それを毎回愉しみにしているのは、言うまでもない。


「……作戦開始だ」


 廊下の壁に貼られた【走るな!!】の標語ポスターを前にして、緑野が嬉しそうに目を細めた。


□□□


 六道茜は、戸惑っていた。

 

 いつもなら、まだ居残り学習などで数名は見かける生徒たちの姿が、今日に限って人っ子一人見当たらない。さらに階段を上ると、いつも自分を目の敵にしていた迷彩服の少年たちと鉢合わせた。にも関わらず、今日は一向に邪魔してこない。ここのところ毎日のように、走らせまいと妨害してきたはずなのに……。


「どういうこと……?」

 無言で廊下の端に立ち続ける迷彩服を、怪訝な顔で見届けた茜は、次に廊下の中央に居座る大男を見つけて、ようやく合点がいった。


 およそ80メートルほどある長い廊下のほぼ真ん中に、緑野がブルンブルンと竹刀をしならせ、仁王立ちして茜を待ち構えていた。


「待ってたぜぇ……」

 緑野の方もまた茜の姿を見つけ、喉を鳴らした。

 彼女はゴクリと唾を飲み込んだ。 


 とうとう自分を、捕まえるつもりなんだ。

 これまでは廊下を走るたびに妨害にあったり、後から『切符』をもらったりしていたが、今夜はそれでは済まないらしい。

 緑野に捕らえられた生徒がどんな目に遭ったのか、彼女も噂では耳にしていた。そのほとんどが病院送りになっており、未だに学園に帰って来ていないことも。


 真っ白な蛍光灯の明かりの下で、茜は俯き、小さく息を吸い込んだ。


 ……それでも。

 自分は、走らなければならない。

 たとえそれが、罰せられるようなことであろうと……。


「自分……走らせていただきまスっ!」


 茜は気合を入れてそう叫ぶと、真っ直ぐ顔を上げ、竹刀を構える緑野の方に向かって駆け出した。


「ハッハァ!! いい度胸だ!!」

 そんな赤髪少女の姿を見て、緑野が叫んだ。


 茜は短く息を吐き出して、小動物のように廊下を疾駆した。緑野まで、20メートル……18、17……13……目の前に迫った彼が、大きく竹刀を振り被った。6メートル……茜は何とか巨体の脇をすり抜けようと……3メートル……小さな体をバネのように伸ばし、床を力強く蹴ったところで、

「あっ!?」

 緑野が立つ手前、足元に張り巡らされていた釣り糸に引っかかり、彼女の体は思いっきり宙に投げ出された。


「しまっ……!?」

「馬鹿め!」

 罠だ。動転する茜の頭の上で、緑野が勝ち誇るように叫んだ。無防備に曝け出された彼女の後頭部目がけて、緑野が鋭く竹刀を振り下ろす。彼女はどうすることもできず、冷たい床に頭から落ちて行った。


「……っ!!」

 もうダメだ……!

 恐怖に体が竦み、彼女がギュッと目を閉じようとした、その時だった。


「うおらぁあああああッ!!」

「な……ッ!?」


 突然、横の理科準備室の扉が開き、2つの影が飛び出してきた。

 1つは緑野の脇に激突タックルすると、そのまま彼の巨体を壁際に薙ぎ倒した。


 もう1つは、頭から床に落ちようとしていた茜を空中でキャッチし、優しく抱き止めた。

「大丈夫?」

「は、はい……!?」

 自分を助けてくれた影を見上げ……茜は思わずギョッとなって声を上ずらせた。


 何とその影は、内臓が丸見えになった人体模型だったのである。


「何だ、お前はァッ!?」

 緑野は壁に貼られた【走るな!!】の標語ポスターに激突して、破れた標語ポスターもろとも床に押し潰されていた。彼が慌てて起き上がろうするのを見て、もう1つの影が上から緑野を抑え込んだ。そっちの影は、皮膚の下が剥き出しになった、ムキムキの『筋肉標本』の姿をしていた。あの緑野を力で押さえ込むなど、この影もかなりの筋肉マンである。緑野が吠えた。


「邪魔するなァッ!!!」

「大人しくしてろ、この肉ダルマッ!!」

「ここは任せて、行って! 早く!」

「は? は、はいっ!」

 顔の右半分を丸出しにした人体模型が、茜に叫んだ。


 もちろん人体模型が動きだすなんて、有り得ない。

 だから突然現れた怪しさ満点のこの2つの影も、きっと中に人間が入っているに違いない……フェイスペイントか、それとも特殊スーツでも着込んでいるのだろうか。


 だが、茜には考えている暇はなかった。

 何とか、……。

「……!」


 突然現れた人体模型たちが、緑野ともみくちゃになっている隙に、彼女は再び廊下の向こう側へと駆け出した。

「止めろ、お前ら! ソイツを確保しろォッ!!」

 顔を地面に押し付けられながらも、緑野が必死の形相で叫んだ。


「はぁ、はぁ……っ!」

 向かい側に待機していた迷彩服2人がやってきて、茜の前で大きく両手を広げた。

「はぁ、はぁ、はぁっ……くっ!?」

「逃がさんぞォ!」

 迷彩服の1人が、立ち止まった彼女の肩を掴もうとして、

「グエッ!?」

 バチッ!! と鋭い音がして、廊下に白い閃光が炸裂した。


「【電気発生装置】です」

 隣にいたもう1人の迷彩服に、何やらスタンガンのようなものを押し付けられ、彼は茜の目の前で崩れ落ちて気絶した。呆気にとられていた茜に、仲間を気絶させた一番小柄な迷彩服が、『先に行け』と手で合図した。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ!!」

 それから茜は息を切らし、床に倒れた迷彩服を乗り越え、無事廊下の端にまで走り切った。


「はぁっ……!」

 額に溢れる汗を拭い、彼女がゆっくりと後ろを振り返ると……そこにはスタンガンで次々と気絶させられた迷彩服と、内臓や筋肉丸見えの人体模型たちが立ち並ぶ、何とも異様な光景が出来上がっていた。


□□□


「ちょっと!」

 

 人体模型のマスクを被った生徒会長が、迷彩服姿に変装した七雲に食ってかかった。彼らの足元には、【電気発生装置スタンガン】を押し付けられ気絶した迷彩服たちが転がっていた。


電気発生装置そんな便利なものがあるなら、さっさと使いなさいよ!」

「しっかし、この緑野って奴ぁ大したパワーだな」


 全身筋肉柄のラバースーツを着た二神が、気絶した緑野の上に腰掛け、汗をだらだらと流していた。二神も決して力が弱い方ではないが、それでも緑野の筋力は相当なものだったのだろう。

 それから3人は、廊下の端で座り込んでいる茜の元へと歩み寄った。


「六道茜さん」

「ひっ……!?」

 無言で迫ってくる人体模型を前に、顔を真っ青にした茜が小さく悲鳴を上げた。七雲は迷彩柄の『AIグラス』を取り、彼女に柔らかな口調で話しかけた。


「初めまして。あなたが廊下を走っていたのは、隣の病院で入院している弟さんのため……ですよね?」

「な……?」


 弟の話題に触れられると、彼女は驚いたように目を見開いた。


「あなたは……? 何で弟のこと、知って……?」

「実は僕も、あの病院に入院している生徒です。同じ部屋の患者こどもが、色々と話してくれたんですよ。同い年くらいの小学生の患者が、交通事故に遭って入院してるって」

 七雲が迷彩服を脱ぎ、全身に巻かれた包帯を見せた。


「確か弟のリョウくんは、交通事故に遭って両足を切断したとか……」

「マジかよ?」

「まぁ……!」

「……切断は、してないっス。だけど、複雑骨折で……」

 驚く人体模型たちの前で、茜は悔しそうに顔を歪ませた。


「お医者さんからは、もう元のように歩けるかも分からないって言われてて……それでリョウは、随分塞ぎ込んじゃって」

「…………」

「事故に遭う前は、あんなに元気いっぱいだったのに。今の医療技術なら、必死にリハビリすればきっと歩けるようになるよって励ましても、全然耳も傾けてくれなくて。それで……」

「それで廊下を走ってたの?」


 茜がバツが悪そうに小さく頷いた。

「ちょうど弟の入院している部屋から、この廊下が見えるから……。自分が廊下を走ってる姿を見たら、少しは元気になるかなって」

「なるほど。理由は分かったが、ちょっとアホっぽいな」

「余計なこと言わない!」

 たからが二神の頭をゴツン! と叩いた。茜が床にへたり込んだまま、ポロポロと涙を零した。

「自分は……自分は弟に、まだ諦めて欲しくなかったんス。医者に言われたからって、リハビリする前から、投げ出して俯いてばかりのリョウを見るのが辛くて……!」

「だからって、廊下を走るのは……」

「事故に遭ってから、私が何言っても、リョウは『そんなの無駄だ』って。『お医者さんがダメだって言ってた。下らない』って信じようとしないんス。だから、常識や、規律の中だけが現実じゃないって、そう思ってもらいたくて。それで廊下を走ろうと……」

「やっぱ、この子アホっぽいな」

「コラ!」

「なるほど。医者から現実を突きつけられて、家族の話すら信じない。だけど、【怪談噺】なら信じるかもしれませんね」

「え?」


 七雲の言葉に、茜が思わず顔を上げた。全身包帯男が笑った。


「誰の話も信じられない時でも、怖い話なら! 僕も子供の頃入院してた時に、親に『妖怪大百科』を買ってきてもらったことがあって。それ以来、夜中に1人でトイレに行くのがすごく怖くなって……」

「ちょっと、何の話?」

「考えてもみてくださいよ。人体模型なんて、太ももから下が無いんですよ!」

 七雲が隣にいるたからの太ももを指差した。彼女の足には、黒いストッキングが被せられていた。皆の視線が太ももに集まり、たからはマスクの下で少し顔を赤らめ、七雲は嬉しそうに声を張り上げた。


「こんなのが真夜中走ってるのを、もしリョウくんが目撃したら……『太ももが無くても、走れるんだ!!』ってなるかもしれません」

「なるかァ!!」

「なるほど!!」

 たからの盛大なツッコミを無視して、赤髪の少女がキラキラと目を輝かせた。


「確かに、その手があったっスね! それなら弟も、思わず信じちゃうかもしれません!」

「でしょう!? そうと決まれば、早速リョウくんに人体模型の噂を広めちゃいましょう!」

「はいっス!!」


 何故か意気投合した2人を前に、人体模型たちが呆れたように顔を見合わせた。

「いやいや……何でそれで納得できるの……」

「やっぱ、アホアホを呼ぶんだなァ」

「ちょっと! その言い方だと私たちまで、七雲アホ同類なかまみたいじゃない!?」

「あ、でも……」

 茜は少し心配そうに、廊下の向こうで気絶している迷彩服たちを覗き見た。


「大丈夫。夜中に走れば、問題ありませんから。ね?」

 茜の視線に気づき、七雲がたからに目配せした。たからは腕組みをして頷いた。

「え? ええ……その作戦が上手く行くかどうかは別にして……確かに昼間走られるよりは、夜中誰もいない時に走った方が、他の生徒たちも安全よね」

「あ、ありがとうございます。あの……」

「え?」

「あなた達は、一体……??」

「あぁ。僕らですか?」


 ぽかんと口を開け、自分に群がった人体模型たちを見上げる茜に、七雲が包帯でぐるぐる巻きの手を差し出した。


「僕らは、【学校の怪団】です」

「か、怪談……?」

「六道茜さん。貴女も僕らの【怪団】に入って、一緒に【真夜中コスプレランニング】を始めましょう!」




「なぁ」

 

 その後、仲良く総合病院に向かおうとする七雲と茜の背中を見つめていると、二神が不意にたからに声をかけた。たからはマスクを剥ぎ取りながら、気持ち良さそうに艶のある黒髪を靡かせて振り返った。


「何?」

「会長サンはよ……この学園の生徒の顔と名前、全員知ってるって言ったよな?」

「え? ええ。生徒会長として、当然でしょ?」

「じゃあ、アンタすら知らなかったあの七雲って男は……何者なんだ?」

「え……」


 二神が小声でたからに尋ねた。たからは二神をじっと見つめ、それから先を歩く七雲と茜の背中に視線を戻した。全身包帯男小泉七雲はそんな団員2人の会話も露知らず、茜の弟に飛びっきりの怪談噺を聞かせてやろうと、早足で廊下を駆けて行った。


□□□


「オイオイオイオイィッ!?」


 人気の無くなった廊下に、不意に少女の甲高い声が響き渡った。小柄な……六道茜よりも小柄な、下手したら小学生くらいの背丈の少女であった。その少女は廊下の片隅で気絶している緑野たちを見つけると、ぴょんぴょんと跳ねるように彼らの元へと駆け寄ってきた。


「連絡がないから来てみたら……何じゃあ、こりゃあ!?」

 少女は黄色い『AIグラス』に月明かりを反射させ、その奥で怪訝な顔をして緑野たちを覗き込んだ。

「何がどうなってやがんだ……オイ、起きろ!!」

 黄色い『グラス』の少女は緑野が持っていた竹刀を拾い上げると、彼の巨体を足でゲシゲシと蹴り続けた。


「起きろって……ん??」


 だが、一向に起きない緑野たちに痺れを切らし、彼女が竹刀を頭上に振り上げたその時、

「何だ、こりゃ?」

 ふと彼の体の下から、あるものが出てきて彼女は動きを止めた。少女は下敷きになっていた落し物を拾い上げ、しげしげとそれを眺めた。


「こいつぁ、清澄生徒会長の……『生徒証』?」

 やがて少女は、廊下に転がる迷彩服たちを見回し、静かに唇の端を釣り上げて嗤った。


「オイオイオイオイ! こりゃ何とも……”怪しい”じゃねーかよ!」

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