第34話 天宮沙空乃の勘違い

 私……天宮あまみや沙空乃さくのは、幸せの絶頂にいます。

 最愛の妹である陽奈希ひなきや、初恋の相手であるわたるくんと一緒に、文化祭デートを満喫しているからです。

  意地の張り合いのような姉妹喧嘩のせいでつまらなかった文化祭一日目が、嘘のよう。

  照れたり笑ったり怖がったりする陽奈希の姿が見られたり、大胆にも人前で渉くんの腕に抱きつくなんて、今までにはできなかったことをしてみたり。

  至福のひとときを過ごしていました。




「んー……沙空乃に食べさせてもらうと、美味しさ三割増しだねえ……」


 現在、屋外の休憩スペースにて。

 私は陽奈希におねだりされ、昼食のカレーを『あーん』してあげていました。

 クラス委員長を率先して勤めたりと、基本的にはしっかり者の陽奈希ですが、時にはこうして甘えてきたりもします。

  ……かわいすぎて心臓が止まりそうです。

 私、この子のお姉ちゃんで良かった……!


「……渉もちょうだい? あーん」


 陽奈希は渉くんからも食べさせてもらおうと、小さな口を開けています。


「ああ、ほら」

「あむ……」


 渉くんから、お好み焼きを食べさせてもらう陽奈希。


「……なんか餌付けしてるみたいだな、これ」

「んー……? ちょっと馬鹿にされてるような気がするけど……まあいいや。ふふ」


 なんでしょうか、この甘ったるい雰囲気は……!

 おちょくるようなことを言っている渉くんですが、顔を見たら照れ隠ししているのが丸わかりです。

 陽奈希もそれを理解しているのか、緩み切った笑みを浮かべるだけ。

 なんだかんだ、愛おしげに見つめ合って、笑い合って。

 恋人同士のやり取りとは、こういうものなんでしょうか。

 一度別れたり、なんて騒動もありましたが、やっぱり二人は相性抜群のようです。

 ……と、他人事みたいに思っている場合じゃありません。

 これからは私も見習わないと……!


「…………」


 私は二人のやり取りを横から眺めていて、ふと思いました。

 ……羨ましい。

 あわよくば私も食べさせてほしい……なんて気持ちが高まりますが、二人の間に割って入るのは気が引けるような……いや。

 ――一緒に、三人で笑いたい。

 渉くんにそう言われてからは、邪魔になるかも……なんて思考で距離を置いたりするのはやめると決めたはず。

 ……ですが、陽奈希みたいにこうも渉くんに甘え倒すのは、まだ少しハードルが高いような――


「……沙空乃も食べるか?」


 葛藤していた私に、ふと渉くんがそんな話を持ち掛けてきました。

 その手には、箸とお好み焼き。


「……!? な、なぜ……」


 どうして渉くんは私の考えていることが分かったんでしょうか……まさか、エスパーか何かだったり――


「めちゃくちゃこっち見てたから、沙空乃も食べさせてほしいのかと思ったんだけど……違ったか?」

「えっ、あ……」


 変なことを言ってしまった、とばかり少し気まずそうにする渉くん。

 見事に的中しているのですが、私は咄嗟にそう告げることができませんでした。

 それにしても……。


「……私、そんなに見てましたか……?」

「まあ……けっこうガッツリと、なんか羨ましそうな感じで」

「……あぅ」


 私としたことが……恥ずかしい。

 顔の温度が急激に上昇するのを感じます。きっと真っ赤になっていることでしょう。

 ……ですが、これって。

 裏を返せば、渉くんも私の気持ちを察することができるくらい、私のことを見て、心を配ってくれていた……ということなのでは。

 そう思うと、不思議と心が安らいできました。


「あの……渉くん」

「ん? どうした」


 ともすれば挙動不審になっていた私の話を、渉くんは真っすぐ聞いてくれます。


「私も、渉くんに『あーん』してほしいのですが……いいですか?」

「……! ああ、もちろんOKだ」


 私のお願いに快諾してくれる渉くんですが、どこか動揺しているようにも見えます。

 私でドキドキしている……ということなんでしょうか。

 だとしたら、甘えてみた甲斐がありました。


「ふふふ……」

「沙空乃ってば、すごく嬉しそうだねー?」


 つい笑みを零していると、陽奈希がにこにこと茶化してきました。


「か、からかわないでください……!」


 私の妹は、時々いじわるです……そういうところもかわいいんですけど。


「よし。じゃあ沙空乃も……ほら」


 そうこうしていると、渉くんが箸を片手に身を乗り出してきました。


「は、はい。あー……む」


 私はぱくり、と渉くんから差し出されたお好み焼きを口にします。


「んむ……!」


 ふ、不思議です……!

 文化祭の屋台で売っている精々数百円程度のお好み焼きなのに、渉くんに食べさせてもらっているというだけで、今まで口にした何よりも美味しく感じます。

 世の恋人たちは、こんな贅沢を当たり前のように味わっていたのですか……!


「……もう一口、お願いします」


 もっと食べたい。いや、食べさせてもらいたい。

 私の頭の中は、そんな衝動に埋め尽くされていました。

 口の中にあったものを飲み込むや否や、また『あーん』と無防備に口を開いて渉くんに要求します。


「あ、ああ。それじゃあ……」

「あむ……」


 渉くんは一瞬だけ意外そうな反応を見せてから、二口目を差し出してきました。


「んー……!」


 私の口から思わず漏れる、うっとりとした声。


「そう言えば、間接キスだね?」


 陽奈希は私の様子を興味深そうに眺めながら、おもむろに言いました。


「男の子が相手なのに沙空乃が気にしないのは、ちょっと意外かも」

「陽奈希がそう思うのも、無理はないかもしれませんね……」


 私は渉くんと再会するまで恋をした経験がなかった上、男友達と呼べるような存在もいませんでしたから。

 ……告白とかは、よくされてますけどね?

 ともあれ、意外にも男性と接する機会が少なかった私のことを、初心で耐性がないと陽奈希が思うのは、おかしな話ではないでしょう。


「やっぱり、相手が渉だから平気なの?」

「もちろんそれもありますが……渉くんとは、もっとすごいことをしましたからね……!」


 例えば、渉くんの口に突っ込んだスプーンをクリームごと舐め回したりとか……なんて、口が裂けても言いませんけど。


「もっとすごいって……やっぱり直接、キスしたとか?」

「ちょ、直接……!?」


 って、なんで私は照れているんでしょうか。

 小さい頃の話にはなりますが……祖父母の住む田舎で一緒に遊んでいた時に、実際キスしたことがあるではないですか。

 でもあの時は女の子が相手だと思っていましたし、渉くんは寝ていたから覚えていないですし、やっぱりノーカンなのでは……。

 ……でも、この前予行練習の名目で渉くんとデートした時には、堂々としようとしたことが……って、そっちは未遂ですけど!


「んー……? その感じだと、本当に渉とキスしたことがあったり……? でも、いつの間に……」


 陽奈希がまじまじと、私のことを見つめてきます。


「そ、そんなわけないでしょう……!」


 私は勢いよく立ち上がって、否定しました。

 ……幼少期のは、やはり数に入れるべきではないでしょう。あれをカウントするのは、渉くんにも陽奈希にも抜け駆けしたような気がして申し訳ないですから。


「ふーん……?」


 私の答えに、陽奈希は少し腑に落ちないような様子を見せつつも、それ以上追及してきませんでした。


「……じゃあ、してみたら?」 


 代わりにその口から何気なくこぼれ出てきたのは、そんな一言。


「なっ……?」

「は……?」


 唐突な提案に、私だけでなく渉くんも、驚きを隠せませんでした。

 い、いきなり何を言い出すんでしょうかこの子は……!


「ひ、陽奈希はそれでいいんですか? 私と渉くんがその……自分の見ている前でキスしても……?」

「もちろん。これからは、三人で仲良くやっていきたいから」


 面食らいながらの私の問いに対し、陽奈希はにこやかに首肯します。

 ……渉くんと、キス。

 私の唇と、渉くんの唇が、もし重なり合ったら。

 いったい、どんな感触なんでしょうか。

 いきなりのことでしたが……そんな話をされたら、どうしても意識してしまいます。

 視線もついつい、渉くんの方に。

 

「…………」

「…………」


 ばっちりと、目が合ってしまいました。

 意識しているのは、お互い様ということなのでしょうか。

 渉くんの瞳には、困惑の色が窺えます。

 ……けどそれ以外にも何か、別の感情が垣間見えるような。


「……しないの?」


 無言になっていた私と渉くんに、陽奈希が無邪気な顔で無茶ぶりをしてきました。

 気を使ったつもりなのか、私たちの間に座っていた陽奈希は、椅子を下げて私と渉くんとの間にスペースを作ります。

 これでキスしやすいでしょ、とばかりに。


 実際、二人の間を阻むものは、なくなりました。

 お互いに少しずつ身を寄せ合えば、唇を重ね合わせることだって――


「……って、しませんからね!」

「えー……どうして?」

 

 そう言う陽奈希は、どうしてちょっとがっかりしたような顔をしているんですか……!


「ここは人目がありますし……第一、まだ心の準備が……ね、ねえ渉くん?」

「あ、ああ。そうだな」


 逃げ場を求めるように渉くんに話を振ると、やや動揺したような声が返ってきました。


「うーん……渉はしたくないの? 沙空乃と、キス」


 陽奈希の矛先が、私から渉くんに移りました。


「えっ……!? いや、そういうわけじゃないけど……」


 なかなかに答えにくそうな質問に、困ったように頬を掻く渉くんですが。

 したくないわけじゃない、ということは。


「つまり……渉くんは、私とキスしたい……ということですか?」

「……それは、まあ。したいかしたくないかって聞かれたら……当然、したい」

「そ、そうですか……」


 当然、って。

 ……ああ、なんだか体温が急激に上がってきた気がします。

 胸の高鳴りが、頭まで響いてくるような。

 私……今ものすごく、興奮しています。


「……じゃあ、しちゃう?」 


 やたら嬉しそうな笑顔を浮かべながら、再度提案してくる陽奈希。

 ……お互いにキスしたいと思っていて、手を伸ばせば触れ合えるくらい近くにいるのだから、もうしてしまえばいい。

 そんな欲望が、私の頭をよぎって――


「……ですが、やはり昨日の今日でというのは、少し早すぎる気がします」


 最終的に、そんな結論に至りました。

 ……決して、弱気になったとかではありません。

 羞恥心で頭がパンクしそうになった、とかでもないです。


「そうだな……まだ気が早いというか、そういう段階ではないよな……」


 渉くんも、脱力しながらうなずきました。

 流石の陽奈希もこれ以上の無茶ぶりはせず、「そっかー」と拍子抜けしたような声をあげています。  


 とはいえ、まだ早いということは。

 やはりいずれは渉くんとキスしたり、その先も……なんてことが、私にもあるんでしょうか……!

 何せ私も、


 私だけでも陽奈希だけでもなく、二人ともを選ぶ……つまりはというのは、流石にちょっと驚きましたが。

 譲り合って平行線になっていた私たちの姉妹喧嘩を解決するには、唯一無二で画期的なアイデアだったと言えるでしょう。

 今となっては、陽奈希も最初からこうなるつもりで、色々手を回していたのだと察することができましたし。

 あるいは三人で付き合うという発想がなかったのは、私だけだったのかもしれません。

 それでも渉くんから告げられた時は、『三人とも好き同士なんだから最初からこうすればよかったのか』と腑に落ちました。


 ……今思い出しても、どきどきしてきます。

 ――一緒に三人で笑えたら、それが一番。

 渉くんの告白は直接的なセリフではなかったものの、今までも独特の表現で私に告白してくる人はいました。

 その時はあまり何も感じませんでしたが……好きな人からされると、こうも嬉しい気持ちになれるとは。

 私は昨日初めて、他人からの告白に対して、首を縦に振ったのです。


 ああ……私って、なんて幸せ者なんでしょう。


◆◆◆


「それにしても……どういうつもりなんだ? いきなり俺と沙空乃をキスさせようとか」


 陽奈希ひなきの無茶ぶりに動揺させられっぱなしだった俺……伊賀崎いがさき渉は、ようやく心を落ち着かせて、元凶に尋ねた。 

 ちなみにもう一人の被害者である沙空乃はまだ黙り込んでいるが……どうやら取り乱しているわけではないらしい。

 何故かにやにやと口元に幸せそうな笑みを浮かべている。

 

「えっと、渉と沙空乃さくのには『三人で仲良くしたい』ってワガママを聞いてもらったでしょ?」

「陽奈希のワガママを聞いたというよりは、自分がしたいことをしたってつもりだけどな」

「えへへ。それはそれで嬉しいけど……とにかくね? キスの話とかしてたらさ、せっかくなら二人がこう……より親密にしてるところを見たいなーって思っちゃって」


 陽奈希はにこにこと、上機嫌そうに語る。

 ……眩しい笑顔だけど、言っていることはなかなかぶっ飛んでいる。   

 陽奈希は以前『二人のことは大好きだから、仲良くしてくれた方が嬉しいかも』なんて口にしていたけど、これもその一環なんだろうか。


「だとしても、その場でさせようとするか……?」

「あはは……ワガママばっかりでごめんね?」


 てへぺろ、と舌を出しながら、陽奈希は軽い調子で謝ってくる。

 あまり反省している様子は感じられないけど……かわいいからまあいいかと許してしまいたくなる辺り、俺も重症かもしれない。


「別にいいさ。陽奈希から頼み事をされるのは、いつものことだし」

「ふふっ。じゃあまた今度お願いしたら、聞いてくれる? 人前でするのが駄目なら、どこか静かな場所とかで」


 やっぱり反省していなかった、というのはさておき。

 

 キスをしないのは、場所の問題ではない。

 これは相手が沙空乃だからというわけではなく、仮に陽奈希自身としてほしい、なんて言われたとしても同じだ。

 何せ今の俺は、

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