第五章 サイドビーチシティのアカシヤラーメン

    セルリア歴5332年虎の月七


 「ユウキ、ユリア成婚の暁には、あの娘について行って欲しい」

 は? と僕の頭の中ははてなマークで一杯になった。伯爵の突然の申し出が全く理解出来なかった。

「もちろん、君とユリアの関係は知っている。それを承知で言っているのだ」

 知っている? いままで気がつかれない様に慎重に付き合ってきたというのに、全てバレていたと言うことか? それともワザとハッタリをかけて、二人の関係をほじくり出そうとしているのか?

「何故ですか?」

 ただでさえ辛いのに、何故なのかと尋ねたかった。

「ふむ、実は二つの事を期待しているのだ。一つは君の知識だ」

 なにゆえ僕の知識が必要なのだ? 

「知識というと?」

 どんな知識を期待して言っているのか、伯爵の気持ちを計りかねないでいると、

「以前君は、君の国、いや君の世界と言った方が良いのかもしれん。電気について研究していると言ったね」と彼は答えた。

 電気と言っても色々ある。電力なのか、電気機器なのか、電子機器なのか?

「ええ、電気といってもいろいろ有りますが、電気を使った極小の計算する機械とその応用技術について学んでいました」と、なるべくこの国の人のレベルに合わせて言ったが、果たして理解して貰えるのだろうか?

 だが、伯爵の答えは意外なものだった。

「ふむ。ではガレスでその分野について研究出来ると言ったらどうするかね?」

 言葉尻どおりなら願ったり叶ったりだが、本当に僕の話した事を理解されているのだろうか? 

 クラークの言葉どおり、僕の世界の科学は此方の人間には魔法に見えてしまうほど、科学レベルに開きがあるはずだ。

「それは大変興味深い話ですが、我々の世界の科学力は此方と比較にならない程、進んでいます。順調に文明が発展したとしても、この国がその技術を手に入れるのはまだ二〜三百年のくらいはかかるでしょう。

 実際に、私の世界が此処と同様の科学技術のレベルであった時代は、三百年も前の時代です。それに電気技術は先ず安定して電気を取り出せる技術を取得する事が最初です。さらに、それだけではありません。同じ程度の科学力に到達するまでにはいくつものステップがいるのです」と、僕は自分の知識が役に立つには何百年もの途方も無い時間を経過していないと無理だと言うことを説明した。

 それを伯爵は何も言葉を挟まず、ただ静かに寡黙に最後まで聞いていたが、僕が口を閉じると重々しく口を開いた。

「うむ、承知しておる。だが時間が掛かるからと言って何もしないわけには行かないのだ。君が携わることによってその三百年が百年、あるいは五十年になるかもしれん。きみの知識が直接役に立つか判らんが、きっと進歩を短縮させることは可能だと信じておる。報酬は今までの倍、いや三倍を払おう。成果をあげることが出来れば、もっとだ。責任者として地位を与えることも出来る。それだけの価値が君にはあるのだ」と伯爵は身を乗り出し気味でそう言った。

 何もしない訳にいかない、とはどういうことなのだろうか? そこまで切羽詰まって国の科学力をあげて何をしようと言うのか? 噂されている、来たるべき宿敵のシイナとの戦争に関係あるのだろうか?

 だが、そんなことは、この際どうでも良かった。僕の何を期待しているか判らないが、今まで世話になっていた手前もあるので、むげに断るのは得策ではない。それに、このまま無職になってしまうのは困る事は確かで、オファーを受ける以外の選択肢は考えられなかった。

「確かに魅力的な話です。それにお嬢様の教育係を外れれば僕は無職になってしまうところでしたし、正直助かります」と、オファーを受託する事に関して、前向きに考えている旨を伝えた。

「うむ。そう言ってくれると助かる」 伯爵は安堵の息を漏らし、ソファに深く腰を落とした。

 だが、気になることが未だある。期待されている二つのうち一つは判った。あともう一つの期待されている役割とはなんであろうか?

「二つの期待されている役割のうち、残り一つは何でしょう?」と、僕はろくでもない事では無いことを祈るように、尋ねると意外な答えが戻ってきたのだ。

「うむ、これは君には朗報だと思うぞ。ユリアがガレスに嫁いだ後も相談役として、今後も娘の側にいて欲しいのだ」

 伯爵は、テーブル上に置いてある、金細工が施された豪奢な木箱からハシシを取り出し、ライターで火をつけ口にくわえた。ライター? そんなものがなぜここにあるのだ? 少なくとも僕は喫煙者ではないからライターなんて持ち歩くわけもない。花火とか蚊取り線香をつけるために、パンツのポケットに入れっぱなしにしていたはずもない。そのライターは金の削り出して作った高価なものだ。

 それに何故朗報なのだろうか? 僕は怒りがこみ上げてきたが、悟られないように感情を押し殺そうとした。

 愛した女性と、その女性を奪った男が仲睦まじくしている側で、感情を抑えながら、今後も何一つ無かったとして仕えなければいけないなんて、あまりにも辛すぎる。

 僕の疑念を読み取ったかの様に伯爵は続ける。

「うむ、君が不安に思うのは判る。だが、安心したまえ。親が言うのも何だが彼女と君は今まで通り恋人同士の関係を続けても良いのだぞ。もっともさすが今後はガレスの皇太子妃になるのだ、大っぴらにというわけにはいかんが」

 何を言っているのだろうか? ますます混乱してきた。

「混乱させてすまん。知ってのとおりガレス皇太子はユリアの従兄だ。一/四とは言え血縁関係にある。君の世界ではどうか判らんが、私たちの世界では血縁関係があるものは子作りは隠避される。

 だが、家系はそれ以上に重要視される。純血であればあるほど尊いとされ、血統が研ぎ澄まされる。どういうことか判るな?」伯爵はそう言って、ハシシを加えて大きく吸った。

 僕は戸惑いを隠すことが出来なかった。彼の吐き出すハシシの紫煙の香りを不快に感じつつも、なるべく表情に出さないように努力をした。

「ええ、我々に世界でも同じですよ。でもあまりにも純血主義を通すと何らかの障害をもった子供が出来易いと言います。

 犬猫に例えては何ですが、外見的な希少種を創ろうと同じ血統のものを掛け合わせ続けると、心臓に生まれつきの欠陥があったり骨に奇形があったりと欠陥をもった子供が出来やすいようです。

 人間の場合も実際に純血主義を貫いた結果、顔の一部に明らかな変形持った家系が有ったようです」

 たしか、オーストリアハンガリー帝国のハプスブルク家がそうだったはず。

「うむ。そなたの世界でも同じであったか。そこでだ、君にはユリアの第二夫として彼女の子作りに協力して欲しいのだ」

 ちょっと待て? 何を言ってるのだ?

「ちょっと何をおっしゃりたいか判りません」

「だから、単刀直入に言えば君とユリアの子供をもうけて欲しいのだ」伯爵は吸っていたハシシを灰皿に押しつけてもみ消しながら、やれやれという雰囲気で言った。

「お待ちください、そういう事は私たちの国の文化ではあまり考えられません。たしかに時の施政者や裕福な者。文化的に許される地域では一夫多妻制と言うものがあり、一人の男が複数の妻をめとるケースは珍しくありません。しかしその逆、つまり一人の女性が複数の夫を持つなんて聞いたことありません。もちろん、皆無と言うわけでは無いと思いますが、制度、慣習として認められているケースは皆無だと思います」

「もっともだ。我々の世界でも聞いたことは無い。恐らくシイナでもだ」

「ではなぜ?」

「うむ、実は血が濃くなる以前に、ガレス皇太子であるハーマンは子供を作ることが出来ないのだよ。それにユリアを女として幸せにすることも不可能なのだ」

 性的不能者か。人工授精なんてむりな世界だ致し方ないのだろう。だとしてもあまりに道徳心に欠けるような事はさすがに抵抗がある。

「この件は少し考えさせてください。我々の文化では隠避すべきことですし、何より僕や彼女が割り切れるかどうか」伯爵は僕にハシシの箱を差し出したが、僕はそれを断った。 伯爵は二本目を取り出して、口に咥えると火をつけて深く一服した。

「ユリアの件なら心配ない。元々君を好いておる。逆にハーマンの事も姉妹Sisterという感覚だ。肉体的な関係を君と持っていても罪悪感は無いはずだ。もちろんハーマンもそんな感情は元々ないから嫉妬を心配することも無い」と続けた。

 ハーマンに嫉妬心が無いと言うことか? そんなことはあり得るのだろうか? 

「判りました。それでも少し考えさせて欲しいです。第一の件については前向きに考えたいと思います。願っても無いチャンスですので」

「うむ助かるよ。ところで正式な返事は何時もらえるかね?」と言いつつも少し失望しているようだ。即答を期待されてたのだろうか? それとも第二の件についてだろうか?

一週間サイクル以内には。それとガレスという国はまだ行ったことがありません。一度、職場の雰囲気も含め、どんなところか見てみたいので、差し支え無ければ見学させてもらいたいです」と僕は答えた。

「うむ、一両日中には行けるように手配しよう。職場のほうは機密事項もあるから、君がこの話を受けるという確約がないと無理だ。確約をしてくれれば可能だが、そのときは断ることは出来ん。断るようなことがある場合それ相応のペナルティーがある。国家を左右するほどの重要なものだからな」と伯爵は厳しい表情で言った。どうやら、相当な厳重な機密があるらしい。

「わかりました。その件に関してはまだ留保してください。即答できるような事では無いと思いますので」

「うむ判った。いずれにしろガレスには一度行ってみた方が良い。きっと気に入るはずだ」伯爵は端まで吸いきったハシシの吸い殻をもみ消して、ソファを立った。


 僕は伯爵の書斎から使用人部屋に戻った。就職の件はなかなか良い話だと思う。

 しかし、断った場合のペナルティが怖い。裏切った場合は恐らく死を持って償わなければならないのだろう。そういう予感がした。

 一方、ユリアと愛人関係になることを提案されるとは正直驚いた。

 仮に結婚相手が不能者として、そういうことが許されることなのだろうか?

 文化の違いという側面もあるのだろうが、何処の世界でも許されないことだろう。

 たとえ実の夫が不能だとしても、それは禁断の愛だ。しかもそれが皇太子妃ならなおさら、おおっぴらに出来る物では無い。

 それにそんな関係は僕が嫌だ。きっと背徳感に押しつぶされてしまう。

 そういえば皇太子に対してユリアと従姉妹シスターと言っていたがどういうことなんだろうか? 結婚相手の皇太子が女で有るわけは無いから、ゲイということなのか? それなら、ユリアと子作りは確かに無理かもしれない。

 伯爵は子作り出来ない理由に関して、お茶を濁していたが、確かにゲイと言うことであれば、なかなか公にできるわけがない。ましてや保守的なジュシュア教団パスクとは相容れない思想だ。

 それにこの世界の世間体的にはゲイという存在は立場的には難しいのだろう。

 現代日本や欧米諸国ならジェンダーフリーの考え方も広まってきているから、公表しても受け入れられる土壌は出来つつあるかもしれないが、この世界は未だ其処まで成熟していない。町中を見回してもオネエ的な雰囲気を持つ者はまったく見当たらないのもその歳だと思う。

 だがポジティブに捉えれば、皇太子がゲイなら、ユリアと正々堂々と言うわけには行かないが、少なくとも皇太子に気を遣う必要が無くなる。それだけでも気が楽だ。

 確かに不安もあるが僕に取っては其程悪い話では無いのかもしれない。 

 だが、僕は今後起きる嵐をそのときには、まだ微塵も感じていなかった。

 ワブの書という便利なアイテムがあったにもかかわらず、その存在すら頭になかった。

 もし、あのときワブの書を開いていれば僕の人生は大分変わったのかもしれない。


 翌日、伯爵にオファーされた件を快諾する気持ちに傾いていた矢先、セバスチャン経由で伯爵からガレス訪問に日程を伝えられた。

 そして話が決まると荷造りの暇も無いほどに出発日と時刻が急に決まった。

「え? 九エイチに出発? あと十分しかないじゃ無いか?」

「そりゃ、ユウキが悪いよ。行くことは判っていたんだから、事前に準備していれば良かったのに」とセバスチャンはやれやれという感じ両手をあげる。

「でも話を聞いたのは昨晩だ」

「でも、そんな深夜でもなかったんだろう? どうせ持ってくものなんて、下着とシャツくらいで充分なんだから準備と言っても大して時間はかからんだろう?」

「いや、日程も聞いてないから何日分持って行けば良いか判らないし、向こうではやんごとなき人々に会うかもしれないから正装くらいは用意しないと」

「ああ、そうだね。そういえば皇太子様との謁見もあると聞いている。正装のスーツくらいは持っていた方がいいぞ」

 セバスチャンはニヤニヤしながら言った。きっとこいつは俺が焦っているのを見て喜んでいる。

「ああ、こんなことをしている暇はない! 早く準備しておかないと! セバス! 伯爵様に十五分くらい遅れるかもしれないって伝えてくれ!」僕は飛び起きると、クローゼットからスーツケースとありったけの服を放り出しながら、彼に言づてを頼んだ。

「はいはい。一応預かった日程表だ。あと皇太子様への伯爵様直筆の推薦状と。これは、絶対忘れるなよ。伯爵様が恥をかくことになるからな」と彼は二つの封筒(一つは立派な封蝋でシールしてある)を僕の机の上に置くとさっと、それでも急いでいる風でも無く悠々と出て行った。


「ユウキ、自分で言った時間くらい守りたまえ」と伯爵はやんわりでは有るが予定より五分遅れた僕を叱責した。

 遅れたのは僕が悪いけど、そもそも急過ぎんだろ! と思ったが言葉には出さない。もちろん顔に出ない様にも気をつけた。

「今日はお嬢様と奥様は行かれないのですか?」僕はクルウマーの側に伯爵しか居ないので不思議になって尋ねた。

「いや、既に先に出ている。早くに衣装合わせがあるのでな」と伯爵は懐から取り出した金と宝石で宝飾された懐中時計を出し、時刻を確認した。

「そうですか。大勢の方が賑やか良いと思ったのですが」僕は狭い車内で伯爵と二人きりで何時間も過ごさなければいけないと考えたら少々うんざりした。せめてセバスでも付いてきてくれたら、未だ気楽なのに。

「まあ、普段ならそうだが、今彼女たちはピリピリしてるでな。同乗しない方が良かったと思うぞ。なにぶんこの私でさえ、些細なことでケンカになることもある」と伯爵は少し憮然として言った。

「それにだ。こうして二人で居た方が都合が良いこともある」伯爵は懐に懐中時計を仕舞い代わりにハシシ入れを取り出しながら言った。

「というと?」

 やはり昨晩のオファーの回答を聞きたいと言ったことなのだろうか?

「ふむ。昨晩の返事を聞きたいと思ってな。なに、即答せよと言うことでは無い。ポジティブに考えてくれているのかどうかだけで良いのだ」と伯爵は火をつけたハシシの煙をくゆらせながら言った。やはり、思った通りだ。

「そうですね。悪く無い話だとは思っています。それでもまだ踏ん切りの付かないこともあります」と僕は苦々しく答えた。やはりユリアの件が頭から離れないのだ。

「そうか。でもきっと帰る頃には二つ返事で承諾することになると思うぞ。ふはーっはははっ」と伯爵はさも僕がこの件に飛びついてくるだろうと算段しているのか、高笑いをした。

 何だろうか? この自信は? 僕が直ぐ承諾する程、高報酬を約束するつもりななのか? それとも美女のハーレムでもあてがうつもりなのだろうか? 

 僕という人間がわかっているなら、少なくともお金を積まれたり、美女をあてがわれたりするなんて単純なことで快諾するなんて思わないはずなのだが。

「それは期待しております」と僕は作り笑いと共に伯爵の気分を損ねない様注意を払いながら答えた。本来なら全く笑えない話なのだが。このときは未だ、まさか自分があのオファーを快諾するなんて全く思わなかった。


 クルゥマァが遅いとは思っていたがこれほどまでとは全く思わなかった。

 朝9時くらいに出発して、午後一時になろうとしているのに未だに中間地点であるサイドビーチシティのなのだ。

「そろそろランチの時間だな伯爵はそう呟くとコーチの小窓を開け手綱を握っている執事のニジンスキーさんに、

「ニジンスキー、そろそろ食事にしたい。シイナタウンのいつものところに」と伝えた。

 手綱を握っているニジンスキーさんはクルゥマァのポルアに命じて左の方に向かうように伝える。ポルアは例のごとくフガフガ言いながら、コーチを引っ張っていく。

 シイナタウンは港町サイドビーチシティのにあるごく小規模のシイナ人たちのコミュニティーで、世界三大料理の一つと言われているシイナ料理の店が立ち並ぶ。

 その中でも一、二を争う高級シイナ料理店、ワンチェンローとピンセンロー、僕たちはそのうちの伯爵行きつけのワンチェンローに入った。

 大きな門に、芸術的な木彫りの装飾、金箔を貼った壁など豪奢な中華風、いやシイナ風の建物だ。

 中に入ると大勢のウェイトレス、ウェイターがお出迎えしてくれる。

 従業員は多少の帝国臣民が混じっているが、ほぼシイナ人だ。

 顔つきが日本人に似ている者もいるせいか、心なし安らぐ。ただし似ているのは外見だけ。異世界なのだから、当然文化、性格などは日本人とは異なる。気をつけないと危険だ。もっとも危険なのは彼らに限ったことではないが。

「フランチェスコ様、本日は遠いところ、お越し頂きありがとうございます。いつものお席が用意してありますので、ささ、どうぞ奥の方に」

 他のウエイターとは異なり、シイナスーツをきた恰幅のいい男性が伯爵が直接、伯爵に挨拶にきた。おそらく支配人か誰かだろう。 伯爵は支配人に直接挨拶されるくらいの重要なお客なのだ。

 僕らが案内された部屋は僕が今まで入った料理店の中ではおそらく一番豪奢な部類に違いない。

 天井は吹き抜けで上から大きなシャンデリア、大きな丸テーブルの大きな中華料理店では欠かせない回転台。インテリアも翡翠で出来た大きな山のような石、大きな水晶を掘って作ったと思われる孔子(?)像、大理石のギリシャ風彫像、など悪趣味と思うほどの統一性のない置物や絵画などで装飾されている。

「フランチェスコ様、いつも贔屓にしていただいてありがとうございます。本日は上質なシャウ・キーがございます。よろしければ御用意致しますが」

「うむ、それはいいな。用意してくれ。それとシャオジンジュ、ベイジンダック、ピーター、イセロブのキリソース、ファイヤスターター鶏の上酢あんかけ、アカシヤ麺。ユウキはどうする? シイナ料理は食べたこと無いから判らないだろう。私が選んでやってもいいぞ」

「伯爵ありがとうございます。おっしゃるとおり、何を頼んでいいかよくわかりませんので、選んでいただけると助かります」

「うむ、ウェイター、彼には私と同じものを用意してくれ。ユウキ、辛いものは苦手か?」

「多少辛くても大丈夫ですが、あまり辛いのは苦手です」

「そうか。ウエイター、彼の味付けは辛さを抑えてくれ」

「かしこまりました。メニューをお下げします」と、品の良い身なりをした若いウエィターが、革張りの装丁されたメニューを取り下げた。

「うむ」と一言伯爵が言うとウェイトレスは部屋を去って行った。

 ウエイターが出て行くと、早速伯爵は僕に話しかけてきた。

「こうやって、二人きりで食事することも初めてだな。サイドビーチまで来ることも初めてだろう。率直に聞きたいが、うちのユリアのことはどう思っているのだね?」と伯爵は良くある娘のボーイフレンドを説教する父親に変貌した。

 キタキタ、こう言う話になるのは目に見えていた。息苦しい雰囲気だ。

「ユリア様はお美しく賢いお方だと思っています」と当たり障りない返事をした。しかし聞きたいのはこんな事ではないのだろう。

「うむ。ありがとう。親バカともおもうだろうが、確かにあの子は頭が良い子だと思っている。そして君はとても優秀だ。私が見込んだだけあって、あの子の伴侶としてはふさわしいと思っておる。本来であれば喜んできみにくれてやるところだ」

「ありがとうございます。大変光栄に思います。ですが…」

 ぼくが伯爵に話し続けようとした矢先、誰かが扉をノックした。

「失礼します。お飲み物を先にお持ちしました」

 ウェイターが持ってきたのは水とお酒だ。

「うむ、ありがとう」

 伯爵はウェイターから白い陶器でできた瓶からコルクの栓を抜くと、僕のコップにとくとくと注ぎ始めた。

「酒は飲める方かな? 屋敷ではヴィンしか飲んでいるところを見たことは無かったが」

「たしなむ程度なら。ヴィン程度の強さならグラス一杯くらいなら問題無く飲めます」

「うむ、そうか。こいつはヴィンとは比べものにならないほど強いぞ。ま、少しだけ注ぐからまずは味見してみるが良い」

 伯爵はグラスに二センチほど注ぐと、僕に渡し、さあ飲むがよいと言った。

 僕は恐る恐る、コップの中身を飲んでみたが、一口舐めて舌が火傷すると感じて、思わずコップから口を離した。今まで飲んだ酒の中で恐らく桁違いにアルコール度数が高い。

「強すぎたかね? まあ、良い。この水で少し薄めてみたらどうだ?」

 あの強さはウィスキーや焼酎よりアルコール濃度は確実に高い。ということは四十度以上は確実にある。僕はウィスキーの水割りを創るときよりも、やや多めの水をコップに注いだ。

 だがそれでもまだ少し濃かったが、飲めない程では無い。

 伯爵はというと、そんな高い度数でも気にせず、水で割ることも無くグラス一杯に注いだ酒を飲んでいた。

「それで、話の続きは?」

 伯爵は先ほど、僕が言いかけてたことに気が付いてた様で、話を続けるように促した。

「えっと、ユリア様の件については、皇太子様とのご成婚という大変おめでたいことに水を差すようなことは出来ません。

 わたしが彼女と恋仲だったという事はすでにご存じの様ですので、いろいろ言い訳をするつもりはありませんが、本当に彼女を愛しておりました。彼女もきっとそうに違いありません。

 けっして軽い気持ちではありませんでした。けっして傷をつけるつもりでは無かったことを理解してくだされば良いのですが」と、僕は出来るだけ誠実に思われる様に注意しながら答えた。

 だが伯爵の聞きたい事はそんなことでは無かったようだ。

「もちろんわかっとる!」と少しイライラしながら、いつもより大きな声で言った。お酒が入っているせいもあるだろうが、少し怖い。

「だから、あのようなオファーを君にしたのだ。それに皇太子は訳あって子供が作れない体なのだ。だから君には第二夫の推挙をしたのだよ。第二夫など通常でも無いほどに特例であることに加え、本来なら王族のみから選ばれ、平民から選ぶことは無いのだよ。君は特別待遇なのだと言うことをよく考えてみたまえ!」と伯爵は僕の煮え切らない態度に業を煮やしているようで、心なしか声のトーンが高くなる。

「ですが、本当に私などで構わないのでしょうか?」伯爵の態度が怖かったのか、僕の声もうわずってしまう。

「当たり前だ! 君は私の見込んだ男なのだ」伯爵は息を切らせながら言った。少々熱くなってしまったようだ。

「しばらく考えさせてください」僕もアルコールの影響で頭がかっかと来ていたので、心を落ち着かせるため、一旦話を中断したかった。

「そんなに、焦らずとも良い。ただし、早くしないと別の者が君の立場と取って代わることになってしまうぞ。実は王族の中から何人か候補が推薦されているのだ。私は今までそれを抑えていたが、君が難色を示していると知られるとそれも出来なくなる。そうなると君にとっても娘にとっても不幸な結果になるのだぞ。其処をよく考えてみたまえ」

 たしかに好きでも無い人と無理矢理結婚させられ子作りさせられるなどは彼女にとって屈辱だろう。

 僕が暫く考えていると伯爵が業を煮やして席から立ち上がり、声をあらげて、ぼくに何かを言おうとした。

「いいから、君は私の…」

 そのとき、コツコツと扉を叩く音がした、料理が来たようだ。

 伯爵もそこで少し頭を冷やしたらしく、興奮して顔が真っ赤になっていたが徐々に、平常の顔色に戻っていった。

「料理をお持ちしました。入ってよろしいでしょうか」

 ウェイターは僕らの様子から察して料理を運び入れるのを遠慮していたみたいだが、「はいりたまえ」という伯爵の返事を聞くと安心したようで、ワゴンに料理をのせて入ってきた。

 フカヒレスープ、エビチリ、チンジャオロース、素材などは異なるのだろうけど、日本で食べる中華料理と見た目が凄く似ている。

 ただ海老、肉、野菜など素材は何もかもが大きい。

 テーブルに並べられた料理をみて、伯爵のテンションも落ち着いたのか、

「まあ、良い。話は食事の後にしよう」と伯爵は言い、クロスを首にかけた。

「ユウキ、遠慮せずに食べてみろ」とぼうっとしている僕に彼は言うと、箸を手に持ち料理をついばみ始めた。

 僕もあわてて、クロスを首にかけるとラーメン店以外では滅多に触れない箸をもった。


 フカヒレはよりダイナミックにコリコリとしたフカヒレの歯ごたえが心地よく、海鮮のの出汁がきいているスープは今まであじわったフカヒレとは一線を画す、まろやかでキレのある味わいだ。

 エビチリに似た料理エビキリは見た目はホントにエビチリそっくりだ。だが、味については全く辛くない。自分が知っている物はと比べると、まろやかな味と言えば聞こえが良いが、逆を言えば切れ味に欠けるかもしれない。

 だが、特大サイズ海老がそれを打ち消すようなダイナミックな濃厚な味だった。

 伊勢エビとまで行かずとも車エビの倍くらいはあるそれは、食べ応えも充分でプリプリとした海老特有の食感は今までの海老チリと共通だ。

 そして、ややもすれば、臭みを感じるが香辛料でうまく抑えていて、それほど気にはならない。

 そう、香辛料といえば、此処の料理は随分と香辛料がきいている。辛みは無いが香りが独特で強い。

 僕は全く気にならないが、人によっては好みが分かれるだろう。

 チンジャオロースもどきはホントにまんまチンジャオロースだった。肉はカウ肉と呼ばれる牛肉に似た肉、ピーマンと思われるものの、若干固くてシャキシャキしている。

 それに対して、筍に似た野菜の細切りはまったく主張が弱い。歯ごたえは今ひとつで、ジャガイモかと言うくらいに歯ごたえが無い。 それでもこれは味付けもオイスターソースのような味わいがあり、其程濃厚でも無いが、充分青椒肉絲と言える物だ。

 そして、この料理にも、やはりスパイシーな香りをまとっている。

 どうもシイナ料理は中華料理と似ているがスパイスをかなりふんだんに使っているところに共通点があるみたいだ。

 そして、インド料理とも似た雰囲気が有ると感じた。もっとも、それは此処の店特有な味付けなのかもしれないが、他のシイナ料理店に行ったことも、食べたこともないので断言は難しい。

 お次は鶏肉の甘酢あんかけ。これもおなじみの鶏肉の甘酢あんと同じ。だが、調理法が違うのか、甘酢あんが掛かっていても外はかりっと、中身はふんわりジューシーで美味しい。

 中華料理のそれは揚げた衣が餡でべちゃっとなりがちだけど、これは調理法にこつがあるのか、かりっとしている。

 味付けはやはりスパイシーで少し濃いめでは有るが、甘酢がフルーティーな香りと味わいなので、食が進む。

 だが、味が濃いせいか一口食べると何かで口をさっぱりさせたくなる。そこでさっきのシイナ酒の水割りを飲むと、これがまた旨い。このお酒はこの料理の為に存在しているのではないかと言う位にマッチしている。

 フランス料理にはワイン、刺身には日本酒、ソーセージ、餃子にはビールと言うようにこの料理にはこのお酒というのがあるが、此処ではシャウ・キーなのだ。

 他にもピータン風や北京ダック風の料理も有り、伯爵にも勧められはしたのだが、それよりも僕が食べたいものが有ったのだ。

 アカシヤ麺。中華風細麺のラーメンにたっぷりのもやし系野菜を炒めた餡が載っている。五目そばの劣化版のような感じと言えばイメージできるだろうか? 

 そのアカシヤ麺が、たった今、目の前に置かれた。

 それをみたら、もう居ても立っても居られなくなり、他の料理そっちのけで、どんぶりを引き寄せた。

 まずは用意されたレンゲで一口スープを飲んでみる。醤油ベーススープで鶏と蟹の味がする。餡の生なのかやや粘度があり甘めのスープだ。

 ジラーやベンティーナと異なり、よく言えば、嫌みのない上品な味、悪く言えば、突き出た所は無い優等生的な味だ。だが、これだけの高級店だから最高の食材を使用しているのだろうからこのくらい美味しいのは当たり前だ。

 だがスープだけで判断するのは早計だ。ラーメンは麺が命。そして麺とスープが一体になってこそラーメンなのだ。と思いながら、麺を一口啜った。

 麺は同じ細麺でも九州ラーメンと異なり平打ちっぽいストレートで、しっかりと茹でられており柔らかめだ。麺の一本一本は少し長めで、一度に全部啜りきるのは難しかった。

 でもこれだけでは不味くはないけど普通のラーメンと大差ない。

 だが、よく考えて欲しい。横浜中華街で食べるラーメンは麺とスープは奇をてらったものでは無く、基本は万人受けするもので、そこにバリエーションを持たせるためにさまざまな具材をのせ、どちらかというとその具材で食べさせるものだ。

 ベーシックに味玉、チャーシュー、メンマを乗せたもの、時には五目うま煮、フカヒレ、かに玉、そう言った具材で食わせるのが中華料理店のラーメンだ。そのためには麺とスープが主張しすぎるのは良くないのだろう。シイナ料理もそういう中華料理と多大な共通点があるから、似たような考え方だと想像出来る。

 それを踏まえると、具材のあんかけを麺と絡めて食べるのが正解の筈。

 僕は、箸でもやし餡、麺を一緒くたに掴み、思い切り大きな口を開けて、それを頬張った。

 うん、やはりこれが正解だ。

 もやしのシャキシャキ感と良く味付けされた餡が麺に良く絡んで美味い。

 もやし以外の具材もニラ、メンマ、タケノコ、かまぼこ(別物だろうが食感と味は似ていた)などが餡と一体化してその食感が美味しさに拍車をかけていた。

 だが、食べ進むにつれ、あんかけラーメンの宿命か、餡がだんだんとスープに溶けてしまい、麺を餡と絡めて戴くという至高の食べ方が不可能になってきた。

 だが、餡の味付けがしっかりしているのだろう、溶けた餡が混じり合ったスープは、実に絶妙な味わいとなる。

 まさか、調理師はこうなることも想定してこの味付けしているのだろうか? 

 こういう芸当はジラーやベンティーナのような主張が強いスープでは真似できない。

 ここでは具材との調和を考えてスープを作っているのだとしたら、じつに拍手喝采である。

 僕はこの異世界に来て、ようやく正統なラーメンを食べたような気がする。

 もちろん、ジラーやサラバスティがラーメンでは無いとは言わない。

 だが、誤解を恐れずに言うなら、あれは正統なラーメンと少し違う。変化球的な、いや進化系の感じがするのだ。

 万人が思い描くような、美味しいラーメンとは異なる。

 そう、どちらかと言えば此処のような普通のラーメンに物足りなくなったラーメン上級者の人々が求めるものなのだ。

 このラーメン、アカシヤ麺はそんなラーメンと真逆にある、一般大衆に愛される、自然に美味しいと言う言葉が出てくる料理だ。大人だけで無く小さい子供が「おいしいね!」と言える普通のラーメンなのだ。

 しかしそんな普通のラーメンを、高級シイナ料理店で食べる。なんとも贅沢な気分だ。僕はスープを飲み干すまでその普通・・を夢中になって食べた。


 結局の所、ぼくと伯爵は二時間弱、シイナタウンに滞在していた。

 もちろん、ワンチェンローにいるあいだ酒と料理をつまみつつ、僕は伯爵にユリアの件とガレスでの仕事の件で話をした。

 伯爵は僕を大変気に入ってるみたいで、絶対にオファーを断らせないように、いろいろな手段をとっているように見えた。

 一つはユリアのこと。皇太子に嫁ぐはずなのに、なんとしてでも僕とくつけようとしている。

 どちらかというと就職の話より此方の方がメインなのでは無いかと疑うくらいで正直言ってって理解に苦しむ話だ。

 もちろん人によっては人妻と浮気する男は珍しくないが、僕はそういう男では無いのだ。

 第一、いくら種無しだからといって、皇太子はそんな扱いに屈辱だと感じないのだろうか? 逆の立場なら当然僕は我慢できない。

 だから、僕はやはり少し考えさせて欲しいと結論を先送りにするしか無かった。

 どうしてもその話は不可避であるなら、僕はユリアと禁欲を貫き通すしか無い。だが、この僕にそれが可能なのだろうか?

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