第5怪 真夜中の人体模型

「バカなんじゃないの!?」


 白いベッドの上で寝転ぶ七雲を前に、たからが呆れたように声を張り上げた。

「”二宮金次郎像を無理やり動かそうとして下敷きになる”って……高校生にもなって何やってんよアンタ」

「台座から切り離すところまでは、上手くいったんですけどねえ……」


 全身を包帯でグルグル巻きにした七雲が、窓から覗く清シャルム学園の校庭を見下ろして、小さくため息をついた。



 小泉七雲と生徒会長・清澄たから、それから新たに『学校の怪団』に加わった金髪の一年生・二神晴人の3人は、学園に隣接する市立総合病院の一室に集まっていた。4人部屋の、一番端にある窓際のベッドに、全治2週間の怪我を負った七雲が緊急入院していた。七雲が外の景色に目をやったまま、眠そうに欠伸を繰り返した。


「……同室の患者こどもが夜中まで騒いで、煩くて眠れないんですよ。治療はもういいから、早く家に帰りたいです。あぁ、個室が良かった」

「生意気言ってんじゃないわよ。個室なんて贅沢な、治療してくれるだけありがたいと思いなさい!」

「そういえば我が『怪団』にも、のんびりくつろげる部室みたいなのが欲しいですねえ」

「にしても、驚いたぜ」

 ため息をつく七雲の前で、二神がお見舞い品の果物みかんを口の中に放り込みながら呟いた。


「まさか本当に噂の生徒会長が、こんな意味不明な奴のお仲間とはな」

「私がどんな噂されてるか知らないけど……」

 たからが横にいる二神を白い目でジロリと睨んだ。


「私だって、半分脅されて入らされたようなもんよ。『怪団』とか言う、訳分かんないモノに」

「で、その『学校の怪団』って奴に入って、俺は何をすればいいんだ?」

「ん〜……」


 七雲は校庭から2人に視線を戻し、嬉しそうに目を細めた。


「とにかく僕らは『怪しい集団』な訳ですから。みんなでこっそりエロ本を読んだり……髪を金髪に染めてみたり……禁止されてるアルバイトをやってみたり……」

 七雲が至極真面目な顔で団員2人を眺め回した。


「まぁ、【消極的に規律を乱す】とでも言いますかね」

「何だそりゃ」

「要するに、ロクなもんじゃないってことね」


 二神はパイプ椅子からずり落ちそうになり、たからは深々とため息をついた。七雲がベッドの上で口を尖らせた。


「僕は真剣に、もっと笑えるくらい、変なことがたくさん起こればいいなと思ってるんですよ。規律で雁字搦がんじがらめにされた、この清く・正しく・美しい学園で……もっともっと、奇妙・奇天烈・摩訶不思議な現象が」

「あのねえ……規律があるから、みんな安心して学園生活を送れるのよ」

「だけどそれって裏を返せば、刺激が無くて、退屈な青春を送ってる訳でしょう?」

「全ッ然、退屈なんてしないわ。清正美しくあることが、貴方どれだけ大変か分かってな……」

「あー、でもそれなら俺、心辺りがあるぜ」


 言い争いになりそうな先輩2人の間に割って入って、二神が片手を上げた。


「俺のクラスに、最近ちょっとおかしくなっちまった奴がいんだよ」

「何それ? おかしいって、どんな?」

「何て言うのかな……あ!」

「え?」


 パイプ椅子を傾かせてぼんやりと廊下を眺めていた二神が、慌てて椅子を元に戻して首を引っ込めた。


「どうしたの?」

「噂をすれば……ソイツがいやがった!」

「え? どこ?」

 たからが怪訝な顔をして、白いカーテンの端から廊下を盗み見た。二神がそっと廊下を指差し、小声で囁いた。


「ホラ、あそこ……今自販機の隣歩いてる奴」

「あぁ……確かに、ウチの制服着てるわね」

 二神の指の先には、看護師や患者たちの群れに混じって、セーラー服を着た小柄な少女の後ろ姿があった。二神が目を細めた。


「確か名前は……”六道茜”、だったかな」

「何で同じクラスなのに、名前があやふやなのよ?」

「いや普通覚えてないだろ? 仲良くもないクラスメイトの名前なんて」

「全部、覚えてるわよ? ウチのクラスだけじゃ無くて、学園にいる生徒全員」

「え……マジ?」


 たからは、ぽかんと口を開ける二神の問いには答えず、噂の女子生徒に目を戻した。


『AIグラス』が、先ほどの2人の会話を自動解析して、画面の端に個人情報彼女のプロフィール表示ピックアップする。


 六道茜。


 1年G組。

 茶道部。

 得意教科は家庭科、苦手教科は英語。


 小柄な体格で、クリクリっとした目はリスを思わせる。まだ中学から上がったばかりで幼さも抜け切れていないが、愛くるしい顔立ちは、きっと男子にも人気があるに違いない。

 ただ、入学当初の写真は腰の辺りまであった黒髪は……一体何の心変わりがあったのか……今やバッサリとショートヘアになり、少し赤みがかった色に染められていた。たからが二神の頭の上で、表情を険しくした。


「……マズイわね。今は基準値以内だけど、あれ以上赤く染められたら不良になりかねないわ」

「俺の方を見て言うのやめてくんねーかな」

「二神くん。彼女がおかしいって、どんな?」

「うーん。一学期は、特に目立つようなこともなかったと思うんだけどよ……」

 二神が金髪をボリボリと掻いた。


「何でか知らないけどアイツ、最近休み時間に廊下を走っては、『違反切符』もらいまくってるらしいんだよ」

「廊下を、走る??」

 たからの怪訝な声に、二神が頷いた。

「あぁ。全然そんな奴には見えないけどさ」

「何でわざわざそんなことを? 校則違反だって、知ってるはずでしょう?」

「さぁ……何でも家族が交通事故にあって、そっからおかしくなっちまったって……」

「交通事故??」

 たからが眉をひそめた。

「俺も、詳しくは知らねーんだよ。生徒会にも毎回止められてるから、聞いてみろよ」

 

 二神が肩をすくめた。やがて六道茜は人混みの中に姿を消した。たからが振り返ると、いつの間にか七雲がベッドから身を乗り出していた。


「なるほど。校則を無視して、わざわざ【廊下を走る】少女ですか」

 七雲はたからの頭の上に顎を乗せ、実に嬉しそうに白い歯を浮かべた。


「その【消極的に規律を乱す】感じ……何だかとっても、”怪しげ”ですね」


□□□


「あぁ、六道茜ですか?」


 翌日。生徒会室に呼ばれた庶務・緑野淳は、たからの前で、仰々しく最敬礼をしてみせた。


「確かに二学期になって、清澄生徒会長が就任してから、ほぼ毎日のように廊下を走っては『違反』を切られてますね」

「なぜ?」

「さぁ……彼女の同胞クラスメイトの話だと、家族が交通事故に遭い、それから精神を病んでしまったと」

「…………」


 たからは生徒会長席で肘をついたまま、黙って口元に手をやった。緑野の内容は、昨日の二神の話と一致する。


「……だからと言って、他の生徒の安全を脅かしてまで、廊下を走っていい理由にはなりませんが!!」

「そうね」


 緑野は迷彩柄の『AIグラス』を光らせ、軍人のように敬礼の姿勢を崩さずに、上司の前で声を張り上げた。たからは緑野を見下ろした。生徒たちの日常生活を指導するのは、庶務である緑野の役目だ。政府公認のスポーツマン・二神よりもさらに一回りは大きな肉体を持つ彼は、卒業したら軍人になることが決められていた。


「これ以上『切符』が積み重なれば、留年や下手したら停学などの処分は間逃れません。他の生徒が規律をしっかり守って廊下を歩いている手前、ほっておくと示しがつかないのでは?」

「そう、ね……」

 たからは静かにため息を漏らした。


 同じ生徒会でも、彼女は緑野が苦手だった。

 緑野は、常に4〜5名の部下を引き連れ、腰にぶら下げた竹刀で違反者に規律を”叩き込んでいく”と専ら有名だった。生徒会にも『過度なパワハラでは無いのか』と批判の声が度々上がるが、彼に帯刀を許可したのは、他ならぬ中央統制局のマザーコンピューター:『審美眼』だった。


「会長」

 緑野がたからを見上げ、低い声を出した。


「我が学園には、松葉杖の生徒だって、車椅子の生徒だって登校しています。廊下を走るのは非常に危険な行為です。みんなが安心して学園生活を送るためにも……ここは一つ、厳しい処罰も必要ではないかと」

「私は……」

 たからは覆った手のひらの中で、小さく唇を噛んだ。


 以前の彼女なら、真っ先に同意していたはずだ。

 個人的なわがままによって、全体の安全が損なわれるなどあってはならない。

 それが生徒会長として、”正しい”判断だと、今まではそう信じてきた。


 だけど、ここにきて躊躇してしまうのは……。


「……私は、もうちょっと慎重になってもいいと、思うけどな」

 たからは慎重に言葉を選んで答えた。緑野が「おやっ」と意外そうな顔を浮かべた。


「ではその間に、他の生徒が怪我しても構わないと?」

「別に、そういう訳じゃないけど……」

「ご安心ください、清澄生徒会長」


 緑野庶務がたからの言葉を遮って、不敵に笑った。


「貴女は椅子に座って、踏ん反り返っていればいい。現場のことは現場に任せて下さい。学園の”平和”は、しっかり自分たちが”守らせて”みせますよ」


 そう言うと、緑野は腰にぶら下げた竹刀の柄を握りしめ、生徒会室を出て行った。


□□□


 静かになった部屋の中で、一人取り残されたたからは、椅子に座ったままじっと机の端を睨んでいた。


「そういう訳じゃないけど……さ」


 広々とした部屋の中で、たからは一人呟いた。


 確かに緑野は”正しい”。

 ここで六道茜の違反行為を見逃してしまえば、他の生徒たちに危害が及ぶ。


 だけど、ここにきて躊躇してしまうのは……二神の件があったから。

 少なくとも、あの”怪しげな団体”と関わったせいであるのは、間違いなかった。


「ユピテル!」

『はい、お嬢様』

 彼女の掛け声で、1秒も待たずにDNAが起動する。


「七雲に……小泉七雲に、電話して」

『畏まりました。 ……どのようなご用件で?』

「そうね……」

 たからは少し迷った後、やがてフッとほほ笑みを浮かべた。


「この学園と生徒たちの”平和”を”守る”ため、よ」

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