第40話 積み重ねてきたもの
親友であり人気小説家の
俺は未だ、妹の
公彦を置いて先に学校に戻ると、また何か新たな仕事を作って文化祭デートが中止になるかもしれない……と憂慮する炉に付き合わされて、作業が終わるまで待機している。
いざと言う時に引っ張って連れ出せるように、とのことらしい。
「…………」
俺はリビングのソファに座り、キッチンの方から漂ってくるコーヒーの香りを嗅いでいた。
……ミスコンの方は、今頃どうなっているだろうか。
全く見られなかったとなると、二人にがっかりされそうだ。
俺自身、あの華やかな衣装で舞台に上がる沙空乃と陽奈希を見てみたかったし。
……そして何より、俺にとっても重要であろう、双子のミスコン勝負の行方が分からないという、もどかしさもある。
「はい、コーヒー」
「……おう。ありがとう」
炉がキッチンからコーヒーを沸かして持ってきた。
普段は反抗期気味なのに、今に限ってはやけに気が利いている。
曲がりなりにも俺のおかげで、公彦との文化祭デートが実現したと思っているからだろうか。
口元が思いきり緩んでいるし。
こうも楽しみにしている妹を見ると、放り出して今すぐ学校に戻る……というわけにもいかなくなる。
けどやはり、沙空乃と陽奈希の方も気がかりだ。
「そういえばさ、お兄ちゃん」
そんな俺の気も知らず、炉は普段よりも心なしか柔らかい声色で話しかけてきた。
「さっき公彦くんと『究極の二択』について話したけど……お兄ちゃんの場合、沙空乃先輩と陽奈希先輩との関係もまさにそんな感じだよね」
「ああ……まあ、そうなのかもな」
「最近相談とか受けてなかったけど、結局どうなったの? 一応、色々と噂は見たり聞いたりしてるけど」
ソファに座り、コーヒーを呷りながら、炉は興味本意といった軽い調子で聞いてくる。
俺はそんな妹に対し、これまでに双子姉妹との間にあった出来事と、知らない間に二人の両方と付き合っていると誤解されていた件や、ミスコン勝負が催されることになった経緯などについて、一通り話した。
「何それ……やっぱり死んだら?」
炉の反応は、至って辛辣だった。
「特に、沙空乃先輩と陽奈希先輩の勝負任せっていうのがなー……この期に及んで煮え切らない」
「相変わらず、耳が痛いな……」
ついでに言うと、蔑むような視線も突き刺さってきて痛い。
「てかさ。さっきの小説の話みたいに、腹を括って二人とも選ぶんじゃ駄目なの?」
「まあ、なんだ。そう簡単にはいかないというか、そもそもまだ結論を出す段階じゃないと思っていたというかだな……」
俺の言い分に、炉は大きくため息をついた。
「はあ……けど今日は三人で仲良く文化祭デートしたんでしょ? それで何を今更ウジウジと」
「だからって、二人と同時に付き合うなんて話となると、また事情が変わってくるだろ」
「でも沙空乃先輩も陽奈希先輩も満更でもないみたいだし、いけるんじゃない? クズ極まりない所業だけど」
炉は俺を罵倒しつつも、もどかしそうに言う。
気持ちは分からなくもないけど……それは他人事だからこそ抱ける感情だと思う。
「あの二人に対して二股クズ野郎が相手じゃ、あまりにも釣り合ってないと思わないか?」
「うーん……他人の話だとすんなり思い切った考えができるくせに、なんで自分が当事者になるとハッキリしないかなあ、この兄は」
「そう言われてもな……物語の登場人物と現実の自分自身じゃ、振る舞い方だって変わるだろ」
先程の公彦へのアドバイスは、架空のキャラクター……しかも主人公みたいな存在だったらこうしてほしい、という前提があった。
だがそれと同じ願望を、一介の高校生に過ぎない俺に求められても、期待に応えるのは簡単ではない。
「えー……それじゃあつまんないじゃん……」
分からなくもないけど、と呟きつつも、不満を露わにする炉。
「そりゃあ、沙空乃先輩は文武両道の完璧超人で校内のアイドルみたいな存在だし? 陽奈希先輩も同レベルの美少女の上に皆のために頑張る人気者だしー? 対するお兄ちゃんは特筆するところのない、二股クズ野郎だもんねー……」
「随分はっきり言ってくれるな……」
炉から冷ややかな目を向けられるが、もっとも過ぎて返す言葉もない。
「けどさ」
俺が自虐的な気分に浸っている中、炉は言葉を続ける。
「そんなお兄ちゃんでも、沙空乃先輩や陽奈希先輩と一緒に過ごして、色んなものを積み重ねてきたんじゃないの? まあ、炉からすれば所詮、他人事だからよく知らないけど」
「…………」
言われて俺は、思い返す。
沙空乃と初めて出会ったのは、まだ俺が幼かった頃。
それから長い間、彼女は遠い日の記憶の中の存在だった。
高校に入学して成長した沙空乃と再会したが、それでもまだ手の届かない距離にいる存在だった気がする。
やっと話せるようになってからも、沙空乃にとって俺は敵対的な存在だったし、あの頃の思い出を共有できるようになるまでに、とても時間が掛かったりもしたけど。
喜怒哀楽豊かにかわいらしく振る舞ったり、自信家過ぎる一面を覗かせたり、照れたような笑顔を頻繁に向けてきたり。
沙空乃がそんな姿を見せるのは、陽奈希を除いたら……多分、俺に対してだけだと思う。
陽奈希とは高校に入学して以来、なんだかんだで常に一緒にいた気がする。
やたらとツンツンした態度を取りがちな陽奈希ではあったが……結局はあれも、好意の裏返しだったし。
きっかけは間違いによる告白だったけど、陽奈希はいつも俺に対して素直な気持ちを剥き出しにして、献身的に接してくれた。
しかしそれは、俺がもらってばかりの関係ではなかったと思う。
俺と陽奈希は、林間学校や文化祭……高校生活の中であった数々の困難を、二人で協力しあいながら乗り越えてきた。
これらの、俺が築いてきた沙空乃や陽奈希との関係は、俺にしか築けなかったものなのかは、正直分からない。
ただ、運がめちゃくちゃ良かっただけ、ということも大いにあり得るだろう。
だとしても、俺は二人と、自分達だけの経験と体験を共有してきた。
そういう自負は、ある。
今ようやく、その事実を認識して。
さっきからずっと抱えていた、何とも言えないモヤモヤとした感情が、綺麗さっぱり晴れた。
「……ほら。だから、釣り合ってないなんてことはないでしょ?」
俺の胸の内にあった変化を察したのか、炉は得意気に笑った。
「最近反抗期だと思ってたけど……今日はやけにデレるんだな」
「キモッ! それと茶化すな!」
「あー……後半部分については謝る」
……つい調子に乗ってしまった。
炉が久々に兄の話を真剣に聞いてくれたから、自覚しない内に気を良くしていたってことなんだろうか。
だとしたら俺も、沙空乃のことをとやかく言えないくらいシスコンなのかも……と思ったけど、あんなストーカーじみた行為には及ばないからまだ軽症のはずだ。
「……まあ。炉が公彦くんと付き合い始めた時、端から見れば釣り合ってないと思われるような状況でも、お兄ちゃんは真剣に応援してくれたからさ。今似た境遇にいるお兄ちゃんへの、一応お礼……みたいな?」
炉はそっぽを向き、表情を隠すように口元へコーヒーカップを近づける。
二人が付き合い始めた当初、まだ学生ながら人気小説家として有名になりつつあった公彦に対し、交遊関係の狭いタイプだった炉は影の薄いインドア派の女子……という感じで見られており、他の公彦狙いだった女子からやっかみを受けていたことがあったのだ。
そんな時、俺なりに炉を励ましたりしたことがあった。
今回の件は、そのお礼ということらしい。
「……我ながら、いい妹を持ったな」
「だからキモいって……! 急にしんみりするな!」
炉から何度目かの罵倒が飛んできたが、これは照れ隠しだと思う。
「はあ……なんにせよ、とりあえずこれで気兼ねなく二股クズ野郎になれる?」
「嫌な言い方だけど……まあ、腹は決まったよ」
「そう? じゃあ学校に戻ったら? こういうのは気が変わらない内にさっさと済ませた方がいいでしょ」
「公彦を待たなくてもいいのか?」
元々そういう話があったから、ここで待機していたんだけど。
「んー……結局は炉自身の問題だし、最悪の場合は自分でなんとかする」
「まあ、流石のあいつもこの期に及んでドタキャンしたりはしないだろうけどな」
「うん。そういうことだから、お兄ちゃんはお兄ちゃんで精々頑張ったら?」
炉はそう言って、何やらかっこつけたような笑みを浮かべた。
「昔の件のお礼にしても、やっぱり今日は妙に親切だよな……もしかして後で高くついたりするのか?」
「いや? ぶっちゃけ他人の面白い色恋話なんて、女子の大好物だし。もっと面白そうな展開になってほしいって期待するのは当然でしょ?」
……なるほど。
「ったく……じゃあ精々、俺が期待に添えるように応援しててくれ」
俺はそう言い残し、一足先に松葉家を出ていこうと……
「それかっこいい台詞のつもり? お兄ちゃんが言うとなんか逆にダサいね」
……これから大勝負をしようという兄の出鼻を挫くようなことを言ってくれるな、妹よ。
何はともあれ、俺は学校に戻ることにした。
俺自身と双子姉妹との関係に、答えを出すために。
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