第37話 双子の恋人


 陽奈希の思惑に乗せられる形となった俺は、着替え途中の沙空乃が身を隠す仕切りの方へと向かった。


「えーっと、入るぞ?」

「はい、どうぞ……」


 一応確認するとそう返ってきたので、俺は仕切りの向こう側に足を踏み入れる。

 目に入ったのは、中途半端にドレス風の衣装を着て椅子に座る、沙空乃の後ろ姿だ。

 それだけならなんてことはないが……その背中が、大きく晒されていた。

 白雪のように綺麗な肌を、再び見せつけられる。


 ……なんだこれ。

 背中だけなのに、どうしてこんなに色っぽいんだ。

 ごくり、と思わず喉が鳴ってしまう。


「あの、どうかしましたか?」


 立ち尽くす俺に、沙空乃は背を向けたまま不思議そうに声をかけてくる。


「ああ、悪い……!」


 ……余計なことを考えるな、俺。  

 気を取り直して沙空乃の背後へと近づいていったところで。

 俺はの存在に気づいた。


「……こんなところに、ほくろあるんだな」


 そんな何気ない発見に合わせて……無意識の内に、俺の手が視線の先に伸びていた。

 沙空乃の柔肌に、指先が触れる。

 その瞬間、沙空乃の背中が大きく跳ねた。


「っーー!?!? な、なぜいきなり触っているんですか、くすぐったいです……!」

「そ、その……綺麗すぎたから、つい……」

「綺麗すぎた、って……そんな理由で女の子にほいほい触るなんて、一歩間違えたら犯罪ですよ?」


 顔だけ振り向いた沙空乃から、じとっと責めるような視線が向けられる。


「だよな……正直、自分でもどうかしてたと思う……」

「もっとも渉くんの場合、私と陽奈希だけは例外なのでセーフ……ですかね?」

「……っ!? お、おう」

 

 ……その笑顔の方こそ犯罪的じゃないですかね沙空乃さん。

 おかしなことをしたのはこっちなのに、俺の方が動揺させられているのは何故だ。 

 

「さて。そろそろ、お手伝いをお願いしてもいいですか?」

「ああ、どうしたらいいんだ?」

「お手伝いと言っても、背中のファスナーを上げるだけです。自分でやると手が届かなくて少し厄介なのですが……やってもらう分には簡単です」

「なるほど……」


 ……とりあえず、言われるがままやってみるか。

 俺は今一つ勝手が分からないなりに、沙空乃の衣装のファスナーを摘まんで持ち上げた。


「……これでいいか? きつかったりとかはしないか?」

「はい、大丈夫です。ありがとうございます、渉くん」


 沙空乃はお礼を口にしながら、立ち上がって俺の方に向き直ると。


「どうでしょう、変ではないですか……?」


 黒を基調としたドレスの裾をつまみ上げ、軽くポーズを取りながら尋ねてきた。


「そうだな、凛とした感じで落ち着いた雰囲気があって……沙空乃らしくて、良いと思う」

「そ、そうですか……! ふふ……」

「ただ……」

「ただ?」

「人前で見せるには、ちょっと露出が多すぎるような気も……」


 そう。

 沙空乃のドレスはいささか妖艶さが過ぎるというか……肩回りが大きく開いていたり胸の谷間を少し覗かせていたりと、肌色が多めだった。

 それはそれで、黒い生地と白い肌の対比が美しくはあるけど……やはり、気になる。


「あ、そ……そうでしょうか……」


 嬉しそうにしていた沙空乃の視線が、右往左往し始める。

 どうやらこの様子だと、無自覚だったらしーー


「渉くんに見てもらうことばかり意識していたので、そこまで考えが回っていませんでした……」

「なるほど……な?」


 ……さらりとそういう台詞が出てくるのは、ずるいと思うんですよ沙空乃さん。

 そんな調子で、あっさり動揺させられていたのを、見透かしたんだろうか。

 沙空乃はふと、何かに気づいた様子で俺を見て。 


「もしかして、渉くんは私のこういう姿を、他の人には見られたくない……なんて考えていたりしますか?」

「…………」


 正直、図星だった。


「……みっともないと思うか?」

「いえ、むしろ嬉しく思いますよ?」


 沙空乃から向けられる、満面の笑み。

 ……なんというか、敵わないなと思う。


「ですが……そういうことなら、今からでも衣装を変えた方がいいでしょうか?」

「いや。やっぱりよく似合ってるし、このままで行くべきだ」

「そう言ってもらえるのはありがたいのですが、それだと渉くんの気持ちに反するような……」

「せっかくのミスコンなんだし、沙空乃の魅力を一番発揮できる衣装で出場するのがベストだろ?」

「渉くん……はい、そうですね」


 俺の言葉に、沙空乃はこくりと力強く頷いた。

 そのまま、じっと……どこか熱っぽい眼差しで、見つめてくる。

 そんな沙空乃から、俺も目が離せなくなってーー


「むー、二人だけでこそこそいちゃいちゃしてる……」


 不意に、頬を膨らませた陽奈希が顔を覗かせてきた。

 除け者にされたみたいで、お気に召さなかったらしい……が。


「おお……」


 すぐに、感嘆の声を漏らした。


「確かにすごく似合ってるねえ、沙空乃の衣装」


 双子の姉の晴れ姿を前に、陽奈希は目を輝かせている。


「ふふ、陽奈希のお眼鏡に叶って何よりです」

「こんなことなら去年も出場したらよかったのに……沙空乃なら連覇も狙えたんじゃない?」


 沙空乃に近寄りながら、陽奈希はもったいなさそうに言う。


「確かに……沙空乃は去年から既に有名人だったし、周りの推薦とかもありそうだけどな」


 俺が同調すると、沙空乃は照れ臭そうに苦笑いした。


「そういう声があったのも事実ですが、私自身はそこまでミスコンに興味がなかったですからね……ちょっと野暮用があったのもありますけど」

「野暮用、って?」

 

 最後に漏らした沙空乃の呟きに、陽奈希は素朴な疑問を投げ掛ける。

 その純粋な眼差しに対し、沙空乃の答えの歯切れは悪かった。


「…………野暮用は、野暮用です」


 ……きっと、陽奈希をストーキングするのに忙しかったとかだろうな。

 そう察して沙空乃の方を見ると、ぷいっと気まずそうに目を逸らされた。

 やはりそういうことらしい。


「んー? どうしたの二人とも」


 俺たちの視線によるやり取りを、陽奈希は理解できていない様子だ。


「こほん……!」


 沙空乃は会話の流れを立ち切るように、大袈裟な咳払いをした。

 これ以上言及されると都合が悪かったんだろう。

 取り繕うように、沙空乃は澄まし顔を作ると。


「そもそもの話、陽奈希が出ていないミスコンに私が出場したら、圧勝してしまうではないですか」


 自信たっぷりにそう言って胸を張った。


「まあ、間違ってはいないだろうけど……」

「うーん……これも沙空乃らしい、ってことなのかなあ」


 それにしても、そんなことを堂々と言えるのは、流石沙空乃というか。

 この得意気な顔を見ていると、呆れを通り越して微笑ましさすら感じてくる。


「……? なんですか二人とも、その反応は」

「あはは、なんでもないよー」


 不思議そうにする沙空乃を、陽奈希は笑って流す。 


「それより、さ。本番まで時間がないし、ミスコンのプログラムについて確認しよう?」

「そうですね。ちょうどここに、さっきの後輩ちゃんから貰ったパンフレットがあります」


 陽奈希の言葉に頷いて、沙空乃は近くの机に置かれていた薄っぺらい三つ折りの冊子を手に取る。


「どれどれ……まずは衣装のお披露目かー。いきなりだけど、定番なのかな?」

「次に質問コーナー、ですか。どんなことを聞かれるんでしょう」


 ちらり、と沙空乃が俺の方を見てくる。


「よくあるのは、恋愛の話とかじゃないか? やっぱり、ミスコンに出てくるような女子のそういう話は、気になる人が多いだろうし」

「好きな人とか、恋人はいますかー……みたいな?」

「まあ、そんな感じだろう」


 陽奈希の持ち出した例に、俺は頷く。


「なるほど……では良い機会ですし、発表してしまっても構いませんよね?」


 その横で沙空乃はもじもじとしながら、何かを確認してきた。


「発表って、何についてだ?」


 今一つピンと来ていない俺の疑問に、沙空乃は陽奈希と目を見合わせると。


「それは……」

「もちろん……」


 二人してはにかみながら、続けた。


「「私(わたし)たちの、恋人について(です)」」

「え?」


 何を言い出すんだ、この二人は。

 駄目だ、頭が真っ白になってきた。

 いきなり過ぎて、意味が分からない。

 沙空乃と陽奈希に……恋人って。


「いったい、誰のことだ……?」


 半ば無意識に発せられた、俺にとっては当然の疑問。


「むむ? 何をとぼけているんですか」

  

 その疑問に対し、沙空乃は奇妙なものを見るような目を向けてきてから。


「渉くんのことに、決まってるじゃないですか」


 まばゆいばかりの、透き通るような微笑みを浮かべた。  

 その隣で、陽奈希もうんうんと楽しそうに頷く。


「俺が……二人の……?」 


 ……待て、どういうことだ。

 陽奈希とは間違えて告白したことをきっかけに付き合っていたが振られたはずだし、沙空乃とはそもそも一度だって付き合えていた覚えはない。


 というか、この雰囲気だとまるで。

 二人の内のどちらかという話ではなく。

 沙空乃と陽奈希、両方ともの恋人が俺であると、そう言われているような。


 ますます状況が分からなくなってきたけど……とりあえず、何かがおかしいことだけは分かる。

 俺と双子との間で、認識が決定的にズレている。




 沙空乃と陽奈希からまっすぐ向けられる愛おしげな視線に対し、どう応えたものか……。

 俺はただ、困惑するしかなかった。

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