第39話 ここは兄として「けしからん」と一喝すべきなんだろうか

 沙空乃さくの陽奈希ひなきがミスコンに参加するため控え室を出ていった直後。

 俺は妹のいろりから『大事な相談がある』と連絡を受けた。

 これはただごとではないと感じ、炉の指定した場所に向かったまでは良かったんだけど。


「遅い! いったいどこほっつき歩いてたの?」


 その炉から、理不尽な歓迎を受けた。

 大事な相談とか言っていた割には、深刻そうな気配はない。 

 むしろいつも通り辛辣で反抗期だ。


「……遅いってお前な、学校からここまで歩きなら十五分近くかかるところを、緊急事態かと思って駆け足で戻ってきたんだけど」


 そう。今更だけど、ここは学校の敷地内ではない。

 今俺たちがいるのは、自宅のあるマンション。

 しかし厳密には自宅ではなく、その隣の部屋……つまりは俺の幼馴染にして親友、最近不登校気味な人気小説家であり炉の恋人でもある松葉まつば公彦きみひこの家の、玄関口に立っている。

 インターホンを鳴らして呼び出したら、扉を開けて出てきたのは家主ではなく、我が妹だったという次第だ。


「ふーん……」


 わざわざ双子姉妹の晴れ舞台を差し置いてまで駆けつけた俺の熱意を、炉は気のない声であしらう。

 それどころか、「そこはダッシュでしょ」とでも言いたげな視線をぶつけてきた。

 ……あいにく兄にそこまでの体力はない。


「それで、公彦は?」

「相変わらず、奥で作業中。だからまあ、とりあえず入ったら?」


 などと、まるで松葉家の一員であるかのような態度で促してくる炉。

 ……二人の仲を取り持ったのは俺なんだけど、やはり妹を持つ兄としてはなんかこう、モヤモヤした気分になる。

 

「こういうのって、よくあるのか?」


 とりあえず言われた通り松葉家の敷居を跨ぎながら、俺は尋ねる。


「……? 漠然としすぎてて、何言ってるか分かんないんだけど」

「公彦が出られない時に、代わりに炉が来客の対応をしてるのか、ってことだ。なんか妙に慣れた感じで案内された気がしたから」


 数年前に男手一つで育ててくれたという父親が他界して以来、公彦は独り暮らしをしている。

 一応遠方に親戚くらいはいるらしいが、近くで面倒を見てくれる人間はいない。

 公彦にとっては恋人である、炉を除いては。 


「うん。炉がいる時に誰か来たら、大体出てるよ。来客って言っても、宅配便とかだけど」

 

 リビングへと続く廊下を我が物顔で歩きながら、炉は頷く。

 俺だってここには幼い頃から何度も来てるし、間取りも自宅と同じだから今更かしこまったりはしないけど……やはり、他人の家にお邪魔した時特有の、空気の違いみたいなものは未だに感じる。


「宅配便と言えば、さ。ウチでもこっちでも炉が出るから、配達の人が『あれ、間違えたかな?』みたいな顔するんだよね。最近は慣れたみたいだけど」


 ……それってつまり、慣れられるくらいこの家に入り浸ってるってことですかね。

 忙しい公彦のために夕飯を作りに来たりしているのは知っていたけど、そんなに頻繁だったとは。

 ここは兄として「けしからん」と一喝すべきなんだろうか。




 そんなやり取りの後、公彦の仕事部屋に案内された。


「なるほど……行き詰まった小説の作業が片付いたら、文化祭に行ける、と」


 作業用のパソコンとデスク、仮眠用のベッドと多種多様な書籍が並べられた本棚。

 若くして人気小説家である公彦の作業場の内装は、普通の高校生の部屋と大差ない。

 そんな部屋の床に適当に腰を下ろしながら、俺は炉のいう『大事な相談』とやらの内容を聞いていた。


「そういうこと。忙しいのは分かるけど、やっぱり炉としては公彦くんと文化祭デートしたいしー……」


 ベッドに寝そべり、枕を抱えながら炉は悩ましげな声で言う。

 

「その気持ちは分からなくもないけど……だからって、何故俺を呼ぼうって話になる」


 そんな俺の疑問に答えたのは、パソコンの前で絶賛作業中であるこの家の主だった。


「いやー。この際だから、渉にもアイデアを提供してもらおうと思ってね」


 松葉公彦。本来は眼鏡をかけた知的なイケメンだが……疲労が溜まっているのか目元にはクマがあり、髪の毛はボサボサで服装は適当だ。

 声にもどこか、覇気がない。


「プロでも行き詰まることに対して、素人にアイデアを求められても困るんだが」

「その意見はもっともではある。が、三人よれば文殊の知恵なんて言うだろ?」

「その諺は、俺みたいな凡人でも三人集まればお前みたいな天才にも及ぶかも、って意味だろ? 今みたいな場合には、適切じゃないと思うんだが」

「はは、これは一本取られた」


 俺の指摘を飄々と笑い飛ばしてから、公彦は肩を竦めた。

  

「炉ちゃんが、こういう時はとりあえずお兄ちゃんを呼ぼうって言うからさ」

「うぇっ……!? よ、余計なこと言わないでよ公彦くん!」


 炉が頬を赤くしながら飛び上がって、公彦に枕を投げた。


「なんだかんだ、昔からお兄ちゃんっ子ってことなんだろうね」


 公彦は炉の抗議を意に介することなく続けながら、枕を軽く避ける。


「は、はぁ!? 違うし……!」


 否定する炉ではあるが……俺を相手にする時とは違い、公彦には語気が弱い気がする。

 ついでに言うと、公彦もそんな炉の反応を楽しんでいる節がある。

 ……俺はいったい何を見せられているんだ。

 これ以上親友と妹がイチャついている様を見せつけられるのは微妙に居心地が悪いので、さっさと本題に入ろう。 


「それで? 今回は何に悩んでるんだ?」


 実のところ、こんな風に公彦からアイデアを求められるのは、初めてではない。

 公彦の問いに対し俺が思ったままに答えたら、小説を書く上で何かしらの役に立った、ということは過去にもあった。

 つまり、割と慣れていることだったりする。


「テーマとしては、『究極の二択』かな」


 公彦は居住まいを正してから、そう語り始める。


「今書いている小説の中で、主人公が『大勢の他人と、たった一人の大切な人の内、どちらかしか救えない』という場面に直面するんだが……」

「その状況で主人公が取る選択肢について、悩んでるってことか」

「ああ。色々思い付きはすれど、どうもしっくり来る答えがなくてね」


 公彦はそう言って、一つため息をついた。 


「やっぱり大切な人の方でしょ。数の問題とか難しい話は、政治家とかに任せればいいし。炉としては、公彦くんと知らない人だったら公彦くんを選ぶし!」

「はは、ありがとう炉ちゃん」


 無邪気な笑顔を浮かべる炉に対し、爽やかにお礼を言う公彦。

 ……俺の前でのろけるな。


「ちなみに兄と知らない大勢だったら?」 

「あー……どっちだろ」


 一転して、冷めた声の炉。

 恋人と兄とでは、随分接し方に差があるような。


「……じゃあ、公彦はどっちを選ぶんだ?」

「僕の場合、というかこの小説の主人公の場合……大勢の他人を救うことを選ぶと思う。そういう責任感や使命感を持った、ある種の英雄的な人物だからね」

「へー……公彦くんは炉よりもその他大勢を選ぶんだ?」

「これはあくまで小説の登場人物の場合で、僕個人の場合だとまた話が変わるというか……」


 炉の不服そうな視線に、公彦はたじろぐ。

 しかしこれも本気で怒っているというよりは、ふざけあっているに過ぎないような雰囲気だ。

 ……なんだろう、見ていて少し疲れる。

 もしかして俺と沙空乃や陽奈希のやり取りも、第三者から見たらこんな感じだったのか……?


「それで……改めて聞くけど、渉ならどうするべきだと思う?」

「ぶっちゃけ、公彦自身の『このキャラならこうする』って感覚を大事にすればいいと思うけど」

「それはもっともだけど、納得できていないのが現状ってわけさ。なんとなく『本当にこのキャラはこうするのか?』ってしっくり来ない感覚はあるけど、それを上手く言語化できないとでも言ったらいいのかな」

「なるほど……まあ、理解できなくもないが」

「物書きなのに情けない話ではあるが……考え方のサンプルが多いほど、求めている答えにたどり着きやすくなるってことで、ここは一つ。頼むよ」


 などと、大袈裟に頼まれたって、素人の俺から大した発想が引き出せるとは思えないけど……。

 ともあれ、一応自分なりに考えてみてから。


「俺なら……というかそのキャラクターが英雄的な存在だっていうなら、やっぱりどっちも救うべきなんじゃないか」

「や、だからどっちかって言ってるじゃん」


 炉から、即座に呆れたような声が飛んできた。


「けどやっぱり、理想は全員救うことだろ? だったらやる前からどちらかを救わないって決め込むのは、違う気がする」

「へえ……?」


 直感的に口にした俺の言葉に、公彦は興味深そうな反応を示している。


「もちろん、最初からどっちかに振り切った考え方の持ち主なら、話は別だけどな。徹底的な多数主義とか、逆に自分と身の回りさえ助かればいいとか」

「そのためにリスクを犯さないという発想も、理解できなくはない、と?」

「ああ。ただ、英雄的な人物……それこそ主人公みたいな存在なら、どっちも追いかける理想家みたいなところがあった方が王道なんじゃないかって、俺は思うんだよ」 

「ふむ……」


 俺の言い分を聞き終えた公彦は、口元に手を当てて考え込むような素振りを見せる。


「……それが最善なら、まずは二兎を追ってみるのが主人公、か。うん、悪くない……というかしっくり来た」


 やがて独り言のようにそう口にした公彦の顔は、溜まった疲れが吹き飛んだように晴れやかだった。

 

「それは良かったけど……人気小説家っていうなら、これくらい思い付きそうなもんだけどな?」

「はは、耳が痛いね……」


 皮肉めいた俺の冗談に、公彦は力の無い笑いをこぼす。


「これくらいの発想も自力で思い付けなかったのは、もしかしたら……他ならぬ自分自身が、二兎を追おうとして失敗したから、なのかな」


 公彦はため息混じりに呟いてから、炉の方を見た。


「……? なに、意味ありげに」

「小説と学業と恋愛……全部両立しようとして上手くいってなかったけど、とりあえず文化祭にはギリギリ間に合いそうってことさ」

 

 怪訝そうな眼差しを向ける炉に対し、公彦は優しく微笑んだ。

 ……だから、兄の前でいちゃつくな。


「……! それって、今のお兄ちゃんの話で、スランプ脱出! 作業が片付いたら文化祭デート直行ってこと?」

「まあ、そういうこと」


 ベッドから跳び上がるように身を起こした炉に、公彦は首肯する。

 そして、俺の方に向き直って。


「参考になったよ、親友」

「そう言うなら、俺にも取り分を寄越してくれ」

「はは、まあご飯くらいなら奢るよ」


 俺の親友にして妹の彼氏でもある、たった今スランプを脱した人気小説家は、そう言ってパソコンに向き合った。

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