第33話 姉と妹

 陽奈希ひなきの希望通り、俺たちは三人でお化け屋敷に作り変えられた三年生の教室に入った。

 若い男女がこうした暗い室内のアトラクションでデートするとなると、恐怖を理由に手を握ってみたりなんて初々しいやり取りが定番なのかもしれないが、俺たちはその限りではない。

 俺の両腕には、既に沙空乃さくのと陽奈希がくっついているからだ。


「な、なんだか、妙な悪寒みたいなものが……」


 お化け屋敷の中に足を踏み入れた途端、陽奈希が体を小さく震わせて呟いた。

 ……入る前と比べると、随分大人しいような。

 

「確かに、ちょっと肌寒いな」

「冷房の温度をかなり低く設定してあるんでしょう。恐らくホラーっぽい雰囲気を出すための演出ですね」


 沙空乃はそう分析しつつ、俺の腕をより強く抱き込んでくる。湯たんぽ代わりにして人肌で温まるつもりだろうか。

 ……それにしても、入る前に怖がっていた割には、冷静だ。


「ひにゃっ!?」


 暗がりの中、即席の壁で仕切られた通路を進んでいくと、陽奈希が短い悲鳴を上げた。

 直後、俺の首筋を、何かくすぐったいものが撫でる。 


「うおっ!? なんだ今の……?」

「お、おおお化けだよ! なんか首の辺りがぞくっとしたし……うぅ……」


 違和感を覚える俺の横で、陽奈希はすっかり畏縮していた。

 

「まったく、陽奈希ってば……今のは筆になぞられただけですよ。確かにこそばゆいですが、驚き過ぎです」


 沙空乃は怯える妹を宥めながら、微笑ましげな視線を送っている。


「ふ、ふで……? 言われてみれば、そんな感じだったかも……」

「さあ。お化けの正体が分かったことですし、気を取り直して進みましょう」

「う、うん。そうだね――」


 陽奈希が頷き、再び三人で歩き出そうとしたその時。


『ギャオオオオ!!!』


 録音した猛獣みたいな鳴き声を、スピーカーから再生しているような叫びが響いた。

 血塗れの獅子舞みたいな装束をした人影が曲がり角から飛び出してきて、その禍々しい外見を見せつけた後引っ込んでいく。


「っ~~~~~~!?」


 陽奈希の叫びは、最早声になっていない。


「わ、わたるー……」


 俺の腕から手を離してその場にへたり込んだ陽奈希は、支えを求めるよう俺の腰にぎゅっと抱き着いてきた。


「今のはなかなかよくできていましたね。高校の文化祭とは思えない作り込み……」


 全く動じる素振りのない沙空乃は、飛び出してきた獅子舞お化けの衣装を称賛する余裕ぶりだが……途中で目の色を変えた。


「……って、ずるいですよ陽奈希。自分だけ渉くんに抱き着いて」


 などと言いつつ、沙空乃は腕から離れ俺の体を直接抱きしめてきた。


「んふふ……」


 怯える陽奈希とは対照的に、沙空乃はこの場にはあまり似つかわしくない、にやけた笑みを浮かべている。

 好きな女の子たちに、全身をホールドされているこの状況。

 ……幸せなのは、間違いないけど。


「二人とも……これだと先に進めないぞ?」


 ……ともあれ、二人ともお化け屋敷を楽しめているようで何よりだ。

 入る前に想定していたのとは、それぞれ真逆のリアクションではあるけど。


◆◆◆


「陽奈希は好奇心が旺盛なだけで、ホラーに耐性があるわけではないですからね」


 お化け屋敷を出た後。

 俺たちは模擬店の屋台で昼食を買い、校庭に設けられた休憩スペースでテーブルを囲んでいた。

 

「怖いもの見たさ的な感覚で怪談を聞いたりするのは好きですし、お化け屋敷なんかにも入りたがるんですが……純粋であるが故に信じ込みやすいのか、ちょっとの物音やそよ風を本物だと思って怖がりまくりなんです。まあそこがかわいいんですけど」

 

 沙空乃は先程の余韻に浸りつつ、「二人の豹変ぶりはなんだったのか」という俺の問いに答える。


「なるほど……」


 俺は相槌を打ちつつ、陽奈希を横目で見る。


「むー……」


 陽奈希は自分からお化け屋敷に行こうと言い出したにもかかわらず、いじけたような状態になっていた。

 まだ恐怖が抜けきっていないらしい。


「沙空乃は逆に、最初は怖がっていたのに平気そうだったよな?」

「正直、私もお化け自体は苦手ですからね。本物と遭遇したら多分卒倒します」


 沙空乃はこくりと頷いてから「ただし」と続けて。


「高校生が急ごしらえで用意したアトラクションに、本物のお化けがひょっこり顔を出すなんて、あり得ないでしょう?」

「そうだけど……身も蓋もないな」

「怪談の類もそうですが、仕組みさえわかってしまえばどうってことありません」

「それであの落ち着きようってわけか」


 どうやら沙空乃は霊的なものを全面的に否定してはいないにせよ、その辺にホイホイ現れるような存在ではないと認識しているらしい。


「はい。なのであの手のアトラクションはつい尻込みしてしまいますが……いざ冷静になると、わくわくしながら入った陽奈希が怯えて甘えてくるというかわいくて美味しい体験ができるので、結構好きです」


 ほっこりした表情を浮かべつつ、沙空乃は「今日は二人で渉くんに甘えてましたけど」と締めくくった。


「むー……なんかその言い方だと、わたしが子供っぽく聞こえる……」


 唸り声を漏らしながら異議を唱える陽奈希だけど、実際子供みたいに拗ねて顎を机に乗せている。


「まあ、ある意味これ以上ないくらいお化け屋敷を満喫したと言うことではないですか」


 沙空乃はそんな陽奈希の非難めいた視線をものともせず、にこにこと笑っていた。

 ここぞとばかりに、双子の妹の頭を撫で回す沙空乃。

 たまに姉妹逆転してるように見える時もある二人だけど……こうして見ると、どっちが姉でどっちが妹なのか思い知らされる。


「……ところで、こんなにたくさん奢ってもらってよかったの?」


 どうやら、照れくさくなったらしい。

 陽奈希は顎を机から持ち上げつつ、話題を変えてきた。

 合わせて、沙空乃の手が陽奈希の滑らかな銀髪から離れる。

 

「ええ、大丈夫です。なんでも、昨日の模擬店の売り上げがすごかったらしく……私はソースを塗ってお客さんに渡していただけなのに『こんなに儲かったのは沙空乃さんのおかげ』と友人からお小遣いをもらったんです」

「おお……やっぱり沙空乃はすごいねえ」

「ふふん。今の私、かっこいいですか?」

「うん、かっこいいかっこいい」


 そう。文化祭の屋台を回って軽く数千円分は買い込んだ今日の昼食は、全て沙空乃の奢りなのだ。

 沙空乃のクラスのたこ焼き屋は昨日、『校内一の美少女が笑顔で手渡ししてくれる』という付加価値によって暴利を貪っていた。

 恐らくその主導者にしてクラスのボスであり、沙空乃の友人でもある宝生さんとかいう女子が、分け前をくれたんだろう。

 しかし、この懐の温まりっぷりを見るに、かなり沙空乃の取り分が多い気がする。

 散々儲かった一番の功労者は沙空乃なんだから、当然といえば当然なのかもしれないけど……それにしたって、一個人が文化祭で手にする額としては桁外れだ。

 なんか、やたらと甘やかされているような……。

 スクールカーストの頂点に立つ存在にすら溺愛される校内一の美少女。

 ……ますますクラスでの沙空乃の立ち位置がよく分からない。

 

「ふふ……それと、カップル限定割引なるキャンペーンをやっているお店があったのも大きいですけどね。三人だと適用してもらえるか少し不安でしたが……お願いしたらちゃんと安くしてもらえたので、お金のことは心配しなくて大丈夫です」


 沙空乃は陽奈希と戯れつつそう言うと、こちらに目配せしてくる。 


「だとしても……悪いな。こういう時って男が奢るか、せめて割り勘とかのイメージだし」 

「いえいえ。これはこの前の喫茶店や、昨日のたこ焼きを奢って貰った分のお返しでもありますから」


 男の甲斐性的なものを気にする俺に、沙空乃は優しく語りかけてくる。


「これからの私たちは対等な関係でありたいですから……やはりこういうのは持ちつ持たれつが良いと思うんです」

「奢ってもらったら、次は奢り返すってことか」

「ええ。だからここはありがとう、でお願いします」


 沙空乃によく似合う、気品溢れる微笑みが、俺と陽奈希に向けられた。


「……ああ、ありがとう」

「えへへ……ありがとね、沙空乃ー」


 俺と陽奈希がそれぞれ笑い返しながらお礼を口にする。


「ふふ、どういたしまして。ではそろそろ――」


 沙空乃がそれらに答えつつ、テーブルに並ぶ屋台メシに手を付けようとしたその時。


「……ところで、この前の喫茶店とか昨日のたこ焼きって何?」


 陽奈希が不意に、そんな疑問を口にした。


「…………」 

「…………」


 揃って沈黙してしまう、俺と沙空乃。


「二人だけでずるい……」


 陽奈希はむすっと、頬を膨らませた。


「ま、待ってください陽奈希。別に私たちはそんなつもりは……」

「そ、そうだ。それに、陽奈希と二人の時に俺が奢ったことだってあっただろ?」

 

 俺と沙空乃は、口々に弁明しようとする。

 別に、俺たちは陽奈希をのけ者にしたわけではない。

 それは本人だって分かっているんだろうけど、自分の知らない所で俺たちが楽しんでいたことに、軽く妬いているんだろう。

 陽奈希はちょっと、嫉妬しやすい節があるし。


「じゃあ……こっち来て」 

 

 陽奈希はちょいちょい、と手招きしてくる。

 俺と沙空乃はそれに従い、自分の椅子を陽奈希の真横で近づけた。


「二人とも……わたしに『あーん』ってして?」


 怒っていたような表情が一転して、笑顔に変わった。


「あー……」

「……つまり?」


 拍子抜けする、俺と沙空乃。


「二人で楽しんでた分、わたしのこと甘やかして?」

 

 陽奈希はえへへとはにかんでから、小さな口を開けて催促してくる。




 ……今日の陽奈希は、妹らしさ全開だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る