第43話 幸せな朝

 ……誰かに、見られている。

 俺は覚醒しきっていない頭で、漠然とそんな気配を感じた。

 何者かが、すぐ近くにいるような気がする。

 けど、今の俺にはその程度、些細なことだ。

 だって、まだ眠いから。

 日々の日常を過ごしていれば……もうそろそろ朝で、今日も学校があって、いい加減起きなければいけない時間だとは、身に染み付いた体内時計的なものが感覚で知らせてくれる。

 だからせめてあと少しだけ、徐々に回転を始めたこの脳みその働きを鈍らせて、瞼を閉じていたい。

 よし、余計なことを考えるのはやめよう。

 …………。


「おーい、わたるー」


 近くから、囁き声が聞こえてくる。

 馴染みはあるけど、この場で聞くはずのない声だ。

 ……つまり、これはきっと夢なんだろう。


「ふふっ、まだ起きないのー……?」


 つんつん、と二度、頬にゆっくり沈み込むような感触を覚える。

 ……指でつつかれているんだろうか?


「それなら、せっかくだし……」


 パシャリ、と響くシャッター音のようなもの。

 というかシャッター音だろう。

 どうやら近くにいる何者かに、俺の寝顔を撮られたらしい。

 ……まあ、後で消してもらえばいいか。

 今は眠い……。

 

「気持ち良さそうな寝顔だけど、そろそろ起きないと遅刻しちゃうよ……?」


 呆れているようで、優しいような。

 甘い声色で、囁きかけてくる。


「うーん……あ、そうだ。こういう時は……」


 何か、閃いたような声。

 直後、唇に触れる柔らかい感触。

 微かに湿った余韻が残される。

 ……これは、どうやら。

 キス、されたらしい。


「これでも起きないの……? じゃあもう一回……」

「あー……待った」  

 

 ……こんな調子じゃ、嫌でも頭が覚醒してしまう。

 俺は仕方なく目を開けて、視界に映った人物を制止した。

 その人物とはすなわち、俺の彼女である双子姉妹の妹の方、天宮あまみや陽奈希ひなきだ。


「おはよー、わたる

「……おはよう」


 窓から差し込む朝の陽射しと重なって、寝起きには眩しすぎる笑顔を向けてくる陽奈希。

 とりあえずベッドから体を起こして、現状を確認する。


「ここは……間違いなく、俺の部屋だよな」

「うん、そうだよ?」

「じゃあ、なんで陽奈希がいるんだ?」 

「渉を起こすためにいつもよりちょっと早めに来て、いろりちゃんに上げてもらっちゃった」

「……なるほど」


 俺は納得しつつ、まだぼやけている目を擦る。


「それで……彼女に起こしてもらう気分はどうだったかな? いつもより、寝覚めがよかったりした?」

「えっと、そうだな……」


 じーっとこちらに注がれる、爛々と輝いた陽奈希の眼差し。


「なんというか、幸せだな。朝起きたら、彼女が目の前にいるっていうのは」


 ……我ながら、言っていて途中で恥ずかしくなってきた。

 俺は気を紛らわすように、頬を指で掻く。

 そんな俺に対し、陽奈希は。


「えへへ……ありがと」

  

 そのかわいらしい表情に、喜びを溢れさせていた。 


「お礼を言うなら、起こしてもらった俺の方じゃないのか?」

「それも一理あるけど……わたしも自分のしたいこと、させてもらってるからね」

「したいこと……って?」

「こうして朝から渉をお世話すること自体もそうだけど……一番はおはようのキス、かな?」


 自分で言っていて恥ずかしくなったのか、陽奈希は照れたように笑う。 

 ……こういうところに関しては、俺たちは似ているのかもしれない。


「さて、と。せっかく起こしに来たのに、あんまりのんびりしすぎちゃうと本末転倒だよね」


 陽奈希は気を取り直すようにそう言って、立ち上がった。


「朝ごはんの支度をしてあるから、渉は顔を洗って着替えてからリビングに来てね?」


 ……朝から陽奈希の手料理が食べられるって、マジか。

 俺は名状しがたい感動を覚えながら、軽やかな足取りで部屋を出ていく陽奈希を見送った。

 



「本当は沙空乃さくのも来たがってたんだけどねー……今日はテスト前最後の朝練だから、テニス部に顔を出さないといけないんだって。大変だよねえ」


 などと話すのは、我が家のキッチンに立つ陽奈希だ。

 料理をする上で邪魔になるのか、髪を後ろで束ねてポニーテールにし、制服が汚れないように上からエプロンを羽織っている。

 ……この家のものじゃなさそうだし、わざわざ持ってきたんだろうか。


「まあ、沙空乃もテニス部のエースだからな。ある程度特別待遇で自由が利くらしいし、たまには他の部員に合わせないと示しがつかないってことだろ」


 俺はリビングの食卓に座り、陽奈希の後ろ姿を眺めながら答える。

 現在、我が家にいるのは俺と陽奈希の二人きりだ。

 両親は元々家を空けがちな上、妹の炉は陽奈希を迎え入れた後、さっさと出ていったらしい。

 恐らく隣の家……彼氏であり幼馴染でもある、公彦きみひこを起こしに行ったんだろう。

 そして陽奈希と一緒に来たかったらしい沙空乃は、忙しくて来ることができず、というわけだ。


「はい、お待たせ。朝ごはん……って言っても、大したものじゃないけど」 


 遠慮がちにそう言って、陽奈希はキッチンから朝ごはんを持ってきてくれた。

 献立は白い御飯に焼き魚、そして味噌汁だ。


「いや、充分大したもんだ。普段は適当にパンとかを食べるか、朝メシ抜きってことも多いからな」


 基本的に、我が家の料理担当はその日の流れで決まる。

 両親は大体不在なので、夕食に関しては俺が炉の分も作るか、逆に炉が俺の分も作ってくれたりするか。もしくは各々済ませるかだけど……朝食に関しては、そこまで時間に余裕がない場合が多い。


「だから、ありがとう陽奈希」

「うんっ、どういたしまして!」


 陽奈希が嬉しそうに身を弾ませると、その動きに合わせて後ろのポニーテールが揺れ動く。

 ……改めて、思ったけど。 


「ポニテに制服で上からエプロン……って、なかなか新鮮な見た目してるよな、今日の陽奈希って」

「そうかな……似合ってる?」


 陽奈希は自身の格好を改めて見返しつつ、俺に見せびらかすようにその場でくるりと回る。


「ああ。いつにも増して家庭的な印象だ」

「家庭的……なんだかいい響きかも」


 俺からの評価がお気に召したのか、陽奈希は「家庭的」というフレーズを繰り返して。


「渉は将来、こんな風に家庭的なお嫁さんがいたら、嬉しい?」


 不意打ち気味に、ぐっと顔を近づけてきながら、問いかけてきた。


「そう……だな」


 至近距離からぶつけられる、純真な眼差し。

 ……正直、この目はずるいと思う。

 つい、求められている答えを、口にしたくなってしまう。


「……うん。家庭的なお嫁さん、っていうのには憧れるかもな」

「そっか。じゃあ……わたし、がんばるね!」 


 陽奈希は俺の答えに満足げな様子を見せると、無邪気に意気込んだ。

 ……それはつまり。

 陽奈希としては、将来的に俺のになりたいと思ってくれている……ってことなんだろうか。

 もちろん、具体性なんてまだ欠片もない話なのかもしれないけど。 


 それでも、なんとなく。

 そんな未来図を想像してみて。

 漠然とした感想ではあるけど……「良いな」と思う自分がいるのは、確かだった。




◆◆◆


1話で6000字くらいいちゃつかせるのはちょっと長いかなと前回で思ったので、陽奈希回は2話に分けることにしました(その方が早く更新できるのもある)

文章量的には沙空乃回と同程度になるよう調整するので、双子への愛は平等です()

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