第十一章 ノイエホウセパレスのレイブン
セルリア歴5333年蟹の月三十目
その晩、悪夢を見た。
僕は一人で何処かの草原にいる。見知らぬ恋人がそばに居た。彼女は人間では無かった。かといって動物でもない。セルリア人でも日本人でもない。しかし見かけは人間と違わなかった。おそらく人工生命体。だがホムンクルスではない。アンドロイドだ。でも歯車があるわけではない。有機体のはずだが、その構造は人をはじめとする哺乳類どころか、地球上の生命体を模した物ではない。しかし、そんな事はどうでも良い。彼女には人と同じ感情があり、わかり合える存在だ。僕は彼女が好きだった。彼女も僕のことを好いていた。僕等は人生の殆どを一緒に過ごしていた。しかしそれももうすぐ終焉を迎えようとしていた。
僕等はその終焉を間際にそこで激しく愛し合った。僕等はドロドロに溶け細胞がバラバラになり混じり合っていった。その中でも意識は確固として存在して居るのがはっきりと判った。
どろどろに溶け合った二人はやがて一つの核となり、地球、いやどこか判らないその平原を満たしていき、その星を覆い尽くした。
その覆い尽くした星はやがて一つの細胞として他の星々と一緒に或生命を構築する細胞の一つとなった。
その生命体は自我が芽生えて、意識を持った。それは僕であった。「僕」はあたらしい世界の支配者になっていた。まるで当たり前のように僕は権利者として振る舞っていた。だが、そうなる前の意識が僕を苛んだ。僕はやがてその意識に押しつぶされ『僕』でなくなっていき、自ら命を絶った。
うっと言う自分のうなり声で僕は夢から目が覚めた。
「どうしたの?」
ユリアは隣で心配そうに僕に声をかけてきたが、僕の身体に足を絡ませてながら直ぐに寝入ってしまった。背中には別の女性が寝息を立てて僕を抱きしめてくる。金色の柔らかい髪の毛が背中に触れてくる。まるでハーレムのような世界だ。だが、二人は皇太子とその妃であるのに対して僕はただの下僕。二人は高貴な御方。僕はただの平民。劣等感と背徳感で押しつぶされそうだ。
嫌な夢の所為で目がさえてしまい、眠れない。僕は二人をそのままにして部屋を出た。そして自分の部屋に戻ると、いつものように『ワブの書』を開く。
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セルリア歴5333年獅子の月三目
裕樹は東から託されたリバートエンジンを携えて、ホーネットと名付けられた、飛行機械の格納庫をめざした。
ホーネットはリバートエンジン同様に王国第一級の機密プロジェクトであり、帝国に対する革命を仕掛ける際、必須の兵器だった。
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革命とは大それた事を考えているのだな、此処の王様は。しかし、たとえ、的中率三割だとしても『ワブの書』が予言していることを実行に移すなんて可能なんだろうか?もっともこんな戯れ言を真に受けるなんて、大の大人に居ないかもしれないが。
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格納庫に着くと手はず通り、皇太子と妃ユリアが待っていた。
「先ほど研究員たちと衛兵には、皇太子直々の命令としてホーネットの緊急飛行と一時退避を命じましたわ」
ダレンが慎重な面持ちで言った。
「でも大丈夫ですの? 貴方は永遠に裏切り者として追われる事になりますわ。たとえ向こう側の世界に戻れたとしても、いずれは第二のリバートエンジンを使って追いかけて来ますわ。リバートエンジンがなくとも、彼らは貴方を召喚する術は持っていますし」
「大丈夫さ、ただこのまま見ているわけにはいかないんだ。帝国が混乱するのは止めさせなくてはいけない。それと君の命をこれ以上削らせるわけにもいかない」
「私はかまいません。ひいては民の為ですから」
「そんな馬鹿なことは言うな。一人の人間の上の犠牲なんて誰が望む? この世界がこのまま滅びるというなら、それは運命だ。それにそんな馬鹿げた事はしなくても世界は救える」
「そんな根拠も無い事を…」
「根拠はある。僕がが過去へ戻って、運命を変える。僕がダメでも他の誰かが引き継ぐ」
裕樹は彼女たちを安心させようと、嘘をついた。
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どうやら三ヶ月後の僕は凄く大それた事を計画するらしいが、何が切っ掛け《トリガー》になるのだろうか? 僕は既に『ワブの書』によって、ガレス王が革命を企てている事を知っている。『予言』の的中率は三割だが、あれだけの軍事力を手中に収めている王が革命を計画していてたとしても不思議では無い。だが『ワブの書』では、東さんからリバートエンジンとホーネットの情報を得て、それらを奪う計画を開始している事になっている。しかし、実際のところ、ここ最近、彼とはメールすらやり取りしていないのだ。だからリバートエンジンの「リ」の字も知らなかった。勿論ホーネットだって存在すら知らない。実際にこれら一連のワードを知ったのは『ワブの書』を通じてだが、現実に存在するかどうかも甚だ疑問だ。僕はそこに至る経過をの情報を得たかったのだが、経過部分を書いてあるはずのページを開くことが出来ない。該当するページが何故かぴっちり張り付いてしまっているのだ。無理に捲ろうとすると、糊で張り付いたシールのように破けてしまう。まるで肝心な部分を僕に見せる事を拒否している様だ。いっそ、研究所の3Dスキャナで調べてみようか? いやそんなことするまでも無いだろう。所詮はワブの書なんだ。大したことなんて実は書いてないのかもしれない。あるいは、何を記述するか迷っているワブの書がまっさらなページを見られたくなくて邪魔しているだけなのかもしれない。予言通りに行動しなければ、状況は変わること無く『ワブの書』だけ、記述が変わるだけなのだ。今の状況でそんな大それた事を僕がするはずも無く、決して『ワブの書』通りのようなことは起こりえぬだろう。
だが、そんな僕の考えは早々に覆されることになるとは、露とも考えなかった。
獅子の月に代わってから、次の配属先が決まるまでの暫定として、一旦カロンの伯爵家に週の半分を過ごし、ノンマルトの森にある、『時の墓標』で超自然現象を観測することになった。
既に、ノンマルトの森には小規模ながら、観測のために施設(といっても、古い石造りの民家を接収したものだが)が用意されているのだが、測定機材はまだまだ貧弱な物しかない。そこで国王からの承認を得て、ガレスより最新の機材を搬入することになった。
搬入には偽装した『ニコラ』を用いたいのだが、例によって昼間に堂々と移動するのは困難なため、時間は掛かるがクルウマーで運ぶことになった。クルウマーでカロンのノンマルトの森まで行くのには丸一日かかる。だから機材を積み込みは早朝の未だ日が昇らないうちに開始して、日の出までに完了してなければならない。
搬入日当日、未だ辺りが真っ暗にもかかわらず、目覚まし時計がけたたましい音を立てて僕を起こした。
しばらくは(と、いっても一週間程度だが)ユリア、ダレンから離れてしまう為、名残がないように彼女らとたっぷりと楽しんだから、眠ったのはついさっきなのだ。
だから、今の僕は寝惚け眼なんてもんじゃなかった。
まるで夢遊病患者のようにふらふらとして、自分の体ではないような気分だった。
「もう行くの? 気をつけてね…」とユリアはまるで寝言の様に僕に言った。
一方、ダレンはそれでも目を覚まして僕にキスをして「いってらっしゃい。さみしくなりますけど、頑張って下さいね」と言って、僕を抱きしめ、「仕事が終わったら、アンシブルで必ず連絡下さいね」と言って僕を送り出してくれた。
自室に戻り、適当な服を見繕って支度をしていると、セシリアが僕を呼びに来た。
「ハギノ様、ご準備はお済みですか? そろそろ行かないと、トールマン様に怒られてしまいます」
トールマンとは『時の墓標』観測チームの責任者Dノーマンの部下で、ノンマルトの森まで同行してくれる男性研究員だ。
年齢はセルリア年で僕より二つほど上で、ガレス王国出身の生粋のセルリア人だ。
ちなみにノーマンさんはカロン出身のセルリア人、つまりフランチェスコ伯爵やユリアと同郷人となる。
僕は当面の間、彼の配下に入り、今回の機材搬出入などの指示を受けることになる。
前にも述べたがセルリアは緩いカースト制度を取っていて、貴族、僧侶、学者、商人、技術者、兵士、労働者、農民などの階層があるが、このうち研究員は貴族、学者、技術者など知識階層出身が多い。
だが農民や兵士など他の階層出身でも、年に一度に試験を受けて成績が優秀であれば、抜擢されることもあるが、相当な知識を要求されるため彼等が抜擢されることは難しいと聞く。
また、万が一抜擢されたとしても、貴族、学者層などカーストが上の者からの差別も多いと聞く。
だから、彼等からすれば、余所からぽっと出てきた、何処の階層にも属さない僕等にはあまり快く思っていない所もあるはずが、少なくとも普段はそんな事は無かった。
少なくとも僕に関しては、普段は非常に親切だったのだ。だが、これがいざ仕事のことになるとうってかわって厳しくなった。
「ユウキ! 五マイン遅れだぞ! 時間前に来いと言っただろうが!」とトールマンさんは腕組みをして僕を車寄せで睨みつけている。
トールマンさんはラギーというラグビーに似た競技を十歳そこそこから始めていたお陰か、胸板が厚く、上半身が見事な逆三角形で非常に良い体格の男性だ。
研究員というよりはスポーツ選手か兵士の方が似合っていたかもしれない。
そして、性格も体育会系で、「ようし、罰として腕立て百回だ!」などと平気で言ったりする。
実は彼と顔を合わせるのは初めてではなく、この仕事が決まったときに、一度顔合わせで打ち合わせをした。
その時、会が終了した際、いきなり、「ユウキ! これから俺んちでバーベキューやるから来い。絶対来い。皇太子夫妻も連れて来い! いいな?」と有無を言わさずイエスと言わされた事があるのだ。
だが嫌みは全く無く、非常に豪快で快活で気さく。話も面白く、直ぐに打ち解けて好きになれた。
今回も今回で、「ユウキ、遅れてきた罰だ。腕立て百回」と命令して来た。だが、僕も、
「Mトールマン・ローリー、百回は勘弁して下さい。出発が遅れてしまいます!」と言い返してやった。
さすがに百回も腕立てしたら、出発がさらに遅れてしまう。
トールマンさんは僕に言われて、そこで自分の命令が無茶ぶりだと気がついたみたいだったが、言った手前後に引けないらしく、「わかった。だが腕立て百回はまけることは出来ん。ノンマルトの森に着いて、搬出作業終わってからで良い!」として妥協してもらった。
結局、それを実行することはなかったのだけれど。
「ワゴンにその手荷物を積んだら機材を取りに直ぐ出るぞ。ところで、そのちっちゃいお嬢ちゃんはなんだ?」
セシリアが僕の荷物を持ってちょこんと待っていたのだ。
「わたくしはユウキ様の身の回りのお世話をしているセシリアと申します。この度はハーマン皇太子殿下に仰せつかって、ユウキ様のお供で一緒に参ります。よろしくお願いいたします」
「おいおい、聞いてないぞ」とトールマンさんが、びっくりしたように言った。
僕も聞いてない。何時決まったのだろう。彼女がいなくたって身の回りのことくらいは普通に出来る。
「セシリア、僕は一人で大丈夫。だから荷物だけ積んだら、戻っていいから」と言ったが、
「それは困ります! 皇太子殿下から直々に仰せつかっているのです! 此処でハギノ様の言うとおりおとなしく戻ったら、叱られます!」と彼女は泣きべそをかいた。
やれやれ仕方ない、ここはダレンの顔をたてるか。
「わかった。だから泣くのはおよし。Mローリー、皇太子殿下の命令だ。此処は黙って彼女を同行させてくれ」と、僕も少し困り顔で言った。あくまでも皇太子殿下の仰せなのだから逆らえないとアピールしたつもりで。
「まあ、しかたないな。だが椅子は二人分しかない。だからどっちかが荷台にのってくれよ」と渋々了承。
さすがに殿下の命令には僕もトールマンさんも逆らえない。
「嬉しいです! ハギノ様のお役にたてて!」と彼女の表情はぱっと明るくなる。
僕とトールマンさんはワゴンの二人がけシートに座り、セシリアは僕の手荷物のトランクの上にちょこんと座り、短いながら、長い首都カロンまでの旅が始まった。
機材のある、ガレス王立大学(便宜上そう呼んだが実際は大学と大学院の役割を持つ)は山を挟んで丁度反対側にあるカマラという町にあり、山の中腹から海を望む風光明媚なところにある。
ノーマン先生の研究室は大学の敷地の隅にあり、最近新築された大理石作りの立派な本館と異なり、朽ちかけた古い木造の建物にあった。
「ずいぶんと年期の入った建物ですね」
「元々は学生の寮だったんだが、数年前に麓の街中に移転してね、ほら最近は学生もこんな何もない山の中はいやだって」
どこの国も同じようなものだ。
「ところで機材はどこにあるんです?」
「先生の研究室は四階でね。申しわけないが、そこから運んで貰うことになる。もちろん君の居た施設みたいにエレベーターと言うものはないから、階段をつかってもらうことになるが」
この外見からなんとなく想像は付いたけど、いざこうやって改まって告知されると絶望的な気分になる。
「ところで、機材はどの位あるのでしょう?」
「たいしたことない。あのワゴンに積めるだけ積む。積めない分はまた後日だ」
あのワゴンって小型トラックくらい有りますが…。
測定機材の大きさはだいたいタワー型デスクトップパソコンと同じか、もう少し大きいから、このワゴンには軽く二十台は積むことが出来る。
「もしかして、僕等以外に手伝ってくれる人は?」誰一人居ない気配に嫌な予感を感じつつ、尋ねた。
「この朝早く手伝いたがる奴居るか?」
はい、居ませんね。これ本当に明け方までに終わるの? 目眩がして倒れそうになった。
想定通りというか、予定を大幅に遅れて、積み込みが終わったのは朝日が昇って大分たってからだった。
幸いにも軽い書類などはセシリアが運ぶのを手伝ってくれたが、肩が脱臼しそうになるくらい重い機材は僕とトールマンさんが運ぶしかなく、しかも階段を4階分上り下りしなければならなかったので、時間も労力も掛かってしまった。
搬出現場には手伝う気が有ったのか無かったのか、何人かが駆けつけてくれたが、時既に遅く積み込みが終わって一段落した後であった。
僕がヘトヘトになってワゴンの隅にへたり込んでいると、トールマンさんが、
「おいおい、このくらいでだらしがないな。この機材を此処に持ってきた時は、この階段を荷物持って上がったんだから、こんなの大したことないぞ!」と息も切らさず平然と言う。
体に出来がまるで違うのだから比べるな! と言いたいところだが、彼は有無を言わさず、僕の手を掴み無理矢理に引っ張り上げると、
「さあさ、ぼさっとしないで行くぞ! 早くしないと間に合わなくなるからな!」と言って、と僕を半ば強引に荷台にほおり込んだ。
そして、そんな僕等の様子をじっと見て次は自分と思って震えて待っていたセシリアには、
「女の子をこんなこ汚い所に乗せるわけに行かないな」と言って、彼女を彼の隣のシートに引っ張っていった。
いくら彼女が僕のメイドと言っても、小さな女の子を崩れそうな荷物と一緒に載せるのは危険だから、彼のポリシーに反するのだろう。
トールマンさんはワゴン前方の小窓を開け、
「では、タロとジロ、あとはたのむぞ!」とクルウマーのナビゲータに命ずると、彼らは例によってブフォブフォと返事を返してカロン向かって進み始めた。
途中二度の休憩を挟みようやく道程の半分程である、カロンにあるシンバと言う町まで来た。
此処までは予定通りで、ナビゲータのタロ、ジロの頑張りのお陰で出発時の出遅れはなんとか挽回できた。
だが、これからが大変だ。ナビゲータも生身の動物、いくら人間よりパワーとスタミナがあっても、長時間労働の疲労は避けられない。ましてや何十キロとある機材と人間三人を乗せてだ。
「丁度昼時だから、これから一エイチほど休憩しよう。ナビゲータも腹が減ってるから、メシ食わせないとならんし」とトールマンさん。
だがクルウマーのナビゲータであるポルアの食事は僕等と全く異なるため一緒に食事は取ることはない。
熊っぽい見かけ通り、彼らは生肉しか食べないのだ。しかも新鮮な生きた肉。冷凍保存などの死肉は非常時以外、基本的に食べない。
食べられなくはないが彼らに取って臭みが酷くて、出来れば食いたくないのだそうだ。
人間で言えばカンパンの様なもんなんだろう。あれも普段好んで食う物では無い。
だから、彼らと一緒だと、必然的に残酷な食事風景を見せられることになる。
だけど、そんなことに普通の人間が耐えられるわけがなく、別々に食事を取らなければならないのだ。
此処、シンバでは彼らのための食事場があるから、彼らは其処に行って食べてくる。
そういうわけで人である僕等はかれらと別な場所で食事を取る。
「この近くに、俺の好きな店があるんだ。実は俺はこの町の出身でね。ガキの頃からよく通ってたんだけど、マジでお勧めだからさ」とトールマンさんは言った。
「ここから遠いのですか?」とセシリアが尋ねると、
「いや、そうでもない。歩いて直ぐさ」と彼が答えた。
僕等は彼が是非と言うので、その店に三人で向かった。
くねくね狭苦しい路地を抜けてたどり着いたその店は、ほかの人家に紛れ込むようにひっそりと営業していた。
その佇まいは、「レイブンフード」という赤いテントが無ければ、とても飲食店とは思えなかった。
周辺には豚骨特有の臭いが漂ってる。十中八九ラーンの店だ。
そんな店だが、昼時のせいか多くの人が並んでいる。
ジラーみたいだなとも思ったが、意外と並んでいる人は普通のおじさんが多かった。
「結構人がいっぱい並んでいるんですね」とセシリアが言った。
彼女は小さい頃からずっとメイドとして働いているので、外に出ることは滅多に無いから、こういう店に来るのは初めてのようで物珍しそうにキョロキョロしている。
「昔からの人気店だからな。それでも今日は空いている方だよ」
「此処はどんな食べ物が食べられるのですか?」とセシリア。
そもそも彼女は此処が何の店かも知らないらしい。
「トールマンさん、ひょっとするとラーンの店ですか?」と僕が尋ねると、セシリアも「ラーンって何ですか?」とすかさず聞いてくる。凄く興味津々のようだ。
「なんだ、お嬢ちゃんラーンしらんのか?」
「ラ、ラーンくらい知ってます!」と、セシリアは顔を真っ赤にしてほおを膨らませながら言った。
「あれ? さっき『ラーンって何ですか?』って聞いてたよな?」と、トールマンさんが突っ込む。
「そ、それは…」トールマンます顔を赤らめ下にうつむくセシリア。
「まあ、いいさ。ラーン食ったことない奴なんていっぱい居るからな。コムギを引いて作った粉を水で練って、細く伸ばしたメーン料理だ。ただこれ以上は説明は面倒くさい。先ずは食べてみることだな」と、トールマンさんが答えた。
そうして並ぶこと数十分、いよいよ行列の先頭になった。店に入れるのももうすぐだ。
中を覗いてみると店内は油やホコリで薄汚く、調理器具、食材が雑然と置かれていて、何十年も営業している雰囲気を醸し出していた。
狭い客席は昼時のかき入れ時のせいか隙間なく座らされ、寿司詰め状態になってた。
日雇い風の若い男たちの集団が出て行き、部屋の隅の席が空いた。
トールマンさんは勝手知ったるがごとく、ずかずかと席に向かったので、僕等も後に続いた。
着席して何を頼むかメニュー表を探してみたが、すぐ目に付くところに見当たらず、少々焦ったのだが、よくよく注意すると目の前にあったのだ。
メニュー
ラーン
大盛りラーン
チャシュウ(売り切れ)
大盛りチャシュウ(売り切れ)
シンプルすぎて気がつかなかったのだ。
そして、なんと驚いたことに既にチャーシュー、いやチャシュウが売り切れ。
「残念だな。ここのチャシュウはとても柔らかくて美味いから、お前たちには是非食って欲しかったんだが」
トールマンさんは期待していたチャーシュー麺が食べられなくて、少々不満のようだ。
僕も彼の話を耳にして、お口の中はすっかりチャシュウ麺のモードになってしまったが、それ以外にメニューにあるのはラーンかその大盛りだけだから選びようがない。
結局トールマンさんは大盛り、セシリアは普通盛りに決めたが、僕は思い悩んだあげく、トールマンさんにつられて大盛りにしてしまった。
ふと、以前ジラーに初めて行ったときのことを思い出した。はたしてここのラーメンは食べきれる量なんだろうか? そうだとしても不味かったら、大盛りなんて苦痛にしかならないのに。
またしても、食欲に負けて食べきれない量を頼んでしまったのかと後悔していた僕とうってかわり、セシリアは期待に目を輝かせていた。
だが、果たしてラーメンなんてこの年端もいかぬ少女の口に合うのだろうか?
そんな一抹の不安も感じながらも、僕は次第に厨房内で調理の様子に釘付けになっていた。
店主は壮年の男性で其処を奥様と思われる女性と子息と思われる男性が手伝っている。 奥様は主に配膳と具材準備、子息は修行中なのだろうか? 時折店主に叱られながらも調理を手伝っている。
目を見張ったのはキクラゲの様な大量の黒い物体を洗濯物さながらに洗濯機(足踏みペダル式)に突っ込んで洗っていたことだ。
なんともワイルドな洗い方でぶったまげた。 この機械で普段洗濯物も洗うとすると衛生面が少し気になったが、周りの客はほぼ常連なんだろうか、全く気にするそぶりもない。
厨房内にはその他にやはり黒っぽい物体がたくさん入ったゴミ箱、大量に積まれた生の肉塊など普段見ることも無い物で溢れている。
中でも圧巻だったのは、巨大な鍋で大量に茹でる麵。
いっぺんに十人前くらい茹でるのだろうか? 調理台に並んでいる丼を見る限り当たらずとも遠からずという感じだろう。
それを大鍋でグルグルとかき回しながらゆでる光景は、巌流島に渡る宮本武蔵かと思うくらいにワイルドかつ見事な手さばきだ。
店主が麵ゆでをしている最中、奥様は洗濯機からキクラゲ(らしき物体)、ゴミ箱からわかめのような海藻を取り出して、それぞれをザクザクと切って、ボウル代わりのどんぶりに入れている。どうみてもこれらはラーメンの具材だろう。
一方、麺も既に茹で上がったようで、店主は見事な手さばきでスープを張った丼に次々と盛りつける。
盛り付け終わると奥様の出番だ。彼女がさっき切っていた、キクラゲ似、わかめ似の物体を並べられたどんぶりにどんどんワイルドにも手づかみで入れていく。
そしてどこから出てきたのか、タマネギ似の野菜ぶつ切りをこれまた手づかみで入れ、最後にチャシュウを二枚ほど載せて完成だ。
そして、注文の順番どおりに次々と配膳されていくと思ったら、カウンターに置かれたラーメンを自分で取りに行くシステムだった。
順番とかわけわからなくならないのだろうか?
だが、何故か皆、自分の順番を覚えていて、勝手に人のを持っていくような様子は無かった。
そして受け取ったお客はだれもがとても幸せそうな顔をした。
やがて僕等の番になり、先ずはトールマンさん、続いてセシリア、僕の順番でやってきた。
だが、トールマンさんに来たラーメンをみて唖然とした。
でかいどんぶりいっぱい麺とその上に置かれた大量のキクラゲ、ワカメ似の具材、タマネギはジラーほどではないが常識から考えたら結構な量が入っている。
そして、チャーシューはなんとこれはチャーシュー麺じゃねえの? と思うくらい分厚く大ぶりのものが二枚も乗っていた。
こんな大盛りよく食えるなあ、と思っていたが、よく考えると自分も同じの頼んだったと思い出して愕然とした。
セシリアは普通盛りのはずだが、これまた常識で考えると大盛りにしか思えない量だ。
だが、彼女は「まあ、凄ーい!」と嬉々としてはしゃいでいるだけだ。こんな小さい女の子にこの大量な麺を食べきれるんだろうか?
子供だからお腹の加減が判らないんだろうけど、他人事ながら心配になった。せめて、僕に手伝ってなどと言わないことを願うばかりだ。
そして最後に僕の分。トールマンさんと同じものを頼んだのだから、今更驚くこともないと思うのだが、改めて見ると凄いビジュアルだ。
これはジラーと全く異なるラーメンだけど、同じような暴力的な臭いを感じる。
たとえるなら、ジラーはワイルドな関取、プロレスラーといった感じだが、こちらはより紳士的でワイルドなラグビーやアメフト選手を想像させる。
そういえば、トールマンさんもラギーというラグビーみたいなスポーツをやっていたって言ってたっけ。
まずはスープを一口飲んでみたが少ししょっぱく、豚の匂いが少し強い。同じ豚系でもジラーはこれほど露骨に豚くさく無かった気がする。
それとジラーのように脂が多くないのか、比較的あっさりしていた。勿論、あくまでもジラーと比較したレベルだが。
麺は太いがこれもジラーとは全く異なっていて、どちらかというとヨシムラケのような見た目だ。
啜ってみると見た目の印象通り、つるっとした食感だが、太くてもっちりしている。この麺は嫌いじゃない。むしろ美味しい!
二〜三口啜って麺を堪能したあと、お腹がいっぱいに成らないうちにと、トールマンさんお勧めのチャシュウにぱくつく。
これはバラ肉なのだろうか、豚くさいがかなり柔らかめで、ほろほろと崩れ落ちるようだ。これは美味い。
しかし、チャシュウ麺で無くて良かったと思うくらい、たくさん入っている。
オマケにバラ肉で脂分が多いのだろう。少ししつこくて、途中で飽きるタイプだ。
これをチャシュウ麺にしていたら紛れもなく残していただろう。
キクラゲのようなキノコ類とタマネギのみじん切り、わかめの具材も面白い。
特に特筆すべきは大きめのこのキクラゲだ。食感もコリコリとした歯ごたえが美味しい。
このキクラゲ、なかなか良いアイデアではないか? もともと中華料理にもキクラゲはよく使われる。だから中華料理から派生したラーメンにもよく合うのだ。
九州ラーメンなどラーメンにキクラゲを入れる場合って、普通は千切りにされている事が多いが、此処ではざく切りにされている。 ざく切りと言うより、ほぼ、まるのままと言っても良いくらいだが、歯ごたえがあってそれが良い。
あまりにも歯ごたえあって美味い(キクラゲ自体には全く味は無いが)、洗濯機で洗ったなんてことはどうでも良くなる。
そして、このキクラゲのインパクトの影に隠れてしまいがちだけど、タマネギとわかめも良いアクセントになる。
ともすれば豚臭くてしつこいスープを良い方向に中和してくれる。
だが、僕は大盛りにしてしまってやはり後悔している。
ジラーやベンティーナ程ではないが、全て食べきれるほどの量では無かった。
正直少し勿体無いが、残してしまおうかと思った。苦しい思いをするよりマシだと思ったからだ。
だが、意外な人が助け船を出してくれた。
「ハギノ様、大丈夫でしょうか?」とセシリアが心配して話しかけてくる。「いや、大丈夫だよ」と言いつつ、僕の顔は真っ青だったのだろう。セシリアは、
「ハギノ様、食べきれないならお手伝いいたします!」と言って、僕の手を抑えて、どんぶりを僕の前から自分の方に寄せた。
そんな無茶すんなよと思って彼女の方を見て驚いた。なんと、彼女は自分のラーメンは既に完食完飲していたのだ。
普通盛りとはいえ結構な量だと思ったのに。しかし、こんな子供に無理をさせるわけにもいかない。
「いや、大丈夫だ。それにセシリアだってもうお腹いっぱいだろ?」と僕は彼女のどんぶりを指しながら言うと、何故か彼女は顔を赤くしてもじもじしながら、
「実は私、このラーンが凄く美味しくて、あっという間に食べてしまったんです。だけど、未だもの足らなくて、もっと食べたいなって」と告白した。
そう言ってくれるのは嬉しいけど、きっと僕に気遣って言っているんだろうなと思った。
「ユウキ、それ嘘じゃないぜ。嬢ちゃん、俺よりも先に食べ終わって、お前のどんぶりを物欲しそうに見てたんだから。ははは」とトールマンさんが言うと、セシリアは小声で「よけいなこと言わないで下さい」とうつむきながら顔を赤くして言った。
さすがにここまで言われて、彼女の好意をむげに出来ないと思った僕は、
「じゃ、せっかくだから手伝って貰おうかな。だけど無理はしないでくれよ」と、彼女にどんぶりを差し出して御願いした。
彼女は僕に頼りにされたのが嬉しかったのか、単純にお腹を満たしたかったのか判らないが凄く嬉しそうな顔で、「はい!」と返事をすると、僕からどんぶりを奪い取って食べ始めた。
最初は申しわけなく思ったが、彼女の食べっぷりを見て気が変わった。
なんと、この小さな体でずるずるぱくぱくとホントに気持ちが良いくらい美味しそうに食べるのだ。
しかも本当に美味しいのだろう。まるで生きていて一番幸せだというくらいの幸福そうな表情なのだ。
そんなわけで彼女は未だ半分も残っていた僕のラーメンをあっという間に平らげスープまで完飲してしまった。
「ああ、美味しかったです! こんな美味しいの食べたの生まれて初めてです! ハギノ様、無理矢理取ってしまったようで本当にごめんなさい」とセシリアはぺこりと頭を下げた。
まさに食べ盛り育ち盛りなのだろうか? この小さい体のどこにあの大量のラーメンが行ってしまったのか謎だが。一つだけ確信したことがある。この子はとんでもない大食らいだ。
僕等がラーメンを食べている最中、クルウマーのナビゲータたちも、食事を堪能していたようだ。
彼らの真っ白な毛皮の所々に赤いシミが付いていて、彼らの食事風景がどんなものかを想像させた。
意外にさっぱりした顔をしているのは、これでも体を洗ったからで、洗う前はもっと獲物の血が付いていたと言うことだ。
愛くるしい姿をしているが中身は猛獣だ。
彼らはたらふく食って満足したようで、出発時よりもスタミナが増して、より力強く、早く僕等を乗せたワゴンを牽引した。
そして、予定よりもかなり早く、日がまだ高いうちにノンマルトの森に到着した。森まで来てしまえば目的地はもう直ぐであった。
観測施設である、古い石造りの屋敷は、その昔この森をフランチェスコ家が治める前から有るもので、造りや装飾なども歴史を感じさせる佇まいであった。
以前はこの辺りの領主が趣味の狩りをする為に拠点として、あるいは別荘として建てられたものだと言うことだが、実は領主の愛人を何人も住まわせ、代わる代わるかわいがっていたと言う話だ。
昔の話なので、信憑性は薄いが、その愛人たちは、本妻の嫉妬によって全員殺害されたとのうわさもある。
その後は宿屋、山小屋、狩人たちの物置、そしてレビアタンのホムンクルス研究施設としての時代を歴てきた。
そして現在は『時の墓標』で起こる超常現象を観測する施設になっている。
おどろどろしい歴史はあったが、石造りのとても頑丈なこの家は長年の風雪を絶え、多少風化しているがまだまだ使用にたえうる建築物なのだ。
クルウマーをこの屋敷の玄関に横付けすると僕等は、長旅を癒やす暇もなく、荷物の積み卸しを始めた。
今度は僕等以外に観測施設の研究員が数人手伝ってくれたことと、今日はとりあえずホールにまとめて積み卸して置いておくだけということもあり、作業は予想外にスムースに終わった。
この施設は二階建てで一階部分と二階の一部を研究施設として、二階の残りの部分は研究員が寝泊まりが出来るようになっている。
もちろん全員が泊まるスペースがあるはずではなく、二段ベッドを置いてもせいぜい研究員の半数を泊めさせるのが関の山だ。
それでも、ひと月に一度は全研究員が総出で常駐することもある。
それは『時の墓標』での時間の歪みがピークに達する「時間震」と言う現象だ。
この現象は非常に特異な現象で『時の墓標』周辺百ヘクト、およそ半径二百四十mで起こる時間の退行、及び異常進行などを総称した言葉である。
そして、一年に一度ある時期になるとそれがピークに達する。
そして、そのピークの時期が僕のような異世界人を召喚するタイミングとなっているのだ。
ここの観測は、異世界人召喚が可能な時期をもっと多く出来ないか、あるいは人を送りこみ交流が出来ないかなどを研究する一助になっている。
特に優秀な人間は此処の世界でも足らない。できる限り多くの人を召喚したいと言うのがガレス王の意思だ。
僕等からしたら自分勝手な話だと思うが、今の彼らは成長期の日本、あるいは今の中国みたいなもので、貪欲に他の国の技術を吸収して、国を発展させたいのだろう。
それに成長の伸びしろがまだまだ充分ある。もし会社をリストラされた人が召喚されるなら、彼等にとって第二の人生を過ごすにも良いかもしれない。
階層社会とはいえ、日本にはない自由と闊達な雰囲気もある。
それに研究が進めば、あっち《日本》とも自由に行き来出来ればそれも嬉しい。
父、母、兄とも会いたいし、かわいい姪っ子の成長も見たい。
前にも書いたが、最初に異世界から人間を召喚したのはガレス国王でもフランチェスコ伯爵でもなくレビアタンと呼ばれていた一介の錬金術師だ。
彼はとあるセルリア帝国内にあるとある寒村出身で有ると言われていたが、その正体は実はハッキリせず、謎であったと言われる。
一説にセルリア帝国が知らない未知の国から来たとか、それこそ異世界から来たなどの噂もあった。
その得体の知れない彼がどうやってガレスのお抱えになったかというと、先王の息子であった現国王が幼少のとき原因不明の病に犯され瀕死の状態であった際に、奇跡で病を治療したことが切っ掛けとなったのだ。
しかも、彼は当時の逼迫していたガレス経済を錬金術により大量の金を創りだして救ったという。
彼のお陰で経済的困窮を脱したガレスだが、他にも問題を抱えていた。先の戦争で若い男性が少なくなっていたため労働力が不足していたのだ。そのためたくさんの奴隷、兵士を必要としていた。
そこで先王はレビアタンにホムンクルス、すなわち人造人間の創造するように命じた。
未だ誰も成功したことがないホムンクルスの創造は困難であることは誰にでも容易に想像できた。
だが彼はその困難な要求を条件つきで承諾した。
レビアタンはガレス王に、ノンマルトの森に専用の屋敷、処女二十人、そして毎日ヴィンを十樽、肉をカウ一頭分、その他、フルーツ、貴重なスパイスであるメンランジを要求した。
王は彼の要求するとおり屋敷と十代半ばの生娘、ヴィンと肉、メンランジを準備した。
彼が王に屋敷の提供を要求したノンマルトの森には生き物をあっという間に老化させたり、逆に死んだ者が蘇るといったおよそオカルトとしか思えない現象が伝えられる場所があった。
その伝説は太古から連綿と続いており、いつしか其処は時の墓標と呼ばれ、信仰の対象として神殿がつくられた。
錬金術師レビアタンはこれに目につけていた。まず彼は処女の娘たちと交わり彼の子供を身ごもらせた。
そして、妊娠した女を『時の墓標』に置き去りにして、一週間監察し続けた。ここの伝説にある、生き物を老化させるという話は成長を早めるということではないかと、考えたのだ。
当初はなにも起きなかったが、異変は三日目に起きた。
食事を毎日充分すぎるほど渡していたはずにも拘わらず、彼女は夜の間に餓死していたのだ。しかも死んでから数日経っていたかの様に腐敗が始まっていた。
さすがに申しわけなく思ったのか、彼は墓標の側に彼女と腹にいた子ども共々埋葬した。
次に彼は食料と水が常に一月分を切らない様にして、別の妊婦を神殿に待機させた。だが一ヶ月経とうとしても変化はない。失敗かと思っていた矢先にまた異変が起きた。
しかし、今度の異変は少々違っていた。女は逆に若返り、あどけない少女に戻っていた。そして、妊娠もしておらず、処女に戻っており、十二歳以降の記憶が無かった。
さらに面白いことに墓標付近に埋葬した死んだ妊婦が生き返り、墓から出てきたのだ。彼女も同様に若返っており、やはり妊娠どころか姦通もしてなかった。そして同様に三年前からの記憶を無くしていた。
彼は『時の墓標』での伝承は真実であると確信したのだった。
一方、一向に成果が出ないことに苛立っていた先王はしびれを切らし、レビアタンを呼びつけて激高した。
しかしレビアタンは成果は出始めているからと蟹の月まで猶予を願い出た。
王は、彼のいままでの貢献も考慮して渋々ではあるが、このことを承諾した。
その後の実験では被験者は老いるか(または死ぬか)、若返るか(生き返るか)のいずれかで、その時間、年数は数時間から数年間以上とまちまちであると言うことが判ったのみで、どういった条件で起きるかはまったく謎のままだった。
だが、ここでレビアタンは奇想天外なことを思いついた。死んだ者を蘇られさせるという事象がホムンクルスに創造に利用できると考えたのだ。
彼は死んで間もない若い人間を墓から掘り起こし、『時の墓標』で安置してみた。
しかし、時間の歪みは彼に味方をしなかった。安置した人間は復活するどころか消滅していた。時間の退行が巻き戻り過ぎたのだ。死体は若返りすぎて、子ども、赤子、そして卵子、無まで遡ってしまったのだ。
いや、その逆かもしれない。あまりにも時間が進みすぎて塵にまでなってしまったのだ。
だがそれはいまになってはどちらかは判らない。証拠がどこにも無くなってしまったからだ。
彼は目立った成果も得られぬまま、猶予期限である蟹の月を迎えてしまった。
だが、彼は偶然にも本来の目的であるホムンクルス創造とはとはかけ離れた、とあることに初めて成功してしまったのだ。
異世界人、すなわち彼らが言うところのビレニアム人の召喚である。
最初に彼が召喚した人間、アメリカ合衆国の軍人トーマス・ハリソン中佐だ。
彼は二千三十年代、中国共産党の傀儡国家である統一朝鮮からの核ミサイルを迎撃するミサイルの実戦配備の為に沖縄本島で訪れていたのだが、その際にノンマルトの森に転移させられた。
突然異なる時代、場所に転移させられたのだから、当然混乱もしたが、合衆国の軍人として鍛えられた精神力で直ちに冷静になり、持ち前の分析力で状況把握した。
レビアタンは王から猶予を受けた期限が間近かであったため、ハリソン中佐を言葉巧みに説得し、異世界から召喚した者と承知していたにも拘わらず、ホムンクルスとしてガレス王に謁見させた。
彼は屈強でとても聡明であったから、まさに理想的な兵士である。そして彼と同等のホムンクルスを量産できれば、最強の軍隊を作ることが可能だ。
王はこのことをいたく喜び、レビアタンにもっとたくさんのホムンクルスを作るよう命じた。
しかし、ハリソン中佐はホムンクルスなどではなく異世界人であるのが事実だった。
王に真実を話せないレビアタンは窮地を乗り切るため、もっと多くの異世界人の召喚と、死者の復活をホムンクルスの代わりとして実現しようとで努力を続けたが成功する事は二度と無かった。
一方、ハリソン中佐は自分が転移した理由を複数の自然現象の偶然の一致で引き起こされたと仮定し、その仮定どおりに実践し、召喚が再現できる事を証明した。
この事にガレス国王は大変喜んだ。一方、ホムンクルスに関するはったりも国王が知ることになり、国王のレビアタンに対する印象は日々悪くなっていった。
そして、これに追い打ちをかける事件が発生した。ハリソン中佐に逆恨みを抱いた、レビアタンはある日、彼を罠にはめて殺害をしたのだ。
だが、予め危険を察知していたハリソン中佐が様々な形で証拠が残るようしていたため、暗殺犯であるレビアタンが捉えられるまではさほどかからなかった。
王はハリソン中佐が殺害されたことに対して、大変憤憤り、レビアタンは異例にも、裁判すらなく、捉えられた翌日に即刻処刑された。
ハリソン中佐は既に成果を事細かにまとめあげており、知識があれば召喚術を実行してビレニアム人を呼び寄せることが可能だった。
ノンマルトの森辺りの領主であるフランチェスコ伯爵がこの偉業を受け継ぎ現在まで続いている。
ここの観測施設は王直轄であるが、フランチェスコ伯爵もある程度運用に対して権限を持っており、僕が此処に世話になれたのも伯爵のお陰だ。
そもそも当初はその意図で僕が召喚されたが、スキルが異なることもあって、オートモーティブセクションに引っ張られてしまったのだ。
「ユウキ! 今日はどこに泊まる?」とトールマンさんが言う。
「僕はフランチェスコ伯爵宅に泊まるつもりです。以前お世話になってたこともありますから」
「そうか、じゃお嬢ちゃんもだな」とセシリアに目を向けると、彼女も頷いた。
「夕飯はどうするんだ?」
「特には決めていないです。用意してくれとは頼んでませんし」
「なら、話が早い。今日のナビゲータたちからお裾分け貰ってな。一人で食い切れるもんじゃないから、これからみんなで焼いて食おうかと思ってな」
「何を貰ったのです?」
「カウ肉だよ」といってでかい箱から未だ血が滴る、腿肉をとりだした。
「うぷっ」と僕は思わず吐きそうになる。生々しくて気持ち悪い。
「ひょっとしてそれって」
「ああ、奴等の食べ残し。腿肉は固いから要らないって言うんだ。あいつらも贅沢だよな」
どうやら、ナビゲータたちは自分の好きなところだけ食べて余ったから、お前にやるって言われたらしい。
なんでも彼らは内臓肉や腹の部分のやわらかい部分しか食べず、自分たちにとって不味い部分、つまりもも肉など固い部分が余ったから持ってけということみたいだ。
「その箱の大きさから、肉はそれだけじゃないんですよね?」
「ああ、そのとおり、あともも三本と頭だな。しかも二つ」
「頭なんてどうするんですか?」
「うーん、実は困ってるんだよね。調理の仕方判らないし。だが安心しろ。脳みそだけは彼奴らがお土産に持って行った。がはは」
うぷっ。ますますきもちわる。
「で、どうする? 食うよな? タダだし、こんな良い肉がこんなに大量になんて滅多にないぞ」
「まあそうですが…」僕は困ってセシリアに同意を求める。彼女もきっと遠慮するはずだ。
「ええ! 良いんですか? 私いっぱい食べますよ?」
ええええ? 食べるの? と僕は驚愕した。
「おお、お嬢ちゃんノリが良いね。じゃ、決まりだな。じゃ、今晩の飯はバーベキューだ。さっそく、準備すっか。じゃ二人で手分けして、食堂にある椅子とテーブル庭にならべといて! 俺は肉切るから」とトールマンさんは言うと血が滴る、でかい箱を一人で抱えて厨房に入っていく。
呆然としながら僕が彼を見送っているとセシリアが、
「じゃ、ハギノ様、始めましょうか?」といってウキウキしながら僕を食堂にひっぱっていった。
まるで姪の様にとても小さい彼女に腕を牽かれながら、彼女はとんでもない大食らいなことを確信していた。
肉はポルアたちの食べ残しであるため、人間が食べるようにきちんと絞めていない。そのせいか、くさみが強かった。
僕はこういうのは少し苦手なのだが逆に野趣があって良いとトールマンさんや他の観測員たちは言っていた。
「これでもスパイスはたくさんふってあるんだぜ。スパイスなければもっと臭かったよ」と、トールマンさんは言う。
話によれば、こういうバーベキューはかなりの頻度で行われており、特にナビゲータが食の好き嫌いが激しいタロ、ジロの場合、彼らから結構な量のお裾分けがもらえるらしい。
もっとも食費込みで報酬をあげているのだから、もとを辿ればこの肉もガレス王国の予算から支払われていると言って良いのだが。
それでも、今回は彼らの獲物が普段より大物だった所為で肉の量は倍近くもあった、と言うことなのだが、それも残さず綺麗に片付けることが出来た。
バーベキューに来たメンバーは普段よりたった二人、つまり僕とセシリアが多いだけなのだが。
ここまで言ったら察して貰えるだろう。
肉の増量分は僕とセシリアが食べたのだが、僕はどちらかというと人並みくらいしか食べないし、肉の臭みがキツくて普段より食べなかった方だと思う。
つまり、ほぼセシリア一人で増量分の肉を食い尽くしてしまったのだ。人数で言えばほぼ七人分である。
「しかし、君たちはさすが若いからよく食べるなあ。おじさんたちはもう満腹で食えなかったのに、本当に見事な食いっぷりだったよ」
「そら、育ち盛りだからね。このくらいはぺろりといっちゃうだろ」
いや、育ち盛りはセシリアしかいないよ。僕なんてこれでも、もう成長期は過ぎているんだから。
食べたのはほとんどセシリアなのに、僕もいっぱい食べたように思われて少し心外である。
「本当に今日はご馳走様です。普段はこんなお腹いっぱい食べられることもないので、本当に満足です。しかもお肉も凄く美味しくて」と、本当に幸せそうだ。
しかもお腹いっぱい食べ過ぎて、苦しいといった様子もない。僕なんて最後の方は少し無理をして食べたので少し苦しいくらいだ。
それにしても、彼女は本当に良く食う。育ち盛りの子どもだからと言っても限度があるし。さすがにヴィンは飲まなかった。誰かが本気か冗談か知らないが、彼女に勧めていたけど、彼女は未だ十二歳だからと言って、断っていた。
ちなみに此処セルリアでは特に飲酒に関して法律という物はないが、慣習的に十五歳前後から飲んで良いとされている。
「さ、それでは皆さん。肉もきれいさっぱり無くなったし、ヴィンもヴォドカ(ウオッカのような蒸留酒)も、残りわずかです。お腹のほうも皆さん満足のようですから、この辺で今日のバーベキューもお開きにしましょう! ではいつものように手分けして片付けて下さい!」と、トールマンさんにかけ声で、皆やれやれと言った様子で席を立つと、めいめいに食器を片付け、椅子やテーブルをしまい始めた。
それぞれに予め役割も決まっているようで、ある人は椅子、ある人はテーブルとさっさと片付ける。
厨房の洗い場は力仕事に不向きな女性たちが中心になって、片付けている。もちろんセシリアもそのうちの一人だ。
僕はと言えば、骨や食べ残しなどのゴミを袋詰めして台車に乗せていた。
そのままにしておくとウォーフ(オオカミ犬の類)やカラスがよってきて荒らすから、一時的に石造りの立派なゴミ置き場において置くが、翌日には焼却してしまう。
ゴミの収集というサービスは都市部にはあるが、このような僻地には無いのだ。
もっとも、本来はゴミの処分は自分たちで行わなければならないが、都市部では焼却は公害になってしまうから無理なのだ。
みなで協力して片付けを行ったので、三十分くらいでほぼ終了した。
あとはゴミの処分や、洗った食器の収納や、適当にしまった椅子や机をきちんとあるべき場所に置くことだが、明日明るくなってからでも良いことなので、本日は取りあえず終了だ。
「では、皆の衆ご苦労であった。本日観測舎に宿泊を希望する者は、特に申請がなくとも全員許可をする。ただし男女同室は残念ながら許可出来ないが」とトールマンさんが言うと笑いがでる。
「それと、承知していると思うがベッドの数は限られているので、宿泊人数がオーバーしたら抽選となる。もちろん宿泊申請済みのもの、まあ宿直者しかいないが、それに関してはその限りではない。よって、抽選で外れた者は毛布のみ支給するから、雑魚寝となるから覚悟しておいてくれ」
此処で、一部からため息が漏れる。恐らく宿泊申請していない者だ。
「それでは解散とする! 休暇の者には『良い休日を』、それ以外は『良い一日を』」と、トールマンさんが挨拶して、その場は解散し、めいめい、家路につく者とその場に残る者とで別れた。
僕とセシリアは伯爵家に厄介になるつもりで居たが生憎、自家用でもチャーターでもクルウマーもホルセィの準備がなく、どうするか考えあぐねていたが(早い時間であればセバスかチョ・ハさんにでも頼んだのだがこの時間はさすがに無理であろう)、自家用のクルウマーで奥方と来ていたコージー・マーさんという、四十代くらいの観測員の方が通り道だからとフランチェスコ家まで載せて貰うことになった。ちなみに彼とは初対面でバーベキューの時は話す機会もなかったので、少し緊張する。
コージーさんは物静かな人で、自分からあれやこれや尋ねる人では無かったからコーチの中では何を話して良いか判らず、フランチェスコ家までの間はたいして掛からないのに少し沈黙か続いて(奥方がおしゃべりならまだ間が持ったのだが、生憎寝てしまっている)しまった。
「あそこ(観測舎)ではどんなことをされているんですか?」と、僕は尋ねた。
「時間震の数値化とアルゴリズム解析だよ。ただ、この間までは観測データが旧式のセンサーと計算機でだったから、ものすごく大変だった。ものすごく手間がかかるんだ。測定した結果も二転三転とばらつくし、正直いつ結果が出せるかも難しくてね」
「なるほど僕は電気とか物理現象の測定はしたことありますが、研究室内での安定した環境で試験しても、結果は結構ばらつきますからね。それが自然現象となると比較にならないほどってのはなんとなく想像できます」
「いや、君が思っているよりさらに面倒だよ。此処はなにしろ測定機器すら満足な物がない。君のようなビレニアムから来た人間には想像出来ないだろうが」と彼は鼻をフンとならしながら言った。
僕らみたいに恵まれた環境ではないと言いたげだった。ちょっと嫌な感じだ。
「そうですね。僕は恵まれた環境に居ました。ビレニアムは此処よりも三百年は文明が進んでましたから、致し方ないことです」と少し皮肉を込めて言ってやったのだが、全く意に介さないようだ。いや、少しは気にしたが表面上無視しているだけかもしれない。
「ところで、今日バーベキューの来られた方が研究員全員というわけでは無いですよね?」
「ま、そうだな。まず室長が来てないからね。今日居たメンバは若い者中心だ。私はたまたま当番だったから居たが、そうでなければ行かなかっただろう」
「では何故、そんな(参加する)気になったんです?」と僕は意地悪して質問した。
「新しい人間が入ると聞いたんでね。興味本位で出てみたんだが、本当なら顔だけ出して直ぐ失礼するつもりだったが、家内がどうしても来てみたいと言い出してね。なし崩しに最後までいる羽目になってしまったのだよ」と、彼はやや鬱陶しそうに言った。
なるほど、この人は奥さんの言うことに逆らえないらしいな。
クルウマーはとっくにノンマルトの森を抜けていて、フランチェスコ家の領内の田園地帯にすでに入っていた。
そして、田園地帯をしばし行くと見慣れた屋敷の門が月明かりに照らされて暗がりから浮き上がって見えてくる。
門の前までくると、誰に指示されることもなくクルウマーは自然に停まった。
「さ、フランチェスコ伯爵家に着いた。申しわけないが送るのは此処までだ。ここからは歩いていけるだろう」
コージーさんは、僕等にそういうと杖で扉を指して出て行くように促した。
悪気はないが素っ気ない感じだ。僕は此処に転移してからここまで素っ気なくされたことは初めてだったので面食らった。
だが、今までが丁寧に扱われすぎていたのかもしれないと考えると、モヤモヤした気分は少し晴れた。
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