第29話 三人のしたいこと
午後2時過ぎ。
良いタイミングなので、姉妹喧嘩を解決するため、
ラインで連絡しても、全く反応がなかった。
更に言うと、沙空乃は今日、俺たちのクラスの出し物……コスプレクレープ喫茶に来店していない。
超がつくほどのシスコンである沙空乃が、愛する陽奈希のコスプレ姿を見に来なかった。
これはかなりの異常事態だ。
よって俺は、沙空乃に直接会いに行くことにした。
沙空乃の所属する2年1組は、グラウンドの方で、たこ焼き屋の模擬店を出している。
青空の下、屋台形式の模擬店が並ぶ中を歩いていたら、程なくして発見した、が。
「すごいことになってるな……」
2年1組が運営するたこ焼き屋は、人でごった返していた。
今日は一般公開されていないため校内の人間しかいない。
しかも見たところ、本当にたこ焼きを売っているだけで目新しいアレンジなどの要素すらないにもかかわらず、長蛇の列ができている。
お目当ては、やはり。
「はい、たこ焼き一パックですね。ありがとうございます」
お客さんに気品溢れる笑顔を振りまきながら商品を手渡す、沙空乃の存在だろう。
けど、どうやら沙空乃の手作り……ってわけでもないらしい。
沙空乃の仕事は、ソースとマヨネーズを客の要望に合わせてたこ焼きにかけ、笑顔で手渡すだけ。
しかしそれをやるのが校内一の美少女だということで、行列を作る客たちは価値を見出しているらしかった。男子ばかりかと思いきや、女子も結構並んでいる。
「まあ、気持ちは分かるけどな……」
ちょっと前までの俺だったら、間違いなく彼らのように並んでいた。
普段ほとんど接する機会のないアイドル的存在が、自分の目を見て声を掛けてくれる上に、笑顔を向けてもらえる。
そんなチャンスが誰にでも等しく訪れるなんて、そうそうない。
たこ焼きの値段が文化祭の模擬店にしては強気の、1パック6個入りで500円だったとしても、何の躊躇いもなく払えるというものだ。
けど、今となっては。
そんな風に色々な人間を相手に笑顔を振りまく沙空乃の姿を見ていると、なんだかもやもやとした感情がこみ上げてくる。
今すぐにでも、「話がある」と言って横から現れ、沙空乃の手を引いて連れ出したい……なんて発想が、頭に浮かんできて。
「やめだやめだ……みっともない」
これは独占欲……みたいなものなんだろうか。
付き合ってもいない相手にそんなものを働かせるとか、我ながらちょっと危ない奴だ。
「というか……そんなことしたら絶対並んでる連中から袋叩きにされるよな……」
そう。だからつまるところ、今から俺が沙空乃と話したいと思ったら、他の客たちと同じ手段を取るしかないわけで。
「……そう言えば、まだ昼飯食べてなかったっけ」
たこ焼きが鉄板で焼ける、いい匂いがする。
空きっ腹には、なかなかに効く。
けど、やっぱり6個で500円は高すぎるだろという金銭感覚は、今の俺だからこその贅沢なんだろうか。
◆◆◆
「たこ焼き二パックですね、ありがとうございます」
パックに詰められたたこ焼きを、隣で焼いていた男子から受け取りつつ、沙空乃はハキハキとした声で言う。
笑顔だが、視線は手元を向いていた。
流石に忙しいのか、少し余裕がないようだ。
「ソースはかけても大丈夫ですか? あと、マヨネーズは普通のと辛いのとありますけど、どうします?」
「そうだな。とりあえず、片方はソースをかけて、マヨネーズは普通ので」
「ソースをかけて、マヨネーズは普通のですね……」
沙空乃は注文通り、ソースとマヨネーズをかける。視線は相変わらず、下向きだ。
「……もう片方はどうします?」
「あー……沙空乃はどうしたい?」
「……?」
客の答えに違和感を覚えたのか、ようやく沙空乃は顔を上げて。
「……
接客中の相手が、俺であることを認識した。
◆◆◆
俺と沙空乃は、グラウンドの端にあるベンチに移動していた。
話がしたいからと、多少無理を言って休憩を取ってもらったのだ。
列の後ろに並んでいた客からは文句の声も上がったけど、沙空乃が申し訳無さそうなオーラを発しながら笑顔で謝ったら、一瞬で収まった。
流石は校内一の美少女だ。
そんな沙空乃の休憩中は他の女子が代わりに手渡し役をやるらしいが、それはそれとして。
「まったく、渉くんも人が悪いです……どうしてすぐに名乗ってくれなかったんですか」
俺の隣でベンチに座る沙空乃は、口の中のたこ焼きを咀嚼してから、恨めしげな視線を向けてくる。
「なんか気づいてなかったから、つい」
「それと、あんなふうに連れ出されたら困ります……」
今度はどこか恥ずかしそうにする沙空乃。
「けど、沙空乃が休憩する暇がなかったからちょうどよかった、ってまとめ役っぽい女子が言ってたぞ?
「まあ、私も少し疲れてきたところだから助かったんですが……あれでは私の友人が勘違いしてしまいます! あの子は思い込みが激しいところがありますからね……」
「そんな感じの性格には見えなかったけどなあ……」
むしろ、クラスメイトたちに的確な指示を次々飛ばしていて、しっかりしたリーダー……というか、あのクラスのボスっぽかった。
スクールカーストの頂点に立つ存在というか。
「しかも噂好きなので、勘違いしたまま話を広めてしまうという悪い癖がありまして……まあ、そこが憎めないところでもあるのですが」
だが沙空乃は、ボス的存在に見えた宝生さんを、手がかかるけどかわいい……みたいなイメージで語っている。
よく分からないけど、沙空乃はクラスカーストすら超越した位置で、ボス的存在からも懐かれている……みたいな感じなんだろうか。
まあ、その件はいずれ聞いてみよう。
今は、もっと重要なことがある。
「特に、陽奈希が余計な噂を立てたばかりというのもありますし……」
余計な噂、とはベストカップルコンテストの件で再浮上した俺と沙空乃の交際疑惑のことだ。
俺と陽奈希のヨリを戻させたい沙空乃としては、不都合なんだろう。
「その陽奈希のことだけど……あいつがコスプレしているところを見に来なくてもいいのか? 今なら、忙しいから手が離せないってわけでもないだろ?」
沙空乃が双子の妹の名前を出したタイミングで、俺はそう話題を振る。
「わ、私だって、本当は見に行きたいですけど……」
沙空乃の顔に、分かりやすく動揺の色が走った……が、すぐに口元を引き締めて。
「今回ばかりは、私の本気を示す必要があると思いましたからね……!」
手にしていたたこ焼きをわざわざベンチに置いてから、沙空乃はむすっと腕を組む。
「あー……沙空乃としては、陽奈希の言うことのどの辺りが納得できないんだ?」
「あの子は……陽奈希はきっと、私のためなら自分が不幸になってもいいと思っているんです」
「……俺には、そうは思えないけど」
少なくとも、さっき話した時の陽奈希は、そんな選択をしようとしているようには見えなかった。
「渉くんがどう思おうと、そうなんです! あの子は現に、せっかく付き合えた渉くんと、私のためだと言って別れてしまったじゃないですか!」
「まあ……それはそうだな」
「だから、もし仮に……仮にですよ? 陽奈希の言う通り、私と渉くんが付き合うようになったりでもしたら……」
やたら念を押しながら、ちょっともじもじした感じで沙空乃は仮定を口にして。
「陽奈希だって、私がしたように……渉くんや私から、距離を置くようになるはずです……」
沙空乃は一瞬、寂しそうに顔を俯かせる。
が、すぐに覇気のこもった眼差しをこちらに向けてきた。
「私にはそれが許せません……! 私は、あの子には幸せでいてほしいんです!」
沙空乃は熱っぽくそう語りながら、ずいっと俺に近づいてくる。
……生まれた時からずっと一緒だった沙空乃が言うなら。
俺と沙空乃をくっつけるという目的を達成したら、陽奈希も姉と同じ行動を取るつもりなんだろうか。
俺がそう自問していると、沙空乃の瞳から、覇気が抜けた。
「けど、こうやって押し付けがましくお姉ちゃんぶってるから、上手く噛み合わないんでしょうね……」
気落ちした様子で、沙空乃は呟く。
「自分がやっていたことを陽奈希がやったら許せないって……我ながら、ふざけた話です……」
そんなふうに、沙空乃は自己嫌悪する。
こんな姿の女の子を、俺はさっきも見たばかりだった。
沙空乃も、陽奈希と同じ状態だ。
お互いのことを大切に想っているからこそ喧嘩して、思い悩んで。
けど、俺は沙空乃にも、こんな顔をしていてほしくない。
沙空乃にはもっと、溺愛する妹のことでいちいち嬉しそうにしたり、すました顔をしたかと思ったら、案外すぐ照れたりするような姿が、似合っていると思うから。
じゃあ、どうしたらいいか。
本当は、どうしたいと思っているのか。
沙空乃は、陽奈希は。そして俺は。
何を望んでいるんだろうかと、考えてみて。
「なあ、沙空乃」
浮かんできた答えを、俺は口にする。
「俺が誰と文化祭を回るかって話、あったよな」
「ええ、まあ……ですが急にどうしたんですか?」
沙空乃は不思議そうに、首を傾げる。
「その話なんだけど……三人で文化祭を回らないか? 今日はもう時間がないから、明日に」
俺の提案に対し、沙空乃はぽかんと口を半開きにしていた。
「それはつまり……わたしと、陽奈希と、渉くんで?」
「ああ」
まだ言葉の意味を飲み込みきれていなさそうな反応の沙空乃に対し、俺はしかと頷く。
「陽奈希は三人で仲良くしたいって言ってたから、きっと受け入れてくれるはずだ。話は俺の方でつけとく」
「三人で、仲良く……あの子が、そんなことを……」
沙空乃はどこか驚いた様子で、しかしそれでいて噛みしめるように、陽奈希の言葉を反芻する。
そして、じっと俺の方を見て。
「渉くんは? 渉くんは……どうしたいんですか?」
「せっかくの文化祭なんだから、好きな人と楽しみたい……かな。何より、二人が落ち込んだりしてる顔は、見たくないし。一緒に文化祭を回って、三人で笑えたら……それが一番だ」
「そう、ですか……」
小さくそれだけ口にする沙空乃だったが、表情は和らいでいるように見えた。
「あとは沙空乃がどうしたいか、だけど……喧嘩したのだって、陽奈希のことが好きだからこそなんだろ? だったら、一緒にどうだ?」
「一緒に、三人で……」
改めて誘うと、沙空乃は少し考えるような素振りを見せて。
「なるほど……あの子は最初からそのつもりで……ふふっ」
何か、納得したようなことを呟いたかと思ったら、一人で笑い出した。
「……どうした?」
「大したことではありません。ただ……」
俺の問いに、沙空乃は首を横に振ってから。
「……私も、三人一緒がいいです」
これ以上ないくらい晴れやかな笑顔で、そう答えを出した。
さっきまで落ち込んでいたのが嘘みたいに明るい、沙空乃の表情。
「じゃあ……!」
俺の胸中に、嬉しさが湧き上がってくる。
「はい……不束者ですが、これからよろしくお願いします」
沙空乃は仄かに頬を赤く染めながら、小さく頭を下げてきた。
沙空乃の笑顔が見られた喜びを爆発させていたり、陽奈希にも伝えたら同じ顔をしてくれるだろうか……と思いを馳せることに夢中になっていたせいだろうか。
この時の俺は、沙空乃の返事の微かな違和感に、気づいていなかった。
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