エピローグ
第20話 エピローグ
「まさか一週間も寝込んでたとは……」
あれからちょうど一週間。俺は中央病院のロビーに座っていた。
腹部に開いた傷は自分でも分からないくらい綺麗に完治していた。ここまで元通りだと逆に怖いくらいだが、もとよりナオの医者である。細かいことは気にしないほうが健全に生きられていいだろう。
呼び出しコールに応えるように、ナースのお姉さんから診断書と請求書、処方薬を受け取る。うげ、とんでもねえ額を請求されてることより、それが支払い済みって書いてあるのが怖え。ぜってー後で何か対価を求められるぞ、これ。
そんな嫌な予感を意識的に頭から追い出しながらも、病院の外へと向かう。
フロントロビーに備え付けられた液晶テレビからは、死んだはずのアーベノ総理大臣の国会討論が聞こえてくる。その辺の事情に詳しいナオが言うに、総理大臣には十数名の影武者が存在するらしい。今回の件は、そのうちの一人が勝手に暴走したとのことだった。
玄関口の自動扉を開き、風除室を抜けて外に出ると、途端に眩しい日差しに襲われた。夏かよとツッコミたくなるくらいの熱射が注がれる中、日陰を選んで進んで歩く。そして、少し進んだ先の柱の陰に誰かが立っていた。純白のドレスに身を包んだ美人の女性だ。
「まさかずっと待ってたのか?」
姫さんは、相変わらずの柔らかい笑顔を浮かべたまま、小さく首を横に振った。
「どうですか、お怪我の具合は」
「問題ないよ。腕がいい医者だってのはほんとらしい。痛みも全くなくて、いや、マジでなんかないほうがおかしいんじゃねえかってくらい健康体だ」
「そうですか。それはよかった」
姫さんは胸を撫で下ろした。その無邪気な仕草を見るだけでも、俺のことを心から労わってくれていたのがよく分かった。
「実は勇者様に伝えなければならないことがあります。母国から連絡が来ました。自然発生していたマイタケが消えてなくなったみたいです。私は、国を守るために祖国へ帰らなくてはなりません」
彼女の浮かべた寂しそうな表情に、俺は思わず頬を掻いた。
「そう悲しい顔をするなよ。今生の別れでもあるまいし」
「短い別れでも寂しいものですよ。好きな人の傍から離れるのは……」
拗ねるような声に、言葉に詰まってしまう。
「分かってます」
俺が言葉を見つけるより先に、姫様は自ら口を開いた。
「勇者様には勇者様の生活があります。わがままを言えないことくらい分かっています」
そう呟くと、姫さんは俺に背を向けた。ドレスのスカートがふわりと舞う。
「私、ずっと忘れません。一緒に楽しく会話を交わしたこと、私の手を握ってくれたこと、命を賭けて私を助け出してくれたこと」
「……ああ」
「スクール水着を着た勇者様と一緒にお買い物したことも大切な思い出です」
「それは忘れてくれ」
そいつは俺にとってはただの黒歴史だ。
「次に会うまでには、勇者様の心を奪ってしまうくらい、もっと立派な女性になってますから。特に、ここを大きくしてみせますから」
「それは楽しみだ」
姫さんは小さな胸を強調しながら微笑んだ。
「ん、今から出るのか? 空港まで見送りに行こうか?」
「いえ、ここから帰りますので」
「?」
どこからかプロペラの音が聞こえてくる。見上げると、一隻の小型ヘリコプターが上空で停止していた。
「あれって、まさかプライベートヘリか!?」
「うふふ、私お姫様ですから。あれくらいはとーぜんですよ。あっ、私のお婿様になっていただければ、アレも勇者様のモノになるんですけどね?」
向こうを向いたまま、姫様がそんなことを言う。
「なーんて言ったら付いてきてくれたりしないですかね?」
「……いや、庶民には縁遠い世界だしな」
「そう、ですよね。そう仰ると思ってました」
拗ねるような、諦めようとするような。それでも諦めきれないような声で、姫さんはそう呟いた。
「それでは、また」
空から降ってきた縄梯子に足を掛けながら、姫さんは言った。
「達者でな」
「勇者様も」
姫さんを乗せた梯子はゆっくりとヘリへと回収されてゆく。上空から降り注ぐ強風の中、さらさらとした雫が流れ落ちてきたような気がした。
「本当にいいのかい、峰樹?」
「ナオ。お前いたのか」
「取り込み中だったようだからね、僕だって空気を読むんだよ」
くそ、ナオのくせに珍しく優しい声をかけてきやがる。
「寂しいかい?」
「……少し、な」
我ながら柄でもない感傷に頭を掻く。
「斜に構えなくてもいいんだよ。僕がいない間に姫様とは色々あったみたいじゃないか。誰だってセンチメンタルな気持ちになるときもあるさ。……やっぱり惚れたんじゃない? 今なら僕のプライベートジェットで追いかけることもできるよ?」
ナオの言葉に、目を閉じる。
本音を探すように、心の声に耳を傾ける。
「いや、いいよ」
結論は、やはり一緒だった。
「胸がないヤツには興味ないからな」
「……最低だね、君は」
そんなことないさ、と呟く。
視線は大空へと消えてゆくヘリを追いかけている。
なぜだかは分からないが。
またいつか、出会えるような気がしていたから。
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