第21話 譲り合い

「ねえねえ、わたる。どうして沙空乃さくのに返事してあげないの?」


 陽奈希ひなきが小声でそんなことを聞いてきたのは、金曜日の午後。

 つまりは沙空乃から告白された翌日、文化祭の準備をしていた時だ。

 普段は教室に並べられている机は後方に下げられており、俺を含めた殆どのクラスメイトが地べたで作業している。

 

「……なんで陽奈希がそれを知ってるんだよ」


 俺は模擬店の装飾に使う小道具を制作しつつ、陽奈希に胡乱な目を向ける。


「そんなの、わたしたちが双子だからに決まってるでしょ?」


 どうやら本人から直接聞いたらしい。


「だとしても、だ。もう少し自分の立場ってものを弁えてから俺と接するべきじゃ……」

「ほら、そんなことよりも!」


 陽奈希は俺の言葉を遮って、隣にしゃがみ込んできた。


「校内一の美少女である沙空乃と文化祭を一緒に回れる、絶好のチャンスなんだよ? 逃す手はないと思うけど」

「はぁ……」


 ……それをつい昨日の朝まで付き合っていたあなたが言いますか。

 

「もう、ため息ついてないでシャキッとする! 沙空乃ってば、ラインで催促しても返事がないってしょんぼりしてたよ?」

「と、言われてもなあ……」


 活を入れるように俺の背中をぽんと叩いてくる陽奈希だが、俺の心の中にあるもどかしい気分が晴れることはなかった。


 あの喫茶店で沙空乃から告白をされてから、今日に至るまで……俺は何の返事もできていない。

 そのことについて、申し訳ないと思う気持ちもなくはないけど……一応俺なりに、煮え切らない事情というのがあるのだ。


「あー委員長、またサボってカレシといちゃいちゃしてるなー?」

「なんか二人でこそこそしちゃって……今日もお熱いなあ。まさにラブラブカップルって感じ?」


 俺と陽奈希が一緒にいることに気づいたクラスメイトの女子たちが、こっちに来て聞こえよがしに茶化してきた。

 おかげで教室中の視線が、俺たちの方に集まる。


「わたしと渉は、カップルじゃないよ?」


 そんな状況の中で、陽奈希は平然と級友の言葉を否定した。

 一瞬、教室が静まり返る。

 空気が変わったのを、肌で感じた。


「え? だって伊賀崎いがさきくんは、陽奈希のカレシでしょ?」

「だから、今は違うの」

「……どういうこと?」


 陽奈希に話しかけていた女子だけではない。

 クラスメイト全員が、困惑に包まれ……程なくして、一つの結論に達した。


「まさか……もう別れた、とか?」

「うん。今はわたし、渉と付き合ってないんだ」

 

 恐る恐るといった様子で尋ねる級友に対し、陽奈希はにこやかだった。


「で、でも……そんな気配なかったよね? 今日だって、お昼は二人で食べてたし、一緒に文化祭の準備してるし……」


 そう。別れを切り出してきた時ですら腕を組みながらだったけど。

 陽奈希は俺を振ったくせに、以降も付き合っていた時と殆ど変わらない態度で接してくるのだ。

 流石にキスはしてこなくなったけど……これでは本当に別れたのか今ひとつ実感がないし、俺だけが引きずってしまっているような状況に陥っている。

 沙空乃の告白に答えられずにいるのも、この辺りの事情が無関係ではない……つもりだ。


「なあ伊賀崎、一体何が起きてるんだ?」

「……俺にも分からん」

 

 横から陽キャの常陸ひたちが話しかけてきたが、そう答えると首を傾げて離れていった。


「どうなってんだよ……」

 

 などと口にしたのは、いったい誰だったのか。

 陽奈希の爆弾発言により、クラスメイトたちは次第に騒然とし始めた。

 本当に別れたのかと疑惑を持ったり、ドッキリ説を提唱し始める奴まで現れたり。

 当人である俺と陽奈希を置いて、良くも悪くも盛り上がりを見せている。

 

「なんか騒ぎになっちゃったから……続きは別の場所でしようか?」


 そんな中、陽奈希は俺の手を掴むと、そのまま引っ張ってきた。

 まだ何か話すことがあるらしいが……これは俺にとっても、いい機会かもしれない。


◆◆◆


 校内において、俺と陽奈希が他人に邪魔されず話せる場所と言えば限られている。

 俺たちは、文芸部の部室にやってきた。


「なあ、どういうつもりなんだ?」


 部屋に入るや否や、俺の方からそう切り出した。


「どういうつもりって……何が?」

「別れを告げてきた割に馴れ馴れしく接してくるのはどうしてだ、ってのもあるけど……一番気になってるのは、沙空乃のことだ」


 とぼけた顔をする陽奈希に、俺はさっきから感じていた違和感をぶつけることにした。


「陽奈希は、俺と沙空乃をくっつけたいのか?」


 あれだけ好きだと言ってくれて、けど結局は振られて。

 その事実を受け止めきれていない内に、入れ替わるように沙空乃が告白してきて。

 返事をしない俺を、別れたばかりの元カノという立場の陽奈希がせっついてくる。

 なかなか、奇妙な話だ。

 けど、これがすべて、陽奈希の思惑に沿って起きている出来事なら。

 

 とにかく、この場ではっきりさせておきたいというのが、俺の考えだ。


「当たらずとも遠からず、かな」

「……意外とあっさり認めるんだな」

「うん。きっかけは偶然からだったとはいえ……本当は沙空乃がされるはずだった告白を、代わりにわたしが受けちゃって、あの子のチャンスを奪っちゃったからさ。君を横取りするような形になって、申し訳なかったんだ」


 そう言って、陽奈希は力なく笑うけど。

 

「それについては、告白する相手を間違えた俺が全面的に悪いだろ。陽奈希が罪悪感を抱くようなことじゃ……」

「だとしても、さ。沙空乃の気持ちを知った上で、わたしが渉を独り占めするのはズルいんじゃないかって思ったら、何もしないわけにはいかなくて」

「じゃあ陽奈希は……沙空乃のために、俺と別れたのか?」

「うん、そういうこと。渉のことが嫌いになったとかじゃないから、安心してね?」


 と、そんな眩しい笑顔で言われましても。

 結果として振られているんだから、どう想われていようがあまり関係ない気するけど……。

 別れたのは俺に原因があるのではなく、あくまでも沙空乃のためを思ってのこと。

 その事実を知ってあっさり心が軽くなっている辺り、効果は覿面だったみたいだ。


「ふふっ、それでね? まずはわたしと同じだけ、沙空乃が渉を独り占めできる期間がないと不公平だと思ったから、あの子の背中を押してあげることにしたんだ」


 俺がまんまと安心させられる中、陽奈希はどこか楽しそうに続きを語り始めた。


「不公平って?」

「だって最初の告白を受け取っていたのが沙空乃だったら、わたしの出る幕なんて全然なかったわけでしょ? 元々渉は、あの子のことが好きで……わたしのことは、彼女になった後で少しずつ意識し始めたって感じだと思うし」


 などと、本人からすれば受け入れがたいであろうことを、明るい調子で言ってのける陽奈希ではあるけど。


「…………」


 その読みは、正直当たっている……と口に出すことまでは流石にできなかった。

 ひょっとしたら陽奈希は……自分が邪魔をしなければ、俺と付き合っていたのは最初から沙空乃だったと思っているのかもしれない。

 実際そう上手くいったとは思えないけど――


 バンッ!

 不意に、部室の扉が勢いよく開け放たれた。


「ふざけないでください!」


 怒りの込められた声とともに乗り込んできたのは、沙空乃だった。

 いったいどこから聞いていたんだとか、なんで当たり前のようにいるんだとか……そんな疑問を投げかける余地すらなく、ストーカー気質のシスコンであるところの彼女は、力任せに扉を閉めてから、陽奈希に詰め寄っていく。


「嫌いになったとか、告白が間違いだったことを受け入れられなかったならまだしも……そんな理由で、あなたは渉くんと別れたんですか? あれだけずっと、好きだと言っていたじゃないですか!」

「で、でもあの時、わたしが変な気を起こして沙空乃のテニスウェアを着たりしなかったら……本当は、沙空乃が渉の彼女になってたはずで……」


 沙空乃の剣幕に面食らう様子を見せつつも、陽奈希は異論を唱える。


「だから、渉がわたしと別れて代わりに沙空乃と付き合うのは、元鞘に収まるみたいな話なんだよ」

「それは違います」

 

 陽奈希の主張を、沙空乃はきっぱりと否定した。


「私はその頃、渉くんが思い出の相手だとは認識していませんでした。せいぜい、かわいい妹を毒牙にかける馬の骨くらいに思っていたくらいです」

「それはちょっとあんまりな評価じゃないかな……」


 沙空乃の言いぶりに、陽奈希は思わずといった様子で苦笑する。


「とにかく、当時は眼中にありませんでした。間違いなく、あのタイミングで告白されても断っていたでしょう」


 ……薄々察してはいたけど、改めて本人の口から聞くとけっこう心に響く。


「だから陽奈希が私に遠慮する必要なんてありません……渉くんに対する気持ちが変わっていないというなら、今すぐヨリを戻すべきです!」


 沙空乃はびしっと陽奈希を指さして、力強く告げる。

 が、陽奈希は納得のいかなそうな顔をしていた。


「でも……今は沙空乃だって、渉のことが好きなんでしょ?」

「い、今はそうですけど……」

「だ、だったら、このチャンスを棒に振るなんておかしいよ!」 


 ここぞとばかりに、反論し始める陽奈希。


「わたしなんかよりも沙空乃の方がかっこよくて美人だし、部活では華々しい実績があって、校内では誰よりも人気があって……渉にお似合いだって思うよ?」


 何故か陽奈希は、沙空乃を手放しで褒めた。


「それを言うなら、陽奈希のかわいさに叶う者なんて地球上に存在しませんし、皆のために率先して重責を引き受ける献身ぶりは他の誰にもない美徳ですし、そんな天使みたいな美少女である陽奈希の頑張りはきっちり報われるべき。よって、私ではなくあなたが渉くんと付き合うべきです!」


 沙空乃も負けじと、全力で陽奈希を持ち上げる。

 ……傍から聞いていると、自信がなくなってきた。

 俺なんかでは、どっちとも釣り合っていないんじゃないか……?


「むぅ……好きな人と一緒になれるチャンスなんだから、素直に乗っかればいいでしょ! 沙空乃はいつもそうやって、自分が姉だからってわたしのために遠慮しようとして……! 本当に、妹思いの優しいお姉ちゃんで……!」

「あなたこそ、あれだけ好きだ好きだと言っていた相手と付き合えて、両想いになれたのに手放すなんておかしいでしょう! 陽奈希はいつもそうやって、妹なのに私の気遣いを見透かして、その上で私が損をしないよう色々と手を回して……! 本当に、姉思いのよくできた妹で……!」 


 褒めあっているようで、段々とヒートアップしていく二人。


「やっぱり沙空乃は渉と付き合うべきだよ!」

「やっぱり陽奈希は渉くんと付き合うべきです!」


 ついには声を荒げて、睨み合いを始めてしまった。

 ……なんで姉妹喧嘩が勃発してるんだよ。

 というか、これ喧嘩なのか?

 確かに語気は荒いけど、二人ともお互いを絶賛しているようにしか聞こえないし。

 双子ならではの変わった文化なのかもしれないけど……なんにせよ、これ以上は外に聞こえて誰か来てしまうかもしれない。

 

「なあ二人とも、それくらいで……」


 仲裁に入ろうとする俺だったが、既に双子姉妹から存在を忘れ去られていたらしい。


「今回ばかりは私も譲れません。陽奈希の姉思いは度が過ぎます!」

「わたしだって、沙空乃の妹思いは自分のことをないがしろにし過ぎだって思うもん!」


 二人は俺のことなど気にも留めず、更に大きな声で言い合って。


「こうなったら……意地でも陽奈希と渉くんのヨリを戻させるので、覚悟してください!」

「そっちがその気なら、わたしだって……どんな手を使ってでも、沙空乃と渉をくっつけてみせるんだから!」 


 顔を突き合わせるくらいの至近距離で宣言しあった後、お互いに「ふんっ!」と腕を組んでそっぽを向いた。




 そんなわけで、俺の好きな人は。

 自分自身ではなく双子のもう片方を、俺と付き合わせる覚悟を決めたらしい。

 今ここに、双子姉妹による壮絶な譲り合いが始まった。


 ……あれ?

 ってことは。

 仮に俺がどちらかを選んだとしても……。

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