不吉な花

 狭い車内で博士と僕は差し向かいに座っていた。博士は驚いたように僕をまじまじとみつめていた。


「あの……〈生命の欠片〉ってどういうものなのか、もっと詳しく教えてもらえませんか。僕、初めて聞いたので……」


 車輪から伝わる地面の凸凹に揺られながら、僕は遠慮がちに切り出した。博士は眉をひそめた。


「おまえさんの相方に訊いてみりゃいいだろう。少しは知っている様子だったぞ」

「いや……その……お互い、情報収集は自分でやることになってるもので……」


 僕は口ごもった。ロランに頭を下げて教えを乞うなんてまっぴらだ。まだ博士の方が尋ねやすい。

 博士は丸眼鏡の奥から不機嫌な表情でしばらくこちらを睨んでいたが、やがてため息を吐き、説明を始めた。


 〈生命の欠片〉はサハという植物から作られる。根を乾燥させ、精製して、痛み止めを作るのに昔からよく使われてきた植物だ。

 あるとき誰かが――たぶん痛み止めの精製に失敗した薬師が――その精製の途中で強い圧力を長時間にわたって加えると、また別の効果を持った薬物を生み出せることに気づいた。それは人の心や身体の働きをとてつもなく高める薬で、まるで生命そのものを燃え上がらせるように見えることから、〈生命の欠片〉と呼ばれるようになった。人の創造力を高め、眠っていた能力を引き出す、夢のような薬だ。

 けれども世間にはあまり出回っていない。ほとんどの人には名前さえ知られていない。理由の一つは精製が困難だということだ――サハを純度の高い〈生命の欠片〉に変質させるために必要な圧力は、近ごろ帝都あたりで使われるようになった蒸気機関という装置でしか得られない。そんな装置は国中に数えるほどしか存在しない。

 また、〈生命の欠片〉が広く出回っていないもう一つの理由は。


「あれが人間をぼろぼろにしてしまう薬だからだ」


 ゼフォン博士は馬車の窓を見やりながら、静かな声でそう言った。

 窓の外は漆黒の闇で塗りつぶされている。僕は息をつめて博士の次の言葉を待った。


「――〈生命の欠片〉は、人間の生命力を高める薬ではない。そんな薬など存在するはずもない。神経を興奮させて、疲れを感じにくくさせるだけなのだ。薬が効いている間は眠気も空腹も覚えず、不自然なほど活動的な状態が続くが、それは体をだましているに過ぎない。何十日も不眠不休で働き続ければ、待っているのは衰弱、そして死だ。あの薬にとり憑かれた人間は、自分は元気いっぱいで力と才能にあふれていると信じながら、最後の一瞬まで働きに働いて死ぬのだ」

「でも……そんな恐ろしい薬なら……さっさと飲むのをやめればいいじゃないですか。何日も眠らないなんて異常だ。自分でもおかしいと気づくはずです。そりゃあ、薬をやめるには、タクマインさんのように苦しい症状を通り抜けなければならないから、ためらう人もいるだろうけど……死ぬよりはましでしょう?」


 僕の言葉に、博士がつめたく笑う気配が伝わってきた。


「やめることはそれほど簡単ではない。あの薬には人の心を奪ってしまう魔力がある。わしも何人かそういう輩を見てきたが、どいつもこいつもぼろぼろの体で、それでも〈生命の欠片〉が欲しいと懇願しながら死んでいった。だから、今夜の患者のような男は珍しい。薬を絶ちたいと考える、よほど強い理由があるのだろうな」


 僕は、死んでも離れないと言わんばかりに寝台で固く抱き合っていたタクマイン夫婦の姿を思い出し、胸がつまった。


 きっとタクマインは妻のために〈生命の欠片〉を絶つ決心をしたのだろう。妻に心配をかけたくないから、黙って一人で乗り越えようとしているのだ。医者にかかることを拒んだのは、診察を受ければ異常の原因が妻に知れてしまうと恐れたからに違いない。

 そして、毎夜のように背中を掻き裂かれながらも、少しでも夫が苦痛をしのぎやすくなるようにと耐えているミレイユ――。

 まさに夫婦愛の鑑じゃないか。この善良な夫婦を助けるのが、神から与えられた僕の使命だ。


 そう決意を固めると、気力が満ちてくるのと同時に、いくつかの疑問が僕の胸に湧き上がってきた。


「その〈生命の欠片〉というのは、簡単に手に入る薬ではないんですよね」


 僕の質問にゼフォン博士はうなずいた。


「さっきも言ったように、ほとんど出回っておらん。おまけに非常に高価なものだ。貧乏人がやすやすと買えるような物ではない。売ってくれる相手をみつけられたとしても、な」

「タクマインさんはどうやって〈生命の欠片〉を手に入れたんでしょう。それに……どんなに苦しくても薬を絶とうとがんばれるぐらい意思の強い人が、どうしてそもそもそんな薬など飲み始めたんでしょう?」


 博士は鋭い視線でじっと僕を見据えた。馬車の前の窓から入ってくるランプの光が、博士の眼鏡に小さく映って揺れた。長いあいだ封じこめてきた秘密を打ち明けるみたいな重々しい口調で博士は言った。


「わしにはわからん。それは医者の領分ではない。……だが、この一年でわしが診た〈生命の欠片〉の患者はあの男で六人目だ。こんな田舎で六人だぞ? 決して少ない人数ではない。共通して言えることは、患者は六人ともわしの見たところ普通の職人で、生まれた村をほとんど出たこともない生粋の田舎者で、金持ちでも土地持ちでもなかったということだ。そして今夜の男以外の患者は皆、『薬が欲しい』と泣き叫びながら死んでいった」


 僕はすっかり博士の話にひきこまれていたので、馬車がいつの間にか隣町に入っていることに気づかなかった。博士の屋敷の前で馬車は止まった。立派な玄関が、主の帰りを待つように、いくつもの飾りランプで明るく照らし出されていた。

 僕らは降り立ち、僕は御者に金を払った。


 馬車との契約はここまでだから、僕は村まで街道を歩いて帰らなければならない(使徒の移動手段は基本的に徒歩だ。夜中の真っ暗な大平原を一人で歩くなんて嫌だ、という神経の細い人は使徒向きではない)。


 少しここで待っていなさい、と言い残してゼフォン博士は扉の中へ消えていった。しばらくたって屋敷から出てきた博士の手には一輪の花が握られていた。

 可憐な感じの花だった。女性のかぶる丸帽子に似た形の小さな白い花が五、六個ずつまとまって付いて、頭を垂れている。葉は細長い。

 博士はその花を僕に手渡した。


「……これが、もしかして……」

「そう。サハの花だ。――どこかで見かけることもあるかもしれん。よく覚えておくことだ」


 その口調にまだ何か含まれているような気がして――僕は相手の表情を探った。だが博士はそれ以上何も語らず、おやすみ、と屋敷の中へ姿を消した。

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