第2話 嗤う領主
「また、逃げ出したか……仕方あるまい……か」
醜悪に歪んだ顔は憤怒の表情かはたまた侮蔑の現れか。
辺境伯アロダンテは昨夜人知れずナブア辺境領を去った新兵の青年について独りごちていた。
「いかがなさいますか?
誰もいないはずの空間からぬるりと小さな影が現れた。
腰ほどまであるダークアッシュの髪は三つ編みにして纏め、えんじ色の瞳は爛々と輝いている。
その瞳の奥にはドロリとした暗い感情を漂わせ、しかし口調はたどたどしく。
姿形は十にも満たぬ幼い少女のものだった。
ただしその口から漏れる言葉は決して幼子が口にするようなものではなく、悪意と血に染まっていた。奈落の如き昏い瞳がより残酷な雰囲気を醸し出す。
「んぐふふ。よいよい、そう怒るでない。
極力配慮はしたが、やはりこの辺境で兵をやるというのはきついものがある。
国のため、家族のため、他者のため、自分のため。
理由は数あれど理想や誇りで飯は食えん。
現実との折り合いをつけて己に向いた職を探すのもまた人生である。
我輩はそれを否定したりはしないし非難もしない。我が領は危険がいっぱいであるからな」
二チャリと笑みを浮かべる領主を見て、言葉通りに受け取るものはいないだろう。
危険の多い領。すなわち
つまり内々で処理をして証拠隠滅をすればいい。そう領主は言っている――
――訳ではない。
「むぅ。
先程までの昏い雰囲気は露と消え推定八歳前後の幼女は頬を膨らませながらぷんすこ怒っていた。
領主――アロダンテは顔を顰め手をあげた。
不興を買ったこの幼女はその手を振り下ろされ短い人生に終止符を打たれる。
事も無い。
「んぐんぬぅ、可愛い顔が台無しであるぞメティファ? 我輩は笑顔のそなたの方が好きである……ぞ?」
挙げた手は顔の位置で幼女に向かってまあまあと宥めるように振っていた。
その表情は明らかに怒りを湛え、この後どのような目に合わせてやろうかと考えているようにしか見えないが。
そう、アロダンテは醜い。過去に毒を盛られ顔の肉が膨らみ筋が歪んだことと、毒素が抜けきらなかったため体が防衛のために栄養を蓄えようとして肥満化、更に髪も抜け落ち皮膚の色は浅黒くところどころ炭のように黒く変色している。
そして何より、表情の作り方が非常に下手くそなのである。
もともと筋肉質で
しかし肥満体となり顔が醜く歪んだためどこに出しても恥ずかしくない極悪領主となった。
また本人の生来の口下手が見た目と合わさり何を喋っても含みを持たせてしまう。
「むぅ……まあいいです。わたしは
幼女は言葉とは裏腹にニヤけながらしかし、キリリと表情を引き締めてアロダンテに問う。
「んぐふふふ。いやなに物はついでというではないか……? あのまま放置も
ニチャァと糸を引くような粘着質な笑みを浮かべるアロダンテ。攫ってきた人間を使い一体何をするつもりなのか。
どう考えても良いことはないだろう。
この醜い男の性処理に使われるのか、はたまたストレス発散と称して
「
はぁやれやれと
言いたいことはわかる、しかし言葉の選び方と見た目から邪推してしまいそうになるのだ。
なにせ領主本人は言っている言葉以上の意味を持たせていない。
幼女がそんなことを考えていると、ノックの音が響いた。
「旦那様、アントンでございます。お預かりいたしました子らへの教育進捗のご報告にございます」
噂をすれば攫ってきた子どもたちの教育係である一人アントンが報告に来た。
あまりのタイミングの良さから実はずっと待機していたのではないかと邪推してしまうメティファである。
「んぐふふ、入るがよい。待っていたぞ」
よほど楽しみだったのか汚い笑い声を零しながら入室を促すアロダンテ。その姿はどう贔屓目に見ても下衆なことを考えているようにしか見えない。
「して、どうだ? 使えそうか?」
逸る気が抑えられないといった様子でアントンににじり寄るアロダンテ。
「落ち着きくださいませ旦那様。ただでさえ凶悪な
スラッとした壮年の男性。それがアントンを見た人間の印象である。シルバーグレーの髪は後ろに撫で付けられ、背筋はまっすぐに堂々たる立ち居振る舞いである。
にも関わらず存在感が強いわけではなく自然とその場に立ち、主人や客人の対応をするパーフェクト執事だ。
そんなナブア辺境伯邸筆頭執事アントン・ファッセは伏せていた目を上げて主人に対して物申していた。
「アントンさんは
顔の凶悪さに触れられ後退りしていたアロダンテを見ながらメティファはアントンに評価を下していた。
「おやおや、これは手厳しい。私は事実を述べたまででございます。何よりいい加減己の容姿を受け入れていただかなければ支障がございます」
邪智暴虐なる辺境伯に対し辛辣な態度を崩さない執事。
この光景を第三者が見れば、かの執事があらゆる拷問を受け苦しみのうちに絶命する姿を思い浮かべ、それが己に飛び火せぬようこの場から一目散に離れるであろう。
しかし幼女と執事は和気藹々と雑談に花を咲かせ領主が復活するのを待っていた。
「んんぬぅ……わかってはいる……わかってはいるのだ……確かにこの姿になってからなんとなく他者から避けられることが多くなったような気はしていたのだ……いや、気のせいかもしれないが」
「安心してくださいませ旦那様。気のせいではございません。明らかに避けられておいででございます」
アロダンテの希望的観測はアントンによって見事打ち砕かれた。言葉のナイフで刺されたアロダンテは心で泣きながら本題に移ることにした。これ以上は精神衛生上悪い。
「ん、んん! で、使えそうなものはいたか?」
アントンは片眉を上げ「まあ、本日はここまででいいでしょう」と呟いてから主人の問いかけに答えた。
「ええ、なかなか珍しいスキルをお持ちの方が多数。それ以外でも流石でございますね、磨けば光る原石だらけ。物覚えも悪くありません。しかし栄養状態が悪うございます。ある程度お時間をいただければ十二分に教育を施せるかと」
「んぐふふ、であるか。んぐふふふふ。ならば壊れぬよう無理なく仕上げてくれ。なぁに時間はたっぷりある」
愉悦の表情を浮かべ嗤うアロダンテ。
身内には優しさを持つのかもしれないが所詮は悪名高き辺境伯。攫った子どもたちは好事家たちに売られるか一生奴隷のように使い潰されるかの二択である。
この光景を見ていたら誰もがそう思うであろう。
◢◣
◥◤
私は間違っていたのでしょうか……?
あのひどい暮らしから逃げたくて……助けてほしくて……誰でもいいから縋り付きたくて……。
だからあの時、外に出たんです。
周りに誰もいないから。大人たちは全員外に出ていたから。
誰かが来たことはわかりました。それが望まれていない人だということも。
けど、彼らに望まれていないのなら私達には希になるのでは無いかと浅はかにもそう思ってしまったのです。
私の体はボロボロで、他の子たちももう限界で、お腹が空いて、痛くて辛くて苦しくて。
なんで私達がこんな目に……って思っていました。
たぶん、限界だったんです。
殺されるならそれでも良かった。もう生きているのが辛かったから。
ここは地獄。
だから、地獄で死んだらどこへ行くのだろうなんて、そんなことを考えながら力を振り絞って外へ出ました。
ぼやける視界の先に、気味の悪い肉の塊が蠢いていた。
ソレは私を見て顔を歪め声を発していた。
ああ、ああ! 私は地獄からさらなる地獄へと自ら進んでしまった!
私だけならまだいい、でも私の存在を知って他の子たちにまでその魔手が迫るかもしれない……!
私はなんて浅はかなんだろう……ああどうか神様私はどうなっても構いません。
もうこの身は穢れきり魂も輝きを失っているでしょう。
それでもどうか……私だけにしてください……他の子たちにはどうか!
あの子達は関係ないのです。
どうか……どうか……。
あの野盗達に奪われた私達からもうこれ以上奪わないで!
そこで私の意識は途切れました。
目が冷めたのは翌日の昼頃。
昨日気を失ったのが昼前だったのでまる一日気を失っていたことになります。
こんなに寝たのは久しぶり。
そこまで考えてハッとしました。
他の子たちは!? 私が寝ていたということは、他の子たちに手が出されているかもしれない!? 焦った私は慌てて寝かされていたベッドから転げ落ちました。あまりにもふかふかなベッドに足を取られたのです。まだ父や母と共に過ごしていたときに妄想していた雲のベッドのようでした。
しかも顔から落ちたのに下に敷かれていた絨毯も柔らかくて痛みがほとんどありません。
ここは、天国でしょうか?
そんなことを考えていたら扉をノックする音が聞こえてきました。
「ひゃぁ!?」
急な出来事に短い悲鳴を上げてしまいました。
村ではノックなんて上品な事をする人はいませんでしたし、ここ半月ほどはそもそも人としての生活を送ってませんでしたから。
扉が開き少し焦った様子の女性が入ってきました。
奇麗な癖のない金髪をボブカットにしている奇麗な女性。意志の強そうな少し太めの眉毛とつり気味の目。その中で碧く輝く瞳。胸は大きく腰はくびれて、きっとスカートに隠れているお尻も引き締まっているのだと思います。
姿勢は正しくとてもキレイでとにかく奇麗としか言いようのない、そんな方が目の前にいました。
「……お目覚めになられたのですね。安心いたしました……。わたくしクリスと申します。この屋敷のメイド長の座を賜っています。以後お見知りおきを」
そう言って丁寧に頭を下げてくれるクリスさん。
私のような平民に頭を下げるだなんて……! 血の気が引くのがわかりました。
私達平民が貴族様の元に仕えている方に頭を下げさせるだなんて、どう考えても無礼打ちされます。
それに、何より、このあたりの貴族様は一人しかいらっしゃらない……! ナブア辺境伯様! あの悪名高き鬼畜領主様のお屋敷に来てしまっていることを私は今になってようやく気付いたのです。
「あ、ああ頭をお上げくださいませ!! わたワタクシのような小娘にお頭をお下げになられる必要はございません! このようなお部屋をご用意いただきましたこと、平に感謝いたします!!」
私は知っている丁寧そうな言葉を繋いで感謝を述べます。
もちろん土下座です。相手より頭を低くしなくては首が飛びます。貴族様というのはそういうものだと聞きました。
特にナブア辺境伯様は。
「……フフッこれは鍛え甲斐のありそうな……。かしこまりました。では食事と湯浴みをしていただきます。その後はお勉強のお時間となりますので速やかにお願いいたします」
クリスさんは薄っすらと笑みを浮かべて私を見つめていました……。
私は……間違っていたのでしょうか……。
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