第九章 ヤサイマシマシニンイクチョンモマンラ

  第九章 ヤサイマシマシニンイクチョンモマンラ

    セルリア歴5333年男の月三十目


 シイナ国の西の果てにこの世界一高い山があるという。名前はチョンモマンラ《  ・・・  ・》。決してチョモランマ《  ・・ ・》では無い。なんで山の話かというと、カロンの北の果てに有る、ゴッズバレイのとあるラーメン店で、その世界一高い山の名前を標榜するメニューがあるらしい。なぜ有るらしいとしてるのかというと、人づてに聞くだけで、今まで食べたことがあると言う人にまだ出会ったことが無いのだ。その噂の出所もはっきりしないのだが、何故かそのラーメンの絵がブックログ(けっしてブログでは無い)と呼ばれる印刷物メディアで出回っているからだ。ブックログのオーサー《著者》は勿論、実食したことが有るのだろう。なぜならリアリティのある記事でとても想像とは思えないからだ。


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 ゴッズバレイのフィジーマールでヤサイマシマシニンイクチョンモマンラを食べてきた 

               ビルゲイシ

 今日はゴッズバレイのフィジーマールに来てみたぜ!

 なんと此処はラーンジラーズ《※1》の弟子の店だっつんだけど、ジラーズの親父と揉めたっつんで店の名前はかわっちまんたってんだよな。

 元の名前はラーンジラーズレッドウィング店、そのまた前の名前はグッドベアーズってんだから謎だ。でもってさらに謎なのは、タマジラーズともよばれてたって事。何故タマかというと、タマコタウンってのがそう遠くないところにあるからだ。

 だけどタマコタウンもレッドウィングもここからは、同じくらいの距離で、どちらも歩くと三十分くらいはあり、さして近いわけでも無い。

 おいらは家がケイプボウル《※2》のほうだからレッドウィングから歩くぜ!

 生憎、この店は夜営業だけだから、冬空の寒い中を凍えながら歩くいて行くとかなりだるい。

 でも伝説のメニューを食いたくて気合い入れるぜ!

 いかがわしい繁華街のシイナ女の客引き(オニイイサン、マッサージキモチイイアルヨと言う言葉にかなり惹かれたのだが)に惑わされながら、抜けるとようやく到着!

 でも既に行列が二、三十人できている! オイオイ、お前らマジか? ラーンごときで行列なんて作ってんじゃねえよ! とぼやきつつもおいらも最後尾につける。

 店の前には並ぶ人向けにベンチが数脚並べてあって割と親切な店だ。

 だが、そのベンチに座るまでどんくらいかかるだよ!

 並んでる間あまりにも暇なんでさっきの客引きシイナねえちゃんに貰った風俗チラシを眺めながら、待つぜ!

 貰ったチラシの姉ちゃんたちはかわいい子ばかりや! 思わず並ぶの止めて速攻いこうかとも思ったが、我慢我慢。

 なんせここのラーンはニンイクたっぷりだからきっと食ってから行けば元気ビンビンで百万倍楽しめること間違い無い!

 辛い辛い行列を待つこと二エイチ! いくらなんでも待たせ過ぎやろい! 

 そんでもってようやく御入店! まずは食券を買って渡す注文法。

 買うのは当然『ヤサイマシマシニンイクチョンモマンラ』。

 カウンターに案内されて、店主のダーヨシさんに渡して着座! 

 なんとこの店おしぼりが無料サービス。事前の情報でおしぼりは二つゲットすべきとの情報があるんで、二つ拝借して次いでに冷水機から冷えた水を頂戴します。

 なんとここのコップは珍しく金属製。冷たい水の冷え冷え感を強調してくれるう!

 で、店主の手さばきを拝見しながら待つこと十分。はいお待ちっとカンターの上に置かれる大どんぶり!

 うわなんですと! この野菜の山は! 

 いまにも崩れ落ちそうな、お野菜に気をつけながらなんとか、カウンタに下ろす!

 どんぶりのスープは溢れんばかり! こぼれるまえに啜ってやれ! 

 すかさずどんぶりにキッス! スープはだいぶ減らしたつもりだったけど、カウンターに置いたら、スープこぼれまくり!

 なんと! カウンタが微妙に傾いてるじゃんよ!

 だーが、しかし! あらかじめ敷いておいたおしぼり堤防がここで役にたってくれたぁ!

 おしぼり二個分で丼から溢れても堤防がせき止めてくれるから多い日も安心!

 ラーンのビジュアルはまさにチョンモマンラ! 大きめの丼だと思うのだがそこにみっちりと盛られた麺の上にまさに野菜の山。

 それはセルリア一の山フィジーを超え、世界一のチョンモマンラのごとくそびえ立つ! 其処へワブの肉塊が溶岩の様に盛られ、脂と言う名の雪がびっしり降りかかっている。

 では、さっそくいただくぜ! まず野菜は邪魔だから、先に食らう。

 ジラーズ謹製のタレがうっめえぇぇぇぇぇっ!

 食らう食らう。だどもこれじゃ野菜で腹一杯になっちゃうじゃんよ! ここらである程度、野菜をかたづけちゃって、そろそろ麺に行かねえとな!

 そんでもって、麺を引きずり出す。黄色い麺がカネジン《※3》吸ってうまそう!

 だが、ひとくちかっ食らうとぶったたまげた! 

 うげええなんじゃ、この麺は! 生煮えじゃねえか! めっちゃ堅い! そしてスープはアマジョッパー! そんでもってめちゃくっちゃワブだし出まくり!

 うめえ! でも堅ええ! このかたくてぼそっとした麺はジラーズとちょっと違うがうめえ! この歯ごたえは他じゃ無理いぃ!

 そんでもって次はワブぅう! うぉおお! やわらけえぇでもしょっぱうまぁ! これは美味い美味い! あぶらみまでしみたタレがうめえ! 

 途中で旨塩っ辛ぁに飽きて、野菜野菜。チョンモマンラが、あっちゅうまに貧乳になってえぐれちまうとこまで食った食ったぁ! いやいやあっちゅうまに完食ですわ!

 いやあ、ホントに噂に違わずうんめーラーンを久しぶりに堪能ですわ! でも腹がきちいきちい。かえりの風俗はまた今度にするわ!


 ※1 (萩野注:本当はジラーの筈だがこのオーサーは勘違いをしているみたい)

 ※2 カロンの真北にある、セルリア帝国所属の国

 ※3 ジラー系共通の醤油

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 なんとも、俗っぽい文章だけど、臨場感というか、しずる感有りまくりの文体だ。

 硬くてしょっぱいなんてどんな味だ? そんなの普通ならネガティブな印象しか受けないけど、これは逆にポジティブに受け取れる。

 このブックログは数あるうちの一つだけど、大抵共通しているワードは、


 固くてボソボソした麺

 甘しょっぱい

 脂

 大盛り

 柔らかいワブ肉


で、どれも貶していると言うよりも絶賛されているポイントなのだ。

 僕はこれを見る度に、いつか行ってみたいと願うようになっていたが、そんな機会は中々巡ってこない。

 第一、なかなケイプボウルなんて行く機会が無いし、それに実在するかどうかも判らない店のために、わざわざ足を運ぶなんてモチベーションも無くて、月日は過ぎていった。


 僕がガレス王国研究所で働き始めてから、既に半年。ユリアと皇太子はついに先月結婚をした。そして僕も彼女たちと一緒に暮らしているのだが、ユリアがあの騒ぎで僕が皇太子、つまりダレンと男女の関係になってしまった事を耳に入れてから、彼女との関係が少しギクシャクしている。いくら皇太子が実は流麗な女性であったとしても、そういう関係になるとは思わなかったんだろう。それだけ彼女は僕を愛していたし、僕に愛されていると思っていたのだろう。そういえばこの件に関してあれから詳しく顛末を語っていなかった。詳しいことは後々語るとしよう。

 もっともワブの書にはそのことに関して、とっくに記されているはずだが、僕はその部分についてはまだ読んでいない。そんな鬱屈した日々を送っていた僕にセンター長が無茶ぶりをしてきた。

「萩野君、ちょっとさ『ニコラ二号機』のオートドライブの試験をして来てよ。人目に付かないようにガレスとカロンの国境近くをぐるっと一周ね。今日はもう帰ってこなくてそのまま帰宅でいいから。でもね、サボっちゃダメだからね。ちゃんと機器のログとって、データまとめてね。君、コンピュータ得意なんだからちょちょいのちょいで出来るでしょ?」

 出た出た。一言目には『コンピュータ得意だから』、二言目には『コンピュータ得意なんだから』。まるで僕がコンピュータしか出来ないみたいじゃ無いか! まったく、いつもこの調子だ。

「良いですよ、そんな難しそうな仕事でも無いし」僕はコンピュータと荷物をまとめて、オフィスを出た。


 まだ時刻は昼を過ぎたばかり。ガレージに置いてある『ニコラ』二号機に乗り込んだ。この『ニコラ』二号機は、以前にダレンが乗っていた物と異なり、ガレス国外で試験運転する際、目立たない様に徹底的に偽装が施されていた。見た目はただの荷馬車で、ご丁寧にもホルセイに偽装したダミー人形が二頭も先頭に付けられている。ご丁寧に足も動くように出来てはいるが、それは地面には全く触れずに空回りするだけ。一応、人工的に足下に砂埃が舞うように仕掛けをして目立たない様にしてあるが、明るいところで良く見れば一発で偽物とわかる作りだ。こいつは極秘プロジェクトで、帝国内であっても、決して他国の人間にばれることがあってもいけない。ガレスの領地外に出る前に、入念な偽装して夜中に移動する必要がある。もっとも試験コースはカロンに入国してからしばらくは人気の無い、僻地を通るから人目につく事は無いだろう。人間が居たとしても、せいぜい猟師や木こりの類いだ。だが最も怖いのは山賊の類い。あまり聞いたことも無いが居ないとは限らない。この世界の治安は以前の世界とは異なり、あまりにも悪いのだ。だが、それに関しては此方にもショットガンなどの撃退ツールもあるから、ある程度なら大丈夫だろう。しかし何事もこれでOKなんて無い。想定外ことは起きる可能性もあるのだ。

 僕は一号機と比べあまりにも簡素な作りの座席に座り出発の最終準備を始めた。だが、開始早々トラブルだ。オートドライブ用のイメージセンサにひとつ異常がある。イメージセンサは全部で三十二個使われていて、異常があるのはそのうちの1系統。普通、この手のイメージセンサは冗長性を持たせるために各系統で二個ワンセットで使われているから実際の走行には問題ないが、今回の目的は長距離運転での信頼性を含むデータ取得となる。従って、たとえ予備のセンサだからといって故障していたらダメなのだ。こういうときは先ずダイアグテストと言ってセルフ試験プログラムを走らせる。その上で異常があれば先ず一度システムを初期化してメモリーを空にした状態でプログラムをリロードする。大抵はこれで直るが、それでも直らなかった場合は今度は専用の試験装置を接続して故障原因を特定しなければ成らない。単純にセンサー自身が故障している場合はセンサーを交換する。予備のセンサーは何個かストックが有るから、それを交換するだけだ。但し交換する際は場所によっては厄介なことになる。一度ピットにもっていってジャッキで車体を持ち上げたり分解する必要があるからだ。

 ただそれならマシな方で、センサーではなく電気系統に異常がある場合はさらに厄介だ。場所を特定することも困難なときがあるし、思わぬ電流パスがあって過電流が流れるような場合などはセンサーやデバイスが壊れるため、いくら交換しても無駄になるからである。さらに面倒なケースでは微妙に基準より多い電流、電圧が掛かっている場合だ。この場合はセンサー、デバイスは直ぐに壊れず、徐々に劣化していくため、原因特定まで時間が掛かるときが多い。最悪、山の中で誰にも連絡つかない状態で故障するなど、予期せぬ障害に見舞われる場合もある。いちおうそのときのために『アンシブル』というスマートフォンに似た、長距離通信装置を持って行くのだが。

 ピポピポっとダイアグテストが完了する音がする。先ほどと同じく前方左側のイメージセンサの一つに異常が見つかった。これはイメージセンサの電源が入らないことを示すエラーになる。センサと電源、信号を繋ぐカプラとの接触不良か、制御スイッチ用のソフトウェアのバグかもしれない。これは、いわゆる無限ループや意図せぬ分岐命令によるもの等だ。ソフトのバグなら初期化とリロードで直るし、接触不良ならボンネットを開けて接続チェックをすれば良い。幸いにもセンサの配置部分はメンテナンスが容易な部分だ。それだけでも助かった。

 先ずはシステム初期化とソフトウェアの初期化だ。ハード交換はその後にする。実は面倒臭くは有るが、先にハードを交換した方が手っ取り早い。だが、それに伴う別な故障リスクもあるから、出来ればハードはソフトの初期化とリロード後の方が確実なのだ。ソフトの初期化とリロードは大して手間では無く、既に作ってある自動化スクリプトコマンドを実行するだけなのだが、恐ろしく時間がかかる。早ければ三十分程度で終わるが、ソフトによっては一時間たっても終わらない場合がある。その理由はリロードよりもその後のセルフチェックプログラムが馬鹿みたいに長いからだ。これは大抵のセルフチェックに共通しているのだが、テストが一回でパスすれば問題無しとして判断し、フェイルすると、この異常は本物なのか何回かループしてテストをするようになっている。テストと言うのは偶に誤診断するため、正常でも異常と判断される時がある。これを避ける為にこのようにプログラムされているのだ。今回は異常が無くそれほど時間がかからない事を祈ろう。


 初期化とプログラムリロードで問題が消えた様だった。たまにお粗末なプログラムだと、長時間使用しているとおかしな変数が入ったり、想定外のケースに対処していないなどが原因でエラーでも無いのにエラーと表示されることがある。最近ではOSが優秀なので、メモリ空間が書き換えられてフリーズなんて事も少なくなったが、そういうケースもゼロとは言えない。『ニコラ』はまだ試作機の段階だから多少おかしいのは許されるが、これが量産されるころは、そういうのは許されないので先が思いやられる。

 このプログラムは半分は僕が書いたのだが、前任者から引き継いだもので、コードを把握するまで結構かかった。だが、正直まだ判らない部分も多い。最悪なことに、管理が杜撰でソースコード《可読可能なプログラムファイル》の最新版がどれだか判らなくなっていることと、バイナリ《実行形式の可読不可能なファイル》しか残って居ない部分があることが厳しい状況に拍車をかけている。一刻も出発しないと今日中に戻ってくることが困難になる。僕は『ニコラ二号機』のスタートスイッチを押し込み、長いドライブを始めた。


 もうすぐ、ガレス—カロンの国境にさしかかろうとしている。自動運転試験は順調に進んでいる。そもそもセルリア帝国内の国はいわば都道府県のような自治体(日本の都道府県より権限と独立性はあるが)に近く、国境と言っても江戸時代の関所の様な厳しいものではない。かといっても最低限の衛兵は配置してあるが、警察と同じようなもので不審者、犯罪者を取り締まる検問所のような役割だと考えたほうが正しい。勿論、僕が所属する『王立先端技術研究所』は国王直轄の組織だから、こういう検問所では大抵の場合顔パスだった。それでも、ガレスの極秘プロジェクトだから、さすがに本当に顔パスと言うわけには行かない。スパイのような輩が機密情報を持ち出さないとも限らないからだ。

 黄昏時に近づき辺りも少し暗くなってきたころに、国境検問所に到達した。普段の検問所は衛兵は二人のみで交代制だ。あまりこの辺りまで来る人はなかなか居ないのか、検問は比較的緩い。

「身分証を」と素っ気ない態度で衛兵は言う。ポケットから出して見せると顎で行けと合図。特に面倒なことは無かった。

 さてここからが重要だ。しばらく森の中の道を通り、ケイブボウル国境まで行ったら、ブループラム街道沿いに暫く進み、さらにイースタンマウンテン村からしばらくケイブボウル沿いの名も無い道を行く。この辺りから人里近くになってくるから、カムフラージュをせねば成らない。もっともその頃には薄暗くなりかけるから、ある程度適当でも其程心配は無い。さらに進み最初の大きな通り、環状線エイス通りに出るから、そこを左に曲がりひたすら北上。プリンスズヴィレッジ駅を過ぎたららアスカー山前を右折してライトガバーン通りに入る。

 其処まで来れば、あとは勝手知ったる所だ。ラゲートを抜けてブルーヒル、ミイタときてシナリバー、サイドビーチ、サウスレイクと来たらガレスに到着となる。但し、その頃はすでに深夜近くになると思われる。

 僕はオートドライブの各種計器をモニタリングしながら、遅めの昼食を取り、今後の道程を確認しながら考えていた。取りあえずイースタンマウンテン村までは、特にしなければならないことはない。あえてすることと言えば、データチェックくらいだが、村に着く直前に偽装装置の再点検をしなければ成らない。擬装用砂埃とホログラムの動作確認だ。とりあえず偽装用のホルセイはかぎりなく本物に見せなければ成らない。自動車がないこの世界では、オーバーテクノロジーすぎる『ニコラ』はまだ公に知られてはいけないのだ。

 ブループラム街道はカイ国までの道路で、昼間はカイ国名産のヴィンや果物、絹などをカロンまで運ぶクルウマーやホルセィが行き交う大きな通りだが、夕刻以降は暗くなって運行するのは難しいし、そもそもセルリアの人間は基本的に一部の例外(バーや風俗関係者など)を除き夜は働かないから、滅多なことで出会うことは無い。それでも人影を見かけることはある。大抵はパトロール中の衛兵だが、それもめったにいないし、声をかけられてもガレス王国の最重要ミッションだと言えば、信用される。それもこれも国王直轄の組織の一員である証である命令書付きの身分証のおかげだ。


 小一時間ほど走り、まもなくイースタンマウンテン村と言うところまで来た。周りは既に真っ暗で問題ないとは思うが、念のために偽装用の準備をする。ホログラムと砂埃発生装置は問題ない。ただ砂埃の元になる粉を収めておくタンクの積載量にも限りが有るため、たとえ回収装置(回収率は其程高くも無い)があっても無駄には出来ないから、ここぞという時以外は起動させないつもりだ。

 ホログラムもようするにプロジェクションマッピングと大差ないシステムで、明るい場所では直ぐ偽物とバレるから、昼間や市街地では使えない。もっとも、東京と違って、多少の街灯は有るミイタでさえ、ほぼ真っ暗だから、殆どの場所でホログラムだけで偽装可能だ。

 ただ、宮殿のあるセンターシティは夜でも明るい。あそこは避けて通る必要は有る。問題はブルーヒルからミイタの間でセンターシティをかすめるところだ。本来なら、脇道か別ルートを選ぶべきだったが生憎オートドライブのプログラムをしくじってしまい、どうしても避けることは出来ない。だが、データ取得という目的があるから些細な事でのルートプログラムの変更は許されないのだ。まあ仕方が無い。万全の注意を払えば良いだけだ。きっと大丈夫だ。それにまだ暫く先だ。いま考えても妙案が浮かぶわけでも無いからね。

 

 イースタンビレッジマウンテンはマウンテンと名前が付いているが山は無い。ケイブボウルとの国境には山というか丘が有るが、ほとんど平地のようなものだ。此処は大分開けていて、ほんの少しの森が有るが、殆どが田園だ。田園と言っても米を作っているわけでは無く、小麦(ここではオーシャンと呼んでいる)がメインで、他にキャベツぽい何かの葉物野菜などの産地だ。家畜を飼っていると思われる臭いもする。ワブかどうかは知らないけどきっと何かの食肉用動物だろう。 

 カロンの食料はこうした都市周辺にある農業地帯から供給される。そしてこの農業地帯と都市を結ぶためにの道路が異常に発達しているが、他の道に関しては整備もへったくれも無く酷いものだ。だが『ニコラ』の試験走行はこうした整備されていない酷い道も走らなければならない。こうした悪路でもきちんと走行出来ることも目標の一つだからだ。なぜなら、都市部はともかく農村部や他国への街道にはまだまだ未整備なところもあるから、量産時には、こういう悪路を走破する性能は必須なのだ。

 それにしても、日本でも感じていたことだが、この世界でも同じように、いつも田舎のインフラ整備は後回しになる。悲しいけどこれ現実なんだよな。当然のことながら、普通の生活道路は舗装などされているはずも無く、あまつさえ集落と集落を結ぶ広い道路ですら、石畳なぞなく泥を踏み固めただけの田舎道だ。雨が降ったらぬかるみ、あちこち大穴が開くことは誰にでも想像できるだろう。だが幸いな事に、此処しばらくは大して雨も降っていないから、ぬかるみも大穴も無く、ごく稀に家畜の糞が落ちていたり、手入れが行き届いてない、荒れた田畑から伸び放題の雑草が溢れ出ていたりする程度で、未だ悪路と呼べるほど酷い場所には出くわしていない。

 ケイブボウル国境に辿り着くまでは、ほぼ、その様な状態であったが、国境まで来ると、通りは今までとは打って変わって、広く立派に整備されたものになった。都市部に繋がるシムーラ街道だ。この辺りは中心部まで行くにはこのシムーラ街道以外の選択肢はない。

 この街道はこの地帯の物資を運ぶ為に建設された。この辺りの作物を運ぶにはこの街道から大型クルウマーを使って運ぶのが普通だ。だが、なにぶん知的生物であるポルアを使役するため効率的にもコスト的にも限界があった。要するにお金と積載量の問題だ。

 以前にも述べたがポルアは熊に似た知的生物で、その有り余る腕力と脚力で陸運の一角を担っていた。ポルアの他にも馬に似た(と、言うよりウマそのものにしか見えない)ホルセイという動物も陸運を担うのだが、ポルアより断然速いというアドバンテージはあるが、いかんせんパワーに関しては圧倒的に劣る。従って、ホルセイはもっぱら人の移動手段でしか使い道が無く、物流に関してはポルアに頼らざるを得ない。だが、この文化成熟度に対して奇跡的にも奴隷制度という人権を軽視した習慣の無いこの世界では、当然彼等に対しても人間と同等の権利が保障されており、雇用と報酬に関しても、ほぼ人間と同等な権利を有している。そのためポルアにもそれなりの報酬が支払われているのだ。実は彼等はそこそこの知能も有しているため、ドライバーとしても優秀であり、馬や牛車のように人間が手綱を取らなくとも、目的地の指示さえすれば、ちゃんと最後まで運んでくれる。

 もっとも、高い知能を持っていると言っても、人と比べたらだいぶ劣る。個体差もあるが人間で言えば小学二年から四年生程度しか持ち合わせていない。よって複雑な指示をこなすことは難しい。例えば見知らぬ土地や、複雑な道順などについては覚えたり理解出来ないため、高い確率で完遂が不可能である。そのためシムーラ街道の様に広く整備され、首都に直結したような単純な通りが必要なのだ。

 そして、第二の問題だが、いくら熊並みのパワーがあっても、ポルアが運べる積載量にも限界がある。所詮は生身の動物だ。個体差もあるが、彼等一頭が運べる荷物は精々六百〜七百㎏程度。一トントラックが運べる量も運べないのだ。だから、彼等に支払う報酬などを考えると野菜や穀物などを長距離輸送するのには極めて効率が悪いのだ。

 効率を考えると、この世界では今の所、ポルアに頼らず、大量に物資を運ぶ手段は水運に頼る以外は無い。だが、生憎、カロンの農業地帯から首都まで、そのような大量輸送に適した大きな河川が存在しないため、カロンの農作物はコスト的に苦しい状況なのである。 一方、カロンの首都に直結した、水運に適した大きな河川を何本も擁するケイブボウルは、その地の利を生かして以前より安価な農作物を大量にカロンに供給しており、大きな穀倉地帯として発展してきた。ケイブボウルは国の大部分が平地で作物の耕作に適していることに加え、東にバンドゥ川、西にワイルデスト川という大河による水運により潤っていた。

 だが、この自動車が量産されるようになれば、事態は一変するに違いない。ケイブボウルはカロンへの食糧配給の大部分を担っていることから、国都では無いにも拘わらず、政治的にカロンより優位に立っているが、自動車の普及により、近距離の水運は遅かれ早かれ廃れ、いずれその優位を明け渡すだろう。それは前世界での歴史から明らかだ。だが、そういう時代になるのは当分先だろう。まだまだ自動車は研究の段階だ。こんな高性能車を作り上げるほど技術力は向上してはいるが、これはあくまでも研究用のスタディモデル。市販するのは未だコストと量産技術をクリアしなければならない。それに、実際はもっと機能を大幅にダウンしてコストを下げなければ買い手も限られるだろう。


 シムーラ街道入ってからしばらくは順調だった。ブループラムのようなメインの通りで無いとは言え、この辺りではもっとも整備されている道だからだ。石畳ではないが、赤土と言われる変わった泥を使って踏み固めれている。

 この土は地面に蒔いて踏み固め、ある程度の雨が降るとちょっとしたレンガのように硬くなる。しかも水はけも良く雨が降ってもぬかるむこともない。採掘できる土地も限られているから、コストは高いけど、石畳を作ることに比べたら、そう大した額でもないし、特殊な機械や工具はいらない。スコップとコテ、願わくばローラーがあった方がいいだろうが、たいした道具も技術もいらない。

この整備された赤土の道のおかげでネルマールまではハイペースで移動ができた。

 ネルマールのホワイトアイズ通りからバンブーアイズ通りまでくると、田舎ではあるが民家が目立ってくる。ここからはバンブーアイズ通り入ってガレス国内を北上し、またケイブボウル国境まで進む。国境近くの街レッドウィングまできたらそこからケイブボウルに入るわけでは無く、そのままノースブック通りに這入って国境から離れる。バンブーアイズはケイブボウルとの国境にかかる橋の名前だ。そこを過ぎるとレッドウィングに到着する。古くからケイブボウルとの交易で栄えた町だ。ある程度栄えた古い町にはご多分に漏れず、やばい店とやばい奴らがいる。だからあそこの町には近づかない方が良いって東さんたちも言っていたっけ。そういえばあそこの町は手塚さんが詳しいって言ってた。いや松崎さんかな? 似たようなタイプで混同してきた。とにかくあそこの町は飲み屋と風俗街で、よからぬ輩が取り仕切っているんだと聞いた。最も金さえ落としていけば別に怖がる必要も無いと聞く。ただ、女の子を買ってホテルにしけ込む際にトラブルがあると直ぐそういう強面連中がやってくるのだ。いわば用心棒という奴だ。

 まあ、僕には関係ないことだ。性的欲求不満であるわけでは無く、まあ職場以外はそれなりに充実はしているのだ。ただ、ここ暫くはユリアと体を重ねることもない。気晴らしに他の女性と仲良くしたいという気持ちは無くはないが、そういうお金でどうこうするようなことには全く興味も無い。ただ一つこの町に興味があるとすればそれはフィジマールってラーメン店だ。あのブックログを少し前に読んだが、ふざけた文体ではあるが、美味しそうというか非常に興味をそそった。それに、なにしろあのジラーの弟子がやっているという店。甘塩っぱいスープに麺はゴワゴワ。チャーシューも大きく柔らかく、甘塩っぱい味付けと本家ジラーとは似て非なるものと言うのが非常に気になった。確かに僕のジラーのイメージとはかなり異なる。ミイタのジラーは麺はコシはあるけどそれほど硬いという程じゃない。スープも甘みは強くもないし、第一チャーシューが大きいけど、いつもはそれ程柔らかい訳ではない。ごく偶に、すごく柔らかくて美味しいワブに当たるときがある。ジラーリアン(ジラーマニアをこう呼ぶらしい)はこのようなものすごく美味しいワブだった時は『カホ(この世界での神)ワブ』と言って狂喜乱舞すると言うことだが、逆に煮込みすぎたのか、そもそもそういう部分なのか、めちゃくちゃ硬いときがある。あの真っ黒で硬いチャーシューは勘弁して欲しい。正直あれに当たった時は殆ど残した。

 ああ、フィジマール、想像すればするほど食べたくなる。きっと美味いんだろうなあ。でも何処に有るんだろうか? レッドウィングとプリンスタウンの間にあるゴッズバレイに有ると聞いたが、具体的に何処にあるのかが判らない。せめて大きな通りに面しているとか、目印でも判れば良いのだけれど。そういえばあのブックログ持ってきてたかな? 僕は鞄の中を引っかき回してそれを探してみた。おお、あったぞ。鞄の奥に表紙らしき物が見える。すぐさま、それを取り出そうとしたのだが、分厚いワブの書に下になって引っかかり取れない。その時の僕はフィジマールを食べたいという欲求が理性を乱し焦りを感じていた。悲しいかな、僕にはそういう所があるのだ。気になる事ややりたいことが有ると、何を差し置いても、それを優先してしまう。しかし、その性格が徒になってしまった。バリバリと嫌な音がした。紙が破ける音だ。ぼくが苦労して取り出したのはちょうど記事のページ真ん中で破れたブックログの表側だった。そして運が悪いことに、住所と地図のページが見事にちぎれて判らない。ああ、仕方が無い。取り合えずこのままルート上を進もう。そして店が見つかるのを期待するしかない。そうだ、ワブの書を見るのはどうだろうか? もし、これから僕がフィジマールに行くことが確実なら何か予言めいたことが書いてあるに違いない。僕は久しぶりにワブの書を手に持った。それは以前の記憶と比べさらに重くなった気がした。東さんに言われたとおりに、普段から鞄に突っ込んで持ち歩いていたけど本単体を取り出したのは半年ぶり、つまり最初の赴任日以来になるのだ。だが、逆に言えば半年というのは記憶があやふやになるのには十分すぎる月日だ。本来の重さは同じ筈なのだが、ただ忘れているだけなのかもしれない。ま、どうでも良いか、気にする必要は全くないのだ。

 僕は久しぶり表紙の留め具を外して中を開けてみる。


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 裕樹は、ワブの書を手に取り広げてみた。そして其処に書いてあることを見て驚愕したのだった。『これは、今までのことがそのまま書かれているではないか?』裕樹は…


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 ここは前と同じところだ。ざくっと真ん中あたりまでめくってみる。


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 …裕樹は北方の地に来て初めて大切な友を失った。それも長い間苦楽を共にしたと言って良い、かけかえのない友人だった。

「ペチック、僕は君に誓うよ。絶対にリバートエンジンを見つけて、一緒に元の世界に戻るって事を」裕樹は彼女の体を抱きしめて泣き叫んだ。


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おっと進みすぎだ。だが、この部分は全く変化が無いのだな。


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 …裕樹は誰かがドアを叩く音で目が覚めた。

 皇太子様! と誰かが野太い声をとどろかせながら車のドアを強く叩く。

 ダレンに早く起きるように言われ、裕樹はようやく覚醒した。その声に尋常ではない事態を感じさせたからだ。

「親衛隊の者です。早くドアを開けて下さい」

 裕樹も彼女も裸のままだ。昨晩激しく愛し合った二人は深酒をしたせいもあり、すっかり車の中で眠りこけていた。裕樹も事の重大さに気が付いた。このまま裸でいるところ見られたらまずい、と裕樹は思った。だが服を着てたとしてもダメだろう。ユリアという女性がいながら、他の女性と一晩をすごしたのだ。ところで、皇太子とはどういうことだろう。車がそもそも皇太子の持ち物だからだろうか? 

 当初、裕樹はなぜ皇太子と呼んでいるのか理解できなかった。彼は実際に行方不明で、捜索しているのかもしれない。そこでこの車を見つけたので皇太子が乗っていると思ったのだ、と考えた。しかし、事実は少々異なっていた。たしかに皇太子は昨日から行方知れずだった。だが当初はそんな事は大した騒ぎにはならなかった。実は、彼はしばしばお忍びで外に出かけてしまうことは多々あったからだ。しかも、最近『ニコラ』という玩具おもちゃを手に入れてからはその頻度が増えたのだ。何かに付け理由をこじつけて自動車で外出をするようになった。しかし、夜になり明け方になっても帰ってこないとなるとそうも行かない。親衛隊も彼を守るという使命があるので、もし何かが起きたらただでは済まない。だからこうして捜索に出てくることは当たり前で、むしろ行動を起こしたのが遅すぎるくらいだった。

「ユウキ、何でも良いわ。とにかく服を着て!」彼女はそう言いながら、ブラのホックを閉め、ブラウスを羽織る。まだ下半身はなにも身につけても居ない。裕樹も事の重大さに気づき大慌てで着替えようとするが着慣れない、中世スタイルの服を着るのに手こずった。ぎりぎり、人前に出れる位には装ったのだが、これでは、どう見ても男女間の関係があったことがわかってしまう。

「ユウキ、貴方は後部座席、私は前の席に移動しますわ。そのままにしてくれます?」彼女がさっと運転席に移り、コンソールのボタンを押すと、自動で座席レイアウトがベッドモードからドライブモードに切り替わった。

「早く車を開けて下さい! 皇太子様!」親衛隊員たちの車を開けるようという要求に対して、ようやく彼女がドアを開けると腕組をして髭面の大男が数人の部下を連れて、目前にいる。

「困りますな。外出をされるのはいいですが、せめて当日には帰って下さらないと、ハーマン・ダレン《・・・・・・・・》皇太子様」

 裕樹は耳を疑った。どう考えてもダレンを皇太子と言っている事に間違い無かった。しかしここに居るのは昨晩一夜を共にしているから女性で有ることは確かで、その身体は男性では無く女性そのものだ。

「後ろにいるのはMハギノだな? 君は暫く監禁させて貰う」裕樹は車から無理矢理きずり出され、彼らのワゴンにのせられた。おそらくこのまま投獄され処刑されるかもしれない。裕樹はそう思うと昨晩の軽はずみな行動を呪った。ワゴンには数名の隊員と共に乗り込んだ隊長と呼ばれる大男は、裕樹に、

「Mハギノ、とんでもないことをしてくれたね。彼女、いや彼が誰だか気が付かなかったか? まあいい、日本人なら仕方ないかもしれん。だが、知らなかったでは澄まない問題だ。君は暫くの間、親衛隊本部にて監禁される。追って沙汰があるまでだ。処遇が決まったら、監禁は解かれるがそれよりもつらい目に遭うことになるだろう。それから、皇太子様の性別に関する事はいっさい口にするな。さもなければ、即時処刑される事になる」彼はそう裕樹に告げると、ワゴンを出て行った。ダレンは親衛隊に『ニコラ』の後部座席のせられ、隊長と隊員二人と立ち去っていった。


     ●●● 

  

 これは、あの一件の時のことだ。だが少し自分の記憶と異なる。僕は確かに親衛隊隊長(ジェラルドと言ったと思う)に監禁するとは言われたが、その場で連行はされずダレンとも別々にならず、彼女の運転で帰ったはずだ。この本は未来のことに関する記述が事実と食い違うときがある。些細なものならいざしらず、全く事実と異なる場合もある。だが、そう言った間違いも実際にその時間が経過すれば、いつの間にか修正されている。どういうことかと言うと、昨日読んだ時は『明日は大雨である』などと書いてあるとする。だが、次の日は晴天で、読み返すと、『今日は雲一つ無い晴天です』明らかな間違いだった物が、次の日には修正されているのだ。だからこの本は最初から、あまり信用に足るものでは無いと思ってた。だが、ここの記述に関しては既に半年以上も過去の事の筈だから、普通なら綺麗に修正されている筈なのだが、此処に関しては異なっている。ユリアが以前、この本は人の心を読み取って適当に話をでっち上げると教えてくれたが、僕の心を読んでソウしているのであれば、過去の記述は僕の記憶にそって修正されるはずだ。だが、今回は若干の齟齬がある。これには何か意味が隠されているのだろうか? 東さんたちがこの本はとても重要だからと言うことで毎日鞄に入れているのだが、今のところ役に立ったことは一度も無いが、今回のこの記憶の齟齬はなにか重要な事実が隠されていると言うことなのだろうか。そうだとしても、ここから謎をひもとくには情報が不足しすぎだ。この先に何かヒントになることが隠されているのだろうか? 僕はページをめくった。

 

     ●●● 

 其処は、大きな通り沿いにある店だった。あいにく馬車を停めるとこすらないようで、道端のには此処目当ての客のコーチやカブリオレがずずらっとまるで馬車の品評会かと思えるほど、停めてあった。裕樹の乗っている自動車はさすがに停めることができなかった。このようなところで停めようものならたちまちのうちに馬車で無い事が見抜かれ、大騒ぎになってしまう。諦めて中断していたオートドライブを再開を決意して解除ボタンを押し込んだ。だが車は微動だにしない。電気系統は問題ないはずだ。なぜなら計器もモニターもその他のランプ類もいっさいダウンも異常値も示していなかったからだ。彼は試験プロクラムをロードする為に、…


     ●●● 


 なんてことだ、このまま行くと立ち往生してしまうではないか! さっきこの本は信用できないと言ったが、実際のところ全く的中しないと言うことも無く、些細な所を無視すれば三割くらいは的中する。だから、このようなネガティブな予言はリスクを考えて従うことにしている。万が一トラブルが起きて止まるような羽目にはなりたくない。とにかくセルフチェックテストだけでもかけよう。僕はコンソールのモードをメンテナンスモードに切り替えセルフチェックテストを起動した。エラーが無ければ直ぐ終わるが、少しでも不審な部分があると、百回同じテストを繰り返し、その標準偏差を出す。エラーが6σの範囲で無ければ、問題無いがそれ以内だと故障で止まるリスクがあると言うことになる。これが3σ内だったりするとかなりの確率で故障する。1σとなる三分の一の確率だ。直ぐ止まってもおかしく無い。

 セルチェック終了のビープ音がする。意外に早い。ログを見ると異常は全くなし。オールグリーンだ。おかしい。順調すぎる。その後三回同じテストを繰り返したが、全く問題は無かった。シムーラでバッテリーの減りが早いとは思ったが、まだ問題になるレベルにはほど遠い。暫く様子を見よう。『ニコラ2』はノーズブック通り入り、ゴッズバレイに到達しようとしている。しばらくすると通りの様子がおかしい事に気づいた。先を走るクーペやカブリオレが皆、道の中央に寄っていくのだ。だが、直ぐに理由がわかった。道の端に馬車がずらっと並べて駐車してあるのだ。これはワブの書の記述と一致している。フィジマールを食べに来たものたちが違法駐車している馬車の列だ。

 『ニコラ2』のオートドライブが障害物を検知して、自動的に避ける。ちょうど良い、イリーガルな状況だが、データを取得するにはこんなアクシデントも都合が良い。馬車の列を横目で見ているとその先に人の行列とともに暗闇に中で明るく浮き出ているように店が出現した。あれが、フィジマールに違いない。ああ、ワブの書が無ければきっとこの先にでも車を停めて、食べに行ったに違いない。お腹もペコペコなのだ。

 もう暫く前からオートドライブは巡航速度を時速四十キロくらいに落としている。周りの馬車より速いと目立ってしまう。だから、行列に並んでいる人たちとフィジマールのたたずまいはお客の顔が判るほど良く見えた。目の前に行きたい所が有りながら遠くから眺めるのは少し辛かったが、此処で立ち往生するリスクを考えると我慢した方が増し、いや、マシだった。

 馬車の隊列を過ぎ、セブンスウェイにさしかかろうとし時、それは起きた。それまで巡航速度を維持していた『ニコラ2』がいきなりガクンとスピードが落ちたのだ。背筋が凍るような気がした。フィジマールに行こうが行くまいが車が故障するのはどうやら規定事項だったのだ。車が減速し続けあっという間に自転車と同じくらいまで速度が落ちる中、僕はマニュアル操作でなんとか、道の端へ邪魔にならないように停車させた。モーターは完全に停止し、再びイグニッションスイッチを押してもモーターが回り出すことは無かった。コンソールはまだ生きていたが、多分これは重傷な予感がする。僕は半ば諦めながら、お決まりのセルフチェックは飛ばして、ダイアグテストプログラムをロードして実行した。このテストは三十分はかかる。少し考えをまとめるには良い時間だ。今回はワブの書のに記されたこと大筋だが的中したが、またいつものように若干結果が異なる。僕はため息をついて横に放ってあるワブの書を広げた。


     ●●●

 

 裕樹は大勢の客が並ぶフィジマールを横目で見ながら通り過ぎた。だが、セブンスウェイの交差点までくると車は急に不調を訴え始めた。


     ●●● 


 やはり、書き換わっている。まあ、大筋は外れていないが、細かい部分が異なる。どうせならもっと正確に記述して欲しいんだけどな。まあ、仕方ない。はした金で買った本に多くは求めても仕方ない。取りあえず一報は入れておこう。時計を見ると既に十時を回っている。就寝の時間では無いと思うが、帰宅はしている時間の筈だ。僕は鞄からアンシブルを取り出し、小鳥遊センター長を呼び出した。

 アンシブルとは、とあるSF小説に出てくるガジェットに因んで名付けられた通信機だ。これは所謂トランシーバーの様にピアトゥーピアで接続され、携帯電話の様な基地局というものは必要としない。この世界で基地局設置も電話回線敷設もまだ現実的でないからだ。元ネタの小説では何光年も離れた星間を一瞬で繋ぐ通信機という設定だが、この世界のアンシブルは勿論光速より早く到達することは不可能だが、この狭い区域ではこれで十分だ。

 小鳥遊センター長を呼び出す音は暫く続くが全く応答はなかった。僕は平文で全員にメッセージを送ることにした。複数人に送れば確実だ。

 さて、そろそろ最初のテスト結果が出るだろう。コンソールを覗くと目を疑うような以外な結果が目に入った。オールグリーン、全く異常無し。おかしい、モーターが動かないのに異常がないわけがない。テストプログラムをもう一度リロードするためファインダでプログラムをリストアップした際、何かがおかしい事に気が付いた。該当するプログラムファイルサイズが自分の記憶にあるものと異なるのだ。数キロバイトとかの些末な違いではない、桁が違う。しかも巧妙な事に下の桁はウィンドウの端に隠れて見えなくなっている。さらにウィンドウ幅を広げると、日付さえも異なることが判った。二〇二三年三月十五日、今日の日付だ。このプログラムは一ヶ月前に書いたものだから、この日付の訳がない。これが意図的でないとしたら偶然すぎる。プログラムは幸いにもスクリプト形式だから中身を確認する事は造作ない。その結果、やはりというか、想定どおりの状態だということが判った。プログラムはすべての項目でパスするように書き換えられていたのだ。つまりエラーコードがすべてデフォルト00000000hのまま、変わらないようになっていた。プログラム的に言えば、どんな条件でも、エラーコードの格納されるレジスタの内容は変化しないという設定だ。


if ( ElectronicPathErr != 1){

RegA0A0=0

}else{

RegA0A0=0

}


つまり、どんなエラーが来てもレジスタ RegA0A0は永遠に0のままなのだ。これが全てのレジスタについて定義し直されている。だからすべてパスしてしまうことになる。

 誰かが意図的に変えたのだ。このテストプラグラムだと永遠になにが悪いのか検出できない。しかし、幸いにも僕のノートパソコンにデバッグ中だ最新のプログラムコードが入れてある。元々このプログラムは僕が書いていたものだからだ。僕は早速データカード経由でそのプログラムコードを『ニコラ2』のテスターにロードしコマンドを実行した。思った通りだ。テスターは次々とエラーメッセージを吐き出しながら進んでいく。実行時間もさっきと桁違いに長い。さっきのテストではとっくに終了している時間なのに未だに十%にも達していないのだ。まいったな。この分だとテストが終了するには2時間は掛かりそうだ。そういえばお腹が減った。それに時間は既に十一時は回っている。そうだ、あの店フィジマールはまだ営業しているだろうか? 二時間もテストに掛かるならその間に取りあえず腹に何かを入れておこう。僕は『ニコラ2』を其処に停めたままにして、車を後にした。


 さっき通りすがりに見たときよりもさすがに行列は減っていて、彼らが乗ってきた馬車のカブリオレやクーペの車列もまばらになっていた。それでもまだ十人以上は並んでいる、行列の最後尾に並ぶと腹ぺこでぶっ倒れそうになる。並んでいる人は殆ど僕と同年代かちょっと上くらいの人ばかりだ。ジラー系はそのしつこい脂っこさを売りにしている所為か、おじさん世代より僕等のような十代二十代くらいの世代に人気があるようで、ここも例外では無かった。だが、一つ異なるのは意外にも女性連れが多いことだ。これはミイタのジラーでは女性を見ることなんて皆無だったから驚いた。女の子でもあの大盛りラーメンをかっ喰らうのだろうか? 普段は上品そうな女の子がでかい口開けて口の周りをべとべとにしながらラーメンを食らう姿を想像するとなんかおかしくなってきて、ついにやけてしまう。

 それにしても進みが遅い。十五分経っても食べ終わって出て行く人はまだ二〜三人くらいしかおらず、当然ながら列がはけるのも同程度。正直参ったなと思った。これでは一時間近くは待つのでは無いかと思う。並んでいる客の一部にはあからさまに不満を漏らすものも居た。事情通の客が話しているのを聞く限り、本日は少々イリーガルな状況だと言うことだった。新しいブックログの記事が出回り、その影響で普段来ないような人たちが物見遊山で来店しているらしい。そして彼らの一部がまた興味本位で通称ラーン大ヤサイマシマシニンイクチョンモランマーと言われる大食いメニューに挑戦しているおかげだろうと話していた。この店の売りは他の店の量を遙かに凌駕するボリュームで、普通盛りでも一般のものと比べ優に三倍はくだらない驚愕するほどのボリュームなのだが、大盛りメニューとなるとさらにそれを上回る、あり得ないくらいのボリュームらしい。さらにその上野菜やチャーシューも増しているとしたら、先ず普通の人間には食べ切れるものでは無いだろう。だから、食べられもしないのにネタで大ヤサイマシマシニンイクチョンモランマーなどを注文した大馬鹿者が食べきれずに食い下がっているのが列の乱れの原因なのだ。さらに此処はメンマシと呼ばれる、通常メニュー表にはなく、常連など知る人ぞ知るメニューが有るのだが、昨今のブクログの流行で常連以外の客も周知になってしまった。その中でも通称洗面器チョンモランマーはその名の通り洗面器大のどんぶりに麵と野菜、肉をこれでもかと言うほど盛り付けた特大メニューだ。最近はネタとしてこのメニューを注文しようとする輩が多いらしいのだが、実は誰でも頼めるものではなく、店主が認定した客以外は注文すらできないらしい。最低でも大盛りワブ麵(メニュー中では最重量級のラーメン)を毎回完飲完食するくらいの人でなければ、店主に顔を覚えてもらえず、提供されることはない。

 しかし、此処に並んでいる人たちは結構な常連なのだろうか? ただの事情通とは思えないほど色々知っている。やれ、此処の店主は元はミイタのジラーで働いていた人だとか、もともとはジラーの支店だったけど、本店の親父とケンカ別れして独立などだ。どれも自称事情通がのたまっているだけだから本当か嘘か判らないが。たしかにブクログの絵を見る限り、ジラーと非常によく似ている。しかも、人によってはジラーよりこっちの方が美味いという意見も有るのだ。ジラーより美味いというのはなかなか聞き捨てならない。自分の中ではジラーが一番美味いと思っているからだ。それと弟子が師匠を超えるなんて、あまり嬉しいもんじゃない。僕はわりと本家至上主義者なのだ。

 さて、列を乱していた原因が明らかになるタイミングがついにきた。店の入り口からわらわらと出てきたのは親子連れ数組。子供は二〜三歳が多く中には首も座っていないのではないかと思われる赤ん坊もいた。夜も十二時近いのに何やってんだろうか、この親は? この子供たち普通の店の三人前あるラーメンを平らげたのだろうか? ジラーと同じ種類のラーメンだとすると、相当な脂肪と塩分と炭水化物だ。そんなものをこんな夜中にちっちゃなお子さん食べさせるなんて、どうかしている。何処の世界でもこう言う自分勝手な馬鹿親がいるものだなと呆れてしまった。それとも、ここレッドウィング、ゴッズバレーがそういう土地柄なのだろうか? そういえばこの辺りは集合住宅が多く、戸建て住居もそれ程大きいところはない。貴族階級は皆無でほぼ平民だけの土地なのだろうか?

 その後列もさくさくと進み僕は店前のベンチにやっと座れたと思ったら、直ぐに店内に案内されるまであっというまに進んだ。店内は小上がりが三卓、カウンターが十人くらいだろうか? 端っこは中待ち用に五〜六人座れるスペース。暇つぶしようの雑誌なども置いてある。店に入ったらまず注文を先にするようだ。先客は常連らしく店員に手慣れた感じで注文をする。

「大盛りワブメンダブルで」「うちは、ラーン少なめで」

「少なめにはゆで卵かワブがサービスでつきますがどうします?」

「うーん、まようなあ。じゃタマゴで」

「はい、大盛りワブメンダブルにラーン少なめたまご入りですね? トッピングはできあがりのと聞きます。席が満席なので待って下さい。そちらのお客様はお一人様ですね?」

「あ、はい」

さすがに僕の後ろは誰も居ないけど、少し寂しい気持ちになる。

「ご注文は?」

「僕、初めて来たので何頼んで良いか判らないんですけど」

「それでしたら、ラーン小をお勧めしてます。それにトッピングですね。ワブ、ワブダブル、タマゴ、ルナですね」

ちょっとお腹すいているかな? でも大盛りは凄い量らしいし。でも肉は美味いって書いてあった。ワブダブルは多過ぎかな? それに『ルナ』ってなんだ?

「じゃ、ラーン小でワブダブルにしてもらえますか?」

「判りました。ラーン小でワブダブルですね? カウンター奥が空いてますので、お座りになってお待ちください」

え? あと六人も前に居るのにいいの? と思いつつもラッキーと思いながら、カウンターに着席した。此処は、カウンター席が一つだけ空いているような状況だとお一人様優先らしい。思わぬ当たりくじを引いたように僕は嬉しくなった。ブクログの記事どおりに給水器から金属製のコップにお水を注ぎ、おしぼりを二つ持って席に戻る。このおしぼりがなければカウンターが脂でまみれることになるということなのだ。さて僕の分が来るのはいつ頃になるだろうか。店内を見回すとまだ小上がりの人たちは配膳すらされていない。

カウンターに座っている人たちについては僕以外はすでに着丼していて、一部の人は既に固形物は食べ終え、スープを飲み干そうとしているところだ。厨房に並べられているどんぶりをみる限りいっぺんに作る量は五杯が限界のようだ。麺は太いのだろうかゆで時間は結構長いような気がする。鍋に入っている麺を見ると本店のそれとは異なり、黄色ぽい。黄色と言ってもふつうの中華麺とは少し違い、鮮やかな黄色というより、白っちゃけたかんじだ。それに見るからに麺に艶という物を感じ無い。もうだいぶ茹でているのに、鍋に投入したばかりでまだ水分が浸透しきっていないという感じだった。これだと、茹で上がるにはもう少し時間がかかりそうだなと思っていたが、意外にも既にざるを片手に構えていて、直ぐにでも麺上げを始める様子だった。そして、その予想は瞬く間に的中した。店主は持っているざるを、まだ生煮えにしか見えない鍋の中の黄色い麺をざるでさっと掬いチャッチャと湯切りをして、スープの貼ってあるどんぶりに次々と投入する。このラーメンは小上がり席のお客のだろう。それにしてもこれは大盛りなのだろうか? トッピングすら乗せてないのに麺はどんぶりから既にはみだして、スープから頭を出したメデューサのようだ。かといってスープが少ない訳ではなくどうぶりの喫水線ギリギリまである。この上にさらに野菜、チャーシューを盛り付けるのだから、溢れてしまうことは必死だ。そして想定通りというか盛り付けが完成に近づくにつれ、小汚さに拍車がかかってくる。

 どうもこの店も師匠の店と同じく、見てくれは気にしないようだ。いや、逆に別な方向への見てくれに気を遣っているのかもしれない。ある意味此方の方がネタとしてはインパクトある。しかし、この小汚さは女性からは隠避されかねないのに女性客は意外と多い。もっとも、全員が彼氏連れっぽいので無理矢理連れて来られた感は無きにしも非ずだ。

 このラーメンが例の『大ヤサイマシマシニンイクチョンモランマー』かどうか判らないが、とにかく無造作にチャーシュー、—これもチャーシューと言って良いか疑問が残る。ただの肉の塊にしか見えない— を置いた上に野菜を山の様に盛り付ける。そしてその上にスープを煮込んでいる寸胴から何か—形状から言って脂肪のようだが—を掬ってかける。仕上げにタレをすくってもうひとがけする。この野菜の量だとスープが薄まってしまうからだろうか。調理台に目をやると、その上は濃い茶色のスープでベトベトになっている。さすがにこれだけの盛り付けをしてスープがあふれない訳がないのだろうが、見てくれ的も衛生的によろしくないと思えるのだが。こうして、多少の野菜の量の差こそあれ、このように5杯分のチョンモランマーラーメンができあがり、小上がりの客へと配膳されていく。

 こんなあふれんばかり、いや既にあふれているがラーメンを運ぶ店員さんもなれないと大変だろうな。

 僕は店員さんが無事に配膳できるかヒヤヒヤしながら、見ていたが、なんなくこなす事ができたようで、無事にカップルばかりの小上がり席に配膳されて行った。

 店主は次の注文用に鍋のお湯を全部その場に流して捨てている。何食分も茹でたせいか、黄色みを若干帯びて白く濁った、ゆで汁は打ち粉のデンプンや麺から流出した成分でどろどろになっている。よく見ればコンロの部分にゆで汁を捨てるようにちゃんと樋がついている。なるほどよく考えてある。空になった鍋には水を入れて湧かし直すのかと思ったが、別の鍋で沸かしてある白湯をひしゃくで投入しはじめた。なるほど、沸かし直していたら時間がかかるもんなと感心しながら眺めていると、店主は置いてある箱の蓋を開け、なにやらごそごそとし始めた。麺だ。しかも丁寧に一玉一玉まとまっておらず箱の中の麺はおおざっぱに敷き詰められているだけだった。一人前一人前は店主の目分量だけで決めてるようだ。長年の勘と言うのもあるのだろうけど、一玉、一玉がばらつきとか無いのだろうか? 自分は少ない方が良いけどいっぱい食べたい人にとって、偶々量が少し少なかったら不満とか持つ人も中には居るかもしれないなあ。そんな小さなばらつきを気にするようとは思えないほどの麺量だが。店主は鍋の上でバラバラと麺をほぐしながら、煮えたぎるお湯の中に投入していく。鍋の中がさーっと泡だって、お湯が噴きこぼれるが、店主は慌てる事無くほぐしながら麺をゆでている。ある程度火が通ったのか、一旦、ほぐすのを中断し、菜箸を脇に置いた。そして、カウンターに積んであるどんぶりを五つほど手に取り、調理台に並べ始めた。ジラーの場合は此処でタレや調味料をさっさっさと入れていくのだが、此処の場合は少し違った。ひしゃくでゆで汁をすくってどんぶりに注いで言ったのだ。これは日本でも見たことがある。ラーメンが冷めないようにどんぶりを暖めたているのだ。なるほど、ジラーではこんな気遣いはお目にかかれない。そうして、器が充分温まった頃合いを見はかり、即座にお湯を捨てると、まずたれと白い粉(これは本店と同じだ。何の粉なんだろうか?)を入れ、続いて寸胴からスープを柄杓で掬ってどんぶりに注ぐ。ここまでの手際は実に見事で、五杯分のどんぶりは茶色く濁った液体であっと言う間に満たされる。その間はおよそ一分ほど、そのおいしそうなにおいは僕のところまで漂ってくる。ああ、なんか懐かしいにおいだ。ミイタのジラーに似ている。しかしそれより甘い香りが強い。そしてすぐにざるを取り上げ、まだ生煮えにしか見えない黄色い麺をざるで掬いチャッチャと湯切りをして、どんぶりに入れる。

「お客さん! ニンイクどうしますか?」店主(注文取り以外の店員はこの人だけ!)が僕に声をかけた。

「は?」正直まだ自分の番だと思って居なかったから、面くらって変な声が出てしまった。調理台には野菜がチョンモランマー状態のラーメンが一つ。流れからして僕の分に間違いない。身体が大きいからたくさん食べると思われたのだろうか? 僕は身長がある方だけど、太ってはいない。どちらかというと細い方だ。ひょっとしたらガリガリだから太らそうと思っているのか? 真意は解らないが、ノリ的にはヤサイマシマシニンイクチョンモランマーと叫ぶしかないのではないか?

「ヤサイマシマシニンイクチョンモランマー」

よし期待に応えて言ってやったぞ! まるで出来レースではないかという状況に抗いもできず、チョンモランマーを食べることになってしまった。しかし、認識が甘かったことに直ぐに気づいた。なんと店主さんは、僕のヤサイマシマシニンイクチョンモランマーにさらに野菜を盛り付け、なんと倍くらいの高さまで積み上げてしまったのだ! と言うことはさっきのはニンイクチョンモランマーではなくただの野菜マシだったのだ。なんなんだよ、これは? 人間の食べるもんじゃない。まるでかき氷かでかいソフトクリームの様に盛られた野菜が、僕にほれ食ってみろ! と言わんばかりに嘲り笑いながら見下ろしてる。いや、実際には僕の目線の方が遙かに上にあるのだが、なんということだ! このラーメンは物理的なサイズを無視して、精神的に僕にのしかかろうと、あるいはマウントを取ろうとしているのか? そうか、判ったよ。君が其処まで言うなら受けて立たねばならぬまい。僕はこれを大ヤサイマシマシニンイクチョンモランマーとフィジマール店主からの挑戦状とうけとり、正々堂々戦うことを誓った。勿論実際にはやらない。こちらもあくまでも僕の脳内の中での話しだ。

 覚悟を決めてカウンター台上にある、ラーメンどんぶりを、カウンターテーブルまで、下ろそうとしたが、ミイタ本店と同様にスープがあふれんばかりになっているから、注意しないとあふれてしまう。仕方ない、ちょっと行儀悪いけど。と、僕はビルゲイのブクログをまねして、テーブルに下ろす前にどんぶりに口を付けてずずっととスープを飲んだ。うわ、なんか甘いぞこのスープ! ブクログのとおりだ。しかもミイタ本店と比べて味も濃い。塩っ気が多いのかな? でも甘さにカバーされて、それほど塩味は感じ無かった。どちらかと言うと好みの味で、ミイタ本店よりも美味いかもしれない。だが、逆にこのスープのおかげで、本店とは異なる別物感もある。本店の味を期待してたからちょっと残念な気持ちはあった。ある程度汁を飲んで、スープの喫水線マージンを約一センチとったから、もう大丈夫とタカをくくった僕は、そううっとカウンターにどんぶりを下ろした。だが、そこで想定外のことが起きた。いや、実際はミイタ本店でも同じ事があったことをすっかり忘れて油断していた。野菜が崩壊し雪崩をおこしてスープになだれ込んだのだ。そして、これがラーメンスープのツナミを起こした。スープが予想外の野菜土砂崩れで丼から溢れた。そして、想定外な事にカウンターが左手前に傾いていたため、相乗シナジー効果で、メルトダウンを起こしてしまった! だが、幸いな事に、事前にブクログから情報を得ていた僕は、その可能性を考慮して、おしぼりで堤防を作っておいたため、カウンタ上が汁と脂の海になることはなんとか阻止できた。あのブクログにこの情報が無かったら、隣のお客さんにも迷惑がかかったし、僕の服もニンニク臭い脂まみれになっていたことだろう。

 取りあえず、おしぼりであふれた汁をカウンターから拭い去った僕は、まずはどこから攻めるかを考えた。人間の身体は血糖値が上がると脳内に満腹中枢を刺激するホルモンが分泌され、もうお腹いっぱい、ごっつぁんです! という状態になるという。野菜はともかく、丼から溢れんばかりのこの大量の麺を先に喰らえば、胃腸から分泌された酵素ですぐさまデンプンからブドウ糖に分解されあっという間に血糖値は上がるに違いない。そうなると満腹中枢がお腹いっぱいと判断するのは時間の問題。それでは血糖値の上昇を何とか抑えればいい。しかし、そんな薬はインスリンくらいだ。そんな物はまだこの世界にはあるわけがない。ではどうやって抑えるか? そう! まずは食物繊維を取れば抑えられる。そして食物繊維と言えば野菜。ほぼもやし(のような何かだけど)とほんの少しのキャベツ(に似た何か)だが、紛れもなく野菜。食物繊維の摂取には充分期待ができる。次に血糖値上昇を抑えられるといったら何か? チャーシュー? ノンノン! 脂肪だ! 脂肪はカロリーが高いから血糖値抑えるには逆効果では? と思う向きもあるかもしれないけど、実は血糖上昇を抑えるには、食物繊維よりも優れているかもしれない。実は脂肪は消化管に脂の膜をつくることで栄養の吸収を抑えることができる、それに摂取しても血糖の上昇には直接影響しない。ご存じかと思うが血糖をあげる正体はブドウ糖、そしてラーメンの素になっている小麦粉はブドウ糖が連なった同じ炭水化物の仲間であるデンプン(とタンパク質)が主成分だから、ラーメンの麺が早く消化されればされるほど早くおなかが一杯になったと人間の脳は判断してしまう。おっと、能書きが長すぎた。要するに脂肪と野菜を、炭水化物の塊である麺より早く摂取することで血糖値の上昇は緩和され、満腹になるタイミングを遅れさせる事ができる。と、理屈っぽいが実際はどこまで効果があるかは判らない。データやエビデンスもない、いや、有るだろうけど、此処にはない。つまりはやってみなければ判らない。ま、プラシーボ効果だってないよりはましだ。チャレンジだ。

 まずはこの富士山、いやチョモランマ、チョンモランマーを片付けねばなるまい。結果的には自分で巻いた種とは言え、常軌を逸した凄まじい量だ。とりあえずこの野菜の半分は処分しないと麺すらほじくり出せない。この店の盛りはジラーよりもさらに凶悪と言えるだろう。野菜はジラーミイタ本店と比べさらにくたっとした仕上がりで、シャキシャキ感はあまりない。しかしそのおかげで単位体積あたりの質量はこっちの方が多い。と言うことは見た目よりもさらに量があると言うことだ。恐るべしチョンモランマー。一応、この野菜自体は全く味付けしてないので、そのまま食べると野菜本来の甘さがが感じられて美味しい。が、それにも限度があるわけで、これだけの量を『野菜本来の味』だけで飽きずに食べられるものではないので、野菜マシ以上は特に何も言わなくとも、予めタレと脂をかけてくれている。だが、最初のうちはこのタレと脂で美味しく戴けるが、それもそれほど長く続くわけでもなく、直ぐにタレ無し無味無臭の野菜の塊になるのだ。野菜の量に対してタレが少なすぎるのだ。その事を見越してるのか、どうか判らないが、とりあえず卓上にもタレや胡椒、唐辛子(いずれも、似て非なる物)が置いてある。結局味気ない野菜は、しばらくそれを掛けて凌ぐしかなかった。そんな苦労をしてようやくチョンモランマーが富士山くらいになり、麺まで到達できるところまで到達できた。正直野菜だけを食い続けるのはいいかげん飽きたところだった。

 いよいよ、これからが本番。さてミイタ本店と比べフィジマールの麺はいかに? ほじくり出した麺は、見た目からして生煮え状態で、箸で掴んだ感触も弾力というよりむしろ剛性といった方が適切かもしれないと言うくらいにごわごわと固い。先ずはそれをずずっと啜ってみた。むむ、なんだこの麺は? 生煮えじゃねえか? それも見た目からの印象同様、どう考えてもやはり生煮えとしか思えない茹で加減だ。それと、ボソボソ、ゴワゴワといった食感も見た目通りと言える。いや寧ろ、見た目の印象の遙か上を行く位ボソボソの食感だった。こんな麺は食べたこと無い。生煮えの水団か、粉落としの博多麺よりも生っぽい。まるでアルデンテって何? って人が茹でたスパゲッティのようだ。これに比べたらミイタ本店の麺はつるつるもちもちだと思えるくらいだ。これは麺打ちの時の水分が少ないからこうなるのだろうか? この麺を人に説明しようと思っても、ちょっと例えようが無いから例を持ち出すことも容易でない。きっと世界中どこにもこれと似た麺は無いはずだと確信出来る。ううむ、だが、この麺は消化不良で腹を壊す事はは無いのだろうか? とも思ったが、周りを伺うと誰一人僕みたいな怪訝な表情を浮かべている輩はおらず、皆平然と味わっている。変な顔して食べているのは僕くらいなものだった。僕がおかしいのか? まあ、良いさ、固いからと言っても不味いわけでも無いし、ましてや食えないってわけでも無い。それに甘塩っぱく濃いめのスープにはこのゴワゴワ麺が合っている。

 さらに麺をほじっていくと、件の野菜富士山が崩壊しそうになり、またスープの津波の危険が迫ってくる。そう言えば天地返しという技が以前ブクログに載っていたことを思い出した。天地返し、そうその名の通り天(野菜)と地(麺)を上下逆さまに入れ替えることだ。だがこの技には危険も伴う。すなわち野菜の崩壊に寄るメルトダウンを誘発しかねないということだ。危険を伴う技だから実行するとしたら細心の注意をはらい慎重に進める必要がある。ということで、メルトダウン防止の為さらなるおしぼりを調達せねばならない。だが、これ以上おしぼりを使うのは店主も良い顔はしないだろう。だから気が付かれるぬよう、水を汲みに行くふりをしておしぼりをもう二本調達をした。

 おしぼりをカウンターに配置して、初チャレンジの『天地返し』をついに決行することにした。だが、富士山レベルの野菜を天地返しする事は困難を極めた。当然ながら小規模ではあるがメルトダウンも起こしかけ、堤防にもツナミが押し寄せてしまう。これ以上進めるとツナミどころの被害では済まなくなる為、僕はこの荒技を断念せざる終えなかった。天地返しが失敗したそれは、富士山が山腹から吹っ飛んで阿蘇山のカルデラ見たいにまで崩壊したような中途半端な形のまま無残に僕の前に鎮座している。

 だが好転した事もある。野菜に隠れていたチャーシューを表舞台に引っ張り出すことがができた。こいつの見た目はチャーシューというより煮込んだ肉のかたまりと表現した方が正確だ。ジラーのチャーシューもチャーシューと言うより煮込んだ豚肉という趣だったが、まだ無理すればチャーシューと言えなくも無い形だったのだが、此奴の場合はチャーシューらしき形状をしていない。さりとて角煮のように切りそろえられた形状でも無く、適当に引きちぎった肉塊にしか見えないのだ。その角煮ともチャーシューとも言えない肉塊はしっかりとタレに漬け込んであると思われ、肉の中まで茶色にタレがしみこんでいる。恐らくラーメンと同じく甘塩っぱいタレを共用しているはず。この色具合から察するに、漬かりすぎて塩っぱくなっている懸念もあるが、逆に適切に漬かっているとすると、まさに神ブタ、いや神ワブと言われる、とても美味しく仕上がっている可能性も期待できる。少なくともブクログの記事では絶妙な味とあった。箸でその塊を摘まんで、顔の前まで持ってくると、如何にも美味しそうな匂いが漂ってくる。ラーメンのタレをさらに濃くした甘い匂い。一口がぶっと齧り付いてみると、甘辛い味付けのほどよい柔らかさの食感が口中を支配する。これはミイタ本店のワブ肉とは全く別物だ。ミイタ本店の肉も確かに柔らかかったが、未だ豚、いやワブっぽい臭さが残っていて、場合によっては嫌みなときもあった。だが、これはそういう臭さがうまく取り除かれて見事に調理されている。しかもとても柔らかい。見た感じは脂肪分はあまりないので、脂肪で柔らかいわけでは無く、よく煮込まれて筋肉の繊維質がほどよく分解されている柔らかさだ。それとタレとの漬かり具合と言い、まさに絶妙である。これ以上塩っぱくても良くないし、タレが薄ければもっとミイタに近い野卑た感じの風味になるだろう。これはミイタ本店で感じた格闘技をしているような感じでは無く、欲望と快楽が入り交じったセックスの快楽に溺れるような至高な味だ。たとえがいやらしくて済まない。つまりミイタの戦っているような緊張感では無く、まるで恋人と愛し合っているようなそんな幸福感だ。

 正直このチャーシューは気に入ったのだが、チャーシューばかり食っているわけにも行かない。中途半端な天地返しであったが、麺は既に表舞台へ顔を覗かせており、わざわざほじくり返していやいや舞台に上がって貰う必要は既にないのだ。麺を取り出しやすくすると言う意味では充分目的を果たしている。そして、その麺をそのまま箸で摘まむことは容易な状態だ。と、言うことで、再度、僕はあのボソボソ麺にチャレンジした。食べ始めてから、既に5分は経過している筈なのだが、麺は一向にのびることも無く、相変わらずのボソボソした食感だが、それでも先ほどとは受ける印象が少し異なった。先ほどの何じゃこりゃ?的な印象と異なり、意外とイケルではないかと感じたのだ。最初はきっとミイタ本店のイメージが頭にあったお陰で、違和感を感じていたのだが、時間が経つに連れ、その固定観念から解放されたに違いない。この麺は結構良い! 麺の味と絡んだ汁の旨みがダイレクトに食慾中枢を刺激するのだ。面白いことにパンの耳のような、規格外と思われる、太いほうとうの様な切れ端が混じっていて、これがまた歯ごたえがあって美味い。この麺は独特だ。なるほど自分と同じ世代の人が多いのもうなずける。此処は年配のひとには少し無理があるかもしれないが、自分世代にはきっとウケる。そしてこの甘塩っぱい汁。ワブ骨を相当丁寧に処理して煮込んだのではないだろうか? 凄く良い出汁が出ているし、コクもある。タレの甘塩っぱさが苦手な人も居るかもしれないが僕はこの味は好きだった。砂糖みたいな味とは違うから、もっと別な調味料、例えばみりんとか麹などの自然な甘みだ。また、チャーシュー、いや肉といった方が良いかもしれない、はこのタレでしっかりと味付けされて、肉の中まで味がしみこんでいる。それでいてしょっぱすぎることもなく美味い。この肉でビールを飲みたいほどに完成されている。この肉だけで居酒屋メニューにしても良いくらいだ。そしてさらに驚いたことがある。なんとミイタ本店にも無いメンマが入っている! このメンマも例のタレで味付けしてあるようで美味しい。歯ごたえ的には普通のメンマと変わりないがこのタレによる味付けはかなり個性的で美味しい。

 だが、この至福の時は、それほど長く続かなかった。やはりこの麺の量と野菜が僕の満腹中枢を刺激し初めて来たのだ。最初に異変に気づいたのはチャーシューを食べてたとき。チャーシューは三枚、いや三個入っていたのだが三つ目のチャーシューを頬張っていたとき、味がくどすぎる感じがしたのだ。甘塩っぱいタレと肉の脂肪分で飽きてきたのだろうかと思ったが、実際は違ったのだ。その三個目のチャーシューの最後の一口を飲み込もうとしたときに、胃がそれを拒否し始めた。つまり嘔吐中枢が刺激されたのだ。それでも僕は何とか冷水で流し込んだが、これ以上肉を口に入れる事は無理だった。麺はあと、二、三口ほど残っていたが、まだ天地返しで下になった野菜がまるまる残っている。汁はともかくなんとか固形物まで処理しなければと思い、麺を一口啜る。とりあえず、拒否反応は無かったが、お腹は妊婦のように張り、はち切れないばかりだ。野菜を先に食えば満腹中枢の刺激を遅らせることができると高説をぶっておいて、今更だが満腹中枢以前に物理的にこの量は無謀だったのだ。野菜はチョンモランマーではなく富士山以下にすべきだったのだ。成り行きとは言え激しく後悔をしていた。そして、なんとか麺だけは平らげる事が出来たが、野菜に関してはギブアップするしか無かった。

「今度から食べきれる量だけにしておいてね」店主が言った。

一瞬、僕のことかと思い、びくっとした。しかし、実はカウンター反対側で食べていた、大男に向けて放った言葉だった。彼は大きな水色のまるで洗面器のようなどんぶりをカウンターにのせて、すごすごと申し訳なさそうに帰っていた。あれが洗面器チョンモランマーか。あんなのを食べようって思うだけで正気の沙汰では無いと思うのだが。

「ごちそうさま。すみません。僕も食べきれませんでした。ごめんなさい」ぼくはカウンターの上にどんぶり上げて、店主に謝罪した。

「おお、ありがとう! また来てくれよな」意外にも店主は笑顔で優しい笑顔。成り行きとは言え食べきれない量を頼んで残したのに、店主はその件に関しては不問だった。しかもまた来てくれなんて。

 僕は店主の意外な反応におどろきながら、店を後にした。

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