第24話 出発

──翌日。


「うぅん……」


何かに頬をつつかれて、私は目を開けた。


「……なーんだ……猫ちゃんか……」


コハクが脚で私の頬をつついていた。

私は再び目を閉じる。

するとまたふにっと頬を触られた。

う~ん、しつこいなぁ。肉球はふにふにで気持ちいいけど。


「はは、残念だったな。コハクを操っているのは私だ」


「え」


もう一度目を開けてよく見てみると、コハクの脚を持って私の頬に触れさせているのはヴィゼル様だった。


「朝からなにやってんですか……」


「梨花、今日のうちに支度をしておけ。私が居るからな。どうせ貴様は色々とやらかすのだろうから、明日はゆっくりしていろ」


色々と癪に障るところはあったが、無視無視。


「……ここを立つの、明後日でしたっけ」


「そうだ。明後日は早いから明日も時間があるわけではない」


「ヴィゼル様、今日お仕事は?」


「馬鹿か、休みだ。明後日までな」


ひゃっほい。それは良かった。三日間我慢しててよかった~。


「さて、さっさと支度なんぞ終わらせて貴様で遊びたい」


「それ、どういう意味ですか」


私で遊ぶ……不穏にしか聞こえない。


「そのままの意味だ。貴様を使って遊ぶ」


「……私は所詮おもちゃですよね……分かってますよ、そんなこと」


ちょっとは人間として扱って貰えたと思ったんだけどな。

するとヴィゼル様は軽く目を見開いた。


「何を言っている。貴様は玩具ではない。私の物だ」


「……どっちにしろ同じじゃないですか……」


私の物、って言われて嬉しかったけど、それは秘密。


「ああそうだ、私の物として、トランクに入るか?」


「嫌です。酷いです」


「そうか。ならば仕方ないな。さっさと準備するぞ」


「はーい」


私たちは軽く朝食を食べて、準備に取り掛かった。


でもね、私一つ気付いてしまったんだ。


「ヴィゼル様ー、私荷物らしい荷物ないんですけどー」


そう。私は物を持っていなかった。


「ん? そうか。殆どここにある物だったな。向こうに行ったら何か買ってやる」


おおお、大将気前がいい!!


「ありがたき幸せ」


「私もそこまでないな……梨花、一応食料は別で保存しておけ」


「分かりました」


今日と明日の分を除いた食料をパックにする。無駄は極力なくさないとね。

それが終わると、ヴィゼル様に訊かれた。


「梨花、コハクは連れて行くか?」


「……あ……出来れば、連れて行きたいですけど……」


飼い主や親がいるかもしれない……。

すると彼がコハクを抱き上げた。


「首輪が無いな。私の軍でここに動物を連れてきた奴はいない。この分だと飼い主や親猫も死んでいるだろうな」


「……そう、なんですね。なら、連れて行ってもいいでしょうか」


当たり前のことが当たり前に出来ない世界、それがエストラルの現状だ。


「私は良いぞ。可愛いし」


「そうですよね。とっても可愛いです」


妙な所で意見が合った。


「よし、これくらいで良いだろう。──さて、梨花」


「嫌です」


私はきっぱりと言った。


「貴様はいつも言う前に断るな」


「だって予想ついてますから」


「私が貴様を抱くと?」


「そうです」


「何か駄目な理由でもあるのか」


やんわりとソファに押し倒される。


「今だって抵抗しなかっただろう?」


……何で嫌なんだろうか。

率直に言う事にした。


「だって……恥ずかしいから」


「恥じる姿が良いんだ。もっと私に見せてくれ……」


「嫌です!! それにまだ昼間ですよ?!」


「それがどうした?」


常識が通じない……。


「もう……もう……っ、ヴィゼル様なんて大っ嫌いです!!」


つい言ってしまった時にはもう遅かった。


「……そうか」


彼の視線が鋭くなる。


「え、あ、あの、ヴィゼル様、ちが……っ」


「何が違う?」


……何、このヴィゼル様。いつもと全然違う。怖い……!


「貴様が嫌がっても何をしても私は一向に構わない。また縛り上げて無理矢理すれば良いだけの事だからな」


「……ごめんなさい」


「何故謝る」


怖いから。

嫌われるのが怖いから。

貴方に嫌われるのは嫌だよ離れたくないよ私をすてないで……っ!!

我儘だって分かってる。でも、私には貴方しかいないの……っ!


「ごめんなさい……っ、お願い……だから……私のこと、嫌いにならないで……っ」


涙がぽろぽろと零れ出る。


「……何故貴様はそういう思考に辿り着く?」


ふっと彼の空気が弛緩した。


「私を……捨てないで……ください……っ」


「捨てるはずがないだろう。馬鹿な女だな」


ぎゅっと彼の服を握りしめる。


──何で彼に抱かれるのが嫌なのか、少し分かった。


もし彼が満足してしまったら、つまりもうおもちゃとして需要が無くなったら、

私はきっと要らない存在になっちゃうんだ。

捨てられちゃう。


「……私が悪かったよ。怖い思いをさせたな」


ぎゅっと抱きしめられた。


「ヴィゼル様……ずっと、このままでいてください」


「ああ、そうしよう」


焦がれる想いを、伝えたい。

好きですって言いたい。


……どうしたらいいかな。


                         ♦


そして、出発する日が来た。


朝三時起きである。勿論ヴィゼル様は粘った。


「うー……まだ大丈夫だろう……? 何故そんなに早く起きる……?」


「今日は出発でしょう?! 三時半にロビーに行くんでしょう?!」


完璧に間に合わないよ!!!


「そういえば……そうだったな」


彼は気怠そうに身体を起こし、髪を纏めた。


「ヴィゼル様、はい、朝ごはんです」


「助かる」


もう料理は出来ないので今朝はスコーンだ。


「やはり貴様が作った方が美味いな」


「それは嬉しいです」


                    ♦


「──よし、行くか」


出発の時だ。

私は改めて部屋を見渡す。


……初めてここに来た時、凄く不安だった。

怖くて悲しくて、生きる事が目的だった。


でも、料理をするようになって、彼との会話が増えて。

色んな人に出会って、たくさんの事を学んだ。

勿論、ヴィゼル様との思い出が沢山ある。


まだ暗い窓には、私と彼が映っていた。


──お父さん、お母さん。私、ここまで変われたよ。


少し名残惜しい気持ちを押さえて、私はコハクを抱き上げた。


しばらくの間、ばいばい、エストラル。


「……はい、行きましょう」


私たちは部屋の外に出た。



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