第44話 いつも隣に

 陽奈希ひなきお手製の朝食を食べ終えた後、身支度を整えてから俺たちは家を出た。

 今朝は俺と陽奈希、二人で登校だ。

 かつて自分の気持ちに素直になれず、つんつんした態度で俺と接していた陽奈希はどこへ消えたのやら。

 今や堂々と、俺と指を絡めて手を繋ぎながら、他の生徒たちも散見する通学路を歩いている。

 いわゆる、恋人繋ぎってやつだ。

 いつもは腕に抱きついてきたりすることも多いけど、今朝はそういう気分らしい。

 普段と違うという意味では、髪型がポニーテールのままだったりもする。

 さっき褒められたのが、よほど嬉しかったんだろうか。


「ふんふふふ~ん♪」


 ……それにしても、今朝はやけに機嫌が良いような。

 なんか、鼻歌を歌ったりしているし。


「なあ、陽奈希。何か良いことでもあったのか?」

「んー? ふふ、実はねー……」


 俺の問いに対し「よくぞ聞いてくれた」とばかりに陽奈希の顔つきが変わった。


「昨日担任の刑部おさかべ先生と話してね……今日、席替えすることになったの!」 

「ああ……確かに、そろそろそんな時期かもな」


 俺と陽奈希のクラスの担任である刑部先生は、だいたい一ヶ月気まぐれで席替えを実施する。

 一年の時も刑部先生が担任だったし、二年となった今年も同じようなペースで席替えが発生していたので、なんとなくその辺の感覚は把握していた。

 陽奈希はクラス委員長だし、先に話を聞く機会があったんだろう。


「席替えってことはつまり、わたると隣の席になれるチャンスだよ!」

「けど、例のごとくくじ引きだろ? 好きなように組んだら授業に支障が出るかも、ってことで」

「うーん……そこは確かに、懸念材料なんだよねえ……」


 一転して、陽奈希は表情を曇らせる。


「渉とは去年から同じクラスだったのに、結局一度も隣の席になれたことがないし……」


 陽奈希と俺は、苗字が『天宮あまみや』と『伊賀崎いがさき』ということで、出席番号一番と二番。

 これは一年の時から同じで、年度の始めこそは前後で近くの席だったりしたんだけど。

 その後席替えした際は、割と離れた席になることも少なくなかったし、隣同士になったことは一度もない。

 出席番号が近いおかげで、何かと一緒に行動する機会は多かったけど。


「だから今回こそは……ってことか?」

「うん、そういうことっ!」


 陽奈希は恋人繋ぎをしていない方の手で、ぐっと握り拳を作る。


「けど……仮にまた隣になれなかったとしても、話す機会はいくらでも作れるだろ?」

「でもでも、授業を受けてる間ずーっと渉がわたしの近くにいるって考えたら……これはもう、すごいことだと思うんだよね!」

「分からなくもないけど、あんまり期待しすぎると外れた時に落ち込むぞ?」

「む……」


 俺の言葉に、陽奈希は神妙な面持ちを作って。


「実は先生から、席替えの時のくじ作りを任されてるんだけど……こうなったら、細工しちゃおうかな」

「……ズルはだめだぞ?」

「わ、分かってるもん……」

 

 ジト目を向ける俺に、陽奈希はいじけたような反応を返してきた。


「まあ、なるようになるさ」


 いじけているのもそれはそれでかわいらしかったので、つい頭を撫でると陽奈希は満更でもなさそうに目を細めた。


◆◆◆


 五時間目。

 ロングホームルームの時間を使い、運命の席替えが行われることとなった。

 一足先にくじを引き、窓側の一番後ろという特等席を手に入れた俺。

 現在、まだその隣が空席のまま、陽奈希がくじを引く番を迎えている。


「むむむ……!」 


 教卓に置かれたくじの箱の前で、祈るように力む陽奈希。

 その気迫に当てられて、教室内のクラスメイトたちの間にも変な緊張感が漂い始めた。


「えいっ!」


 陽奈希は気合いの入ったかけ声に合わせて、箱の中に手を突っ込んだ。


「この席って……」


 恐る恐るといった感じのゆっくりとした手つきで、陽奈希は引いたくじを確認して。


「渉の……隣だ!」


 見事に当たりを引き当てたらしい。

 陽奈希は嬉しさのあまりか、その場で小躍りするように跳ねる。


「おー、やったじゃん委員長」

「去年からずっと隣がいいって言ってたもんねえ……伊賀崎くんの知らないところで」

「付き合う前は密かな願望って感じだったけど、今はすっかり素直になったよねえ」


 陽奈希の友人たちも、まるで自分のことのように嬉しそうだ。

 それに釣られて、クラス全体が祝福ムードに包まれる。


「えへへ……みんな、ありがとね」


 陽奈希は恥ずかしそうにしながら、そそくさと教壇を降りると。

 引き当てた自分の席へと、早足で向かう。

 俺の、隣に。


「これからしばらく、君の隣だね?」


 陽奈希は空いた座席を感慨深そうに見下ろすと、喜びを噛み締めるようにゆっくりと、腰を下ろした。

 

「ああ……よろしくな、陽奈希」


 そんな陽奈希を見ていると、つい俺も笑みが溢れてしまう。

 朝は「隣になれなくても話す機会はある」なんて言ったけど……いざこうして隣どうしになると。

 想像していた以上に、嬉しいと感じている自分がいた。


◆◆◆  


 6時間目。

 期末テストが近いということで、席替え後初めての授業は自習の時間となっている。

 

「…………」


 隣の席で黙々と、陽奈希が勉強している。

 いつも明るい陽奈希が真剣な顔つきをしているのも、それはそれで映えるというか……つい、見惚れてしまう。


「……? ふふっ」


 視線に気づいた陽奈希が顔を上げた。

 手元のノートにシャーペンで何かを書き記すと、俺に見せてくる。


『見惚れてくれるのは嬉しいけど、ちゃんと勉強しなきゃダメだよー』


 くすくすと声を抑えて、陽奈希は笑う。


「うっ……」


 ……なんだろう。

 ただ陽奈希を見ていただけなんだけど、物凄く恥ずかしいことをしていたような気がしてきた。

 顔が熱くなってきたのを感じる。

 ……陽奈希の言う通り、勉強するか。




 陽奈希にからかわれてから少しして。

 落ち着きを取り戻し、テスト勉強に取り組む集中力も増してきた頃。


「ねえねえ、渉」


 とんとん、と陽奈希が肩を叩いてきた。


「どうし……!?」


 呼ばれて振り向いたその先。

 肩に置かれた陽奈希の手から、人差し指がぴんと延びていて。

 俺の頬に、綺麗に突き刺さった。


「ぷっっ……!!!」


 恐らくは間抜け面をしているであろう俺を見て、陽奈希は吹き出しそうになるのを堪えている。


「くっ……」


 大したことじゃないけど……一本取られた。

 けど楽しそうな陽奈希を見ていると、怒る気にもなれない。

 こういうの、惚れた弱みっていうんだろうか。


「……用がないなら勉強に戻るぞ?」

「あ、待って。用っていうか、お願いはあるんだけど」


 陽奈希は再び問題集と向き合おうとする俺を、小声で引き止めてくる。


「……? なんだお願いって」

「消しゴム落としちゃったから、拾ってくれる?」


 陽奈希は俺の足元を指差してくる。 

 ちょうど陽奈希からは届かなさそうな位置に、消しゴムが落ちていた。


「ああ、それくらいなら……っと」


 俺は椅子に座ったまま前屈みになり、足元に手を伸ばす。

 消しゴムを拾い、顔を上げようとしたところで。

 ふと、陽奈希の姿が目に留まった。

 より正確には、やや丈の短い陽奈希のスカートと、太ももの辺りが。

 この体勢からなら、中が見えーー


「……渉のえっち」


 俺の視線に気づいた陽奈希が、ジト目で咎めてきた。


「うっ……」


 俺はいたたまれない気持ちになりながら、そそくさと体を起こす。

 その間も、陽奈希は責めるような顔つきで、こっちを見続けていたけど。


「ふふ……こういうのも、わたしと隣の席になれたからこその役得ってやつだね?」


 陽奈希の表情は、すぐに柔らかくなった。

 自習している周囲に気を使って、声のトーンは変わらず控えめだ。

 ……どうやら、軽蔑されるような事態にはならなかったらしい。


「その……悪かった。つい出来心で……」

「大丈夫だよ。最初からこのつもりで、わざと渉の足元に消しゴムを落としたんだし」


 小声に吐息が混じっているせいか、陽奈希の微笑みが小悪魔っぽく見える。

 わ、わざとって……マジか。


「むしろ全く見向きもしなかったら、そっちの方が落ち込んだかも」

「……あんまりからかうなよ、身が持たないから」


 俺はそう釘を刺しながら、陽奈希に消しゴムを手渡す。


「そう言われると、もっとやりたくなるような……あ、そうだ」


 陽奈希は消しゴムを受け取りながら、何やら悪い笑みを浮かべて。

 俺の耳元に顔を寄せて、こう囁いてきた。

 

『ちなみに今日は水色を履いてるんだけど……見えた?』

「なっ……!?」

『見えなかったなら……あとで確認する?』


 面食らう俺に、陽奈希は更に追い打ちをかけてくる。

 顔を俺の耳から離して「んー?」と様子を窺うように首を傾げる陽奈希。


「……するわけないだろ」

「そっか、残念」

「っ…………!」

「んふふー」


 あっさり動揺させられる俺を見て、陽奈希はすっかりご満悦といった様子だ。

 ……これ、席替えで隣になったばかりだから、テンションがおかしくなってるだけだよな?

 もしこの調子で毎日毎時間からかわれるんだとしたら、絶対授業の内容なんて頭に入ってこない。

 平凡程度だった成績が、急落すること必至だ。


「はぁ……」


 そんな最悪の事態は、避けないといけない。

 俺は自分を落ち着かせるために一つ深呼吸する。

 少し頭が冷えたところで、再び自習に戻ろうとしたその時。


「来年は、沙空乃さくのも一緒だったらいいなあ……」


 願望が漏れ出すように、陽奈希が呟いた。


「……一緒って、同じクラスってことか? 双子とかだと大体別々になるって話を聞くけど、その辺はどうなんだ」

「小学生とか中学生の時には全くなかった訳じゃないから……来年は期待したいなあ」

「とはいえまだ、一学期だぞ?」


 結局また、俺は陽奈希との小声による会話に応じてしまう。


「そうかもしれないけど……わたしと沙空乃と渉、三人並んで隣合わせの席に座われたら、毎日が楽しそうでしょ?」

「確かに沙空乃とも一緒のクラスになれたらとは思うけど……流石に三人掛けは、ちょっと厳しいだろ」

「あはは、それはそうかも」


 俺と陽奈希はそんな他愛もない言葉を交わして、一番後ろの席でひっそりと笑い合う。




 改めて、実感したけど。 

 これからしばらく、授業中もこんな日々が続くと思うと、身が持ちそうにない。

 主に、幸せすぎるという意味で。

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