第2部 双子姉妹と夏休み

第52話 7月22日 <上>

「はぁ……」


 妹の炉が煩わしそうに、ため息をついた。


「どうした、何か機嫌悪そうだけど」


 文芸部の部室にて。

 長机だけでスペースの殆どを占有されている狭い室内で、俺と炉は人三人分程の距離を開けて座っている。


「なんでここにいるのかなあって思って」

「そりゃあ、俺も一応文芸部員だからな」

「……そういうことじゃなくてさ」


 読書中の炉は本を捲る手を止め、じろりと俺を一瞥してくる。


「一応今日から夏休みなわけじゃん? だったら彼女とデートとかさ、他にやることあるでしょ」


 今日、俺たちの高校では一学期の終業式が催された。

 現在はそれも終わり、いよいよ夏休み突入という状況なのだが、俺と炉は兄妹で部室にいる。 


「いや、デートがどうのってのはお互い様じゃないか? 炉だって彼氏がいる身だけど、ここで読書してるわけだし」

「…………」


 反抗期気味な妹から発せられる刺々しい気配が、強くなった気がする。

 彼氏である公彦と上手くいっていない……ということはないだろうけど、忙しくてあまり構ってもらえていないのかもしれない。  


「……ぶっちゃけ読書の邪魔だから消えてほしい」


 炉はむすーっとした顔をして、不機嫌さを隠さない。

 ……どうやら軽く地雷を踏み抜いたようだ。

 兄がいると集中できない、ってのも事実かもしれないけど。

 普段はこの部屋を独占して読書に耽っている炉としては、他人がいない方が自然なんだろう。

 部活と言っても、炉以外は基本的に幽霊部員に近いからな。俺を含めて。 


「まあ、そういう意味じゃ悪いとは思うけど……彼女と予定があるからこそ、ここにいるっていうのもあるんだよな、実は」

「は? どういう意味?」


 炉が怪訝そうに眉をひそめた、その時。


「おまたせー!」


 勢いよく扉を開け放って、陽奈希が部室に入ってきた。


「お。噂をすれば、だな」

「こんにちは、陽奈希先輩……とその後ろは、もしかして」


 炉は文芸部の一員である陽奈希に軽く挨拶した後、扉の向こうに立つもう一人の人物に気づいた。


「はじめまして、炉さん……ですよね?」

「沙空乃先輩……!?」


 炉は予期せぬ人物の登場に、目を丸くしていた。 

 天宮沙空乃。

 この学校で一番の有名人であり、皆の憧れ的存在だ。

 しかも初対面となると、炉に限らずこんな反応をする人間が多いらしい。

 沙空乃はそんな炉に微笑ましげな視線を向けながら、陽奈希に次いで部室に入ってきた。


「この部室に来たのは、文化祭の前夜以来二度目ですが……なんだか新鮮な気分ですね。炉さんがいるからでしょうか」

「え、あ、その……恐縮です」


 元々人見知りな性格の炉は、初対面である沙空乃を前に、コミュ障ぶりを発揮していた。

 上手く言葉にできていないだけで、満更でもなさそうではあるけど。


「ふふ。話は聞いていましたが、こうして実際に会ってみると、噂以上にかわいらしいですね」

「うんうん、渉がシスコンになっちゃうのも頷けるよねえ。なんか、小動物みたいな雰囲気があるっていうか」


 沙空乃と陽奈希は炉の前に立つと、二人して褒めちぎった。 

 ……俺は断じてシスコンじゃない。

 妹の見てくれが人並みよりは良いというのは、否定しないけど。


「か、かわいいだなんて……そんなことないです……」


 炉は学校きっての美少女双子姉妹に褒められて、照れ臭そうにしている。

 そんな姿を、沙空乃はますます気に入ったらしい。

 

「照れてる表情も良いですね……頭を撫でてあげましょうか」

「え、ええっと……?」

 

 戸惑う炉の頭に、沙空乃の手がするりと伸びる。

 特に抵抗することもなく、炉はされるがままに撫でられていた。


「初対面から甘やかしすぎじゃないか……?」

「渉くんの妹と言うことは、私にとってももう一人の妹みたいなものですから。かわいがりたくなるのも当然です」


 俺の疑問に答えつつ、沙空乃は炉の隣に座る。 

 ……なるほど。相手を妹的な存在だと認識しているのなら、この甘やかしっぷりも頷ける。 

 沙空乃にとって、妹とは陽奈希のことであり。

 沙空乃は陽奈希のことが好きで好きで堪らない、超絶シスコンなのだ。

 つまりこれは、陽奈希に接している時と、同様の対応ってことなんだろう。

 

「じゃあ、炉ちゃんはわたしにとっても妹ってこと? ふふ、それは嬉しいかも」


 陽奈希は沙空乃の反対側に座って、双子で炉を挟み込むように位置取った。

 炉と陽奈希は文芸部員同士交流はあったけど、今日はいつにもまして距離感が近い気がする。


「お二人と、姉妹ですか……!」


 炉は沙空乃と陽奈希から妹扱いされて、嬉しそうにしていた。  

 ……俺に対しては反抗期真っ盛りなのに、この差はなんだ。


「炉さん……いえ、妹なのですから炉ちゃんと呼んでもいいですか?」

「は、はい」

「では炉ちゃん。お近づきの印に、連絡先を交換しましょう」

「沙空乃先輩の連絡先ですか……はい、ぜひ……!」


 スマホを取り出す沙空乃を前に、炉は目を輝かせていた。

 学校のアイドル的存在の連絡先というのは、それだけ価値が高いってことだろうか。

 天宮沙空乃、恐るべし。

 ……にしてもさっきから俺、蚊帳の外じゃないか?

 座っている位置的にも、炉が沙空乃と陽奈希に囲まれて、両手に花みたいな状態になっているし。 


「…………」


 俺が疎外感を覚えている間にも、炉と沙空乃は連絡先を交換していた。


「あ、あの。炉の方から連絡してもいいですか?」

「ええ、もちろんです。私の方からも、炉ちゃんのことや渉くんのこと、色々聞かせてくださいね?」

「はい……!」


 俺の妹と恋人は、すっかり打ち解けていた。

 

「……渉くんの、昔の写真なんかも欲しいですし」

「昔の写真って……あ、なるほど。お兄ちゃんが、お姉ちゃんだった時のやつですか」


 今までしおらしかった炉が一瞬だけ、こっちに意地の悪い笑みを向けてきたのを、俺は見逃さなかった。


「ちょっと待て、それだけは駄目だ」


 小学校中学年の頃まで、俺は母親の趣味で女の子向けの服ばかりを着せられて過ごしてきた。

 俺にとってはまさに、黒歴史。

 今さら掘り起こされることなんて……まして恋人に見られるとか、堪ったものじゃない。

 昔、沙空乃と初めて会った時も、女の子だと勘違いされるような格好をしていたけど、それは別問題だ。 


「えー、なんで? わたしも渉がかわいい格好してる写真、見てみたいのに」

「そうです渉くん、別に恥ずかしがることはありません。悪用するわけではありませんから」


 旗色が悪くなってきたので会話に割り込むと、沙空乃と陽奈希から不満そうな反応が返ってきた。


「いや、こっちにもプライバシーってものが……」

「むぅ……渉くんだって、私たちから送られてくる写真にはちゃんと目を通しているじゃないですか。いつも五分以内には既読がついてますし、送られて迷惑している……というわけではないんでしょう?」

「その話を持ち出してくるのか……」 


 二人と付き合うようになって以来、主に沙空乃(と時々陽奈希)から、二人のプライベートを収めた写真が度々ラインで送られてくるようになったのだ。

 自宅でくつろいでいる姿や双子で出掛けている様子から、着替え中だったりちょっと際どい肌色多めな写真まで。

 いつも画像だけで言葉が添えられていないから、どんなつもりかは知らないけど……恋人が気を許してくれていると思えば、悪い気はしない。 


「そうだよ、渉だけもらってばかりはずるいと思う!」 


 陽奈希がうんうんと頷いて、沙空乃に同意する。

 多分純粋に、俺の昔の写真が見たいんだろう。

 

「あ、炉もそう思いまーす」


 炉がそんな陽奈希に便乗する。

 こいつは明らかに俺のことをからかう目的だ。

 ……いや、もう一つ狙いがあったらしい。


「ふふ、炉ちゃんは私たちの味方のようですね」 

「炉ちゃん、いい子いい子ー」


 炉は沙空乃と陽奈希からかわいがられていた。

 ご満悦といった表情を、俺に見せつけてくる。

 

「はぁ……この調子だと、今止めたところで俺の知らない間に黒歴史が晒されるだけだろうな……」

「ふふん、そういうことです」


 勝ち誇る女子たちを前に、俺は観念した。

 抵抗するだけ無駄だと悟ったのだ。 


「……けど、悪いことばかりでもないか」

「どういうこと? やっぱり渉も、自分のかわいい写真をわたしたちに見てもらいたかった?」

「いや、それはない」


 きょとんとした顔をする陽奈希に断言してから、俺は続けた。


「何と言うか……炉は昔から人見知りで、友達や話し相手があまり多くないタイプだったからな。沙空乃や陽奈希と仲良くしてくれるのは、兄としてはありがたいし嬉しいんだ」

「そっかー……ふふ。やっぱり渉って、シスコンなんだね?」

「もう、違いますよ陽奈希。ここは『妹思い』と言ってあげるべきです」


 俺と炉の兄妹に向けられる、なんともくすぐったい二人分の視線。 

 沙空乃も陽奈希も、何故だかやたら優しげな笑みを浮かべている。

 ふわふわとした場の空気に耐えかねてか、炉は殺意の込められた眼差しで睨み付けてきたけど。

 今回ばかりは、悪い気分ではなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る