第一章 ミイタにある伝説的ラーメン店でワブ入りラーメンを食す

  セルリア歴5332年羊の月三十


 さて、そもそもどういう経緯でここに転移してきたかの話は後々の為に取っておこう。

 ただし、この世界に転移したとき、大学の研究室から自宅のマンションに帰宅する途中だったので、持ち物なんてたいしたことなかった。ノートPC、携帯電話、財布にペットボトル入り飲料と少量のお菓子くらいで、替えの洋服もまとまったお金(もっとも日本の紙幣など此処では紙切れ同然。価値のある物ではない)も持ち合わせていない。

 こんな状態で転移したのだから、まったくもって無一文で異国に放り出されたようなものだ。だが、まだ外国の方がマシだろう。

 大抵の国なら現地の警察や、いざとなれば大使館に助けを求めることができる。

 ただし、一部の独裁体制、テロ組織が支配していたり、内戦が続いている国家だったら話は別だ。最悪、犯罪者かテロリスト、あるいは地元警察か軍に捕まって拷問で殺されるような危険な状況もありえただろう。

 そうでなくとも、何もないところで、餓死か野生動物のエサになって死ぬか。例えるなら北海道の人里離れた山奥で遭難して挙げ句の果てに谷底に落ちて骨折して身動き取れなくなった様な物だ。しかも携帯電話はバッテリー切れか圏外表示。

 しかしまだそちらの方がマシかもしれない。少なくとも心配した家族や知り合いが遭難届を出してくれれば捜索隊が来てくれる可能性もあるのだから。

 だが、そんな最悪の可能性もあり得たが僕はたまたま運が良かった。

 此処は異世界であったが、幸いにして人里近くで、親切な女性に出会えたからだ。

 その女性、ユリア・フォン・フランチェスコと言う名で、とある貴族の娘だ。貴族の娘らしくとても高飛車なところもあるが根はとても優しい娘で、見知らぬ僕に対してもとても親切で、逆にお節介とも思えるほど気を遣ってくれる。

 僕が元の世界(便宜上、あるいは日本としておこう)から転移してきたことも素直に信じてくれるような世間ズレしていないところもあるが、基本的にはとても聡明な子で、ステロタイプのお嬢様では無い。

 彼女はぼくが見知らぬ地に迷い込んで困っていると聞くと、宿泊場所も提供を申し出てくれたり、家庭教師として雇うよう、父親に進言してくれたりと、とても優しくしてくれた。この辺りの経緯も後ほど詳しく説明したい。

 さて異世界に来て数ヶ月が経過した後、この国の言葉にも慣れ、一人で市場に買い物に出かけられるようになった。

 異世界の人間とどうやってコミュニケーションをとったかって? なんという偶然なのだろうか! この世界の住人の言語は英語に非常に良く似ている。詳しく説明は出来ないが、なんらかの形で現世と繋がりがあると考えている。

 先ほど一人で市場に出かけることも可能と言ったが、実はまだ一人で買い物には出かけたことが無い。実はお世話になっている、ユリアのお付きでという形でしか外出はしていなかった。

 今回も彼女のお供として屋敷から少々離れているがミイタ市にやってきた。移動に使っている馬車(と言って良いかはよくわからない。何故かというと馬では無く北極クマに似た謎の生物が車を引いているからだ。

 ここではこの生き物をポルアーと呼んでいるようだが、はっきりと判らないが北極ポーラークマが訛ってこの名前になったのだろうか? それはいくらなんでも偶然すぎると思うが。

 この生き物が明らかに北極クマと異なるのは、足の長さだ。まるで筋骨隆々のボディービルダーが全身に白い毛皮をまとい、頭がクマにすげ変わったような、僕からするとかなり滑稽な見てくれだ。

 そして驚いたことにこのクマ、人語を解し、喋るのだ! 

 勿論、人間の様に流暢にしゃべれるわけでは無いが、無口な田舎のおっさんがしゃべるようにボソボソと言う感じで、且つ酷い訛りでしゃべる。例えるなら「おらぁ、今日は疲れちまったけどお嬢の言うことなら聞くっぺよ」みたいな感じだ。まあクマがしゃべるんだから、僕からしたらそれだけでも驚異なのだが。

「ねえユッキー、ここ来るの初めてよね? お店いっぱいあるから、ここならきっとユッキーの気に入る物があると思うわ」

 ユリアはきらきらと光るような笑顔を振りまいて僕に言った。ちなみにユッキーと言うのは僕のニックネームだ。

 僕は此方に転移して以来、電力を発生させる装置(電池、あるいは発電機)を創る部品材料を探していた。元の世界から持ってきた数少ない財産であるコンピュータを使いたいからだ。

 ユリアが以前話してくれたとおり、この辺りでは最も大きな都市ミイタでは、なるほどたくさんの店があった。しかし、目当ての電力を発生させるような道具はなかなか見つからない。産業革命以前の文化であるこの国ではそんな物を望むのは無理だと判っていたが、一抹の希望をもってここに来たがやはり無駄だったようだ。

 僕らがロココ調の建物が並ぶ市街地を通り抜け、市場が開かれているアルファルファ広場にさしかかる頃だろうか、「旦那、旦那」と、誰かが背後から話しかけてきた。

 だが、振り向いてみても誰もいない。空耳か赤の他人に誰かが話しかけたのを勘違いしただけか、と思い僕はさっさと先に進むユリアの後を追いかけた。

 しかし空耳と感じた声はさらにはっきりと、より存在感を増して、まるでずかずかと土足で上がり込むような図々しさを伴って僕の耳に無理矢理ねじ込んできた。

「旦那、旦那、ここですよここ」

 どうも下の方から聞こえてくる。見下ろしてみると、其処には子供くらいの大きさのネズミに似た生物が二体、大きな書物を持って佇んでいた。

「旦那、旦那、一見すると旅のお方とお見受けしますが、お土産に良い物がありますよ」と、ネズミに似た生物は僕に流暢な言葉で話しかけてきた。

「ユッキー、相手にしちゃダメよ」

ユリアは僕にぴしゃりと言うと、僕の手を引っ張り前に進み続けた。

 僕も彼女の言うとおりだと思い、彼らのことを無視した。

 だが、それを拒むように目の前を妙齢のご婦人の集団が横切り、手を繋いでいたユリアと無理矢理引き離されてしまった。そのおかげで僕はどうにも彼らを無視することが出来なくなってしまった。

「旦那旦那、お忙しいところ申し訳ありませんね。是非見てもらいたい物がございましてね」と彼らはずっと手に持ってた分厚い本を僕に手渡してきた。

 手に取ってみるとその本は見た目通りずっしりと重かった。しかしそれよりも気になったのはその装丁に用いているビロードのような素材だった。

 なんとも手触りが良く、以前飼っていたロシアンブルーの毛並みのようだった。

 いや、そんなもんじゃ無い。ただの毛皮のくせにふわりと柔らかく、何故か生き物の様にぬくもりもあり、ずっと何時までも撫で回していたくなるさわり心地だった。

 僕はその本を開くことも無くしばし眺めながら表紙の手触りを楽しんでいたが、まんざらでもない僕の様子を察したネズミたちは、

「お気に召しましたか? この本は『ワブの書』というもので、私たちの国でとても人気があるのです。ここ、カロンでも最近人気が出始めてましてね、以前は一部の好事家がわざわざ国外から取り寄せていたのですが、ここ半年くらいで若い女性たちに噂になるようになっておりましてね。書店に入荷と同時に瞬く間に売れてしまう様ですよ。しかもこのワブの書は発売百周年の記念品でして、最高級のワブの毛皮であつらえており、限定百部のみ発行。通常版で使用しているワブ革と比べ、希少価値も高いですし、なにしろ見た目、手触り等、高級感は比較にならないものですよ。外見ですぐ限定品だとわかりますから、持っているだけでみんなの人気者になること請け合いです」

 ワブ? なんだそれは? 彼らは僕の心を見透かしたかの様に話を続けた。

「ワブをご存じ有りませんか? それは失礼を致しました。失礼を承知でお聞きしますがカロンには最近来られたのですか? 見たところシイナ出身とお見受けしますが?」

 やはり外見が少しカロンの人と異なることを見抜かれたようだ。

「いかにも、僕は此処の出身ではありませんが、シイナ出身でもありません。日本と言う国の出身です」

「ニッポン? 聞いたことありませんな。シイナよりもさらに遠くの国でしょうか? さすがにシイナより遠いとなると私どももそれほど地理に詳しくありませんので、存知てなくて申し訳ございません」

 するともう一匹のネズミが彼にひそひそと小声で何かを告げた。

「ああ、ニッポンと言う国、私の連れが言うにはカロンの古の国の名前と似ていると。しかし有史以前のお話ですから、まったく関係はありませんよね。失礼しました」

 ここではあんまり自分の出身に突っ込まれても困る。異世界から転移してきたなんて広まってもろくな事はないはずだからだ。

「ま、話が脱線して申し訳ありません。念のため、ご存じないなら、お教えしましょう。ワブは北方の国ブラウズマンで飼育されている最高級の毛皮と食肉用の動物です。毛皮は最高級の手触りでとても暖かいので、ご婦人を中心に大人気なんですよ」

「しかも、そのお肉がまた凄くおいしいのです。なにしろ、とろりと甘く、濃厚な味でそれでいて後味も良く、しかも手頃な値段なのです。カロンを含め多くの国の大衆料理で使われております。ただ貴族層にはその臭いを嫌う方もおりますが」と、彼らは僕が言葉を挟ませないようにしているのかと勘ぐるくらいに、まくしたてるように先を続けた。

「また、その手触りの良さから、毛皮、食用としてだけでは無くペットとして飼育している方も居るくらいです」と、ネズミたちはまるで我が子のことのように自慢げに言い放った。

「どうです? ニッポンへのお土産に良いと思いますよ。遠い異国ではワブは大変珍しいと思いますから」 

 そいう、まくし立ててくるネズミたちを余所に僕は中身を確認しようと背表紙を抱えるようにして持ち、表紙を捲ろうとしたとき、

「お代は五百ポスクレッドになります」と彼らはそう告げるとその小さな両手を広げて差し出した。

 いきなりの請求にビックリしたが、ちょうど書庫の本にも飽きたことも有り、また五百ポスクレッドという破格の値段(僕の給金から考えると日本円換算で五十円くらいだ)な事もあり、中身を確認もせず代金を払ってしまった。小さな子供くらいの身長である彼らを不憫に思えたのかもしれない。

「一冊と言わずもっと買って下さっても良いのでは? 五冊買って戴けるならもう一冊サービスしますよ」

彼らはさらに袋から残りのワブの書を取り出して、僕に差し出した。

 限定百冊にしては破格だし、さらに一冊サービスもするなんて胡散臭い。僕が異国の人間だからとと言って舐めているのか?

「いや、ちょっと持ちきれないし、連れが先に行ってしまった。また今度にするよ」と断るが、彼らは引き下がらず、

「でも、限定品でもう手に入らないかもしれないのですよ? 有ったとしても一冊サービスは今だけです。ニッポンへのお土産に喜ばれますし、あちらで転売すれば良いお小遣い稼ぎにもなります」

 もう、けっこうだ。これ以上居ると本当に買わされしまう。

 危険を感じた僕はしつこい勧誘を振り切るかのように彼らから離れた。

 しばらくするとネズミたちは雑踏に紛れて何処かへ消えてしまった。

 返品を要求される前に逃げたのだろう。そしてまた新しいカモを相手に本を売りさばくつもりなのだ。

「ユッキー! もうなにぼさっとしてるのよ!」と、ユリアが二ブロックさきから、ぴょんぴょん跳ねながら僕を手招きしている。

 僕は、はっとして持っていた本の重さを感じながら我に返った。

 なんでこんな物を買ってしまったんだろう? 我ながら自分の間抜けさにあきれて怒りがわいてきた。値段の問題では無く、何故、何も考えずに金を払ってしまった自分の愚かさに怒っていたのだ。

 僕はふとその本を開いてパラパラとめくってみた。


        ●●●


『有樹はマーケットの雑踏の中で一冊の本を手にして呆然と立ち尽くしていた。

 ユリア・フォン・フランチェスコは彼が自分の後ろに着いてきてないことに気が付き後ろを振り向くと、彼がまだ二ブロックも後ろに居ることに驚き、大きく手をふり彼を呼んだ』


        ●●●


 なんだこれは? たった今起こっている、自分とユリアのことではないか?


        ●●●


『彼女は仕方ないといった感じで有樹の所まで戻って行き、...とぴしゃりとたしなめた』


        ●●●


「もうユッキーったら、あれほど相手にするなって言ったのに」

彼女はまさに本に書いて有るとおりのこと言い、腕を組んで僕を睨み付けていた。

「ユリア、ごめん。人混みに阻まれている間に付け入られてしまって。でも、この本、不思議なんだけどここに書いて有るとおりのことが実際に起こっているんだ」と、僕はこの不思議な本の事を彼女に説明しようとした。しかし彼女は既に周知のようで、

「そんなこと知ってるわよ。ワブの書しょ? でもそれインチキよ」

 僕が目を丸くしてただ彼女のインチキと言う言葉に驚いていると、彼女は続けて、

「その本、ブラウズマンランドって北の国で昔から売られてるって話だけど、最近この国にも手に入るようになって、巷で話題になってるって聞いてるわ。でもただのインチキ。書いてあることがホントに起こるって話だけど、その本は魔法が掛かっていて、持ち主の考えていることを、文字にしているだけ」

「え? ホントなの? でもこの本が持ち主の思考を文字にするってどうやって? どう見てもただの本にしか見えないのに」

「そんなの知らないわよ。お父様がそう言ってたわ。でも一つだけはっきりしているのはその本はワブって生き物の皮から出来ていて、そのワブって人間と言葉を使わずに会話が出来る魔法を使えるの」

「!?」 僕はあまりにも突飛な話なのでびっくりして何も言えなかった。

「さらにそのワブの皮で出来ている本も、その魔法で持ち主の思考を反映して文字にするんだわ」

 たとえワブが人の心を読めたとしても、それはあくまでも生命があるときの話じゃないのか? それが死んで、ただの皮になってからも可能なのか? そんなスピリチャルな話はとても理解出来なかった。

「もっと怖い話もあるわ。辺境のオプティスってところで貿易船のフランコ船長がセルリア人として初めてそれを現地人から入手して食用の為射殺したら、死ぬ寸前にそいつの魂がフランコ船長と入れ替わってしまったの。可哀想な船長の魂はワブの肉体に入れ替わって、自分自身に射殺されてしまったわけ。とても信じられない話だけど。ま、あくまでも噂ね」

 僕はその話を聞いて空恐ろしくなってしまい、持っていた本をあわてて何処かに捨てようとゴミ箱をさがして辺りを見回した。

 彼女はそんな僕を察したようで笑いながら、

「あくまでも噂よ。それにその本もこの国で、だいぶ前から出回ってるけど、本を持っているからと言っておかしくなった人は聞いたことないわ。だいいち、ワブ肉もみんな食べてるけど突然人が変わったなんて聞いたこともないし」と話す。

 僕は驚いて思わず手で口を抑えた。

「大丈夫よ、うちではワブ肉なんて食べないもの。そもそもお父様はワブ肉なんて下卑た物嫌いだし、たとえ食べたいと言っても料理長が許さないわ」と彼女は言った。

 そういえばネズミたちも貴族階級はワブを食べないと言っていた。僕はほっと胸をなで下ろした。

「でもユッキー、その本は持っていても良いけどせいぜい気をつけた方が良いわ。魂を乗っ取られるわけでは無いだろうけど、その本の内容に蹂躙されることになる」と、彼女はさっきの笑顔から打って変わって神妙な面持ちになったがそれ以上はこのことについて何も言わなくなった。


 僕は本をいったん馬車(クルウマーという立派な名前が有る)に置くと、彼女としばらく街中を散策して居た。

「そろそろお腹が空いたわね。私以前から行ってみたかったところが有るの!」と彼女は突如ひらめいたように言うと、とある店の前でたち止まった。

「ラーンジラー」

 極端に鋭角な三叉路の角地にある、その店は敷地目一杯に建てられていて、年期の入っている様だった。

 造りはレンガやでも大理石でもなく、安普請でつくられている様だ。そしてそれを取り繕うように、安物と一目でわかる白いタイルで張り巡らされており、見ようによってはまるで大家族の為に切り分けられた薄いショートケーキのようだった。

 当然ではあるが、ロココ調建築が大部分を占める周りの風景から浮きまくっている。

 店内から強烈な豚骨臭がただよっており、僕と同世代と思わしき男性を中心に大勢が列をなしている。

 中をのぞき込むとお世辞にも綺麗とは言いがたい店内で、僕の祖父と同年代くらいの恰幅の良い男性が黙々と大きい釜で何かを茹でている。

 それは日本で言うところのラーメンの様な麺料理で、厨房にはどんぶりのような大きなボウル状の食器が並び、其処に茹でた麺とスープ、肉、野菜がてんこ盛りに盛り付けている。

 客はほとんどは、まるで餓鬼の様に目を血張らせながら、声も出さずに一心不乱にそのてんこ盛りになったラーメンらしきものを食らっている。中には途中で食が進まなくなり、一口食べてはコップの水を一口飲みため息をついている者も居る。僕はその異様な雰囲気に面食らってしまった。

「ユッキー! そこじゃ無いったら!」

 僕は彼女の甲高い声にはっとして振り返った。

「わたしがそんな家畜のエサみたいなもの食べたい訳無いじゃん!」と、彼女は通る声で言った。

 家畜のエサという彼女の侮蔑のような物言いに、立腹した一部の客が睨み付けている。

 彼女は自分が貴族階級ということもあり、普段の物言いはかなり高飛車で、他人を気遣ったりするような柔らかい言い方をすることには無縁だった。ただ、それは本人とって特に意識している訳では無く、彼女としては自然な振る舞いなのだ。

 彼女は背後からの悪意ある視線も気にせず僕の袖を掴み、その店の向かいにある小綺麗なお店に引っ張って行った。

 店の中はひんやりと涼しく長時間外を歩いた僕らには心地よい空間だった。

 ここは最近開店したようで調度品も真新しく、ジラーと対照的に清潔感漂う店だ。

 彼女はメニューの書いてある板をカロン人ではない浅黒い肌のウェートレスから受け取り、僕に差し出し、

「えっと、何が良い? って言っても良く判らないわよね。私はこのウンニャムラータ(なんて発音したか判らない)にするけど同じの頼みなよ。飲み物とデザートも付いてくるし。あ、このウンニャムラータ(やはり判らない)を二つください!」と勝手に決めてしまった。

 もっとも僕もここで何を頼んで良いか判らない。任せるほか無かった。

 ウェートレスに注文を伝え終わると彼女は、開口一番、

「もう! 私があんな汚らしい家畜のエサみたいなもの食べたいと思ってたの? あの並んでる人たち見て」と、不機嫌そうに言いながら、顎で例の店の行列を指した。

「ああ、そういえば…」

 僕でも直ぐ気がつく程、行列を創っている彼等には判りやすい特徴があった。

 彼等の殆どが肥満体で、肥満度合いが酷い者程、何かに取り憑かれているように見えた。

 その店は窓は無いのだが、三つあるドアは全て、開け放たれ全開であるにも拘わらず、食べ終わって出てきた客たちは一様に大汗をかいている。

「ね、みんな太ってるでしょ? ああいう風にはなりたいと思う? アレは量だけでも大人の一日分以上の栄養があるのよ」

ユリアは彼等を汚いものでも見るようなまなざしで見ながら言った。

「ま、たしかにそうだね。僕の国にも似た食べ物があるけど、とても高カロリーで、丸一日何も食べなくて良いくらいお腹がいっぱいになるって聞いたことある」

 僕はネットでしか見たことが無いが、日本でここ数年確かに凄くもてはやされているラーメン店があることは知っていた。

 かくいう、僕も一度新入生のとき大学の近くにあるデカ盛り店で食べたことがあるが、先輩に騙されて『メンマC』というのを頼んでしまったことがある。

 その結果、常識を外れた量の料理が出てきた。しかもメンマCと言いながらメンマは全く見当たらない。今から考えればメンマCではなく、麺増しだったのだ。

 先輩たちは「せっかくマスターが作ってくれたラーメンを残すなぞ許されん! と無理矢理食べさせられたお陰で、お腹がパンクしそうになって、大変苦しい思いをした。

 結局大半を残して店の人には嫌みを言われるし。帰り道で吐くしさんざんな目に遭ったおかげでもう二度と食べないと思ったものだ。

 その後、3年生で地方のキャンパスを移ったために、そこの店に行く機会は無くなったが、同じ研究室のメンバーで、やたらそのラーメンを語っている奴の話や、キャンパス近くに似たような店が出来たのをきっかけに興味をそそられていたところだった。

 が、この世界に転移してしまい、戻ることもままならないこの状況でそんな些細な事はすっかり忘れていたのだ。


「あー、凄くおいしかったわね!」とユリアは満足そうな笑顔で言った。

 僕等はレストランでの食事を終え(ウンニャムラータとかいう料理は結局、インド料理っぽい何かだった)、外に出ると彼女はご機嫌で僕の腕に手を回してきた。凄く機嫌が良い証拠だ。

 まだ帰るには時間もあるため僕らは別のマーケットに立ち寄った。ユリア曰く、午前中のマーケットは服や食料品が中心だったが、こちらのマーケットは雑貨や実用品、何に使うかよくわからない道具や骨董品が多いとのこと。

 それに医者からは貰えない様な怪しい薬も売っていて、まともじゃない風の若者がよくたむろっているらしい。

 その話を聞いてなんとなく察しがついた。きっと日本では(そして大抵の先進国では)持っているだけ逮捕されるような類いのものだろう。驚いたことにまだこの国、いやこの世界では違法ではないらしい。

 十数件ほど歩いたところだろうか、ユリアが怪しい骨董品売り場で立ち止まって、一点を見ていた。

「わあ! 綺麗!」

 宝石か何かの類いだろうか? 僕は彼女の背中越しに視線の先へ目をやった。

「…」

声が出なかった。なぜこんなものがここに? それは日本でも雑貨店などに売っているプラズマボールだった。ガラスのボールの中に電極が封止してあり、怪しげに放電発光をするアレだ。電機器具もないこの世界にこんな物をお見かけするとは夢にも思わなかった。

「ユッキー、あれきれいだと思わない?」ユリアは目をきらきらと輝かせながら見つめていた。僕が唖然としているのを見とれていると勘違いしたのだろう。

「ユッキーもあれ良いなとか、思っちゃった?」

「うん、そうだね。綺麗だね」僕は上の空で返事をして、ふらふらとそれに近づいた。

「お客さん、お目が高いね」店主らしきフードを被った小男が商売人らしからぬ小さなかすれた声で、ぼそっと返事をした。

 僕は野球ボール大のそれを持ち上げてみた。それは見かけより意外に重く、しっかりと支えてあげないと落としそうになる。どうやって電力を発生しているのだろうか? それが乗っている台座は特に蓋など無く石のような人工大理石のようなぬめっとした素材で出来ている。

 僕は値段を確認しようとぐるり回転してみたが特に紙も札も無かった。それを察したか店主はフードをはずしてこう言った。

「百九十万ポスクレッドになります」

 いくらなんでも法外だ。一ヶ月分の給金が吹っ飛ぶ。

「高いな。もっと安くならないのか?」大抵こういうところは値段をふっかけてくる。しかも、いかにも貴族然とした風体の若い女性が一緒となれば、かなりの金持ちとみられても仕方ないだろう。

「いやいや、これはこれは北の国ルーランでのみ産出するとても高価な発光石でできてるんだ。ここミイタでも滅多に入ってこない珍しい代物なんだよ」と、店主は金が無いなら帰れとでも言いたそうにぞんざいな態度で言うと、プラズマボールを僕の手から半ば強引に取り上げた。

 発光石という言葉を初めて知ったが、なんろなく電気を発生させる鉱物ではないかと直感した。

 改めてプラズマボールを確かめたかったが店主は何も言わず僕を追い払うように手を振った。

 突然、背後から女性の声が聞こえた。

「それ、私が買うわ」

 振り向くと、ユリアが手を高く上げ店主を呼びつけていた。

「お嬢さん、どこぞの貴族階級の方とお見受けしますが、百九十万ポスクレッド、即金で払って戴けますかね?」店主はうさんくさそうな目で僕をちらっと見つつ彼女に言った。

「いまそれほど持ち合わせは無いわ。でも必ず買うから取り置きしてもらえる? 今百万ポスクレッドなら持ち合わせ有るから、内金にしても良いわ」彼女は鞄から金貨を十枚ほど出して見せびらかすように広げて見せた。

 現金を見せつけられ店主は目の色を変えて、

「それはそれはありがとうございます」と手のひらを返すように営業スマイルで上面だけの感謝を示した。

 嫌な感じだ。僕が苦手とするタイプの男だ。

「それでは、明日までにお願いできますか? 生憎ここのマーケットでの商売は今日まででなんでね。明日の昼過ぎには次の場所に向かう為に出発しますので。本来なら今日中に出発したかったのですが…」店主はいかにもいった感じで勿体ぶるように話した。

「ありがとう。感謝します。ところで、お金はどこに持って行けば良いのかしら?」彼女もさすがに貴族といった高潔な口調で言い放った。

「私は、エリア3にある踊る子馬亭に泊まっております。そこに九時でどうでしょう?」

「いいでしょう。明日、この者に残りの金を持たせて行かせます」


 僕らは骨董品屋店主の慇懃な態度で見送られながらマーケットを離れた。

「お嬢様、ずいぶん思い切って高価な物を買いましたね」僕は彼女の大それたお金の使いっぷりにビックリしていた。いくらなんでもあんなおもちゃに僕の給金とほぼ同額分の大金を払うなんて思いもしなかった。

「あら、アレはあなたへのプレゼントよ」彼女は思いもしなかったことをさらっと言った。

「だって、とても欲しそうな顔をしてましたでしょ?」

 まあ、確かにそうだ。しかしプラズマボールが欲しかったわけでは無い。あの放電させている仕組みに興味があったまで。しかしここでそれを口にするのは野暮という物だ。プレゼントはプレゼントらしくありがたく戴いておこう。

「これからも私と仲良くして下さって! 約束よ」と彼女は僕の両手を握り、そう言うと頬に軽くキスをしてくれた。

 あまりに突然なことで僕は動揺して頬が紅潮するのを感じた。

「あら、ずいぶんと純真なのね。もっといろいろな女性とキスくらいしていると思ったわ」彼女はクスクスと笑いながら僕の背中を叩いた。


 翌日、僕はユリアから金貨を預かり、骨董品屋店主の指定した「子馬亭」という宿屋に赴いた。宿屋はそれほど大きいわけでは無いが、立派なバーがフロントのフロアにあり、そこで待ち合わせる手はずになっていた。

「旦那、待たせたね」彼は約束の時間よりだいぶ遅れてバーに入ってきた。

 手には例の物が入っているとおぼしき布製の鞄を持っている。

「ほい、約束のものだ」彼はテーブルの上にどんと鞄を置いた。

 とても高価な物とは思えないような雑な扱いだ。僕がそれを受け取ろうと手を伸ばすと、彼は鞄をさっと手元に戻し、「へへ、旦那、お代が先ですぜ」と言い放った。

「先ず中を見せてもらえないか?」僕は騙されないように慎重になった。

 男は面倒そうな顔をして鞄を開けて広げて見せる。驚いたことにそれは化粧箱どころか紙や布にも包まれずそのまま裸の状態で入っていた。

 高価な割には随分雑な扱いなんだなと思いながらも僕はポケットから金入れを取り出し、残金分の金貨を取り出し男に支払った。

 男は金貨を仕舞い終えるとにんまりと笑いながら鞄を僕に渡し、もう用事は済んだといった様子で僕に「旦那、ありがとうございます。あのお嬢さんにもよろしく伝えてくんなまし」と言い放ち席を立つと、そそくさとバーを出て行った。

 昨日もそうだったがここの慣習では領収書と言う物が無いらしい。これだけの高価な物を取引するのに、支払いの証明も貰えないのは不安になる。

 僕は鞄(というより袋)の中身をあらため、確かにプラズマボールであることを確認した。ボールは袋の中で怪しげに発光したままになっている。

 あの親爺め、スイッチを切って無いじゃ無いか! 僕は電源(と言って良いか判らないが)を切ろうとそれを袋から出すとスイッチを探したがそれらしき部分は無い。

 昨日探したときも台座部分にはスイッチどころか電源を納める部分にアクセスするところが無かったのを思い出した。取扱説明書みたいなものは無いかと袋の中を探したが、驚いたことに紙切れ一つ入っていなかった。宝石の類いでもメンテナンス方法が書いてあるメモくらい添付されているはずなのに。

 バーの客はそんな怪しげな物体をいじり回している僕の事をほとんどの者が無関心なようで気にもしていないようだったが、中には興味本位かチラチラ見ている者も居た。 

 僕はそれを袋にしまい、バーを出てフロントに向かった。例の骨董品屋店主に取り扱いについて聞くためだ。しかし、時既に遅かったらしく、もう出発した後とのことだ。

 父の形見であるブライトリングオールドナビタイマーで時間(自動巻きなので電池交換をする必要がないのが、ここの世界では助かる)を確認したがまだ十分程度しか経過して無い。

 まだそれほど遠くへは行ってないと確信した僕は宿屋の店主に行き先を尋ねたが残念なことに何も伝えずに出たとのことだったが、ここ近辺でマーケットが開かれるような大きな街は北西にあるクンマーというところだらしい。少なくともここから五十ヒロ(距離で言うと一二〇キロ)程は離れているという。

 慌てて彼を追いかけようとした僕を宿屋の主人は「止めときな、ホルセ車に載って発ったんだ、ポルアなんかじゃ追いつけないよ」と諫めした。

 ホルセと言うのはなんだか判らないがシロクマの馬車(?)より早いらしい。馬か何かなのだろうか?

 たかがプラズマボールの説明書くらいで慌てる必要もない。僕は結局彼を追いかけることは諦めた。どうせ暫くしたら行商に来るのだろうし、そのときに確認すれば良いと思ったからだ。


 僕は重い荷物を抱えて、車を待たせている五ブロック先の駐車場のある中央広場まで手を痺れさせながら歩いて行った。途中ユリアと昼食を摂ったレストランの横を通りすぎた。

 と、同時にこの辺りでは珍しい行列のおかげで例のラーメン店も否応なしに視界に飛び込んできた。

 並んでいる人物は恐らく別人なのだろうが、みんな似たような容姿であるので区別をつけるのも難しい。

 この世界の住人はヨーロッパ系白人に近い彫りが深い人が大半なのでは日本人である僕には余計に区別が付きにくい。

 僕は日本人のなかでも割と彫りが深い、いわゆる濃い顔の方なのだが、やはり彼らと比べて異質の様でじろじろ見られてしまう。

 そして、ここまできて手の痺れが限界に近づいたようだ。大きさの割には意外と重い荷物をとても持っては居られなくなってしまったのだった。

 最初は行列から離れていたはずなのだが、僕が重い荷物を足下に置き店の横でずっと突っ立てたせいか、いつのまにか後方に人が並び行列に並んでいる事になっていたようだ。

 それに気が付いたころには時既に遅く、なんとなく列の先頭になってしまっていたのだが、昼時をだいぶ過ぎていたせいで、お腹も空いていた僕は仕方なしにそのまま着席することにした。

 着席してしまうと心に余裕が出来てきたので店内をぐるっと見回してみる。

 店内は外見以上に年季の入っている雰囲気だった。いや年季が入っているというより、汚いと言った方が正しいかもしれない。

 だが、逆にこれは期待できると思った。昔、ある友人が言っていた、「ラーメン店は汚い店ほど美味い」というの言葉を思い出した。

 階段に置きっぱなしの食材の入った袋、子虫がうごめくカウンターの隅、モップの枝にしか見えないかくはん棒、スープやゆで汁があふれまくって茶色い物がこびりつき元の色が判らない鍋。床は油やその他の何かで汚れて使い古しの中華鍋の様に真っ黒になっている。厨房との境目は若干汚れから免れている様で唯一元の色がかすかに判る。

 店内の壁には、常連客の記念だろうか? 多くのタペストリーや写真、サインなどが貼ってあり、年号から察するに既に半世紀ほどは営業していると思われる。店の汚さに反してファンがとても多く、古くから愛されている店だと判る。

 辺りを見回すと僕のような初心者も少なからずいるようでどんぶりを置かれた瞬間に、まるでギャグ漫画のように目を見開いて驚愕の表情を浮かべている者も見受けられた。

 カウンターには調味料入れが二つ、三つ。時折、この調味料の入れ物を逆さまにしてどんぶりにガンガンと振りかけている人がいることから、胡椒か唐辛子の類いだろう。

 厨房の中では初老の恰幅の良い男性が、

「それでよー、女にさんざん貢いだあげくによう、振られしまって、かわいそうだよなぁ! あんな美人じゃ無くってもっと不細工なほうにしとけば良かったのに、ひーひっひ」

「あいつは前には地元の銀行に勤めてたんだけどよ、住んでたところが火事になっちまってさあ、なにしろため込んでたお金もなにも全部燃えちまって、唯一燃え残ったのがため込んでた春画だけだっつうんだから気の毒になっちまうよなー、ひーひひひ」と、ご機嫌にアシスタントの若い男性とおしゃべりをしているが、見るからに頑固そうな人だ。

 しかし、ラーメン店店主ってこんなにしゃべるものだっけ? この人は意外と調理している際の真剣な表情から想像するような頑固親父とは違うのでは無いのではないかと思えてくる。

 テレビ番組で普通に見るラーメン店店主はなんか偏屈で客の会話も許さずに黙々と麺を茹でているか、弟子に当たり散らしている印象しか無かったので、正直面食らった。

 僕と同時に座った隣の年配のお客さんは何度も来ているらしく注文も手慣れた感じだ。

「ハイ、お次! ニンニンしますか?」アシスタントのお兄さんが特徴のある甲高い声で彼に尋ねると、

「ディダァブウ ニンニン ヤシァマッシュマッシュァブラ カアカア」と、すらすらとまるで呪文のような言葉を唱える。正直何を言っているのか判らない。

 店主は一掴みの葉物野菜を丼にいれ、その上から何かを大鍋からすくってぐるりとまわしがけして、瓶のような容器から、さらに別にどす黒い液体を掬って一かけする。

 僕は期待半分恐怖半分でどんな物かと確認しようとしたが、店主とカウンターに阻まれついぞ見ることが出来ない。

「ハイ、お次! ニンニンしますか?」まるで既に録音してあるかの様に、さっきと全く同一の言葉、同じトーン、同じペース、同じイントネーションで尋ねられた。

 全く心の準備もしていなかった、どうやって注文すれば良いのだろう? そもそもメニュー表らしきものも無い。何の情報も仕入れずこんな店に入るんじゃ無かった。僕はなんて優柔不断なんだろうか? だが、後悔先に立たずだ。もう何でもいいや。取りあえず、なんか言おう。

「ダイダブルニンニンヤサイマシマシアブラカラカラ」

僕はさっきの客のわけが判らない注文の真似をする以外になかった。

 店の親父は一瞬当惑した表情を浮かべ、助手と目配せをして二人でにやりとしたかのように見えた。が、すぐにいつも通りの表情戻ると、手際よくどんぶりにタレとスープ、何かの調味料と思われる白い粉状の物質をスプーンで二、三杯すくって入れる。調理台の真下に両手を突っ込み、何かをがっしりと掴んで、半分ほど引き出した。両手で何かをがっつりと掴んで、それを大鍋の中にほぐし入れていく。箱から麺を取り出して入れたのだ。

 麺を茹でている間は、チャーシューをざくざくと切ったりしながら、麺をかき混ぜまたアシスタントとたわいも無い会話が続く。

 ただの世間話なのだがアシスタントのお兄さんとの掛け合いがまるで漫才の様で楽しい。

「このあいだよう、新しくニューステイにあたらしいラーン屋ができったって?」

「ああ、ワンオーキッド?」

「そうそう、なんでも客と客の間に仕切りが有るらしいよな。なんでだ?」

「ああ、女の子とか、カウンタで隣の人が居ると嫌だって言うかららしいっす」

「なんだ? そりゃ? くだらねえ。カウンタで食えないんじゃラーン屋なんていかなきゃいいだろ、ひひひ」

「うちもやったらどうです? 女の子が増えますよ」

「こんなこ汚ねえ店に女子なんかくるわけないだろ? ひーっひひひひッ」

と、こんな調子でまるで漫才を見ている様だ。

 そんな調子で掛け合い漫才をやっている間に、ゆであがったようで、オヤジさんはすかさずゆであげた麺をざるで軽くちゃっちゃと湯切りして先ほどのどんぶりに盛り付ける。だが、明らかに麺の量がどんぶりと比較して多すぎる。

 案の定、麺が入るとどんぶりからさっき入れたスープが多すぎたらしく、派手に作業台に溢れる。しかもその上から野菜をひとつかみ、チャーシューとおぼしき肉塊を盛り付け、先客と同じく謎の物質とタレとおぼしきどす黒い液体をひとかけする。

 そうして出来た総重量一キロ以上はあると思われるラーメンのどんぶりをオヤジさんは片手で難なく掴んで僕の目の前にドンと置いた。

 なみなみとスープが注がれているどんぶりには、テープでぐるぐるに巻かれているとは言え、当然の様にオヤジさんの指が浸かっていたのだが、そんなの気にしないで食えと言っている様だった。

 僕はその大きなどんぶりになみなみと注がれたスープと山のような具材をこぼさないようにおそるおそるカウンターから下ろそうとしたが意に反してスープがだらだらとカウンターに溢れてしまう。

 こぼれたスープは意外に多くたらたらとカウンターの上を伝って右側に流れてしまい、ついには隣の人のどんぶりに注がれてしまった。

 一瞬の事だったので、僕は小さく「あっ」としか言葉を発することが出来なかった。しかし彼はそれに気が付いていないのか、全く意に介さず黙々と食べている。厨房の親爺はこぼれた肉も気にせず調理台からすくって入れているし、そんなことに関して客も気にせず食べている事から、些細なことは気にしないのがここの流儀なんだろう。

 カウンター上の物体は田舎にある祖父宅玄関に飾ってある石で出来た富士山の置物を連想させた。

 いや富士山なんて生やさしい物じゃ無い。山に例えるなら、きっとこれはチョモランマと言うべきだろう。

 しかし当面の課題はそんなことでは無い。目の前のラーメンとどう格闘するかが問題なのだ。どうやら僕はとんでもない物を頼んでしまったようだ。

 それに麺らしき物は具材に隠されて全く見えないのだ。でも目前で麺を茹でているのは見たし、どんぶりに盛り付けているのも見たから、麺はこの下に大量に入っているのだろう。

 具材をは大量のキャベツのような野菜に分厚いチャーシューがひと塊。よくスーパーマーケットで売っている豚肉ブロックほぼひと塊と同じだ。

 それに白いみじん切りのような薬味とおぼしき物体。鼻を近づけなくても強烈な香りを放ちニンニクだと判る。

 カウンターの上には箸、調味料入れ以外に何も無い。レンゲとかスプーンは用意されていないようだ。

 僕はまずは野菜を箸で避けながら麺をほじくり返そうと努力した。しかし山盛りの具材はそれを拒否するかのように頑としてどいてくれない。避けようとすると、他の具材がそこになだれ込んで埋まってしまうか、山そのものがバランスを崩して崩壊してしまいそうになるのだ。

 これは先に具材を片付けないと無理だ。僕は先に麺を食べることを諦め、大量の具材、まずは肉から片付けることにした。

 脂身が半分くらいあろうかという肉は軟らかく煮つけられ、如何にも美味しそうな臭いを放っている。

 僕はおそるおそる肉の端を箸で切り分け、鼻先に持って行った。強い醤油のような臭いがする。普段食べるラーメンのチャーシューとは異質な香りだが、悪くは無い。むしろ、いままで食したチャーシューよりも、ダイナミックで男らしさすら感じる芳醇な香りがする。

 僕はまるごとかぶりつきたくなる衝動を抑えて慎重に口の中に肉を放り込んだ。まずは噛まずに舌の上で転がして味を確かめたが、極端に辛いとか酸っぱい、苦いなど、異様な味は感じない。

 恐る恐る噛んでみるとすごくやわらかいわけでもなく、わりと歯ごたえが強いが特にかみ切れないほどでもなく、筋張ってもいなかった。

 味はタレのしみ具合が少しキツいがそれほど塩辛くも無く、むしろ甘さも感じた。きっとタレには砂糖か味醂(そもそも味醂とか此処にあるかどうか判らないが、きっと似たような調味料だろう)でもしこたま入っているのだろう。このチャーシューは悪くないと思う。

 口に合うことが判ったら、ちまちま食べることも無い。僕は残りの切れ端をつまみかぶりついた。

 二口目はまた印象が違った。二センチほどもある分厚いチャーシューはまさにワイルドと言うにふさわしい、ダイナミックな味と食感だ。一口目に感じられた強い歯ごたえに輪をかけて、まるで食えるもんなら食ってみろと、煽りかけているようなざくっとジューシーな食感だ。

 先ほどはタレのしみこみがキツいと言ったが、これは訂正しなければなるまい。キツいのはどうやら端の部分を先に食べたからだった。今食べたところはそれほどキツくなく丁度良い塩梅だった。

 何だろう、この味は? 歯ごたえは正反対だが高級な豚の角煮のようでうまみとコクはそれ以上だ。醤油っぽい何かのタレでつけ込んであるようで少し塩辛いが、それよりも強力なうまみと香り、そして砂糖の様な甘みも感じられ、全く気にはならなかった。それに赤身肉部分より少し多めの脂身も全くしつこくなく塩辛さを中和させるのに一役買っているようだ。

 僕は残りのチャーシューを口の中に放りこんだ。口中で荒々しい味と食感がさながら格闘技でも始めたかのように炸裂した。しかもただの格闘技では無い。ボクシングの様な死闘を重量級の関取が血と汗にまみれながら格闘している様だった。分厚い肉がかもしだすワイルドな食感、それを押さえつけるような荒々しい味付け。しかし、その味と芳醇さで、むしろしつこくないと思わせる香りは日本人の好みにビシッと当てはまる。そして腹に入れた後も続く強い欲求。もっと欲しい、もっと食べたい。僕の欲求は強まり、さらなる摂食を要求する。

 僕は二枚目のチャーシューを今度は切り分けせず、まるごとかぶりつく。脳内には麻薬成分を摂取したかのような多幸感が訪れているのが判る。僕は三枚目、四枚目のチャーシューを立て続けに食べた、いや喰らったというのが適切かもしれない。箸が止まらないとはまさにこのことだ。まるで腹を空かしたオオカミのように僕は肉を貪った。

 でもさすが分厚いチャーシューを立て続けに食べたら少し飽きが来る。僕の理性が野菜を摂取する様に要求してきた。

 まずは大量にとトッピングされている野菜のうち切れ端から戴く。いきなりがっついて口の中に入れて、パクチーみたいなとんでもない臭い(ちなみに僕はパクチーが大嫌い)とか味で反射的に吐き出してしまったら大事だ。僕はその野菜の切れ端を慎重に口へ運んだ。

 しかし、その心配は全くの稀有だった。僕の警戒心に反して、この野菜、至極まっとうな味と香りだった。

 見た目は日本のキャベツやもやしと同じようだが、凄く新鮮なようで取れたて野菜特有のほんのりとした甘みを感じられ、それでいて青臭くも無く、もやしもスーパーの物のような変な臭さも無い。ましてやパクチーのような、思わずゲロってしまうような酷いものでは無かった。

 ゆで加減も少し歯ごたえを残す程度にゆであげられシャキシャキと良い歯触りであった。僕の口中で暴れ回ったチャーシューの後味を鎮めるのに恰好のアイテムだ。普通はこんなに大盛りなら野菜だけでお腹いっぱいになるが、このラーメンの場合はこの野菜が良いアクセントになっている。

 野菜と肉を半分ほど片付けた後、ようやく麺が見えてきた。僕のイメージするラーメンの麺とは全く違う異次元のもの(もっとも此処は異世界だから当たり前なのかも)だった。

 皆さんが普段食べてるラーメンは良くある黄色っぽい色の中華麺だと思うが(インスタントしか食ったこと無い奴はこの際相手にしない)、それとは全く異なり少し灰色がかった日本蕎麦や地粉うどんに似た太い麺だ。

 僕は箸でそれをがしっと掴み、持ち上げようとしたが、麺はまるで絡まった紐の様にみっちりとどんぶりに詰まっており、たぐり寄せるのも一苦労だった。

 それでもなんとかどんぶりから引きずり出して持ち上げようとしたが、野菜と肉がダダダダッと雪崩のよう崩壊して、その一部が僕の服に落ちてくる。

 だが、僕は動揺すること無く、スープにも満足に浸ってない麺の塊に箸を突き刺し、これ以上野菜と肉の山が崩壊しないように、そろそろとひきあげて啜ってみた。いや啜ると言うよりもぐもぐと食べると言った方が正しいかもしれない。

「んっ?」と僕は思わずうなってしまった。

 今まで食べたラーメンと異なりこの麺は凄くゴワゴワしている。

 しかも見た目蕎麦のようなと表現したが蕎麦とも中華麺とも香りも舌触りも全く異なる。小麦の香りなのだろうか? 

 それに歯ごたえも異質で、麺と言うよりはちくわぶとか水団の類いに近く、なんとも表現がしにくい。小さい頃、食パンをちぎって粘土のように捏ねくりまして堅い塊にして囓った頃を思い浮かべた。

 かといって麺料理の先進国である中国やイタリアとも全く共通点を見いだせない。

 全世界の麺を食ったわけでも無いのでハッキリとは断定出来ないが、こんなのは此処にしか無いのでは無いだろうか? これは日本では味わったことが無い。異世界特産の小麦粉(?)の味なのだ。

 しかしこの異質な歯ごたえもいかにも食らっていると言う感じで良いでは無いかとも思うが、もし皆さんがここに来る機会があれば、是非とも麺は柔らかめで注文してください。もっともそんな注文が通じるかどうかは全くもって不明だけど。

 そしてスープはかなり塩辛い。この太麺を受け止めるにはこれくらい塩辛くなければダメなのだろうか? 塩分がめちゃくちゃ高めな何だろうが、もう少し薄く出来ないのだろうか? 

 まるで、乗っていた船が太平洋で難破して筏一つで漂流している時に水がなくて仕方なく海水を飲まざる終えなくなった心境だ。腎臓が一発でダメになるぞ!

 ここの国の奴は丈夫な肝臓と腎臓と血管を持っているのだろうか?

 それに凄い脂の量だ。どす黒いスープの上に約一センチほどに脂の層が浮いている。これは相当カロリーが高いに違いない。

 これを平然とした顔で飲んでいる此処の国民。中には、脂と思われる白い塊を追加トッピングして貰って炒る輩もいる。いかにもというステロタイプな肥満体だ。太すぎて腕が隣の席まで浸食している。ここの国民は平均寿命が絶対に短いと思う。

 しかし食べても食べても一向に麺が減らない様な気がする。麺量の多さに四苦八苦して食べていると十五分くらい経ったところで強烈な満腹感が僕を襲った。

 卓上の調味料で味に変化を与えて頑張ってみた。最初のうちはそれも一定の効果があったが、すぐにその効果も無くなってきた。

 ようやく目に見えて麺の量が減ったと思えるようになったが、その先がどうにもこうにも箸が進まず、一口食べては水で流し込み、ため息をついて暫く後にまたそれの繰り返している。チャーシューは残り一枚だが、麺はまだだいぶ残っている。もっと食べたいという強烈な欲求は残っているが、抗えないほど満腹だった。

 それでも、頑固そうな店主に怒られると嫌だと思い、なんとかチャーシューだけは頑張って食べた。が、どうにも胃がそれを受け付けてくれない。水で肉を流し込むと嘔吐反射で肉を吐き戻してしまいそうになる。涙をながしながらそれを飲み込み、またため息をついてしまう。

「食えないなら、諦めて残せば良いのに」どこからともなく声が聞こえる。声の感じから店主でも助手でもない。

「ニワカが食えもしないもん注文するから…」「我慢して食ってんじゃねえよ、何人並んでると思ってんだよ」そんなつぶやきがたまに聞こえてくる。

 外で並んでいる客たちは、ある者は殺気立っている目で睨み、またある者はあきれ顔で、ある者は嘲りの笑みを浮かべている。

 僕は次第に彼らのプレッシャーに耐えられなくなってしまった。そして、あと一割ほど麺を残すのみだったがついにギブアップせざる終えなかった。

 僕は代金の七万ポスクレッドを銅貨でカウンター上のざるに置き、どんぶりをカウンターの上にあげて小さな声でごちそうさまと言うと逃げるように店を後にした。


「うえっ!」

 僕は吐きそうになりながら帰り道をとぼとぼと歩いて行った。吐く息から香味野菜の強烈な臭いが混じった口臭が漂い余計に気分が悪くなった。

 何でこんな物を食べてしまったんだろう? 僕はラーメンの味なんてどうでも良くなって、後悔だけが頭の中に残った。

 風船の様にぱんぱんにふくれた腹で歩くこともままならなく這々の体で何とか馬車に着いた。

「だんなぁ、その様子だとヅラでも食べなすったんべ?」馬代わりのポルアの一人が僕にたりと笑って(もっとも笑っているかどうかの判別は難しかったが)問いかけた。僕はせいぜい首を縦に振るのが精一杯だった。「悪いこといわねえ。二度と食ったらあかんど」シロクマはぶほぶほ笑いながら僕に言うと。もう一人のシロクマと顔をあわせニヤニヤ笑みを浮かべながら、屋敷への家路に急いで走っていった。


 屋敷に帰ってからユリアは僕の異変に直ぐ感づいたらしく、怪訝な表情で「もう! 凄く臭い!」と僕を罵った。そして、立て続けに「私の忠告無視して彼処行ったでしょ! 行っちゃダメだよって言ったのに」と怒った。

 僕は彼女に平謝りで謝った。そして、二度と食べないことを誓った。しかしその誓いも直ぐに破ってしまうことになるのだが。

 その晩は何かの記念日 —決して誕生日でも、命日でも無い何かの記念日のようだ。僕には何の日か判らない— で、たいそうなごちそうであった。

 このお屋敷での料理は大抵西洋風な料理で、アジアっぽいテイストの料理は出されたことは無かったが、驚いたことに今日は和食風な料理も供されていた。ちなみに僕はここに来てから和食の話などしたことも無かったはずだ。

「どうした、ユーキ、食事にほとんど手をつけてないじゃないか? 具合でも悪いのか?」伯爵は前菜以外ほとんど手をつけていない僕の顔をのぞき込み言った。

 伯爵、アレハンドロ・フォン・フランチェスコはユリアの父親であり、この辺りを治める領主で、元老院の議員でもある。

 この辺りでリンゴの農園で財をなした実業家でもある。

 かなり強引なやり手でもあり、異に逆らう者は即更迭したりするような面もあるが、人格者でもあり、曲がったことが嫌いな昔気質なところもある。

 だが、一人娘に対しては凄く甘く、彼女の言うことなら何でも聞いてしまうように溺愛しているようだ。

 ふつうなら僕のようなでくの坊を娘に近づけるなどは言語道断のはずだが、娘同様聡明な彼は僕の素性を直ぐ見抜き、信頼してくれたお陰で、このような立場で居られた。

 この屋敷でも滅多に供されないジングワ海老(伊勢エビがさらに巨大になった物を想像してくれれば良いと思う。収斂進化と言う物なのか、ここの動植物は地球と似通っていた)と子ウァッカムのステーキ(牛肉に似通った動物の肉。サーロインと似た肉質でとても柔らかい)は一口食べただけだ。とてもおいしいのだが胃袋が食べるの拒否している。

 僕が「少しお腹の具合が良くなくて」と伯爵に説明すると奥方のリリー・フォン・フランチェスコ夫人が「まあ、大変!」と心配そうに言った。

 夫人はカロン国が所属するセルリア帝国、皇帝シャダム四世と遠縁の親戚関係者にあたる方で、高貴な方らしく上品なたたずまいを醸し出した人だが、お嬢様育ちのせいか少し天然ボケのようなところもある、おっとりした方だ。彼女は育ちの所為か人を疑うなんて言葉とは無縁で、僕なんかにも親切にして下さるとても良い方だ。ユリアの性格は母親譲りのところが有る。

「凄く痛いの? 治療師の先生に連絡しなくてはね。チョ・ハ、あしたイェンチェン先生に来て下さるようお願いして下さるかしら?」と執事であるチョ・ハさんを呼びつけた。

 チョ・ハさんは軽く笑みを浮かべ「かしこまりました」と一言いうとポケットからスケジュール帳を取り出してメモをし、またポケットにしまい込んだ。

 チョ・ハさんはこの家の執事長で年齢は五十代半ばから後半といったところ。長めの白髪をオールバックにまとめ、同じく白髪のカイゼル髭という如何にもといったタイプの執事だ。

 古くからこの家に従えているらしく、伯爵ですら知らないことを知っているという、生き字引の様な人だが、若干僕に対して厳しいところもあり、ユリアと過剰なまでに親しい事に対し、あくまでも伯爵家の使用人だと言うことを常に心にとめておけと言う。

 実際には調子悪いといっても、お昼に食べたラーメンでお腹がいっぱいなだけなのだが。

「いや、お構いなく。きっと昼ご飯を少し食べ過ぎた所為ですよ。この前お嬢様と一緒に食事をしたレストランで食べた料理がおいしかったので、本日お嬢様のお使いで出かけた際、ついでに再訪したのですが、どうも欲張って多めに頼んでしまって」と僕はその場で急ごしらえの言い訳をして、その場をしのいだ。

 ユリアは事情を知っているにもかかわらず知らんぷりだ。きっと余計なことを言うのは得策では無いと思って黙っててくれたのだろう。

 夕食も終わりに近づき家族の談笑が続く中、僕がほとんど残してしまった料理はすでに片付けられ、デザートに南国から取り寄せられたフルーツとアイスクリームが供された。

 フルーツはマンゴーの甘みと香りにパイナップルの食感を備えたキシリーというオレンジ色の果物で、アイスクリームもそのキシリーを用いた物だった。 

 この電化製品も電力供給も無い世界でどうやってアイスクリームを作るための冷温源を得ているのかは暫く謎だったが、僕の世界の常識からすると驚愕的な仕組みで得ている事が判った。

 北の国に住むイルーラという猫ほどの大きさの生物が寒さから身を守る術として、特殊なフィールドで周りの熱を自身に取り込むことで体温を得ているのだが、その際に周囲の熱を奪い去る能力を利用している。

 どう考えても超能力の類いだと思うが、彼らはその事を「魔法」と呼んでおり真夏の居室内を冷やしたり、冷蔵庫の冷温源としているらしい。

 困ったことにここの世界では動物虐待と言う概念は無いらしく、薬草から創った薬で身を守る必要の無い気温でも、寒気を感じさせてイルーラの能力を引き出して利用している。地球でもミントを使った入浴剤で清涼感を出している製品があるので似たような仕組みだろう。

 無理矢理そんな事をさせているから、イルーラも体力に無理を生じ寿命は相対的に短くなる。自然界にいるイルーラは、五年以上の寿命であるのに対し、冷温源にされているイルーラは二〜三年が限度だ。飼育されているイルーラは二十年まで生きたという記録があるくらいだから、虐待と同じだ。

 しかし、ここの国を支配しているジュシュア教は知性がある生物に関しては殺すことに対して犯罪が適用されるが、知性が無くコミュニケーション取れない生物に対しては心が存在しないと理由で屠殺はもちろん虐待に関しても寛容だ。

 さらにイルーラについては猫のようなかわいらしさが有るわけでも無いので(大きさは猫ほどだが、顔に関しては豚鼻の凶暴なコウモリのようで、かなり醜悪は部類である)、かわいそうに思える人も居ないのだろう。

 後述するが、ここではこのイルーラと同じように様々な「魔法」を使える動物、人(?)を使役しており、それが社会インフラの要になっているとの事だった。なるほど、この世界では産業革命などは必要ないわけだ。


 僕は食後のデザートのアイスクリームを食べ終わると体調が優れないのを理由に自分の部屋に戻らせてもらった。

 部屋に戻った僕はベッドの端にどかっと座り、例のプラズマボールを袋から取り出して眺めてみた。

 ボールは相変わらず、怪しく不思議な輝きを放っている。いったい電源はどこなのだろうか? 電池は?

 これが解明できると僕のノートPCも動かすことが出来る。うまくいけば元の世界に戻るための計算式を求められるかもしれない。

 あの日は高圧電力実験棟とLHCの間を歩いていた。しかも雷雨の日だ。雷、高圧電力、LHCの動作が重なり偶然にもその場のエネルギーをあるポテンシャルまでもっていったのかもしれない。それが空間のひずみを生んで僕はこの世界に飛ばされた。そういう仮説が考えられる。そうでなければこの世界に飛ばされるような原因は思いつかない。それとも何か別な要因があるのか? 

 惑星直列や某国の宇宙空間での核実験による強力なサージ電流。実は夢の中の世界って事も考えられる。自分は本当はキャンパスに倒れていて、実は夢を見ているってこと。ここ数ヶ月の時間の経過は頭の中の話で実はまだ数秒しか経過していない。高校生の時に好んで読んでいたある作家のSF小説のように。

 しかし、この世界は浮世離れしてはいるが妙に現実味はある。都合良く行き過ぎなところも多いが、さっきのラーメンの様に食べれば満腹にはなるし、過剰に食べれば苦しくもなる。都合の良いときに目も覚めないし、場面も変わらない。夢のように空を飛んだり超能力的なものが使えたりすることも無く、逆に悪夢のような理不尽な事も起こっている訳では無い。一年前に他界した父など死者が生き返っていることも無い。泣く泣く別れた僕の愛した麻遊未とも再会も出来ていない。これが夢であるなら大切だった人たちと合う夢を見ないのは不自然だった。

 それは置いておいて、僕の仮説が正しければ、それを再現することで元の世界に戻れるかもしれないのだ。しかし、電卓すらないのに、それを紙に書いて計算して答えを導き出すのは難しい。

 だがコンピュータがあれば可能だ。僕のノートPCにはMatLabという強力な計算ツールもあるし、それ以外にもgcc、Pythonもインストールしてあるから自分でプログラムすれば良い。だが電力が無ければこのコンピュータを動かすこともままならない。

 なんとかこのボールの電力源を解析出来れば可能かもしれない。例えばこの発光石が電力源だとすればこれをうまく使ってコンピュータを動かせる電力を引き出せる。

 まさか中に小さな生き物が居て電力を発生させているのだろうか? 例えばデンキウナギのような。しかしあれは使い物になるような安定した電力をコンスタントに発生させることが出来ない。だから、このプラズマボールを発酵させているのは、なんらかの化学電池で有ることは間違いない。

 この世界にある材料でもボルタの電池程度ならこさえられる。しかし、ボルタの電池もまた安定した電力を長時間得るのは難しいだろう。だが、この正体不明の電池がこれだけ長時間プラズマボールを動かせる電力があれば見通しは明るい。

 唐突に室内で何かの気配を感じた。僕はびくっとして起き上がるとそこにはユリアが立っていた。

 それまで、僕は寝転がって、ボールを見ながら考え事をしていたので全く気が付かなかったのだ。

「ユッキー、何をそんなに真剣に考えていたの?」彼女は心配そうな顔で僕に言った。

「いや、なんでも無いよ。ただ、これがどんな仕組みで動いているのかなって」僕はそれを手で撫でながら言った。

 それは思ったより暖かくは無くむしろひんやりとしている。

「ユッキーは学校でそういうのを勉強しているんでしょ?」彼女は不思議そうな顔で僕に言った。

「うん、そうだよ。僕が前に居た所ではいろんな物が電気を使って動いているんだ」と僕が言うと彼女は、

「電気って前も聞いたことあるけど、雷と同じ物だっけ?」

「ああそうだよ。もっとも雷は何億ボルトもあって、そんな大きな電力は使うことは出来ないけどね。これも雷の放電と基本的には同じ仕組みなんだよ」と僕は説明した。

「それじゃ、雷から少し電気を分けてもらえば良いんじゃ無いかしら?」と彼女はあっけらかんと言った。

「そうもいかないよ。僕らの世界でも雷から電力を取り出すなんて事は出来ない。人間が扱うにはあまりにも大きすぎるんだよ」と僕はあきらめ顔で言う。それが可能ならどんなに良いことか!

「でも、そんな電気電気って今何に必要なの?」

「前に言ったけど、このコンピュータを動かすのに必要なんだ。これがあれば元の世界に帰るための数式を解くことが出来る」僕はノートPCをぽんとたたき彼女をみた。

 しかし彼女は目に涙をためながら「でもそれが出来たらユッキーはここから出て行ってしまうんでしょ?」と声を震わせた。

「…」僕は声を詰まらせた。

「そんなの絶対に嫌だ!」彼女は泣きじゃくりながら声を詰まらせて言った。

「ははは、大丈夫さ。帰る方法が判れば来る方法も判る。向こうの世界にはもっと高性能な設備もあるし、僕よりうんと優秀な先生もいる。きっと戻ってこれる方法だって直ぐ見つかるさ」と僕は言って彼女をなだめた。  でも内心そんなこと可能なのか、まるで確信を持てない。そもそも向こうの世界に戻れるかも判らない。何かの偶然が重ならない限り無理であろう。そしてその偶然が二度も三度も起きる保証もどこにも無い。

 だが、彼女は僕の話を信用してくれたようで、目を真っ赤に腫らしながらも再び高慢ともいえるいつもの彼女に戻った。

「お父様たちにラーンを食べたなんて言いつけなかったんだから感謝してよね! あんな家畜のエサを食べたなんて言ったら、きっと呆れられるんだから!」といつもの調子で僕を罵倒する。

「判った、判ったよ。もう二度と食べないよ」

「ほんと?」

「ホントさ。あれは成り行き食べてしまっただけだし、正直後悔もしている」

「それなら良かった。あれを食べた人って虜になってずっと食べ続けるって話だから。それにみんな同じしゃべり方になるんだって。噂じゃワブの魂が乗り移ってしまうとか」

「ひぃーっひひひ。そんな馬鹿なこと有るわけねえだろ」思わず口から出てしまった、自分の声を聞いて、僕ははっとした。こんな笑い方、あのラーメン屋と同じだ。いままでこんな笑い方をしたこと無いのに。

「もうふざけないで! 私、真剣なんだから!」ユリアは腕をくんでプンプンと怒っている。


 それから僕らは暫く話すと、お互いにハグと口づけを交わしお休みを言った。こんな所伯爵に見られたら追い出されるだけじゃ済まない。僕は内心ドギマギしていた。

 僕らはまだ性交渉まで至っていないが、ただの教師と生徒とは呼べない関係にまで進展していた。このままでは、近いうちに性的関係にまで至ってしまうかもしれない。

 此方では身分制度が厳格だ。科学者とはいえ平民に違いない身分の僕が彼女と婚姻に至れるとは思えない。慎重に事を運ばねばならない。いざとなったら日本に連れ帰れるように。

 僕はさっきの会話で出てきたワブの話が頭にこびりついていて眠れなかった。ワブと言えばこの前買った本、あれもワブの皮で創られたとあのネズミ人間たちが言っていた。

 実はあの本、此処に持ち帰ってきてからまだ一度も広げていない。僕は机の上に積んである書物の中から、分厚い毛皮の表紙の書物を引っ張り出し、パラパラとめくった。

 

        ●●●


 裕樹は、ワブの書を手に取り広げてみた。そして其処に書いてあることを見て驚愕したのだった。『これは、今までのことがそのまま書かれているではないか?』裕樹は…


        ●●●


 僕は本をそのままパタンと閉じた。ちょっと待て、これはどういうことだ? ユリアがいたずらを? そんなわけ無い、彼女がいじくり回した痕跡は無い。埃の跡を見れば明らかだ。本が重なっていた部分を除いてうっすら積もってた埃は本が昨日今日動かされていないことを物語っていた。

 僕はもう一度さっきのページを広げてみた。そして続きから読み始めた。


        ●●●


 裕樹はそんな馬鹿なことがあるかと思い、また本を広げて読み始めた。

 其処には今現在の彼の行動と心境がそのまま書き綴られていた。『いままでの事はどうなんだろうか?』彼は本をめくりに過去のことを確認した」


        ●●●


 僕は本の前のページをめくってみた。結果的に本に書いてあるとおりの事としてしまったことになる。


        ●●●


 裕樹は荷物が重い所為で、手を痺れさせてしまった。これ以上歩く事も侭ならぬと言った状況で彼が立ち止まったところは先日ユリアと食事をしたレストランの正面にあるラーメン店であった。

 そして彼が疲労のため意識を途絶えさせている間に自然と行列に並んでいる事になっていた。

 彼は丁度空腹を覚えていたこととその店に密かな興味を持っていたこともあり、そのまま列に並ぶことにした。


        ●●●


 やはり記憶にある自分の行動と全く変わっていない。この状況はユリアに全く伝えていないことから、やはり彼女のいたずらとは思えなかった。僕はさらにページを戻してさらに過去のことを読んだ。


        ●●●


 商人は裕樹から残りの金貨を受け取ると、幽霊箱を渡した。

 金を受け取ったからには此処に用事は無い。客の気が変わらぬ前に退散した方が得策だ。幸いなことに客はまだ品物を確認していて此方のことなどお構いなしのようだ。目の前から消え去るなら今がチャンスである、商人はそう考えると、裕樹に気づかれぬようバーを抜け出し、既に荷物を積み込んで待たせておいたホルセィに乗り込んだ。

 それにしても今回の取引はうまくいった。貴族のぼんくらお嬢様が言い値で買ってくれたおかげで大分稼がせてもらった。これで暫くは遊んで暮らせる。いっそ、ハイリィスフィルドバァバで女でも買うか? ここ暫く女も抱いてないからな。商人はほくそ笑みながら考えた。


        ●●●

 

 くそ、あの骨董屋め、最初から騙すつもりだったな! 僕は骨董屋の足取りが気になり本を読み進めた。


        ●●●


 商人は行き先をハイリィスフィルドバァバに変更するようホルセィ使いに伝えると、これから迎えるであろう快楽の泉を期待しながら下衆な笑みを浮かべ眠りに落ちた。


        ●●●


 骨董屋の話はここでいったん終わったようだ。話はここで大段落を挟み次の章に移行している。

 この本を信じるなら骨董屋はハイラィスフールドバァバと言うところに移動しているはずだ。

 暫く遊べると書いてあるが半年くらいだろうか。女を買うと書いてあったから、もっと早く資金が底を突くかもしれない。いずれにしろ早めに行動に移す必要がある。僕は何か他にヒントは無いかと思い、本のページを先に進めた。


        ●●●


 裕樹が商人の話をユリアにすると彼女はそれを鼻で笑いこう言った。

「だから、その本を信じちゃダメだよ。適当に心を読んで反映してそれっぽく書いてあるだけなんだから。それにあれくらいのお金はわたしにとって別に大金では無いわ。これも此処では珍しい物だし、それだけの価値はあると思ってる。なによりユッキーの研究に役に立つんじゃ無くて?」

 裕樹は彼女の口から想像していたのとは違う答えが出てきたので驚いた。 


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 こんな会話をした覚えは無い。僕はさらに本を読み進めてみた。


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 それでも裕樹は一旦彼女の意見に同意したがやはり心の中でまだ疑問がくすぶっていた。

 これは何が何でも骨董屋に話を聞くべきだと思った。だがハイリィスフィルドバァバという場所がどの辺りにあるかという事も判らなかった。

「書庫に地図はあるだろうか?」

 裕樹は書庫に行き書物の物色を始めた。小一時間ほどで大きな布製の巻物の地図を見つけたが、かなりの年代物で顔料は色あせ文字も所々カビで判別しにくくなっているた。しかも都市の位置関係はまるで出鱈目で役に立つか疑問であった。裕樹は書庫から最新の地図を手に入れることはあきらめ、街にでて最新の地図を探すことに決めた。

 彼は、なんとか街へ出かける理由をこじつけると、ユリア所有のクルマァを借り受け、街へ出発した。


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 これも、まったく記憶に無い行動だ。前後を見ても特に日付時間に関する記述は無い。現在のことなのか過去のことなのか判らない。これから起こす行動なのかも判らないが、そう考えるた方が違和感は無い。

 これは未来のことも予言する書なのか? 見た感じは予め印刷してあるように見える。活版印刷が普及しているとは言いがたい此処では目新しいものだ。ただ印刷してあると言うことは予め決定している事実なのだろうか? 

 それにしても不思議なのは、パラパラとめくった限りは自分とそれに関わる人たちのことしか書いていないと言うことだ。

 関係無い他人の事は全く書いていない。この国の政治のことも、社会のことも全くと言って良いほど書いていない。まるでこれでは個人史では無いか? 僕はページを1ページ目まで戻してみた。


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 裕樹が目を覚ますと其処にはまるで絵画から出てきたような金髪碧眼の少女が立っていた。年の頃は十五くらいだろうか? 自分より少し幼いくらいで成人女性かもしれない。正直、彼には自分と異なる人種のため判断はつきづらかった。

「助けて欲しいの」彼にとって異国の言葉だったがそう言っているように理解できた。

 彼は何が起きているのか理解できなかった。なぜなら、つい先ほどまでいた所と時間も場所も異なっていたためだ。

「何だって?」彼は彼女にもう一度問うた。

「ニップ語かしら? 助けて欲しいの。わかる? タスケテ」彼女は最後のタスケテだけを彼の母国語で言った。

「助けるって、何を?」彼は彼の母国語で最初質問をして、その後すかさず英語で尋ねた。彼の国では外国人がどこ出身かは関係なく、まず英語で話しかけるが常であった。

 彼の英語はとりあえず彼女には通じたらしく「道に迷ったの。足も少し痛いわ。私の名前はユリア・フォン・フランチェスコ、あなたは?」と彼女は言った。

 彼女の言葉は少し発音が違うが彼のよく知る外国語と同じだった。

 道に迷った外国人かと彼は考えた。彼は何故此処にいるか理解できなかったが、深酒してここに迷い込んだか、友人か先輩が悪ふざけして此処に置いていったのだろうかと思っていた。

 彼の記憶によると、お花見かバーベキューか花火か何かはっきりしないが昨晩、屋外で酒盛りをして馬鹿騒ぎした気がする。

 日はかなり傾いており早朝か夕刻か判別できないが時計を確認すると午前6時少し前くらいであった。どうやら一晩此処で寝過ごしてしまったらしいと、彼は考えた。

 そしてこんな早朝からなんで外国人少女が、こんなところで道迷っているのか全く理解できなかった。

 彼はよろよろと立ち上がり辺りを見回してみた。見慣れない場所だ。人の気配も全くしない。山は山でも、考えていた所とは違う場所だったようだ。実はもっと山奥に連れて行かれたかとも彼は思った。いくら親しい友人、先輩でも悪ふざけが過ぎると彼は怒りが爆発しそうになった。

 しかし、この目の前の少女とは関係無い。彼は怒りを抑え、少なくとも此処がどこであるかを把握するためにスマートフォンを手に取り、地図アプリケーションで場所を確認しようと試みた。外国人少女は興味深そうにそれをのぞき込んでいる。

 しかし、地図アプリはいつまで経っても、記憶が無くなる前の場所しか表示しなかった。

 電波状況が悪いのだろうかと確認すると、圏外表示のままであり、GPSもロストしている。故障だろうか? と何度か再起動をしたが結果は変わらなかった。

 どうやらスマートフォンの故障では無いと言うことに気が付いたのはタブレットを確認してから判った。タブレットでも通信、GPS両方とも圏外のままであったためだ。

 そういえばスマートフォンにもタブレットにも電子コンパスが内蔵されていることを思い出した。しかし彼に追い打ちをかけるように地磁気も全く反応していないことが判った。


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 僕はここまで読んで一旦本を閉じた。どうも最初此処に転移したときのことから始まっている。

 記録はあくまでも此処の世界だけだ。地球のことに関する記述も一切無い。このワブの書で判ることはあくまでもこの世界の中だけの様だ。

 なるほど今までの事は正確ともいえないが(すべてのことが書いてあるわけで無く、実際にはこの書にある以外のことも起きているわけだ)、間違ってもいない。だが、これから起きることについてはどうだ? この本の通り事を起こさなかった場合はどうなるのか? 僕は本を読み進めた。


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 不思議なことに彼女らの話す言語は基本的に地球の言語と似たもので、彼の国の英語と言う言葉に非常によく似ていた。さらに驚くことに彼女らはそれほど流ちょうではないが日本語も話すことが出来た。彼女らの世界ではニップ語と呼ばれ、太古より伝わるいにしえの言葉として、文学などに残されている言葉だった。彼女のような貴族階級、富裕層は当然のたしなみとして学んでいるが、下層階級の者は読むことも出来ない。裕樹も英語、フランス語の知識を持っていたため、この国の市民とネイティブで会話することに問題を生じなかった。

 彼女の両親は貴族にもかかわらず傲慢な所もなく、父親は林檎関連事業の成功で莫大な富も持ち、母親である伯爵夫人は無報酬でボランティア活動にいそしむという立派な人たちで裕樹のようなよそ者にも寛大な人々だった。

 裕樹が理系の大学院生として研究に取り組んでいると説明すると、一際関心を持ち、彼女の教育係になって欲しいと懇請した。伯爵は彼の言葉尻より人並み以上知性をもつ学者と認識し娘の教育者として適任だと確信していた。

 伯爵は裕樹に宿舎に加え、この国の平均以上の給金も支給するという破格の待遇での雇用を提案した。裕樹も当座の生活費も無い状態でこのオファーを断る理由は無く二つ返事で承諾した。


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 僕はページをさらに送り、現時点まで進めた。


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 裕樹は机に積んである書物の中から分厚い毛皮で出来た本を探し出し、引っ張り出した。何日も放っておいたため、うっすらと埃が積もっている。

 裕樹は、ワブの書を手に取りあげ、パンパンと叩いて埃を払い落とし、恐る恐る広げてみた。そして其処に書いてあることを見て驚愕したのだった。

『これは、今までのことがそのまま書かれているではないか?』

 裕樹はそんな馬鹿なことがあるかと思い、また本を広げて読み始めた。其処には今現在の彼の行動と心境がそのまま書き綴られていた。

『いままでの事はどうなんだろうか?』

 彼は本をめくりに過去のことを確認した


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 他人のいたずらにしては手が込みすぎている。僕はページを一旦閉じて、全く当てずっぽうに本を開いた。丁度真ん中あたりだ。


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 …裕樹は北方の地に来て初めて大切な友を失った。それも長い間苦楽を共にしたと言って良い、かけかえのない友人だった。

「ペチック、僕は君に誓うよ。絶対にリバートエンジンを見つけて、一緒に元の世界に戻るって事を」裕樹は彼女の体を抱きしめて泣き叫んだ。

 彼は彼女の亡骸を小石だらけの大地に埋め、小さなケルンを作った。いつかリバートエンジンを手に入れ、儀式を行うとき直ぐ判るように。時間は残されていない。凍てつく北の大地でも半年も経てば腐敗が進行するまでには暖かくなる。

 裕樹はバイパーに戻るとなんとかこいつを飛ばせないか考えた。幸いにもフラクタルドライブは無事だ。

 こいつをなんとかすれば光明は見えてくる。少なくとも五〇〇ベルクまで持てば、ハイトウエィンにたどり着ける。そうしたら闇工場でオーバーホールしてもらおう。そうすれば皇帝のいるワールズエンド城へ行ける。しかし、皇帝をどう説得したものか。金は腐るほどあるが、皇帝にそんなものは不要だろう。彼の興味を持つものを探さなければ。第一、彼が何に興味を示すかは全く情報が無い。まずはそこから探さなければ。


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 わけがわからない。これは三流のファンタジー小説か? リバートエンジン、バイパー、フラクタルエンジン。五〇〇ベルク? 距離の単位か? 聞いたことも無い。ハイトウエィンは地名のようだ。そしてワールズエンド城。世界の終わりの城。それにペチックという人物。彼女と言っているからには女性だろう。そんな知り合いもいない。

 とにかく、これが正しいと仮定して、どう考えても未来の話のようだ。この裕樹は僕と同一人物なのだろうか? それとも何世代も後の人物か。

 僕はこの支離滅裂な物語を読み続けさせられたせいで脳が疲れてしまったのか、寝間着にも着替えないまま、いつの間にかベッドで倒れ込むように寝てしまった。

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