第十三章 最後の夜に

 


    セルリア歴5333年蠍の月一目

 僕は早朝にもかかわらず城内の喧噪で目を覚ました。

 未だ、日が昇って間もないにもかかわらず、衛兵や執事など白の人間がけたたましく音を立てて走り回っている。

 何が起こっているか理解できない僕の所に先ず来てくれのはセシリアの代わりに僕の世話をしてくれているパッツィだった。

「ハギノ様、ダレン様とユリア様から至急支度をして、王様の執務室へ出頭して下さいとのことです!」

「なにが起こっているんだ? それに僕ごときに王様が何の用事なんだ?」

「判りません。凄く混乱していて。うわさですがセルリアの帝国軍がガレスに侵入してきていると」

 どういうことだ? 革命を起こすのはガレスでは無いのか? なぜ察知されている? まさか『ワブの書』に予言されていたことを帝国関係者の目にとまったのだろうか?

 僕は大急ぎで支度をして、王の執務室に向かった。部屋の前では既にダレンとユリアが待っていた。

「ユッキー!」

 ユリアは皇太子の目前なのに僕に抱きついてきた。

「私、怖いわ」

 ブルブルと震える少女が目の前にいた。そして、皇太子の正装である、ガレス王国軍の礼装を着た皇太子が毅然とした様子でそれを見つめている。

 見た目は毅然としているが瞳にはどこか不安そうな影があった。

 無理も無い。家の都合で男として皇太子を演じてるだけのまだ十代の少女なのだ。

「準備は良いか?」

 皇太子の毅然とした声で我に返る。そうだ、これから王と謁見するのだ。そして恐らく状況について直々に説明があるに違いない。パッツィの話が嘘であれば良いのだが。


 意外なことに、王はいつも通りに何事も無いかのように振る舞っていた。少なくとも表向きは。

「うむ、今日は慌ただしい中、よく集まってくれた。皆の者もある程度は聞いているかもしれないが、今朝4エイチにセルリアの帝国軍が我が領土に侵攻を開始した。我々もある程度は防衛戦を貼っていたが、不意打ちに近かったのでな、第三防衛ラインまで突破されてしまっておる。直に第四防衛ラインも突破されるだろう。そうしたらこの国もいままでの計画もおしまいだ。

 そこでだ、Mハギノ、君には大事な役割を担って欲しいのだ。実は君は知らないかもしれんが、王国のもっとも重要な機密情報をノンマルトの森にある『時の墓標』まで運んで欲しいのだ」

 にわかに信じがたいが、多少異なるがワブの書の記述を思わせる展開になってきた。

「しかし、ノンマルトの森と言ったらセルリアの帝都近く。四方を帝国軍に取り囲まれてどうやって行くのですか?」

「うむ、我々には新しい武器があってな。ホーネットという飛行機械だ。もちろんMハギノの母国で日常的に使用されているものと同じだ」王は額の汗を拭いながら続ける。

「そして、これが重要なんだが、ある装置を積んで時の墓標に飛んで欲しいのだ。我々はそれをリバートエンジンと呼んでいる」

 ピースがつながった。しかもこんな形でつながるとは思ってなかった。ワブの書によれば僕が王立研究所から盗むと言うことになっていたはずだ。

「わかりました。しかし僕より適任者がいるのでは無いですか? 自動車は運転出来ますが、飛行機なんて操縦したことがありません」

「心配しなくとも大丈夫だ。ホーネットはプログラムさえしておけば、ノンマルトの森に飛ぶくらい造作も無い。それにだ、ついでと行っては何だが、ダレンとユリアを一緒に連れて行って欲しいのだ」

「そんな危険な旅に彼女たちを連れて行って良いのですか?」

「大丈夫だ。これはね、一方通行の旅なのだよ。セルリア歴5333年から君たちの世界への。娘たちをその時代に逃がして欲しいのだ。それには娘たちが好いている君が適任なのだ」

「僕の居た世界? そんなこと可能なのですか?」

「可能さ。いや可能だと思っている。そもそも君らをこの世界に呼び寄せることが可能なんだから出来るさ」

「でも何故そんなものを作ろうなんて? ぼくら日本人を元の世界に帰してくれるって目的じゃなさそうですよね?」

「ふふぁふぁ、君はノアの箱船を知っているかね?」

「ええ、もちろんです。でも王様はなんでノアの箱船をご存じなのです?」

「その伝説はね、ずっと今まで連綿と続いているのだよ。なにせここは君たちが言うキリスト教国だよ」

「何ですって?」

「気が付いてなかったかね? ここは君たちの地球の未来なんだよ。しかも数億年近く未来の」

 東さんたちの話は冗談かと思っていたが本当だったのか? それとも何処かで与太話でも吹き込まれたのか?

「君はもともと科学者だから知っていると思うが、もうすぐこのテラ《地球》は滅びるだろう。太陽は大きく赤くなり、気候変動も激しくなってきた」

 確かに異世界だからと思っていたがこの国の気候はおかしい。

「だから私たちは百年以上前から、此処を脱出する計画を立てていたんだよ。だが、『失われた一千万年』で原始時代まで退行してしまった文明の力では中々そうは行かない」

「あるとき、そうだな、未だ先王が健在で、私がまだダレンよりも若かった頃の話だ。私の学友アレハンドロから領地で奇妙な伝説があると聞いてね。死んだ獣が生き返ったり、蛮族が現れたりする様な類いの話だ」

 そして、王は錬金術師レビアタンから続く、異世界人の召喚の話を続けた。

「だからね、我々はまだ文明が興隆を極めていた、君らの時代の人間を召喚し続けたのさ。君等のような『失われた一千万年』以前の栄華を極めていた科学文明が発達した時代の人間ならこの脅威を打開してくれると思ってね。君等は枯れきっている我々とは異なる、人類として未だ若くて精力にあふれた時代の人間だ」

 王は声を振り絞るように言うと、僕等の方にまるで病気の老人のような悲しげな瞳で見た。まるで、唯一頼りになってくれる人間の様に。

「でも、僕等を召喚できる位なら逆に送り出す事なんて可能だったのではなかったのですか?」

「いや、召喚はできても送り込むことは出来なかった。どういう仕組みで召喚できるか判らなかったからだ。それに、これは我々の力では無い。『時の墓標』のおかげだ。あれがあるから召喚出来たのだ。だが君たちのおかげで、ようやく人を送り込む一歩手前まで到達可能になったのだ。リバートエンジンのおかげでな。だが、それもセルリア帝国軍の手に落ちようとしている」

 王は悔しかったに違いない。拳を握りしめ机にたたきつけた。

「帝国に落ちてしまうとなにか問題があるのですか?」話がまだ理解できなかった。

 確かに帝国にせっかく開発した装置を接収されるのは、悔しいだろうが、そもそもガレス王国は帝国の構成国の一部であって、帝王に忠誠を誓っているのから、当然成果も帝国/帝王のものでは無いのか?

 だが、僕の考えはこの後見事に否定される。

「問題? 問題なんてものじゃない。帝国は全てのセルリア人を君が元々居た国、つまりビレニアム紀の日本国に送り込もうとしている。全帝国臣民の八千万人もの民と物資、動植物をだぞ」

 だが送り込まれたとしても、日本が直ぐ占領される訳はない。確かに何万人と入国してくるわけだし、入管のような設備も準備するには時間も掛かるから、大変なパニックにはなるかもしれない。

「仮に日本にセルリア人が侵攻してきたとしましょう。でも、今の日本の軍事力はこの国とは比べものになりません。そう簡単に日本に侵攻できるわけがありませんよ」

 王はため息をついた。君はまるで何も判ってないと言わんばかりの哀れんだような目をして。そして話を続けたのだ。

「わしは、帝国軍がどのような計画でそれを実行しようとしているかは判らない。だが、これだけは言える。相手の情報を熟知している者と全く何も判ってない者に比べて万の軍隊を持っているのに等しい。これは古いセルリアの言葉だよ。つまり、我々は君等の国のことをよく知っている。だが、君たちの国は我々のことは何も知らない」

 僕は何も反論できなかった。確かに『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』という孫子の言葉もある。

「そして、セルリアの狙いはそれだけでは無い。彼等はそれに乗じて歴史すら変えようとしているのだ」

 王は深いため息とともに椅子にもたれた。まるでそれがもっとも深刻な問題だと言っているようだった。

「歴史を変える?」

 僕は、呆けたように王の言葉をオウム返しした。

「そうだ。この機会に宿敵シイナ殲滅するつもりなのだ。『失われた一千万年』以前の、君等の時代に生きている彼らのルーツを滅ぼしてな」

 シイナ、つまり、日本の西にある巨大国家、あの《・・》国の事だ。だが何億人いると思っているのだろうか?

 それに彼らの同胞は世界中に散らばっているのだ。

 大量殺戮兵器があったとしても、そう簡単に殲滅なんてできやしない。特定の遺伝子に作用するヴィールスでもばらまくつもりなのだろうか?

 そうなると日本人や他のアジア人も影響を受けるし、アングロサクソンでも彼らの遺伝子を持つ者は多く存在するはずだ。

 そもそも、そんな非道は許されることでは無い。

「何故なんです?」

 僕はなぜ其処までしてアジア系人種を殲滅対象にしているのか疑問に感じてつい声を上げてしまった。

「帝国側は『失われた一千万年』を引き起こした元凶はかの《・・》民族だと考えているからだ」

 王は白髪をなでながら続けた。

「それと、帝王は個人的な恨みもある」

 個人的な恨みとは何なのか? 気になるところでもあったが、それ以上のことについて王は話さなかった。

「知ってのとおり、彼らの国は『失われた一千万年』以前から大国だった。だがその頃から既に人が多すぎたのだ。その国は人類最古の文明国であり大国でありながら、或一時期、世界の強国からまるで追い剥ぎに身ぐるみ剥がれる哀れな娘のように蹂躙され続けたことがあったが、その後は広い国土から得られる豊かな資源、無尽蔵の人材と狡猾さで世界一の経済力を手に入れた。だが、それでもその有り余る人民を豊かにするためには自分の国内だけではどうしようも無かった」

「そして、まず周辺国から侵略し始めたのだ。時には強引に他国の領土のうち、軍事的に手薄な所に居座り強奪した。かわいそうに侵略された国は小国がほとんどで、軍事的に対抗するすべも持てず、蹂躙された」

「次にある程度、軍事力や経済力がある国には移民という形で侵略をした。彼らの企みも知らない、その国の馬鹿な政治家、経済人は本国の人間より安い賃金で喜んで働く彼らを重宝して、続々と移民させた。中には国費で留学費まで出す、愚かな国もいた。たしか、日本もそんな国の一つだったね?」

 僕は王の指摘にぐうの音も出なかった。

「彼らは、まるでイナゴのようにその国の資源、あるいは金銭や国家秘密を食い尽くした。そして、その国の乗っ取りが完了すると、また周辺へと移民したのだ」

「そして最後には全世界で彼らがいない国は無くなったのだ。一方、彼等には自浄作用という考えに乏しく、公害もまき散らし、深刻な環境破壊を続けていった。やがて、そしてそれが引き金になり、地球テラは気象変動に見舞われた」

「さらに彼らが罪深いのは、神を冒涜する様々な行為だ。彼ら気象変動で頻発した飢饉に対抗するため、穀物や農作物の収穫をあげるような遺伝子操作を行った。だが実施するまでの十分なプロセスを軽視する、という彼等の民族性が徒となり遺伝子操作由来の病気が蔓延してしまったのだ」

「さらに、奴隷として使役させるために、あろうことか人間の遺伝子を組み込んで知能を高めた動物を次々誕生させてしまったのだ。しかも、犬猫など未だ従順な動物ならまだしも、豚、牛、果てにはパンダにもだ」

「君も知っているクルウマーのナビゲータ達であるポルアがいるだろう? あれはそれのなれの果てだ。おそらく知性を持ったパンダの子孫だろう。色は白いから白熊に見えるかもしれんが、毛を刈ると地肌は白黒だし、肉も食うが、本来の主食は竹の葉なんだよ」

「当初は人が嫌がる仕事を進んでやってた動物だがね。当然のことだが、どんな生き物だって人間にこき使われるのはまっぴらゴメンだろう。やがて人間以上に増えた動物たちは戦争を起こしたのだよ、人類と。なんの事は無い、彼奴らが昔日本人やアメリカ人に低賃金でこき使われたのが、ホムンクルス《知性ある動物》にかわっただけだ。そのつらさや不満は自分たちが一番身にしみているはずなのにな因果応報だよ。それが失われた一千万年の主因だ」

「だから、セルリア帝王はそんな世界を阻止するために、彼奴らを殲滅させるつもりなのだ」

「彼らの意図は理解できなくも無いですが、殲滅と言うのは穏やかでは無いですね。もっと異なる方法は考えてなかったのですか?」

「人民の教育や、洗脳なども考えたようだが、時間が掛かりすぎるなどの問題もある。だから手っ取り早く殲滅と言う道を彼らは選んだ。だが、さすがにそれはやり過ぎだ。それに二つ問題もある」

「というと?」

「時の墓標はシイナ人によって作られたのだ」

「何ですって?」

「実は時の墓標と言うのはシイナ人の科学者と君たち日本人の科学者が偶然作り出してしまったのだよ。話せば長くなるから、説明は省く。だが一つだけ言えるのはシイナ人を殲滅してしまえば時の墓標が存在しないことになってしまうのだ」

「もう一つの問題は?」

「うむ。実は我々はみな少なからず、かの《・・》民族の血を引いているのだ。このセルリアは『失われた一千万年』以前は日本民族の他に、かの《・・》民族も多く住んでいたのだよ。セルリアとシイナ人は実は同じかの《・・》民族を同祖としているのだ」

「シイナは判ります。元の世界ビレニアムでも中…」と、言いかけたとき王の目がかっと開いたかと思うと、持っていた杖で僕の手を叩いた。全力でと言うわけでは無いが激痛を感じるには充分だった。

「痛った! な…、なにを…」

「その言葉を言ってはならん! 禁止されている言葉なのだ」

 王はまだ険しい顔を崩すことは無かったが、目だけは憂いに満ちていた。

「言いたいことは判る。顔が違うと言いたいのだろう。たしかにシイナ人は我々と全く容姿が異なる。むしろ君たち日本人の方が容姿が近い。だがね一千万年も経つのだ、見た目も変わる。君たち日本人も元々はアフリカの平原で誕生した女性が元になっているのだろう? だがその女性は、君たち日本人と全く異なる容姿だったじゃ無いか? その女性から君たち日本人や我々と容姿が似ているドイツ、イギリス人、アメリカ人などが枝分かれした。逆にかの《・・》国の人間も欧州人のような容姿に進化するのには一千万年もあれば充分じゃないかね?」

「確かに正論です。ですが一つ疑問もあります。なぜセルリア帝は祖先の中、かの《・・》国の人民を殲滅しようしているのですか?」

「うむ、それには理由があってな。あやつは自分にはかの《・・》国の血は一滴も流れていないと信じているのだ」

「そもそも、祖先が同じかどうかという根拠って科学的にあるのでしょうか? 元の世界ビレニアム紀でも遺伝子ゲノム解析が出来るようになったのは、ほんの少し前の話です」

「そうだな、根拠はあるのだ。ただし、恥ずかしながら我が国では遺伝子ゲノム解析技術というのには力をいれておらんから、無理なのだがもう少し原始的な手段なのだがね。君は兄弟姉妹はおらんのかね?」

「兄がおります」

「そうか、お兄さんだと判らないかもしれないな。それでは君の国ではモーコハンと言ったかな。きみらの人種が持つ特徴である赤ん坊のお尻に青い痣のことだ。それが、セルリア人には生まれた時に皆あるのだ」

「つまりはアジア人の遺伝子があると言うことですね」

「そうだ。王立研究所のドイツ人など欧州人、アメリカ人みんなに聞いているから、アジア人、つまりかの《・・》国の人民特有のものだとわかっている」

「つまり、みなアジア人の子孫だと」

「そういうことだ」

「でもシイナと同祖とはかぎりません。我々日本人だけなのかもしれませんし、他のアジア人と言うこともあります。現に日本には他のアジア人も沢山住んでますし、かの《・・》国の人民より多いアジア系国民もおります」

「だが、そうでないという確証も無いのだ。だから、かの《・・》国の人民を殲滅する事は我々も存在しなくなる危険性もある」

「たしかにそれは確かですね。だけど、それに時間旅行でどんな影響があるかわかりません。何しろ、未来に転移は僕等という実績があるとはいえ、過去への転移は我々を含め誰も経験はありませんし、少しでも何かを変えた場合、なにが起こるか判らないのです。例えば親殺しのパラドックスと言うのをご存じですか?」

「うむ、その話はハンスから散々聞かされている。つまり私が過去に戻り、幼少の先王を殺した場合、私が生まれない未来になるから、先王を殺せない。先王が死ななければ私が生まれる。私は先王を殺す。この矛盾が生じるという話だな」

「そうです。だからこの矛盾を起こさない為の推論がいろいろなされています。たとえば、そもそも、親を殺そうとしても様々な障害が有って殺すことが出来ない。殺すことは可能だが、未来が変わって、自分自身は異なる人間の息子になっている。殺した途端自分が消滅する、などです。一番有力な推論は未来が変わってしまうというものです。つまり、親殺しの息子は実は親の血は引いていない他人の息子だというオチですね。ですが親では無く人類全員、いやいっそのことこの星まるごと破壊するとどうなるんでしょう? 星ごと破壊することは不可能なことでもありません。実際に元の世界ビレニアム紀には、地球を三度は破壊できる数の爆弾があります。ある狂人が全世界の核爆弾を同時に爆発させれば充分に可能なことです。そうすると狂人自身が生まれない世界になってしまいます。もちろん地球外で生まれた異星人でした、いうなら矛盾にはなりませんが、さすがに無理があります」

「その矛盾を解決するためには、平行世界というものが存在して、時間旅行をしているのでは無く無数に川を下る船を乗り換えているだけと言う説です」

「ですが、だれも実証もしてないし、見たことだって有りません。そもそも高名な科学者はほぼ全て時間旅行は不意呈しておりますから」

「しかし、きみらは現に未来に来ている」

「それは可能なんです。矛盾していると思われますが、未来への片道旅行だけはいろいろな形で可能だと示唆されているんです。ただこれを実現でするには、科学が百年、いや千年でも難しいですが進歩していなければ不可能なのです」

「そうか、難しい話は特に必要ないが、その話もハンスから耳が痛くなるほどきいている」

「そうでしたね。すみません話が長くなって」

「いや、問題ない。君がそれを理解していることは判った。それ故に我々は帝王の計画を阻止しなければならん。帝王が消滅しようがどうなろうが構わんが、臣民と我が娘たちにそのような目に遭わせたくは無い。彼女たちはまだ愛の喜びを知ったばかりだ。そのうち子ももうけるだろう。それすら叶わぬとなれば何のために生をうけたのかととても不憫だ。だからなんとして君たちはリバートエンジンを携えて、日本に転移して逃げて欲しい」

「王の頼みであれば全力は尽くしますが、成功するとは約束出来ません。ところでNOAH計画とは何なのですか?」

「シイナ人による『失われた一千万年』を阻止して、我々の遺伝子をテラ《地球》の滅亡より救うことだ」

「しかし、どのようにすれば? 動物知性化計画を阻止出来るのです? 一人ずつ説得するのですか?」

「簡単に言ってしまえばそれしか方法は無いのだが、この試みは複数の人物が全く異なる機関で行っている。関与している人物のリストは後でハンスから渡すが、中には軍が関与しているケースもある。その場合は接触すら困難になるだろう。それにリストの人物が全てというわけでもあるまい。それをすべて潰してもダメかもしれないし、一人だけでも良いかもしれん。難儀だと思うが頑張って欲しい。君に頼るしか無いのだ。さあ…」

 そのとき層遠くないところで地響きが起きた。窓の外を見ると港の近く辺りから朝日とは異なる赤い光で照らされた煙が立ち上っていた。

「軍港の軍艦がやられたかもしれん。もうあまり時間が無い、君は娘たちを連れて早く行け。ガレージには『ニコラ』が置いてある。それに乗って先ずはハンスに会いに行け。場所はダレンが知っている、いいな」

「は、はい」

 僕は反論の機会も与えられず、かといって反論することも出来なかったと思うが、王に背中を押される形で引き受けた。

「ダレン、私のかわいい娘。お前には長らく私と家のために色々と不自由をかけた。これからは自由だ。お前の好きな道を行きなさい」

「父上…」

 二人は今生の別れと覚悟し、これ前に無くかたい抱擁をした。王は彼女から一度体を離し、お互い涙を浮かべて見つめ合った。

「母上はどうされるのですか?」

「彼女はリリーと一緒に投降させようと思う。私とアレハンドロの計画は知らんと言うことにしてな。彼女たちと帝王は血族だから悪いようにはしないと思っている」

「そう、聞いて少し安心しました。でも、私たちと同行して貰うことは出来ないのでしょうか?」

「無理だ。ホーネットが五人分の重さに耐えられるか微妙なのだ。それに彼女たちは私らと運命を共にすると言っているのだ」

「それでは、私も残ります」

「ならん! お前はMハギノをサポートするのだ。仮にもガレスの軍人だろう! 最高責任者である私の命令は絶対なのだぞ! 例え娘であろうともだ」

「わかりました。私はミッションを遂行いたします」

「無理するでないぞ」

 王と皇太子は再び熱く抱擁して、お互いの肩をがっしり掴んだ後、見つめ合って別れを告げた。

「では、早く行け! Mハギノ、後は任せたぞ!」

 僕は無言で頷くと王に敬礼をして別れを告げた。

「ハギノ様、さ、行きましょう。ユリアも早く!」

 突然の出来事に呆然と立ち尽くしていたユリアの手を握り僕はダレンの後へ着いて王宮を後にした。


 僕等は食料庫の奥にある脱出口から、秘密の地下通路を歩いていた。時々、地上での戦闘で生じた爆発音と振動がこの地下通路まで響いてくる。

 地下通路はかなり以前、恐らく築城のときに作られたものらしく、それ相応の年期が入っていたが、以外にも劣化は其程でも無かった。

 ただ、照明などは非常用の物なので、ようやく足下が確認出来る程度でお互いの顔さえ近づかないと判らないくらいに暗かった。

「いったい、どこまで行くの?」

 急な出来事で慌てて支度したせいでハイヒールしか履くことが出来なかったユリアは歩き疲れたのか、直ぐにでも休みたい様だった。

 僕も普段はあまり運動しないのがたたって、脚が痛いし、疲れて息切れもする。

「もうすぐです。誰も知らない物置があって、そこにニコラは隠してあります」

「驚いた。てっきりちゃんとしたガレージにでも置いてあるかと思ったのに」

「シイナのスパイがいるって判ってから、完成品と設計図などは全て隠しましたわ。まだスパイがいるかもしれませんですもの。でも結局はスパイどころの話ではありませんでしたわね」

「ええ、まったくこんなことは予想もしていませんでした。ワブの書にも全く何も書いてなかった」

「ワブの書? まあ、随分と酔狂なものを信じてらっしゃるのね」

「ユッキー、未だにあれ持ってたの? 捨てなさいっていったのに」とユリアが呆れたように言った。

「いやあ、東さんがあれは絶対持ってこいって言ってたから」

「Mアズマもワブの書信者なのね。まったく日本人はああいうの好きなのね」とユリアは呆れた顔で答えた。

「まったくです」とダレンもクスっとわらった。

 ダレンが立ち止まると其処は行き止まりだった。

 そして同時に地下道内にズズズンと地響きが鳴り渡り、壁の一部が少し崩壊して床に落ちた。

 音が今までのよりかなり大きい。近くで何かが爆発したのかもしれない。

「行きましょう。早くしないと此処も危ない」と、僕は言ってダレンの顔を伺った。

 だが、ダレンは首を横に振って、

「此処です」と、行き止まりになった壁に手をついた。

 すると壁が少し動いたように見えた。

「ダメです。私の力だと無理のようです。ハギノ様、お願いいたします」

 僕もそれほど力に自信があるわけではないが、女性に力仕事をさせるわけに行かない。

 まず、右手で壁に触れてみる。ざらっとしているがコンクリとは違う触感だ。壁一面をなで回してみるが、特にスイッチや取っ手のような物はない。

「どうやって開けるか知らないのか?」とダレンの顔を見て尋ねた。

「ええ、一度も来た事なんてないですから。でも父上は何も言ってなかったから、そんなに複雑な仕掛けなんて無い筈です」と、ダレン。

 複雑な仕掛けが無いとしたら、単に重いだけなのだろうか? 取っ手も溝も無いからには押すほかはあるまい。

 僕は全体重をかけて壁を押してみた。

「少し動いたわ!」一歩下がったところで見ていたユリアが言った。

「マジか?」いまいち動いた実感が無かった僕は思わず口走った。

 まるっきり刃が立たないわけでは無いようだ。よし、力のかけ方を換えてみよう。

「また動いたわ!」

 少しだけ手応えがあった。

「私も手伝いますわ」とダレンが僕の横について壁を押す。今度は明らかに壁が動くのが判った。

「もう少しよ!」とユリアが声をあげると、僕とダレンの間に割り込んで、手を添えた。

「合図したら一斉に力を入れるんだ。1,2,3、いくぞ!」

 三人の力が一斉に壁に掛かり壁はごりごりと音を立てて、ようやく人一人やっと通れるほど開いた。

 ダレンは拳銃を両手で構え、周囲を警戒するように扉の隙間を通った。そして僕とユリアがその後に続いた。

 部屋の中は薄暗かったが何かの照明でうっすらと恐らくニコラと思われる大きい固まりが鎮座している。

「あったぞ、これだ」と僕は思わず声をあげた。

「しっ!」とユリアが、人差し指を唇当てて、静かにする様に僕を窘めた。
 かすかに小さな吐息が聞こえる。誰かが居る。

「ダレン、照明は?」と僕は彼女の方に顔を向けた。

「待って!」とダレンは壁をまさぐり照明のスイッチを入れたはずなのだが、ガレージの中は明るくならない。

「だめですわ。発電施設がやられたのかもしれないですわ」

 発電所はたしか工場地帯の一角。だとすると肝心のリバートエンジンを積み込むこと自体が難しく成るかもしれない。

「きゃっ!」とユリアが悲鳴を上げ、「なんか踏んづけた!」と続けた。

 暗闇に若干目が慣れた僕は、ユリア方に駆け寄り、近くになにか大きな黒い物が横たわっているのが確認出来た。

 僕は小型のペンライトを持っていることを思い出して、それを取り出して黒い物体を照らした。

 驚いたことにそれは人間だった。かなり大きな体格の人間だ。

 彼は、未だ生きているようで、小さいながらもうめき声を上げた。

「萩野君か?」とその物体は今にも途切れそうなかすれた声で言った。この声は聞き覚えある声だ。

「ひょっとして手塚さん?」と僕はその物体に顔を近づけた。

「うん。ひ、ひさしぶりだ」彼は途切れながらもしっかりした声を出した。

「大丈夫ですか?」と彼に声をかけた時、彼の背中の辺りがどす黒く濡れていた事に気が付く。恐らく出血しているのかもしれない。

「途中で、流れ弾に当たった。そんなことより、ハンスさんからの伝言を伝えに来たんだ…、ゲホッ」口から血の塊を吐き出した。

「無理しないでください」

「大丈夫だ。此処で死んだら無駄死にだ。いいか、リバートエンジンは、いま東たちがトラックでホーネットまで運んでいる最中だ。ただ東たちもホーネットの格納庫がどこだか知らん。だから、この場所で落ち合うことになっている」

 手塚さんはそう言って、紙切れを取り出した。ついさっき書いたものだろう、血だらけの紙切れに殴り書きで『岬』としか書いてない。

「途中でやつら《帝国軍》に見つかったら何もかもおしまいだ。だから、詳しい場所はおまえらで推測してくれ。皇太子殿下なら判るはずだ…。げぽっ」と言って、また血反吐を吐いた。

「このままでは直ぐ死んでしまう。何処かで治療しなければ」僕はダレンの顔を伺った。

「いや良い、もう長くは無い。そんなことは自分でも判る。それに軍医以外の医者は逃げてしまっている。とにかく早く行け! 俺を無駄死にさせるな!」と彼は血を吐きながら言った。どうみても手遅れだと誰もが思うはずだった。だが、見殺しには出来ない。何処かに治療くらい出来る人間がいるはずだ。

「ダレン! 彼をとりあえずニコラに載せよう。車は大丈夫か?」僕は手塚さんの重いからだを持ちあげ、彼女に言った。

「大丈夫」彼女はかぶせてあるカバーを取りはらい、ドアに軽く手をそえた。

 ニコラは何事も無かったように、跳ね上げ式のドアを白鳥のごとく広げた。それと同時に車内照明と運転席の計器ディスプレイが煌々と光り、辺りを照らした。

 血だらけの手塚さんを後部座席に乗せ、僕等はニコラに乗り込むと行き先を確認する間もなく発進した。


 地下通路は山の中腹辺りにある普段は使われない道に通じていた。

 明かりは全く無く森の中の為辺りは全く見通しがきかない。

 敵に見つからないようにニコラのヘッドライトは点灯させていないが、ナイトビジョン装置によりモニターを介して、周辺の視界は限定的ながら確認でき、走行には支障ない。

 だが、モニターできる範囲は限られるのでフロントウィンドウから直接目視出来ないのはやはり不安だ。

 地図データは完璧では無いがナビゲーションシステムもついているので、だいたいどの辺りを走行しているかは把握は出来る。

 もっともこのナビゲーションシステムも衛星を利用しているわけでは無く、国内に設置してあるビーコンにより、測位しているため、ビーコンが破壊されるとおだぶつだ。

 いまのところ目的地の岬まではこちらのほうが先んじているから、このままのペースなら無事にナビゲーションシステムにより誘導してもらえるだろう。もし、「岬」というのが此方の思っているとおりの場所であるならば。

 後方では赤々と山が燃えている。おそらくガレス城が燃えているに違いない。そして眼下の港も燃えていた。王国は負けつつあるらしい。

 あれだけの軍備をそろえてながら何故こうも蹂躙されてしまったのだろうか? 謎であった。

 ラジオ放送すら無い此処では戦況に関してはなにも判らないが、奇襲されたことは間違いない。前日までその気配すら無かったのだから。

 スパイを潜り込ませていたのか、馬鹿馬鹿しいが『ワブの書』の予言を鵜呑みにしていたかは判らないが、帝国軍はきっと何ヶ月も前から準備をしていたに違いない。

 いずれにしろ言えることは此処もフランチェスコ家もおしまいだと言うことだ。

 僕は彼女らを無事にどこかへ逃がすことが役割なのだが、ビレニアム紀に戻る事なんて可能なんだろうか?

 いっそのこと捕虜になってでも、この世界に留まる事の方が正解なのでは無いだろうか?

 いくらなんでも誰も試したことが無いことに賭けるのは無謀だ。

「なあ、ダレン。本当にリバートエンジンを使うことが正しいことなんだろうか? 僕にはこのまま此処に留まった方がリスクが低いと思うのだが?」

「何を言ってるのですか? もう決めたことですわ! それに帝国軍に捕まった方が良いと言うのですの?」

「そうは言ってないけど、訳のわからない技術に賭ける方が危険だと思うんだ」

「そんな…。わけがわからないなんて…。見損ないました。ここに来て怖じ気づいたというのですか?」と彼女は今まで見たことも無い、厳しい表情で言った。

「ただ、僕は…」

 確かに怖じ気づいたというのはそうかもしれない。

「ユリア、君はどう思う?」と、僕は思わず彼女に尋ねた。

「私にはよく判らないわ。でも、帝国の捕虜になるのはまっぴらごめん。あの爺はとても女好きで有名なのよ。それに…」

「それに?」

「ううん。やっぱりやめとくわ」

「なんだ? 気になるじゃ無いか?」

「でも…」と、ユリアがダレンを伺うと、彼女は、

「ユリア、言っても良いです」とつぶやいた。

「ユッキー、前にも彼女は特別だと言ったこと覚えている?」

「ああ、なんとなく覚えているよ。それが?」

「彼女は選ばれし者なのよ」

「選ばれし者? なんだい? なにか宗教的な意味の?」

 選ばれし者、よく小説や映画で聞く救世主的なやつか。だが、ただの迷信だろそんなの、と思った。

「違うわ。俄には信じられ無いと思うけど、本当の事よ。説明はむずかしいけど、以前、此処に嫁ぐ前にユッキーは教えてくれたわよね。あなたの世界では交配という手段で、動物を人間に役立つよう品種改良していった、という事実を。そして、さっき御義父様も話していた遺伝子を操作することで交配よりもさらに効率的に品種改良を施していった」

「まさか、ダレンは品種改良された人間なのか?」

「その、まさか、なのよ」

「何のために?」

「超人計画という言葉、ご存知です?」とダレンが答えた。

 言葉を失った。つまり彼女は選択的に交配または遺伝子操作で作り出された人間なのか?

「察して下さったようですね。そう、私は優秀な遺伝子を掛け合わせて作られた人間です」ダレンは悲しげな表情で言った。

 超人計画は数千年前より計画され、ガレスの修道女たちによって何百年にもわたり育まれてきた。そして、ついにダレンという超人が生まれた。

 そしてダレンはガレスの王として人々を導くはずだった。

 しかし、以前からこの計画を把握していた帝国はスパイを送りこみ、観察していた。そして好機とみてダレンを帝国側に籠絡しようとしていたのだ。

「私が超人計画による産物だとしれば、帝国は何が何でも手に入れようとしますわ。そして、手中に落ちてしまった場合はお終いです。私自身の命でしたら構いませんが、帝国に悪用されてしまうのが恐ろしいのです」

「判りました。それでは何が何でも逃げ延びねばなら無いわけですね」僕は覚悟を決めてそう言った。いや、言わざるを得なかった。

 しかし、ダレンは本当に超人なのだろうか? いままで片鱗も見せなかったし、男として演じなければならなかった生い立ちはともかく高貴な身分であることを除けばごく普通の女子だ。

 僕は彼女がどういう超人なのかは聞くことが出来なかった。

 

 僕たちは敵の攻撃をかいくぐりなんとか待ち合わせ場所の「岬」までたどり着いた。

「私の知っている『岬』はここしかありません」ダレンはそう言ってニコラのドアを開けた。

「手塚さん、みんなもうすぐ来ますよ」と僕は彼に話しかけたが既に虫の息だった。

 もう長くはもたない。せめて東さんたちみんなに会わせてあげたい。

「何か来るわ!」とユリアが声を上げる。

「ユウキ様、ユリアこれを持って!」とダレンが何かを車から出すと僕等に渡した。自動小銃と拳銃だ。

「無理だ。こんなの触ったこと無い」僕は慌てて手を引っ込める。ユリアも同様に両手の平で壁を作るようにして拒否をするが、ダレンは、

「大丈夫、使い方は簡単です、此処をこう持って、銃床を肩に当てて、こう引き金を引けば良いのです」弾は出なかった。

「安全装置着いているから、今は引き金を引いても弾は出ません。打つときは此処を引いてロックを外してから引き金を引いて」と説明した。

 ユリアにも拳銃の使い方を教えようとしたが、彼女は頑として断った。さすがに妃に強要するのも気が引けたようで彼女は使い方を教えるのを諦めた。

「それでは私が持ちます。ユウキ様、彼女を守ってあげて」

 ダレンはユリアが持つはずだった拳銃の安全装置を外して、未知の訪問者に向かって銃を構えながら警戒した。

 ゴトゴトと大きな音を立てて近づいてきたのは中型のトラックだった。荷台に大きな円筒状の機械を載せている。これがリバートエンジンなのか?

 トラックは僕等の前方百メートルの所まで近づき止まった。中から人が二人か三人でてくるが暗くて誰だか判らない。

 やがて一人が懐中電灯を照らして此方に合図を送ってくる。なにかの合図かもしれないが、どうやって返して良いのか判らない。

「ハギノ様、これを」ダレンがサイリウムの様な物を僕に放って投げてきた。

 これをどうしたら良いのだ? 僕は適当にいじり回したら、どこでスイッチが入ったのか不明だがそれが明るく光った。

 さて、これで合図をすればいいのだが、どうすれば? 

 ええい、ままよと彼らの真似をしてそれをクルクル回した。

 彼等は、懐中電灯をもう一度、ゆっくり回すと、再びトラックに乗り込んだ。どうやら、一か八かの合図が通じたようだ。

 彼らの車はゆっくりと動き出し、やがてハッキリと誰が乗っているか判るくらいまで近づいた。そして目の前まで来るとピタリと停まり、ドアが開いて人が降り立った。

 東さん、小岩さん、佐々木さん、平井さん、市川さんと合計五人の研究所のメンバーだ。

 みな、あの日にラーメンを食べに行った人達。

「萩野君、遅くなって御免。無事だったか?」東さんは皆から一歩進み出て僕に話しかけた。

「僕と彼女たちは無事です、ただ手塚さんが」と答えると、彼は驚きと不安が入り交じった調子で、

「手塚? 大丈夫か? 今どこに居る?」と、叫ぶように言った。他のメンバーも一斉にざわついている。

「車の中です」と答え、僕は彼等を『ニコラ』へ連れて行くと、東さん達は血相を変えて後部座席に横たわる手塚さんの肩を掴んで、

「おい、手塚大丈夫か?」と話しかけた。

 だが、虫の息の手塚さんは返事も返すことが出来ない。異変を悟った他のメンバーも彼の様子を伺おうと『ニコラ』周辺に集まる。

「ヒーヒーヒー」と手塚さんは何かを訴えようと必死に声を出そうとするが、声にならない。

「おい、しっかりしろ」と誰かが言った。しかし、その甲斐も無く彼は東さんの手を握り返そうとしながら息を引き取った。

「おい、手塚!」と必死に心臓マッサージをする東さん。

 半場あきらめ顔の佐々木さん。おろおろとするばかりの安藤さん、何か手伝えることがあるかとそわそわする平井さん、俺に替われと言わんばかりに実際に手を出そうとする市川さん。

 彼等のそんな思いと必死な救命救護にかかわらず、手塚さんの心臓は永遠に止まってしまった。

 途中市川さんが心臓マッサージを代わるも既に十分は経過している。もう脳死のタイムリミットだった。

「だめだ、もう止めよう」と佐々木さんの一言でついに市川さんは諦めたのかマッサージを止めた。

「くっそ! 手塚! 何で死んだんだ! 一緒に日本に帰るって言ったじゃ無いか! こんなことで死ぬなんて、くそくそくそ!」東さんは『ニコラ』のシートを何度も拳で叩き、嗚咽を漏らしながらも声を立てることも無く泣いた。

 冷静な佐々木を除いて他のメンバーも嗚咽を漏らしている。

「おい、泣いている場合じゃ無いぞ」と佐々木さんが言うと、ようやく東さんも我に返って僕等に、

「ここからは君等の番だ。この先のジョーガ島にこのトラックで渡れ! そこに行けばハンスさんたちが待っている、彼らの指示に従って、こいつをスズメバチ《ホーネット》に積み込むんだ」と大声で言い放った。


 僕等は車を交換してトラック《レゴラス》(ロードオブザリングに出てくるエルフから名付けたということだ。なんて粋な名前だろう)に乗り込み、東さんたちは手塚さんの遺体を載せてニコラで帰って行った。

 彼等が無事に戻れる事を祈るばかりだ。

 一方、ぼくらの向かう先は、この先にある、ジョーガ島だ。

 だが、この車が彼処に渡るためには、あの大橋が既に完成していなければいけない。

 ジョーガ島は既にあと数十メートルだ。目指すは工事中だったあの大橋、懐かしい、僕がここに来たのはもう一年以上前、ダレンに初めてこの国を案内されたときだ。

 橋はまだバリケードで封鎖されていたが工事はほぼ終わっていて、欄干の塗装など最後の仕上げを待つばかりのようだった。これであれば渡るには支障はない。

 だが、この先は何があるのか? 『ホーネット《スズメバチ》』があるのは間違いないのだろうか?

 一抹の不安もあるが、僕らは渡る以外の選択肢は無いのだ。

 バリケードは其程大仰な物では無く、脚で蹴飛ばす程度でなんなく壊れた。

 僕等は『レゴラス』をゆっくりと動かし、橋をそろそろと渡った。

 橋の先には立派な道が出来ていて、奥の方まで続いている。

 そして、その先まで暫く車を走らせると、大きな小屋が崖沿いに立っているのが見えた。

 漁業で使う道具を治めておく小屋だろうが、意外に大きい気がする。

「ハギノ様、あの漁業小屋に行ってみませんこと?」とダレンがいう。

 彼女の言うとおりにトラックを漁業小屋の前まで進めた。

 小屋はただの漁業道具を入れておくだけにしては不釣り合いなほど大きく、それと比例して巨大な扉が巨大なかんぬきで止めてあった。そして漆黒に黒ずみ、まるで訪れる者を鋭く威嚇している獣の様に思えた。

「この小屋は最近作られたものですわ」とダレンは小屋を見上げて話した。

 彼女の言うとおり、よくよく見てみると、小屋には経年変化による朽ちた様子がまるで無く、偽装のため人工的に黒ずみを施されたものだと判る。だが遠目にはそんなことは全く判らず、巧妙な偽装されている。

「と言うことは、ここにのものが有るのね」とユリアがつぶやく。 

 僕は中の様子をうかがうため、扉をノックしてみた。

 湿っていて、苔がへばりついた扉は心なしか粘り気を帯びている気がしたが、気のせいなんだろう。

「ハギノです!」と僕は低くささやいてみたが、返事らしきものはない。

「おかしいな。だれも居ないぞ」と僕は肩をすくめた。

「とにかく此処を開けてみませんこと?」と、ユリアは扉に近づきかんぬきを開けようとした。

「だめですわ。かたくて動きません」とユリアは言うと僕の方に駆け寄り、

「ユッキー、お願い手を貸して」と言って僕の手を引っ張った。

 僕とユリアの二人は力任せに押したり、扉を抑えながら動かしたりしたが、全く刃が立たない。

 確かに閂としては並外れた大きさだが、二人がかりでも動かせない程重いとは考えられない。

「多分、なにかのコツが要るはずですわ」

 見かねたダレンが、僕らに近づきながら言うと、扉や閂の辺りをライトで照らしながら入念に調べ始めた。

「ああ、此処を見て下さいますこと?」とダレンが或一部分をライトで照らした。

「これは、偽装だ!」と僕は思わず叫んだ。

 よく見ると閂だと思われる角材は扉にしっかりと密着している。

 だが外側から釘などで打ち付けられている様子は無い。恐らく接着剤か内側から釘打ちされているのだろう。

 こんな扉では、この小屋に入ることなんて普通に考えたら無理だ。恐らく盗賊、敵国の目を誤魔化すための偽装だろうが、こんな仕掛けは漁具を置くだけの物にしては、あまりにも不自然だ。

「ユッキー、ダレン! こっちに来て!」とユリアが叫んだ。

「これを見てよ!」ユリアが指さした所に何かあった。

「何かのプレートだ」それは小屋の側面、丁度僕の胸の辺りにあった。黒々としてなにかの墓碑のようだ。

「その名を水に書かれし者ここに眠る」とダレンが読んだ。

「ジョンキーツだ」と僕は思わずつぶやいた。

「誰?」ユリアが不思議そうに僕の顔を見た。

「僕の時代、いや正確に言うと、もっと昔だけど、有名な詩人だよ」

「これはどういう意味なのかしら」

「うーん。よくわからない。ただこの墓碑だけは知っている。大学の試験でこの問題が出たときあって此処をまちがったばりに、単位を落としたんだ」

「そうよね。詩人と縁なさそうだし」

「こら! 馬鹿にするな! まあ、でもその通り、詩とか全く興味無いからね」

「でも、何か関係でもあるのかしら?」

「わからないが、ジョンキーツなんて、この世界で知られているとも思えないから、おそらく僕等ビレニアム人の『研究者』の誰かによるものだろう。この人の詩が何か関係していればいいのだけど」

 すると、ダレンが小さな声で何かを口ずさんだ。


  「悲しげな谷間の影深く

  みなぎる朝日を浴びることなく沈み込み

  昼の光も宵の明星の明るい光も届くことなく

  白髪のサターンが岩のように沈黙している

  周囲には静けさが立ちこめ

  頭上には森が雲のように重なり合う

  大気は微動だにせず

  夏の日の生気の風が

  タンポポの羽毛を飛ばすこともない

  枯葉が落ちても動くことなく

  小川が音もなく流れ 死んだように静かなのは

  サターンの尊厳が失われたからだ

  水の精ナイアードが葦の合間から現れ

  その冷たい指を唇に当てた」


「古くから伝わる、我が王家の歌です。お役に立てば良いのですが」と、ダレンが言い終わった途端、変化は起きた。

 ガリガリガリと大きな擦れるような音を小屋が発した。

 巨大な木の扉がそろそろと、しかし大きく震えながらまるで土台が崩れ去ったかのように倒れてくる。

 だが、実際は土台はなんともなかった。それは機械的に降りてきているだけだった。

 やがて扉はドスンと地べたに倒れる様におちて小屋の入り口は全開になった。そして、まるで昼間の様に煌々とした照明で内部が照らされた。

 其処にはまるで大きな猛禽類が羽根をたたんで休んで居るかのように何か佇んでいた。

 だがそれは決して巨大な生物でもドラゴンでも魔物でも無い。おおきな金属製の機械マシンだった。


「思ってたより遅かったな」と其処にいた巨人が言った。

「ハンスさん」と僕は思わずつぶやいた。

「もうすでに飛べる準備は出来ている。早く其処の芋虫リバートエンジンを載せるんだ」ハンスさんは薄い髪の毛を手ぐしで直しながら、ホーネットを指さす。

「トラックをあそこに着ければ良いんですね?」と、僕は言ってはみたものの全く自信が無く少し不安だった。

「そうだ。ただ、高さがギリギリだ。前進でつけるとキャビンがぶつかる。バックで侵入してくれ。それでもギリギリだ」

 ハンスさんはそう言って、僕にトラックに乗って切り返す様に言った。

 いくら免許は持っているとは言え、ほとんどペーパードライバーに近い僕にとって、軽トラックならまだしも、大型トラックなんて、やっとこさ運転しているのに、更にそれをバックで車庫入れどころか荷物高さギリギリのあの飛行機の下につけるなんて、無茶ぶりもいいところだ。

 平時なら絶対に断っているが、非常事態だやらないわけにも行かない。

「もう少しハンドル右、っと切りすぎ切りすぎ! よし、そのまままっすぐ!」と大声でハンスさんが叫ぶ様に誘導をする。

「もっとゆっくり! ハンドルは切るな! そのまま! もう少しゆっくり。そうだそうだ。 ちょっとまて」

ハンスさんは、少し離れて飛行機と荷台の荷物がぶつからないか、確認している。

「よし、大丈夫だ。そのままゆっくり下がれ! アクセルは踏まなくて良い。クリープだけでゆっくり! ブレーキに脚かけておけ!」と叫びながら、両手でバックしろと合図し、

「ようし。そこでストップだ」と最後に両手を挙げて言った。

「冷や汗ものでしたよ」僕は愚痴をこぼしつつ、額や頭を汗でぐっしょりにぬらしながらトラックを降りた。

「はは、任せてすまん。あとはこっちのメンバーがマウント作業する。三人はその辺に座って少し休んでおけ」とハンスさんは休憩所を指さすと、作業担当の人達に大きな声発破をかけて積み込み作業を開始した。

 ようやく肩の荷が下りた。しばらくは緊張せずにすむ。

 辺りを見回すと、此処はもちろん漁具小屋なんかでは無く、ホーネットの格納庫として作られているのが判る。

 外見より広く見えるのは、岩をくりぬいて、作ってあるからで、奥行きは意外とある。

 きっとこの奥まで通路は続いていて、その先に組み立て施設があるのだろう。

 しかしこんな所によく作ったものだ。きっと飛行機械という、此処の世界で前代未聞な機械を、大っぴらに開発する事は不可能だからこんな隠し施設を用意していたのだ。

 恐らくこれの開発が完了して量産されれば帝国軍は先ず勝ち目が無かったろう。だから奇襲して先に潰しに掛かってきたのだ。

 小屋の隅では僕等以外にホーネットの開発部隊と思われる人たちがいた。此処のメンバーは日本人は一人も居ない。ヨーロッパ系の白人とアメリカ人らしい黒人だけだ。

 彼らはちょっと前までホーネットの調整などをやっていたのだろう。服は油染みができ袖や顔も薄汚れ、脂汗でじっとりして、無駄に明るい照明を受け、誰もがぬらぬらと肌を輝かせていた。

 彼らは今は丁度手が空いたのだろう、僕等と同じく休憩を取っていた。

 そして彼らの注目は、あることに集中していた。アンシブルで中継されてくる、戦況報告だった。

 戦況によると既に城は陥落し、王とフランチェスコ伯爵家を含むその一族が捉えられたと報告されている。

 軍港は既に帝国軍の手に落ち、何隻かは燃えている様だがほとんどは無事のようだ。

 もちろん、今後これらは帝国軍が接収するつもりなのは間違いない。

 彼らの軍艦に比べ、ガレスの物は何世代も先を行っているのだから、彼らに取っては良い収穫だ。

 驚いたことに研究施設は攻撃から免れているようだが、此処も同様な理由で攻撃されなかったのだろう。

 貴重な研究成果などがそっくり手中に入るのだから。

 だが、それでも施設の何カ所かが、燃えているようだ。おそらくは帝国に接収される前に施設や試作品が焼かれたのだろう。

 しかし、もっとも懸念する事は帝国軍が南進しているとの情報だった。

 武装解除されていないガレス王国軍が抵抗しているとの情報だが、直ぐに撃破されるだろう。

 そうすると、此処もまだ場所が知れてないとは言え、危険になるかもしれない。

「橋の爆破準備は済んでいるのか?」誰かが尋ねていた。

「二十キロトンのC4がすでに仕掛けてある。敵が此処に気が付いて渡りそうなったら爆破する事になってる。すでに暗視モニターも設置してあるから、いつでも可能なはずだ。できれば使うことにならないほうが良いのだが」と、見知らぬ黒人のエンジニアがいった。

 橋を爆破しても、船を使われたらすぐ上陸されるじゃ無いか? 海上からの侵攻は考えて無いのであろうか?

「しかし、やつらはなぜこうも易々と王国軍を撃破出来たのだ? 武器なら王国軍の装備の方が圧倒しているはずだぞ」

「わからん。兵隊が怠けてたとしか思えんな。あっちはせいぜい石投げ機くらいが関の山なのに、こっちはC4爆弾と迫撃砲、装甲車だって何台もある。それにソニックボムや、インパルス連射銃もあるはずだ。例え十倍の兵が来ても負けるはずは無いのだが」

「だが実戦経験が圧倒的に少ない。帝国軍はシイナとの戦争をなんども経験しているからな」

「だがシイナとの戦争ではガレスも出兵しているだろう?」

「まあ、そうなのかもしれんが、たかが小国の人的リソースに限りは有るからな。なにしろ将軍クラスの人間は人口比で言えばあっちは十倍はあるはずだし」

「たしかに武器はテクノロジーで、どうにもなるが戦術ばかりはそうも行かないからな。技術者ばかり召喚しないで軍人も召喚しておけば良かったのに」

 だれかがけたたましい声を上げて怒鳴り散らした。

「第一防衛戦を突破されたぞ」

 周りに居る人間は全て顔面蒼白となった。

「第一防衛線が突破された? 奴等はこの施設に気が付いているって事か?」

「わからない。まだ第二まで来てない。第二を突破されたら、その線は濃厚だ」

「デコイは動いているのか?」

「アンシブルでモニターしているが、安定している。敵がそっちに行ってくれれば良いのだが」

「いずれにしろ第三まできたら橋を爆破しなければいかんな。出来ればその前にホーネットが飛べれば良いのだが」

「マウント作業が始まって三十分も経ってないぞ。作業終了まで最低でも一時間は掛かる。トラブルが無いことが前提としてもだ。さらに接続テストが最低でも三十分必要だ。それまでに間に合うのか?」

「祈るしかないさ」


 彼らの祈りもむなしく、嫌な知らせが入ってきた。

 帝国軍はついに第二防衛ラインを突破したにも関わらず、作業は遅々として進まず、既に予定時刻の一時間をオーバーしていたが、未だ、マウント作業が完了していなかったのだ。

 しかも、第二を突破されたと言うことは、こちらの思惑を外れ、デコイ《おとり》には引っかからず、まっすぐ此方を目指していると言うことになる。

「そろそろ第一陣は脱出艇に向かえ!」とアメリカ人と思われる黒人の男が言った。

 彼には多少なりとも軍体経験があるらしくこういった場合の指揮は手慣れているようだった。

 僕の周りにいたエンジニアたちは恐怖と諦めが入り交じった面持ちで、ぞろぞろと部屋の奥へと消え、部屋の中には僕等三人にホーネットプロジェクトの数人を残すだけとなった。

「無事に成功するかしら」とユリアが独り言を言う。

「大丈夫だよ。神様が付いてる」とダレンがユリアを抱き寄せて額にキスをした。

 ダレンはこういう場所では、男性であることを徹底的に演じているようで、言葉遣いもお嬢様言葉を排して、男性らしくなる。

 こうしてみると美しいお姫様と王子が慈しみ会っているかのように想える。実際そうなのだが、何度見てもなかなか慣れないのだ。

 二人ともほぼ毎晩僕と愛を交わす間柄なのと同時に百合のような関係であるのだから不思議だ。 

 僕と言えばそんな彼女たちに嫉妬心に近い感情が湧いてくるのに、彼女はお互いに嫉妬するようなことも無い。それも不思議だった。いや、嫉妬心が無いわけでは無いだろう。 

 パーティーの時のダレンの態度、あれは嫉妬だったに違いない。

 突然バタバタと音が聞こえ、数人の研究者が入って来るなり声を上げた。

「おい! やばいぞ! 敵に侵入されたぞ!」見ず知らずの白人研究者だ。すこし、ロシア訛りがあるからロシア人かロシア系なのだろう。

「マジか! どこからだ、まだ第三防衛ラインにたどり着いてないぞ!」残っていたアメリカ系の白人、ヒスパニック系だろうか? 正直区別はつかないが。

「海上からだ! 脱出艇のゲートの所で待ち伏せしてやがった。ゲートが開いた途端に侵入された。人数は多くないがあっちは銃火器を持っている。丸腰の我々は直ぐ制圧された」と逃げ帰ってきた一人の黒人のエンジニアが言った。

「他の研究員は?」と先ほど、皆に命令していたアフリカ系アメリカ人の男は立ち上がって、慌ただしく、銃火器のロッカーを開けながら彼等に尋ねた。

「判らない。銃声は聞こえたが威嚇かもしれないが、撃たれた奴も居るかもしれん。俺たちは最後尾の集団だったから、異変に気が付いて直ぐに逃げられたが…」

「隔壁は閉鎖したか?」

「すでにやってある。だがあいつらC4も持っている。誰か横流ししやがったに違いない」と息を切らしながら言った。

「くそっ! 時間稼ぎくらいしかならんか!」と元軍人は言うと、ロッカーを殴りつけた。


 そのとき、ハンスさんが入ってきて、僕等、部屋にいる全員に言った。

「話は聞いた。おそらくここまで到達するのは十分も掛からないだろう。だが安心して欲しい。マウント作業は今さっき終わった。最終確認テストが完了すれば直ぐ飛び立てる」

 テスト三十分で敵が来るのが十分、間に合わない。二十分の帳尻はどうするのだろうか?

「テストは三十分くらいかかるのではないですか?」と唇を震わせながら、彼に尋ねた。

「マウント作業と並行して開始しているから、恐らく間に合う。だが終わってから、乗り込んでなどと悠長なことも言っておられんからな。Mハギノ、皇太子夫妻と一緒に直ぐにでも搭乗してくれ。操縦は皇太子が知っている」と彼はこの非常事態でも肝が据わっているらしく余裕しゃくしゃくで言ったが、ダレンはもちろん違っていた。

「ハンス、私はシミュレータでしか操縦していない。実際に飛ばすのは無理だ!」彼女はかぶりを振って抗議する様に言った。

 だがハンスさんは全く動じず、

「すべてオートパイロットがやってくれます。殿下は操縦席に居てくれるだけで結構」と自信ありげに言った。

「判った。少なくともこの三人の中では私が一番適任だ。引き受けよう」彼女はそれでも彼の事を信じて快諾した。

 女性ではあるがキリリとりりしい軍服姿のダレンは短めの黄金の髪と相まって、頼りがいのある青年にしか見えない。もし彼女は本当は男であっても男の僕が惚れてしまいそうだった。

「君たちに今後の話をしておく。無事殿下らが飛び去った後は一切抵抗せずに投降しろ。軍人ではない君たちに危害が及ぶことは無いだろう」とハンスさんは僕等以外の人間を前にして訓示した。

「ブリッチャー、君だけは例外だ。このままでは軍関係者に思われる。直ぐに白衣に着替えて研究者だと疑われないようにしろ」

「アイアイサー」と黒人エンジニアは元軍人らしく敬礼をすると、そのへんに放ってあった誰かの白衣を身に付けた。

「さ、殿下、ユリア様、Mハギノと一緒に私に着いてきて下さい」

 ハンスさんはそう言って踵を返してホーネットのタラップに向かった。


 ホーネットは改めて見ると想像以上に大きかった。下側からのぞき込んでいる所為もあるが、ジャンボジェットよりは小さいが、大型トラックよりも数段大きい。

 狭いガレージ内では羽根を折りたたんでいるせいでコンパクトに見えたがこうして格納庫の外に出ると圧倒されるほど大きかった。

「意外に大きいですね」と僕は圧倒されてつい口走った。

「そうかい? これでもオスプレイよりは大分コンパクトなんだよ。それと外見上あれと決定的に異なる点はエンジンにある」

 オスプレイは実物は見たこと無かったから比較出来る様な実感はないが、テレビやネットで見たことはある。

 大きいチルトローターが特徴的な飛行機とヘリコプターのハイブリッドだ。

 だがこいつにはプロペラは無く、その代わりにジェットエンジンが着いている。

 そのジェットエンジンのせいで、ハンスさんの言うとおりオスプレイよりは大分コンパクトに見えることは確かだ。

「そう、こいつはプロペラは無くジェットエンジンがついている。だがた、だのジェットでは無い。EMFギアレスターボエンジンと言う新しい方式だ。難しいことを説明するの時間が無駄だからやめておくが、一言で言えば小さくて強力なエンジンなのだよ。さ、早く乗ろう」とハンスさんは足早にタラップを駆け上がり僕等は彼に続いた。

 ホーネットのタラップは特殊だ。いや普通の飛行機から比較してだが、後部の荷物格納用タラップ兼用で、それが扉部分がそのまま縦開きになり、そのままタラップになっている。荷物を搬送するため乗用車ならそのまま自走して格納出来る。

 だからそこから昇って行くと搬入された、荷物を横目で見ながら搭乗することになるのだ。

 僕等はハンスさんの後に付いていきながら、マウントされたリバートエンジンを改めて見ることが出来た。

 マウントといっても大きな台車に乗せられた円筒形の巨大な機械がいかにも突貫工事で据え付けたといった趣で、剥きだしの配線、配管とともにワイヤーで床にがっちり固定されているだけだ。

 太いケーブルと冷却用のタンクにつながった配管が無造作に這い回り、ケーブルの一部は巨大な発電機に繋がり、別の一部は操縦席まで及んでいる。

「殿下、操縦できそうですか?」とハンスさんがダレンに尋ねる。

「シミュレータとほぼ同じだから、イケると思う。だが、こっちのコンソールは見たことが無い。何につかうのだ?」ダレンは後部座席一つを占領している巨大な機械を見てそう言った。

「これはリバートエンジンの制御卓です。殿下は此方のことは気になさらなくて構いません。これはMハギノにオペレーションして貰います」とダレンに説明し終わると僕の方に顔を向けてこう続けた。

「Mハギノ、制御卓は複雑だが、やって貰いたい事はそう大したことではない。コンソールに貼ってあるマスキングテープに書いて有るとおりにすれば良い。一つ気をつけて欲しいのは、全てセッティング済みだから、手を触れない用にして欲しいことだ。間違って触れて設定値が変わった場合は、期待通りに動かない恐れがある。その場合の救命策は一応あるが、それでもリスクになるから、気をつけて欲しい」

 それからハンスさんは、細かい注意点などを説明してくれたが、すべて記憶するのは無理があった。

 そして、説明の途中でついに時間切れとなってしまった。

 機内にブーンブンーンと警告音が鳴る。映画でよく聞くあの音だ。

「なにごとだ!」とハンスさんがアンシブルで尋ねると、

『うわ、あ』とうめき声が漏れ出てくるのが聞こえた。

『こちら、セルリア帝国第四九師団、海兵隊中佐のアレクスだ。こちらは全て制圧した。おとなしく投降しろ。抵抗する場合は射…』

 ハンスさんはアンシブルを抑えて音が漏れない様にして、僕等に、

「どうやらここまでだ。私は投降する。なんとか時間稼ぎをするから、そのすきに離陸しろ。殿下、良いですか? そこのスタートボタンを押せば後は勝手にやってくれます」

「でも、そんなことしたら貴方がただじゃ済みませんよ」と、ダレンが言った。

「大丈夫です。覚悟は出来ていますから。Mハギノ、良いか? このミッションは我々全員の運命が関わる。失敗は許されん。たのむぞ」

 コンソールを見ると未だテスト中で86%コンプリートしているが、まだ14%も残っている。

「まだ、テストは終わってませんよ!」と僕が叫ぶと、

「仕方ない! このまま飛べ! 時の墓標に着くまでに終われば良い!」とハンスさんは僕を怒鳴り付けた。

 外でガサガサと音が聞こえ、ハンスさんのアンシブルから、

「いいか、マーカスとフランは左、デビッドとジャンは右から行け」という帝国軍の声が漏れ出てくる。

 ハンスさんの返事が無いために痺れをきらして突入するようだ。

 もし突入されたら、このミッションはおしまいだと感じたのだろう。ハンスさんはダレンに、

「急がなければ。殿下、姫、短い間でしたが光栄でした。ご無事でなんとかミッションを遂行して下さい」と手短に挨拶し、ダレンは

「わかった、任してくれ。そなたもご武運を」と答え、ユリアは会釈のみ返したのだった。

 ハンスさんは僕に、「ハギノ、二人をたのんだぞ」と一言だけ言って、グッドラックの合図をして、タラップに向かっていった。


 ハンスさんが自分のアンシブルを開放にしているお陰で、やりとりはこちらには筒抜けだった。

「お前だけか?」とアレクスと名乗る人物がハンスさんに言った。ハンスさんは、

「そうだ」とだけ答える。

「おかしいぞ。まだ、皇太子と姫が居るはずだ」

「皇太子などしらん」

「うそをつけ」

「本当だ」

「この野郎、これでも言わぬか?」

激しく殴打する音と誰かが倒れたような鈍い布ズレを伴ったどっすんという音。

「一般人を殴るのは軍規違反じゃ無いか?」

とかすれ声。

「うるさい! 今は非常事態なのだ。全ては現場を指揮する私に一任されているのだ」

 そしてさらに蹴飛ばす音、と殴る音。

「吐け! いや、もう良い。おい! この鉄のドラゴンの中に突入しろ!」 

「イエッサー!」と複数の声、そしてカンカンカンとタラップを上がる音がする。だめだ、間に合わなかった、もうおしまいだ。

「ハギノ様。お願いできますか! 私の合図でこのボタンを押して下さい!」と彼女は僕等しか目の前以内にも拘わらず、ガレス王国の皇太子らしく、凛々しい声で言うと、操縦席を立ち、ドアを開けてリバートエンジンがあるカーゴに入っていった。

 一体、何をするつもりだ? まさか?

「そっちは、敵がいるぞ!」と僕が言い切らないうちにダレンが、

「今です! スイッチを押して!」とはり叫ぶように声を上げた。

 彼女は捨て身の作戦に出るつもりだと悟った。だが、この状況では僕は言われるが侭にスイッチを押すしか無かった。

 スイッチを入れると機体はぶーんとうなりを上げ、エンジンが動き始めた。そして徐々にだが、急速に起動直後の低周波音から高周波音に変化し、一定のところで飽和状態になった。エンジンが安定したのだ。

 そしてエンジンとは明らかに違う、何かが暴れているような激しい音がカーゴから聞こえてきた。

 きっとダレンが捉えられるのを必死に逃れようと抵抗しているのだ。

「ユッキーどこ行くの?」ユリアが驚いた様子で叫んだ。

 僕はダレンを救わなければという一心で、カーゴにいこうとドアに手をかけ、

「彼女を助けなきゃ!」と声を張り上げた。

 頭でっかちのガリ勉タイプの僕が闘いのプロである、帝国軍に勝てるわけ無いのだが、理性より感情が勝って、僕は無謀にも助けに向かってしまったのだ。

 しかし、そんな僕の思いを無駄にするかのように、ホーネットは離陸を開始した。その際に機体姿勢が変化したのだろう、僕は一瞬、よろけて転びそうになり、ドアから手を離してしまう。

 やがて、ホーネットはエンジンを全開にしてふわりと離陸した。

 垂直離陸の乗り物なんて初めてだから、その挙動に少し戸惑い、不快になった。

 機体は大分地面から離れたらしく、足下の方から、パンパンと銃声が聞こえる。そして、機首を上に向け、機体を斜めにしながらそろそろと前進を始めた。

 僕が後ろ向きにGを感じ始めたころ、カーゴからガラガラと転がる音が聞こえた。何かが転げ落ちているに違いない。

 そして、その音とともに複数の悲鳴が聞こえてきた。ダレンの声とは異なる低音の男声だ。

 やがて、機体は姿勢を一度前のめりにした後、徐々に安定して水平に戻していった。

「ダレンがもどって来ないわ。ユッキー!」とユリアが叫んだ。

 言われるまでも無い。僕はカーゴの扉を開けた。カーゴ内は真っ暗でよく見えなかったが、ぱっくりとタラップが開いたままで、後方には赤々と燃え上がるガレス王国の町並みが見えた。

 一際明るいのは多分ガレス城だろう。港らしき部分も燃えている。あいつら民間人だろうがお構いなしなのか?

 しかしそんなことに憤っている暇は無い。今はダレンを探して救出するのが先決。それには明かりをまず点灯しないと。

 僕は壁を探ってスイッチを探した。暗くて焦ったが、意外に直ぐに見つかった。照明のスイッチが大きくて助かった。

 カーゴが明るくなると、あの脱出劇の間に何が有ったか容易に想像できた。

 あちこちの散らばる血痕、血で染まった軍用ナイフ、ちぎれた見慣れない軍服の切れ端、王国のものではない銃、そしてダレンの着ていたガレス王立軍の軍服のモールと勲章。

 驚いたことに銃が使われた形跡は無かった。推論の域を出ないが、皇太子を生け捕りにするつもりだったのだろうか?

 それとも、リバートエンジンかホーネットに傷を付けたくなかったのか。

 それにしても、ここに重要な施設があると内偵していなければ、こんなへんぴな王国の突端に攻め入ってくるだろうか?

 しかも正攻法に陸路からでなく、海路からゲリラ戦術で。明らかに陸路からの侵攻はブラフで、当初から海上からのゲリラ作戦が本来の作戦だったとしか思えなかった。

 そんなことを今考えても仕方が無いと思った。どう考えても雌雄は決してしまったのだ。ガレスは負け、帝国軍が勝った。

 気になるのは残されたガレス王国民の処遇だ。王、伯爵は処刑されることは間違いない。かわいそうなユリアとダレン。そして、王妃と伯爵夫人はどうなるだろう? 処刑されなくとも厳しい運命が待ち受けている事は想像だにしない。

 研究所員たちはどうなるんだろうか? あのまま施設や成果は帝国に接収されるだろうが、彼らはどうなるのだろう? 彼らには王と伯爵の陰謀には関係無い。雇われていたただけなのだ。

 しかも、皆優秀で現在の帝国に益にはなれど仇なすような人たちでは無い。いずれにしろ無事であると祈るしかない。

 僕はそんなことが頭によぎりながら、カーゴ内を見回したが、ダレンどころか敵兵一人居なかった。最初から居なかった訳ではない。この血痕は先ほどまでここに彼らがいた証拠だ。幻覚などではけっして無い。

「ダレン! 無事か!」と何度か呼んだが返事が無い。

 あの、何かが転がるような音。きっとダレンたちは機種が上がったときに転がり落ちてしまったんだろう。

 あのときは、高度何メートルだったのだろうか? それほど高度が高くなければ助かったかもしれない。多少高くとも海上ならまだ無事かも知れない。だが、あのときは高度は大分上がっていた。地表から聞こえた銃声は大分遠く感じたし、数メートルなんてものでは無い。

 ダレン、せめて無事であってほしい。僕はそう祈りながら、カーゴルーム後方から見える、赤々と燃える王国の最後を見つめた。

 操縦席に戻った僕に「ダレンは?」とユリアがたずねるが、僕には首を横に振ることしか出来なかった。 

「そんな…」とユリアは小さな声で呟き、口を押さえ嗚咽を漏らす。

 結婚生活は其程長くも無かったが、許嫁、パートナーとして長年顔なじみだったから余計なのだろう。

「せめて最後はどうなったのか教えて下さる?」

「僕が見たときはダレンを含めて誰も居なかった。ただおびただしい血痕と敵の遺留物があっただけだ。おそらくカーゴルームの扉からずり落ちてしまったんだ」

「ああ、神様! かわいそうなダレン。でも、まだ死んだと決まっていないわ! きっと何処かに…、木の上とか安全な所にひっかかっているわ。きっとそうよ。いままで彼女はいろんな苦難に遭っているのだから死なない訳ないわ…」

 ユリアは泣かないように、自らに言い聞かせるようにそう言った。だが、そんなことは気休めに過ぎず、ダレンの無事はほぼ絶望だと悟っている様だった。

 しかし、僕等が意気消沈していられるのも、つかの間だった。機内にけたたましくアラーム音が響いた。

〝危険です! カーゴルームの扉が開いております。現在、順応速度を通常の1/4に落としています。至急扉を閉じて下さい〟

 こんなの聞いてない。自動で閉まるのでは無かったのか? 

「急いで締めないと危険? どこを操作すれば?」

ダレンはもういないのに、僕は誰に聞いているんだろうか? 

「私に聞いても判らないわ!」ユリアもすっかりパニックに陥っている。

 彼女がそんなこと知るはずも無いって、僕は判りきっているのに。

 だがそんなことを悩んでいる余裕は無かった。そのとき機体が突風か何かに煽られたように大きく揺らいだ。

〝危険です。カーゴルーム扉を閉じて機体を安定させて下さい〟

「タラップが下がりっぱなしで安定しないんだ。とにかく、探さないと」

 僕は操縦卓のスイッチ類を片っ端から、チェックしていった。何処かにカーゴルームドアとかタラップとかのスイッチがあるはずだ。

「一人でやってたら間に合わないわ」とユリアは反対側のパネルから見始めた。

 結局、カーゴルームのスイッチを見つけたのはユリアが先であった。

「あったわ! 多分これよ」とユリアが指さした先には、『Cargo OPen/Close』と記されていて、スイッチはOpen側だ。

「よく見つけたね!」と僕は言って即座にスイッチをクローズ側に倒した。だが、ここで機内に再度警告音声が響いた。

〝警告 障害物によりドアクローズ出来ません。至急、ドアの障害物を取り除いて下さい〟

「まじか! くっそ、ユリアは此処で待っててくれ! カーゴルーム行ってくる」と言い残して僕はカーゴルームに向かった。

「ユッキー、待って」と後ろからユリアの声が聞こえてきたが、ぼくは既に操縦席の扉を閉めていた。

 いつの間にか、機体は海面すれすれで飛んでいた。プログラム通りなのか、障害があって高度が落ちているせいか判らない。

 カーゴルーム内は扉が開いていても風が吹き込むことはほとんど無いが、それでも、突風が吹くと、時折風が入り込み想定外の揺れを引き起こす。それと共に、巻き込んだ風で足下を掬われそうにもなって、非常に危険な状態だ。おそらくタラップ付近は、風の巻き込みがもっと酷いだろう。

 僕は巻き込んだ風に足下を掬われないように、恐る恐るタラップまで進んだ。

 本当なら何か命綱的な何かがあれば良いのだけれど、生憎此処には役に立ちそうな物はなかったので、手すりにつかまりながら行くしか無い。

 カーゴルーム中腹まで来ると、いままで巨大なリバートエンジンに阻まれて見えなかった、タラップの状態が明らかになった。

 一つは恐らく敵兵士と思われる人間の死体だった。これがタラップの右端、つまり通路反対側に引っかかってタラップが閉じるのを邪魔していた。

 もう一つは、これは直接影響は無いと思うが、リバートエンジンから伸びている、電源装置とつながる太いケーブルだった。

 こいつはタラップの突端からだらーんと外に垂れ下がっている。こいつは敵兵士の遺体を外してから引き上げれば良い。たかがケーブルだ。引き上げるのは造作も無い。

 だが慎重に事を運ばなければいけない。これを確実にカーゴ内に戻さないと、そのままタラップを閉じる際にケーブルを切断しかねない。そうなれば、リバートエンジンを起動出来なくなる。

 まずは、敵兵士の遺体をなんとかしないと、次に進まない。

 だが、都合悪いことに通路側の反対側である。一番の問題点は風の吹き込みだ。そっちは手すりもないし、他に命綱になりそうな取っ手もケーブルも無いから、予想以上に巻き込みが酷ければ、機内から吹っ飛ばされてしまう。

 僕は、一旦、カーゴルーム通路側から、手すりと荷物を止めてあるワイヤーをつたいながら、そろそろとタラップまで進んだ。

 遺体は血で真っ赤に染まり腕と首があり得ない方向に曲がっていた。戦闘中になったのか、タラップの先に挟まったときになったのかは判らない。しかし、一つ言えるのは既に絶命しているのは確実だ。

 まずはこいつを何とかしないとだが、引き上げるにしても、海面に落とすにしても、タラップ右端まで行かないといけないが、風の巻き込みが酷いからこのまま進むのは危険だ。やはり命綱が無いと無理だが、手頃なものが見つからない。

 何か、手頃な物はないか? 僕はぼんやりと辺りを見回した。

 いや、あれはダメだ、リスクがでかすぎる。だが、躊躇している時間はあまりない。

「ユッキー!」とユリアが操縦席の扉を開けて此方の様子を見ていた。

 やりたくは無いがやるしか無い。みんなの犠牲を無駄にするわけにいかないのだ。

「ユッキー! 何してるの!」ユリアが驚いた顔で此方を凝視している。

 僕が電源ケーブルの一つを一生懸命外そうとしているからだ。

「止めて! 壊れちゃうよ!」

 コネクタは自動車のハーネスに使われている奴と同じだ。外すコツは判っている。だが此奴は途轍もなく固く渋く出来ていることも知っている。

 手は寒さに悴み、思うように動かない。感覚も鈍っているが、外すときに力を込めているせいで手のひらが圧迫されてとても痛い。

 格闘すること、数分間コネクタのラッチがようやく開いた。

 あとはこれを引き抜くだけ。意外にもそれは拍子抜けするほどに、あっけなく出来た。 そして、僕はケーブルを腰にぐるりと巻き付けタラップ右はしにそろそろと近づいた。

 その瞬間機体はホバリング体勢に移行してガクンと後方に傾いた。

 その勢いで僕は足を滑らして転びそうになったが、固定ワイヤーに捕まりなんとか体勢を持ち直せた。リバートエンジンを固定してある最後方のワイヤーだ。これを掴めなかったらとおだぶつだったかも知れない。危ない危ない。

 だがもっと最悪な事態が同時に起きていた。

「きゃああああぁっ!」ユリアの悲鳴だ。

 前方を見るとユリアが体勢を崩して床に転げ落ちたのがわかった。ホーネットの体勢をみればそのままタラップまで転がって落ちてしまうことは目に見えている。

 考えてる余裕はなかった。ぼくはとっさに転げ落ちていくユリアに飛びついた。

『ガコ、ゴゴゴ』激しい音とともに全身に走る激しい痛み。

 運が良いのか悪いのか、僕等はタラップギリギリのところで、何とかとどまれた。腰に巻いてある電源ケーブルのお陰だ。

 僕等は傾いたタラップの上から、頭を下にしてぶら下がる様に転がっていた。

「とりあえず助かった」僕はユリアを抱きしめて言った。

「ユッキー!」とユリアは驚いた顔をした後、助かったことに安堵の表情をもらした。

「だいすき!」と僕にキスをするユリア。

「とにかく、この体勢をなんとかしよう。ユリア、そっちのケーブルつかめるか?」

 丁度、手の届くところにあるケーブルを指して僕は言った。

「やってみるわ」ユリアは一生懸命手を伸ばしてケーブルをつかもうとするが、あとちょっとのところで手が届かない。

「僕にしっかり捕まって」僕はケーブルを掴んで体を上に引きずりあげようとした。

「待って! 何か聞こえない?」とユリアが言った。

 確かに声が聞こえる。女性の声だ。僕等はそっとタラップの下をのぞき込んだ。

「誰か居るわ!」ユリアが希望に溢れた声で言った。

 金色のショートヘア、ガレス王国軍少尉の記章をつけた軍服の少女。ダレンだ。だが生きているのだろうか?

「ふたりとも! 聞こえる! 腕が折れて動けないの! 引っ張り上げて!」とホーネットのジェット音にかき消されてよく聞こえなかったが確かに彼女だった。

「よかった! 生きている! 早く助けないと!」ユリアが僕に言った。

 彼女はダレンの声を聞いて勇気と力が出たのだろうか、体をのばして、ダレンのぶら下がっているケーブルを掴んで、体勢を上向きにすると、そのままケーブルをつたって、カーゴルームまで昇って行った。

「ユッキー、早く! ダレンがこのままだと死んじゃうわ!」

 身軽になった僕は、上体を起こしケーブルを伝ってユリアのいるカーゴルームまで昇って行った。

「このケーブル、引っ張り上げてダレンを助けましょう! 二人で引っ張れば大丈夫よ」といってケーブルに手をかけた。

 僕等はリバートエンジンを足場にして、ケーブルをズルズルと引っ張った。

 元々体重の軽いダレンを引き上げるのは其程苦でも無かった。逆にケーブルの方が重いくらいだ。

 離陸してから三十分と長い間ぶら下がっていた、ダレンは其程やつれた風では無かったが潮風に晒されて髪の毛も顔も凄い事になっていた。

「大丈夫か?」と尋ねると、

「ええ、右腕を折ったみたいで痛みますわ。それよりタラップを閉めて、ノンマルトまで急ぎませんと」と彼女は答えた。

「まだ、ダメなんだ。あいつがタラップに引っかかっていって、扉が閉まらない」と僕は右端の帝国兵を指さした。

「任せて」とダレンは一言言うと、ホルスターの拳銃を取り出し、左腕に持ち替えて敵兵めがけて二〜三発おみまいした。

 撃たれた敵兵は、弾丸が当たった部分が朽ちて引っかかりが無くなると、そのまま海上に落ちていった。

「おみごと!」

 僕は手際よく敵兵を処理した彼女に賛辞を送った。

「たいしたことありません。服の先が引っかかっているのは見て直ぐわかりましたから」と彼女は照れる様子も無く言った。

「それより、先を急ぎませんこと? 予定より大分遅れてしまいましたわ」と、彼女は言うと操縦席に入っていった。

 操縦席でタラップを閉じるとエラー警告が解除され、本来のプログラム通り、またエンジンをチルトさせホバリングから飛行モードになった。

「巡航速度は現在百ヒロ、あと十分でノンマルトに到着しますわ」

「うわ、けっこう早いんだね」

「邪魔さえ入らなければ、三十分は早く着けたはずでした。少し心配なのは帝国軍に先回りされてないかです」

「ハギノ様は念のため準備をお願いします。先ほどのケーブルは元に戻してきておいてください。到着したら直ぐ起動してください。ハンスが言っていた時間帯ギリギリなんです。これに失敗すると、あと十六時間は何も出来なくなります」

「判った。直ぐにやるよ」と僕は席を外してカーゴルームに入った。

「さ、殿下、次は治療の時間ですよ!」とユリアが救急キットを手にして、ダレンに声をかけているのが聞こえた。


 ケーブル接続とついでに異常が無いかを確認した僕がキャビン《操縦席》に戻ると上半身裸のダレンがユリアに治療されている真っ最中だった。

 『きゃー、ユウキさんのエッチー!』などと言われることは無く、彼女はいたって平然だ。

「ユウキ様、じきに到着します」

 操縦席から前方を見るとカロンの都市の』明かりが見えてくる。一際明るいのは宮殿だろう。敵陣の真正面から挑むのは不安があるが、彼らは飛行する兵器など持ち合わせてないはずだから、石投げ機の射程にさえ入らなければ問題ない。

「リバートエンジンの起動準備に取りかかって下さい。到着したら直ぐに起動します」

 ダレンは軍服を羽織りながら言った。包帯と添え木でぐるぐる巻きにされた右肩が痛々しい。

「前方から、何か来るわ」とユリアが言った。

 確かにレーダーに何か映っている。それも一つや二つでは無い。

 やがて、目視でも王宮の明かりをバックに何かが近づいてくるのが判る。

「鳥の大群か?」いや、鳥にしてはおかしい。こんな夜中に鳥なんて飛ばない。

 コウモリだろうか? それにしては動きがおかしい。大鷲のようにつばさをほとんど動かさず滑空している。

「照明弾を発射する」とダレンは言って、ボタンを押した。

 鈍い音とハッキリそれと判る衝撃が機体に響き、前方を鈍い光を放って飛んでいく物体として現れた。

 飛翔体は謎の物体の集団手前まで、進むと、急上昇して、間もなく眩いばかりの閃光を放ち謎の物体の正体を照らし出した。

 一瞬見間違いかと思った。夢かとも考えた。だが現実だった。其処には十数匹に及ぶドラゴンとしか思えない生物がいた。しかもすべて此方に突進してくる。

「ユウキ様! 操縦を代わってください!」とダレンが叫んで操縦席から飛び離れ、僕のてを掴んで彼女の元いた場所に押し込もうとした。

 僕は言われるが侭にその操縦席に座り、操縦桿を握る。

 ダレンは僕の真後ろについて左腕を添えて僕に顔近づけた。

「私の言うとおりにして!」

 すでに自動操縦は切ってあり手動MANUALの文字がモニターに映っている。

「操縦桿を思い切り左に切って!」とダレンは言いながら、僕の左手に添えられた手に力をいれて動かすべき方向に傾けた。

 ホーネットは機体を左に傾け障害物を避けるように旋回した。

「先を読まれてた!」とダレンが声を上げた。

「なんなんだ、あれは?」僕は訳もわからず、叫んだ。

「判らない。ドラゴンなんて絵でしか見たこと無い。本物がいるなんて知らなかった」ダレンは唖然とした表情でつぶやいた。

「いや、ドラゴンかどうかなんてこの際問わない。あれは僕等を待ち伏せしてたのか?」と、僕は彼女に尋ねると、

「判らないですわ」と、急にお嬢様言葉に戻って、つぶやいた。動揺していることは確かだった。

 だが、そこはさすがに皇太子として育てられ、軍人として鍛錬されている彼女は、即座に、

「とにかく、このまままっすぐ目指すのは危険と言うことは判りました。このまま迂回して進みましょう。ただ自動操縦はもう無理です。手動で行かなければなりません。ハギノ様操縦お願いいたします。私はこんな状態なので」と、判断を下した。

 だが、全く未経験の飛行機の操縦を頼まれた僕は、

「判った。だけど僕は飛行機の操縦経験なんて無いよ」と、答えるしか無かった。いったいどうすれば良いのだ?

 だが、彼女はそれは想定済みだと言わんばかりに、

「私がサポートします。まずはナビゲーションシステムで位置の確認を」と、堂々と言い放った。

 これは自信を持っている証拠だ、と僕は感じた。そして、彼女の堂々とした態度に全幅の信頼を寄せて、「了解」と返事をした。

 ナビシステムで確認すると現在はガレスとカロンの境辺りの海上だ。

 レーダー上は今のところ何も映ってない。既に奴等は遙か彼方にいて、僕等は其処から逃げて来られたと言うことだ。

「だけどあいつら追ってこないか?」

「大丈夫。今のホーネットの巡航速度は四百ヒロ。いくらドラゴンでも、そんな速度は出せるはず有りません」

 常識で考えてもそうだ。だが昔テレビで時速四百キロで飛ぶ鳥を見たことある。四百ヒロだとおおざっぱにその倍の速度だが、ドラゴンの飛行能力は僕には判らないのだ。

「到着までどの位かかるだろうか?」トラブルが相次ぎ、予定時刻が気になる僕は彼女に尋ねた。

「巡航速度が自動操縦のときの倍になっているから、さほど代わらないはずです。でも減速時間もあるから、少し遅くなりますが」とダレンは懐中時計を取り出して言った。

「こんどドラゴンに遭遇したらどうする?」と僕は操縦桿を握りしめて尋ねた。冷や汗で手のひらと額がびっしょりだ。気持ち悪いから早くタオルか何かで拭いたい。

「そのときは武器を使います。自己誘導型のミサイルが四機、機銃が前方と後方にそれぞれ一機」とダレンは、コンソールのスイッチを指し示した。

「その手で出来るのか?」と僕は先ほどの大捕物で負った彼女の負傷を心配した。

「機銃は片手でも出来ます。それに今はほとんど痛みは有りません」と彼女は負傷した右肩を左手でさする。

「無理するなよ」と僕はひとこと言った。だが数分後、それは全くの稀有であった事が判明する。


「そろそろね」とユリア。ホーネットは巡航モードのままでは失速直前の百ヒロまで減速し、降下中で、目標の『時の墓標』に到達するのは後一〜二分と言ったところだ。

「ハギノ様、リバートエンジンの準備は出来てる?」とダレンが言う。

 降下開始より自動操縦に切り替え、僕はリバートエンジンの操作卓に向かっている。操縦席には僕の代わりにユリアがダレンのサポートを受けながら座っている。

 もっとも自動操縦だから、ユリアは殆どやることは無いが、万が一には回避行動を取る必要があるためだ。操縦の腕前は僕も彼女も(元々未経験な訳だから)大して変わらないはずだから、問題はないだろう。

 それに状況判断はダレンが行うから、いずれにしろ大丈夫だと安心している。

「敵の様子は?」リバートエンジンのコンソールを見ていると全く外の状況が判らないから不安になる。

「今のところ無いみたいね。レーダーにも赤外線暗視モニターにも反応は無いわ」とダレンはモニターを見つめながら言う。

〝減速、これより着陸モードになります。機体が傾きます。シートにお座り下さい〟

 エンジンがチルトし始め、Gにより体が前のめりになる。それと同時に機首が上になり、機体の姿勢は後方を下にして斜めになるから、丁度、座席上は斜め上を向いた姿勢になる。

 ユリアの隣でサポートしているダレンはシートに座っていない為、後ろに倒れそうになるがなんとか足を着いて踏ん張っている。

 そして、機体は時速三十キロ程度とほぼ惰性の速度でホバリングをしながら時の墓標に向かって降下していく。

 今回のミッションでは、最低でも時の墓標上空十メートルまで接近してリバートエンジンを動作させ無いと成功する確率が極端に下がる。これの力場は十〜二十メートルの範囲でぐらつくからだ。

 力場内で起動しなければ、位相にずれが生じて、シミュレーションで計算した目的の時代に戻ることが出来ない。もっとも、このシミュレーションも正しいかどうか判らない。帝国の奇襲により、検証する時間が全く無かったから判らないのだ。

〝三十メートル下に障害物があります。当機は間もなく降下を停止します〟

「ここからは手動です」とダレンが自動のスイッチを切ると警告音はやみ、さらに降下を開始した。

「もうすぐ二十メートル」とユリアが言った途端、状況が変化した。

「何か居るわ!」とユリアが叫ぶ。

 ダレンが「敵です!」というと、ユリアが握っていた操縦桿を握って手前に引いた。

 ホーネットはエンジンを全開にして急上昇をする。急に周波数が上がったエンジン音が耳に痛い。そして間一髪の所で敵の放った砲弾が機体をかすめた。

「墓標の石の影に隠れていやがった!」と僕は叫んだ。

 やはり待ち伏せされていた! しかし、なぜ目的地が此処だと判っていたのだろうか? この作戦自体はごく一部の者以外には極秘の筈。

 関係者を拷問して吐かせたとしても、施設制圧から、まだ一時間もかかっていないのだ。伝令を飛ばしたとしてもこれほど短時間に部隊を展開するなんて無理だ。大分前から準備していないと展開出来るものでもない。とすると、やはり内通者がいたのか?

 だがそんなことより、今はこの状況をなんとか解決するしかない。既に奴等の射程外まで逃げたが、このまま近づけば蜂の巣にされるのは確実だ。しかも、リミットは刻々と過ぎていく。

「仕方が無い。ミサイルで敵を掃討します」

「敵の勢力が不明なのに、ミサイルを使ってしまって良いのか」四発しかないんだろう?」

「仕方ないです! 他に何か有りますか?」

「判らない。任せるよ。時間もない一か八かだ」

 ダレンはゆっくり頷くと、いきなり上着ばっと脱ぎ捨て、右肩を覆っていた包帯と添え木を外し始めた。

「ダレン! まだとっちゃダメだ!」僕は慌てて彼女が包帯を外すのを止めた。だが、彼女はその手を払いのけて、

「大丈夫です! 怪我はもう治ってます!」 治っているわけがない。ほんの一〜二時間ほど前のことだ。

 だが、驚いたことに実際に彼女の怪我はほんの少しの傷跡が残っているだけでなんともなかった。

 彼女は固定されてた腕がようやく解放され、肩をぐるぐるとまわして、軽くストレッチを始めた。まるでずっと家の中に閉じ込められていた犬が、外に出て喜び勇んでいるかのように。

「なんともないのか?」僕は唖然として尋ねた。

「もともとたいした怪我では無かったのです」と彼女はにっこりと微笑んだ。だが、そんなこと信じられる訳がない。

「しかし、腕が折れたと言ってたはず…」

「あれは、少し大げさでしたね。ずっと同じ体勢でケーブルを掴んでいたから、しびれただけですわ」と不自然にお嬢様言葉になる。何かを隠しているのではないか?

「だが…」

「今はそんなこと言っている暇はありませんわ」と彼女は下着だけになった上半身にシャツと軍服を羽織り、ユリアに、

「さ、操縦を代わりましょう」と、言った。

 ユリアはそんなダレンの事を全く気にかけず、やっと肩の荷が下りたと言わんばかりの表情を浮かべ、彼女と席を交代した。

 席を替わったダレンは、手慣れた感じでコンソールのスイッチを次々を切り替えていく。そして、ミサイルのロックを解除する、赤いスイッチの透明な蓋を開けると躊躇せずにそれを手前にたおした。

「ミサイル発射準備完了」とダレンが言うと、するするとヘッドアップディプレイがせり上がった。ミサイルターゲットロック用の照準器だ。

 左側コンソールの赤外線モニターに映っている敵のカノン砲は砲弾を発射した際の熱でうっすらとモニターに反応している。

 モニター上には墓標を取り囲む様にぐるりと周りより明るい斑点が表示されていた。しかも、その数は全部で十は下らない。

 ダレンはそのうち一つに目標を定めた。そして墓標の正面に当たる部分にある斑点がロックされ、黄色と青で表示された照準器のターゲットサークルが明るい赤色になって激しく点滅する。

「ターゲットをロック。ミサイル発射します」

 ダレンがミサイル発射のスイッチを押すと、左舷よりミサイルが一発、白煙で弧を描いて飛んでいった。

 モニタ上の人と思われる薄い小さなつぶつぶのような斑点が、気配を察知して一目散に散っていく。そして、その一秒も立たぬうちにターゲットが閃光で覆われ、数秒後に爆発音が機内にも響く。

「目標を破壊。続いて二発目、ターゲットをロック」

 二発目のターゲットは墓標を挟んで反対側のカノン砲だ。

「ミサイル発射」

 先ほどと同様に弧を描いて飛んでいったミサイルは目標のカノン砲に見事に当たって爆破した。

 威力の大きいこのミサイルでカノン砲部隊のほぼ半分は壊滅したであろう。ミサイルが命中した部分は爆発により、森の木も巻き込んで赤々と燃えている。

 これにより、兵士を含め戦力の半数が壊滅したはずだ。だが、それでもまだ半分は残っている。

「ハギノ様、リバートエンジンの起動をお願いします!」とダレンは叫んだ。

「ダレン! まだ半分も敵戦力カノン砲が残っているぞ! このまま近づいたら、今度こそ打ち落とされるぞ!」僕はまるで吠えまくる大型犬の様に怒鳴って答えた。

「大丈夫です。私に策があります」と、ダレンは言うと、操縦桿を押しこんで、時の墓標に向けて下降していった。


        ●●●

 

 さきほどの攻撃で帝国軍は兵士の半分を失った。

 ミュール将軍はガレス王国の新兵器を初めて目の前にしてその威力に驚愕した。

「ううむ、きゃつの言うとおりだったわい。だが甘く見ておった。これほどまでの威力とは。もしこんなものが量産されでもしたらあっという間に帝国はガレスに取られてたわい」

 だが、彼はそんなことは気にもかけていなかった。

「ところで王子様は次はどんな手をうってくるのかのう」

 将軍は手元にある分厚い表紙が毛皮で出来た本をばさっと開いた。

「ふむふむ、なるほど次は『みさいる』という爆弾は使わないで、そのまま墓標まで突っ込んでくるとな? なるほど勇ましい王子様だな。女とは言えあっぱれじゃ。だが残念だのお。わしらは全て先をお見通しじゃ。この『ワブの書』さえあればな」

 将軍はほくそ笑みながら、本を閉じてその分厚い毛皮をポンポンと叩いた。

「差し出がましいですが、その本を過信するのは危険でございます」と腹心のブリッチが言った。

 ブリッチは将軍のひょろりと木の枝のように細長く、骨と皮ばかりの手足をしている見かけとは対照的に、がたいが大きく、いかにも老練な軍人といった雰囲気の人間だ。他人が見ればどちらが将軍か見分けが付かない。

「ふん、何を言う。いままでの経過はこの本の通りであろう。ガレス王の帝国への革命計画、軍備、新兵器なぞ、皆この本から得た情報だ。しかもすべて当たっておる。我々がガレスに奇襲をかけなければ、帝国はシャダム5世即位五十周年も祝えずに滅んでおったのだぞ!」

「いえいえ、革命の計画が判ったのは、ガレスから亡命者が情報提供をしてくれたおかげです。彼がこの計画を此方に漏らしてくれたからこそ、皇帝も動いてくれたのです。ほんとうに彼には感謝しています」

「ふん、あんな異国人の爺いの戯れ言を真に受けるとは皇帝も酔狂じゃわい。それにあの容姿、どうせシイナのスパイだろう」

「シイナにも通じているという疑いもありますが、彼らはガレス王に国外追放されていますから、ガレスに恨みもあるのでしょう。それに無理矢理ニッポンと言う異国から連れ去られてきたと申しておりますゆえ」

「まあいい、情報提供はその異国人だが、実際の戦局のことまでは彼らの情報では無いからな」

「それはごもっともですが、何度も言いますが本の過信だけは御注意下さい」

「わかっておる。わしだってあほうではない。この本はあくまでも占いと一緒じゃ」

「ご承知であれば、これ以上は何も言いません」

 将軍は『ワブの書』にケチをつけれたことで面白くなかったようで、野営地に備えられた椅子にふんぞり返って、ノンマルトの森で赤々と燃える木々を睨みつけていた。


 一方、肝心の現場では混乱が続いていた。攻撃部隊のフレッチャー中佐はミサイル攻撃されて燃えさかる森の消化作業に追われていた。

 時折カノン砲用の火薬が爆発して大変危険な状態の中、残った兵士はこれ以上燃え広がらない様に周囲の木を伐採している。

 幸いにも今のところ死亡した兵士は確認出来なかったが、重軽傷者は多数にのぼり、半数以上が戦力離脱している状態だ。

「あとどのくらいで作業が完了できる?」フレッチャー大佐は、部下のアンドリュー少尉に尋ねた。

「こちらはあと少しで完了です。ただ、北側の第四部隊はまだ手こずってます。あっちは被害が大きかったのと、地形などで作業が難航していて」とアンドリューは額から流れ出る血まじりの汗を拭いながら言った。

 彼も無傷ではなく頭に破片が当たり怪我をしていたが、軽傷であるため治療は拒否して指揮にあたっていたのだ。

「そうか、まずいな。こっちの作業が終わり次第、半数を応援に回せ。残りの半数は西側第三部隊のカノン砲をいつでも打てるように準備を。あとカノン砲の半分は今の場所から、五百ヘクトから一千ヘクトの間でばらけさせろ。次の攻撃での被害を少なくしたい」

「イエスサー」アンドリューは敬礼をして持ち場に走り去っていった。

 次の攻撃が今すぐ始まったらもうおしまいだ、とフレッチャーは思った。

 少なくとも十マインは時間が欲しい。カノン砲を五百ヘクトを移動させるには、それだけの時間は必要だ。

 しかし敵の兵器は俺たちの武器がまるで役に立たない。空を飛べることだけでも脅威だが、あの爆弾。カノン砲がただの鉄の塊を飛ばしているだけなのに、爆弾を砲弾代わりに飛ばして、なおかつあれほど正確に攻撃するなど、我々では不可能だ。

 あんなのがガレスにはいくつもあるのだろうか? いや、それは無い筈だ。そうでなければ今頃ここは一瞬で殲滅されているだろう。まだ部隊が半分しか被害を受けていないと言うことは、彼らの攻撃力はそこまでなのだ。若しくは、とっておきの為に隠し球を持っているのかも知れないが。

 フレッチャーは懐中時計を見て例の時刻になるのを待っていた。

 あと、数十マインすると時間震がやってくる。そのときは一旦部隊を退却させなければいけない。

 時間震がくると、兵士の時間感覚がおかしくなる。稀では有るが一気に老化や若返りをすることもあるそうだ。若くなるなら良いが、老化だけは勘弁して欲しい。

 とりあえず、時間震の影響を受けない範囲に配置しているとはいえ、こいつは気まぐれだ。時には範囲外にも干渉してくる。だが絶対安全圏に移動すると砲弾が届かない。

「中佐! 何かが近づいてきます!」

上空から、高周波の轟音が聞こえてくる。敵に違いない。

「敵の新兵器だ! カノン砲を打ち方用意!」

 周囲に張り巡らされた伝令管をつたわり砲手に伝えられた。

 ここで仕留めなければやられる! だがタイミングがまずい。このままだと時間震発生までに退避できない。だが、待避したらその隙に敵にやられてしまう。ジレンマだ。それを考えると、なるべく早くかたをつけねばならない。

「まだ敵新兵器は見えぬか?」

「まだです!」と伝令管をとおしてアンドリュー少尉が報告する。

「こちら、第三部隊、爆弾が飛んできます!」砲手から貼り叫ぶような声が伝わる。

 くそ、まだ爆弾はもっていたのか!

「第三部隊、全員待避!」

「第一! 敵が見えなくてもかまわん! 墓標上空を狙って撃て!」

 東側の部隊から一斉にカノン砲が火を噴いた。だが特に手応えはない。そして西側第三部隊上空で閃光が走った。

「くそ、第三も全滅か!」フレッチャー少佐は思わず毒づいた。

「こちら、第一、こちらも爆弾です!」

「第一も全員待避!」

 これで全滅ではないか! 私の人生も終わった。ミッションの失敗は降格どころではない。処刑あるのみだ。

 そして、しばらく経つと第一部隊上空にも閃光が走る。だが、フレッチャーはなにか様子がおかしい事に気が付いた。第三の上空で閃光が走ったが、爆発音が聞こえない。第二と第四がやられたときは閃光の後に地響きを伴った爆発音を感じた。

 だが第一のときはまるで感じなかった。今でも明るくなっているが森が燃えている色と違っていつまでも白熱光のままである。そして第三もそろそろ爆発音が聞こえても不思議で無い筈だが、相変わらず白々と光っているのみなのだ。

 これは爆弾ではない! 聞いたことがないなにかの兵器だ。

 フレッチャーはこれが敵のはったりだと気が付いた。弾がないからその代わりに爆弾では無い何かを替わりに落としたのだ。

「全員持ち場に戻れ! 爆弾ではないぞ!」 だが、時既に遅かった。全員が伝令管から離れてしまった。これではすぐに持ち場に戻ることはむりだ。

「アンドリュー少尉! 聞こえるか?」

「聞こえます!」

 さいわいなことに、アンドリューは持ち場を離れていない。

「被害を報告しろ!」

「なにもありません。爆発音も爆風も」

 思った通りだ。

「いいか! これは敵のはったりだ! 聞こえてたら、持ち場を離れている砲手全員、できる限りだ。直接伝令しろ! 持ち場に戻り敵に全弾打ち込めと! 奴等はもう弾は撃ち尽くした! 恐れることはないとな!」

 フレッチャーは懐中を再び確認した。例の時刻まであと数分だが、もう待避させている余裕はない。時間震が想定内の範囲であることを祈るのみだ。

「とりあえず、手近にいる兵士たちに向かわせました。ですが全員の再配置は無理です。(砲手の)代わりに私も(砲台に)向かいます」

「よろしい。私が(アンドリューの)替わりに第一の指揮を執る」

 フレッチャーは伝令管を置き、近くに居た兵士に、ホルセイを準備する様に言った。

 第一までの距離はおよそ一ヒロ、ホルセイで飛ばしても十マインはかかるはずだ。

 なるべく早く行きたいがそのためには時間震の影響範囲に入ってしまう。だが遠回りしていたら間に合わない。フレッチャーはリスクを承知で森を突っ切ることに決めた。

 

        ●●●


「全員照明弾をミサイルと勘違いしたみたいね」とユリアがいった。

「さすがダレン、考えたね」と僕は彼女の機転に感嘆した。

「たいしたことありません。士官学校時代に同期生と一緒に考えた作戦ですから。でも、この方法は一度しか通じません。直ぐに相手に爆弾でないって気が付きますから。でも時間稼ぎには充分。この隙に『時の墓標』に着陸します」とダレンは言うと、操縦桿を押し込みホーネットを急降下させた。

「ちょっと、まずいわ。やつらさっきの照明弾が爆弾じゃないって気が付いたみたい。何人かカノン砲の方に戻っていくわ」とユリアがモニターを見て言った。

「大丈夫。彼らが戻る前にリバートエンジンを起動させます。ハギノ様準備は良いですか?」

「OKだ。もうスイッチを押す準備ができている」

 僕はコンソールを起動して、モニタとにらめっこしている。モニター上に表示される赤色で描かれた『アイオーンエフェクト』の実測波形が限界値である、百二十を越えたら直ぐにスイッチをONにすればリバートエンジンが起動して僕等は過去、つまり一億年前の日本にジャンプが出来る、はずだ。

 緑色で描かれた『アイオーンエフェクト』の予測波形によれば限界値が百二十に達するのはあと一分もない。そして、五分後にピークを迎え、その後徐々に下降し、七分後には百二十を下回る。もちろん、この波形は過去のデータから予測した値であるから実際にはもう少し早まる可能性もあるし、遅くなる可能性もある。

 『時の墓標』の『アイオーンエフェクト』の有効範囲は墓標の尖塔を中心におよそ十ヘクト、つまり二十四メートル。それ以上になると成功率が百%以下になる。二十ヘクトで六十四%、三十ヘクトで三十二%、百ヘクト離れると成功率は0.25%とほぼ0パーセントになる。

 ダレンはシミュレーターでしか操縦したことがないというが、見事な腕前で尖塔脇の屋根の上十メートルでホーネットを停止させた。

 緑色の予測波形はあと数秒で限界値に達する。

 僕は起動スイッチの透明カバーを開いて、人差し指をかけ直ぐにでも押せるようにしている。あとは赤い実測値の波形が限界値に達するのを待つだけだ。あと、5秒、4、3、2、。

 そのとき尖塔の横っ腹になにか大きな石のようなものが凄い勢いで当たり、その勢いで大きな穴が開いた。砕けたレンガが機体にばらばらと当たる。

「何?」とユリアが叫んだ。

 ダレンは操縦桿脇のエンジン出力レバーをMaxまで倒し、エンジンを全開にすると同時に急上昇した。

 急上昇による凄まじいGにより、僕はかつてないほど強力な押し潰される感覚に襲われ、しばらく気を失いそうになった。だが、それは一瞬のことで、数十秒後にすぐに解放された。

「なんなんだ?」と僕はやっとの思いで口を開いた。

 さっきの衝撃で未だリバートエンジンを起動することは出来なかった。

「敵が撃ってきました! ユリア、状況確認して!」とダレンが息を切らせながら言った。

「今までの場所から百ヘクト後方から撃ってきたわ。距離が遠いから、射程外だったみたいで機体には当たらなかったけど。見てこれを!」

 ユリアが赤外線モニター上の敵カノン砲の位置を示した。そのあと、他のカノン砲も数発撃ったと思われ、カノン砲の熱を検知してオレンジ色に斑点が表示されている。

「いつの間に? しかもこんな広範囲に散らばっている」僕は唖然として呟いた。

「敵も馬鹿じゃないみたいだね。ミサイル攻撃で全滅するのを避ける為に配置を広範囲に展開したのよ」と、ユリアは言うと僕とダレンにどうする? といったまなざしを向けた。

「またミサイル攻撃するか?」どうしたら判らず当てずっぽうに提案してみるが、ダレンに即座に否定された。

「無駄です。二発なんかじゃ当然足りないし。でも考えがあります」とダレンは照明弾の発射スイッチに手をかけた。

「その手は二度と効かないって言ってたじゃ無いか?」

「ええ、知っています。でも別の作戦です。ハギノ様、もう一度リバートエンジン起動の準備を」

 ダレンはそう言うと、赤外線モニタに映し出された、カノン砲の位置を示す、オレンジの斑点群中心をめがけて照明弾を打ち込んだ。さらに反対側にも打ち込んだ。

 照明弾が閃光を放つと同時にダレンはハンドルを押し込んで急降下をした。急降下により体がふわっと浮き上がる。ベルトで抑えてあるが、椅子から投げ出されそうな感覚だ。

 時の墓標上空まで来ると、ホーネットは逆噴射して急激に減速した後、エンジンをチルトしてホバリング体勢となった。そして破壊されて跡形もなくなった元尖塔上空で停止する。

 すでに『アイオーンエフェクト』限界値は超え、ピークに到達しようとしていた。実測値は予測値を上回って、すでに150を越えてまだ、上昇している。いずれにしろまだ起動可能な範囲だ。

「今です! 直ぐに起動して!」

「OKay!」と僕はリバートエンジンのスイッチを回して、起動をした。

「なにも起きないぞ!」

 スイッチをひねっても起動音も、うなり音もなにもしない。ユリアが席をさっと離れカーゴルームの扉を開けて、リバートエンジンの様子をうかがった。

「ダメよ! 動いていない!」と彼女は絶望するかの様に叫んだ。

「何だって?」と僕とダレンが同時に叫んだ。

 たしかに、モニタ上のリバートエンジンのステータスは0rpmのままだ。

「今行く!」と僕は扉のところのユリアのそばにより肩を掴み、「代わりにモニターを見ててくれ!」と言い残して、入れ替わるようにカーゴルームに入った。

 たしかに動いている形跡がない。なんでだ? 考えろ! 僕は必死に原因を考えた。『アイーオンエフェクト』が限界値を下回るまであと十分もない、迷っている暇はないのだ。

 ぼくは先ず電源を確認した。エンジニアでなくても最初に確認すべき所だ。

 電源装置のインディケータはグリーン、これは問題ない。だがリバートエンジンのインディケータは全く点灯してない。

 接続に問題あるのか? だがケーブルがきっちり刺さっている。出発時のチェックも問題なかったはず。

 やはり命綱代わりにしたときにどこか断線したのだろうか? 僕はケーブルを揺すったりかるく曲げたりしながら、うごかしたがインディケータはまったく替わらない。このケーブルは問題ない。

 そして次に、ダレンがぶら下がってケーブルをチェックすることにした。ぼくが命綱代わりにしていたケーブルより長時間ダレンがぶら下がっていた訳だから、此方の方がダメージがでかいはず。

 僕はそのケーブルを手に取り、調べているとリバートエンジンのインディケータがかすかに点灯した。しかし、すぐさままた消灯してしまう。やはり、想定通りだ。

 しかし、このケーブルに問題があることは判ったが、どの部分が断線しているのだろうか?

 一番ダメージがでかいとすると根元の部分か、もしくはタラップの端に掛かっていたところだろう。

 僕は根元が一番怪しいとあたりをつけ、根元部分に力を加えてみた。すると先ほどよりも明るくインディケータが光った。

 当たりだ! この部分がダメージ受けているのだ。僕はキャビンにもどり、皆に状況を説明した。

「リバートエンジンと電源を結ぶケーブルが断線しているらしい。でもケーブルのコネクタを押し込むと接触する。修理する時間なんてないから取りあえず、リバートエンジンを動かしている間だけこれを手で押し込んで接触させる。数分だけ動かすだけならこれで充分のはずだ」

 ケーブルの接続を保つ役は僕がやることにして、エンジンの起動はユリアに任せた。合図をしたらコンソールのスイッチをひねるようにと、ユリア頼むと、僕は再びカーゴルームに戻った。

 合図が聞こえなくなると困るから、扉を開け放ち、電源ケーブルの根元を思い切りユニット側に押し込む。すると想定通りインディケータが点灯した。だが力を抜くと直ぐに消えてしまう。

 僕はケーブルを目いっぱいの力押し込みながら、彼女に合図をした。

「ユリア! 今だ! スイッチを回せ!」

「わかったわ! まわすわよ! 123!」

 その瞬間リバートエンジンは高周波を伴ったうなり声を上げその周波数はあっというまに可聴域ギリギリの域に到達した。

 大音量と高周波音で頭が割れそうに痛くなる。リバートエンジンは難聴になるほどの大音量になり無事起動した。そして、その後のことはよく覚えていない。確かなのは激しい吐き気を伴ったなんともいえないとても不快な気分だったことだ。


        ●●●

 ミュール将軍は後方の野営地でガレス皇太子、妃の確保を今か今かと待ち構えていた。だが、『時の墓標』方面での閃光を見て、その期待は焦りに代わっていた。

「いまの爆発はなんだ! この本には何も書いていないぞ!」と、その細長い体を震わせて言った。

「いま、フレッチャー中尉を呼び出してます。暫くお待ちを」とブリッチはその大きな体躯を厄介そうに動かして、伝令管を手に取ると、

「フレッチャー! 今の爆発はなんだ? まさか部隊が全滅した訳ではあるまいな?」

「判りません。ただ爆弾ではないと思われます。おそらくはったりか何かだと…」

「なに? はったり? 恐れるに足りんだろう! すぐに部隊を展開して皇太子をひっとらえろ!」

「判っております。ただ、砲手は驚いてほとんど逃げてしまいまして、直ぐに持ち場に戻るよう命令しましたが、まだ、迎撃態勢が整うまで時間が掛かります」

「ええい、言い訳は聞きとうない! 確保さえするならなんでも構わん! とにかくやれ!」

「了解」ブリッチは伝令管を置くとミュール将軍に、

「どうやらただのはったりのようです。部隊に被害は及んでません」

「うむ、きゃつらももう隠し球もないようだの。ドラコ部隊はどうなっとる」

「既にノンマルトの森に到着しております」

「ようし。きゃつらが墓標に着いたらしばらく、そこに留まるはずじゃ。そのさいにドラコ部隊で周りを取り囲んできゃつら逃げるのを阻止するのじゃ」

「承知しております」とブリッチは薄くなった頭髪をなでつけながらにやり笑った。

 一方フレッチャー中尉は先ほどホルセィを用意するように言った名も無き兵士を呼びつけた。

「おい! まだなのか!」

 彼は、

「申し訳ありません。こいつがなかなか言うことを聞かなくて」と言いながら、ホルセィを引っ張ってきた。

「まあ、しかたない。こいつは俺の言うこと以外はなかなか聞かないからな」と、いうとホルセィを引き取り、彼女・・の頭をなでた。

「軍曹!」とフレッチャーはホルセィに載りながらその兵士に、

「名前はなんと言ったか?」と尋ねた。

「カールです」とその若い兵士は言った。

「そうか。ではカール軍曹、お前に此処の指揮を任せる。ブリッチ大佐から伝令があったら、第一部隊に向かったと伝えろ」と、フレッチャーは言うなり、ホルセィを東にむけて飛ばした。

 第一部隊まで五百ヘクト。時間震の影響を受けないように遠回りすると、十マインはかかる。

 だが今は一マインでも惜しい、そうすると最短で五マインで到着できるが、時間震の影響は避けられまい。ふん、いずれにしろこのままでは処刑されてしまう。かまうものか。

 突然、彼は目眩を感じた。この感覚、いつもとちがう。時間震は始まるのか? 

 彼がそう思った瞬間、閃光が走った。これが時間震? いやちがう。閃光は墓標反対側だ。ばかなやつらめ。二度も騙される訳がない。そしてものの数秒も経たぬ内に二度目の閃光がフレッチャーが向かう第一部隊の上空当たりで起きた。

 ある程度想定出来ていたが、彼はうっかりその閃光をまともに見てしまったため、目が見えなくなった。

 そして、ホルセイもまたその閃光のせいで目がくらんだのであろう、雄叫びを上げて激しく前足を持ち上げると、その場に立ち止まった。

 これは太陽をまともに見てしまった時よりも酷い。とフレッチャーは思った。目を開けるがぼんやりと黒い覆いで閉ざされたように周りが見えない。これが昼間ならまだいいのだろうが、今は夜だ、回復するまで暫く掛かるだろう。

 時間震ではなかったが、これではにっちもさっちもいかない。

 すぐさま墓標で爆音が聞こえてきた。例の飛行機械だ。

 どうやら墓標に降りるらしい。いったい何をしようとしているのだ? 例の秘密兵器を動かして帝国を王都もろとも吹き飛ばすのか? 

 ふん、構わない。どうせ私は死ぬのだ。もうミッションが成功する見込みもない。残した妻と子供たちが不憫だが。せめて吹き飛ぶのは王都だけにして欲しい。そうすればケイブボウルに疎開している妻たちだけでも助かる。

 一瞬足下を掬われる感覚に襲われ、経験したこともない頭痛と不快感、そして全身をボロぞうきんのように捻られたような激痛に襲われた。

 だが、それも一瞬のことで直ぐに意識が無くなった。どうやら無事に死ぬことが出来るようだ。とフレッチャーは意識が無くなる寸前に感じた。そして、死ぬことは意外に怖いことでもないとも思った。


        ●●●

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