第20話 気づかされた想い
陽奈希に振られた日の放課後。
放心状態で廊下を歩いていたら、
「あの……
そう聞かれた瞬間、俺の頭は真っ白になった。
……どうしてそれを、沙空乃が知っているんだ。
俺が本当は、誰に告白するつもりだったのかを。
「ああ。ここでは話しにくかったですかね? 周りの皆さんの目もありますし」
俺が黙り込んでいるのを、沙空乃はそう受け取ったらしい。
授業が終わったばかりの時間帯ということもあり、廊下には談笑している生徒や下校しようとする生徒が多くいる。
中には、校内一の有名人である沙空乃がどこぞの男と話していると、こっちに注目してくる連中もいた。
「場所を変えましょうか」
沙空乃は外向けのお上品スマイルで、そう提案してきた。
やってきたのは、学校付近の住宅街の路地裏を進んだ先にある、喫茶店だった。
周囲の建物の影に隠れて薄暗くなっているせいか、何やら隠れ家的な雰囲気を醸し出している。
「こんな場所に店なんてあったのか……」
かなり奥深くまで歩いてきたので、正確な場所を把握できていない。
一人で帰れと言われたら、多分無理だ。
「この喫茶店は学校の友達どころか、陽奈希にも教えたこと無いんですよ?」
「そうなのか?」
「はい。私にとってこのお店は、一人でこっそり落ち着ける空間なんです」
沙空乃は朗らかに笑って、頷くと。
「つまり私がここに連れてきたのはあなただけ、特別なことなので……他の人には内緒でお願いしますね?」
別に誰も聞いていたりなんてしないのに、沙空乃は声量を小さくして、囁いた。
あなただけ、特別。
思わせぶり……と取れなくもないけど、意識的に口にしたセリフなんだろうか。
沙空乃のことだから、相手を勘違いさせるようなことをうっかり言っている可能性もあるけど。
「あー……分かった」
たったの一言で見事に嬉しくなっている辺り、俺も単純な人間だ。
喫茶店に入った俺たちは、テーブル席に座っていた。
店内はレトロで落ち着いた雰囲気で、初老の
他に客がいないため、注文した商品がすぐに届けられた。
俺の前にコーヒーの入ったこぢんまりとしたカップが置かれ、沙空乃の前には縦長の巨大なグラス容器が置かれる。
「デラックスジャンボパフェ、だったか。注文してた時にも思ったけど、随分ガッツリいくんだな」
「私はもっと、コーヒーをちびちび飲んで気取った感じに振る舞っているタイプだと思いましたか?」
「いや、気取ってるというか……かっこいい感じのイメージはあったな」
「実は私、陽奈希と同じく甘党なんです。ここのパフェ、とても美味しいんですよ?」
沙空乃はそう言いながら、既にスプーンを掴んでいる。
「ではさっそく。いただきます」
会話する時間も惜しいのか、さっさとパフェを食べ始めた。
俺はその嬉々とした様子を見て、既視感を覚える。
……クレープを食べてる時の陽奈希そっくりだな。
脳裏をよぎる、彼女……ではなく今や元カノとなった女の子の笑顔。
「はぁ……」
俺はついため息を付きながら、アメリカンを一口飲む。
「おお」
そんな俺の仕草を、沙空乃は目を丸くして見つめてきた。
「私なんて砂糖を大量に入れても苦くて駄目だったのに、渉くんはブラックで飲めちゃうんですね……なんだかすごいです」
些細なことなのに、沙空乃は謎の尊敬を俺に向けてきた。
……今更だけど、呼び方がなんかやけに親しげじゃないか?
『渉くん』って。気に食わないのかと言われたら、全くそんなことはないんだけど。
「まあ、アメリカンは薄味だからな。別に大したことじゃないだろ?」
「む……それでは私が重度の子供舌みたいではないですか」
「好きな食べ物がオムライスとか甘いもので、コーヒーは苦いから飲めない……か。なるほどな」
謙遜が変な方向に受け取られたけど、確かに沙空乃は子供舌かもしれない。
「むむ……何を納得しているんですか!」
「んごっ!?」
拗ねた沙空乃がパフェをひとすくいして、スプーンをいきなり俺の口に突っ込んできた。
甘ったるい生クリームと酸っぱいオレンジの味が、口の中に広がってくる。
吐き出すわけにもいかないので、俺はそのまま咀嚼するが……。
これ、直前まで沙空乃が使っていたスプーンなんだよな。
そんな代物が、現在進行系で俺の口内に侵入している。
ほ、本当にいいのか……こんな贅沢。
相手は校内一の美少女だぞ?
「ふふん。どうですか、甘いものも良いでしょう」
沙空乃は俺がパフェを飲み込むのを見届けてから、スプーンを抜き取った。
そして、スプーンに付着したクリームを一瞥すると。
「……うん。やはり、美味しいですね?」
堂々とそのスプーンを口に含み、ぺろりと舐め取ってから、勝ち誇った顔を見せつけてきた。
「なっ……!?」
頭の片隅にあった、今更間接キスで動揺するなんて……という考えは、たちまち吹き飛んでしまった。
これは、間接キスを超えた何かだ。
沙空乃から底知れない色っぽさ……みたいなものを感じる。
……本当に、同級生の女の子なのか?
すっかり顔が熱くなるのを自覚する俺だったが……どうやらそれは、俺に限った話ではなかったようだ。
「あ、うぅ……」
己の所業の大胆さを自覚したのか、沙空乃の顔がみるみる内に紅潮していった。
「わ、私としたことが……家で陽奈希の使ったスプーンにするようなことを、渉くんの前でも……」
……更に墓穴を掘ってませんか沙空乃さん。
というか、そんな好きな子のリコーダーを舐めるみたいな真似、日常的にやってるのかよ。
流石は病的なシスコン……という表現で正しいんだろうか。
「っ~~~~~~!!!」
反応に困る俺の前で、沙空乃は一人悶えていた。
だけど、そんな彼女を見ていると。
陽奈希に振られて消沈していた心がいくらか晴れてくる気がして、なんだか救われたような気分になってくる。
……あれ。
でも俺、沙空乃にも振られてなかったっけ。
◆◆◆
「こほん……改めて、本題に入りましょうか」
落ち着きを取り戻し、パフェを完食した沙空乃が、真面目な顔でそう切り出してきた。
「もう一度お聞きしますが……渉くんは陽奈希ではなく、実は私に告白しようとしていたというのは本当ですか?」
……やっぱり、そのことを知っていたのか。
こうなればもう、素直に認めるしかないだろう。
「ああ、本当だ」
「……! そうなんですか……ふふふ」
俺の答えを聞いた途端に、沙空乃は露骨ににやにやと笑みをこぼすが……すぐに誤魔化すように俯いて表情を隠し、再び顔を上げた時には平気そうな顔に戻っていた。
「ふぅ……ですがそんな形で告白した陽奈希と付き合い続けるというのは、一体どういうつもりだったんでしょうか。まさか、軽い気持ちで遊んでいた、とかではないですよね?」
そう問いかけてくる沙空乃の眼差しは、至って真剣だった。
本気で妹のことを思っているのが、伝わってくる。
「最初は陽奈希の好意に気づいてすらいなかったのは事実だ。けど、付き合うようになって、あいつの本当の気持ちを知る内に……俺の方も、好きになっていたんだ」
「では、あの子とは真剣に付き合っていた、ということですね?」
「ああ、そうだ」
……過去形なのが、極めて虚しい話だけど。
「ふむ……渉くんがそう言うなら、間違いないんでしょうね。あんなふうに、わざわざ告白し直すくらいですし」
俺の答えを聞くと、沙空乃は表情を和らげた。
もう少し、疑われてもおかしくないと思ったんだけど……。
「やけにあっさり信用してくれるんだな? というか『あんなふうに』って、まるで直接見聞きしたみたいな……」
「そ、それよりも、聞きたいことがあるのですが!」
ふと思い浮かんだ疑問は、急にトーンを上げた沙空乃の声でかき消された。
「えっと……なんだ?」
「結局、渉くんって……私のことは、どう想っているんですか?」
核心に触れてくる問いだと、直感した。
「どう……って」
「私に告白しようとしたということは、少なくともその時は好きだと想っていてくれたんです……よね。今はもう、どうでもよくなってしまいましたか……? それとも、今も……」
陽奈希と真剣に付き合うと決めてから、考える機会がなかった……いや、もしかしたら無意識の内に、考えないようにしていたのかもしれないけど。
俺は今、沙空乃のことをどう想っているんだろうか。
彼女の言うとおり、どうでもよくなってしまったんだろうか。
それは違う、と断言できる。
ああ、そうだ。
俺は今でも変わらず、沙空乃のことが好きだ。
けど、それはつまり――
「その様子だと……渉くんは今も、私のことを良く想ってくれている、ということでいいでしょうか」
「それ、は……」
沈黙は肯定、と受け取ったらしい。沙空乃は嬉しそうな顔で、確かめてきた。
「そして今の渉くんは、陽奈希と別れてフリー……だったら、私がどうしたって問題ないですよね?」
俺が答えられずにいる中、沙空乃は自分に言い聞かせているとも取れるような調子で、続ける。
「振ったとか宣言した手前、微妙にやりにくさがありますが……そこは気にしたら負けです」
そして、独り言のように小さく呟いたかと思ったら、覚悟の灯った眼差しを、俺に向けてきた。
「渉くん……私から、聞いてほしいことがあるのですが」
「な、なんでしょう」
姿勢を正しながら告げてくる沙空乃に釣られて、俺も緊張から背筋を伸ばして応じる。
「今度の文化祭、私と一緒に回りませんか? 私は……渉くんのことが、大好きです」
沙空乃は顔を真っ赤にしながらも、決して目は逸らさずに、想いを告げてきた。
天宮沙空乃が、俺のことを好きでいてくれる。
それは、そうであってほしいと、ずっと願い続けてきた状況で。
夢にまで見たことが、現実に叶っていて。
だというのに、俺は沙空乃の告白に、その場で答えることができなかった。
何故なら、自分の気持ちに気づいたからだ。
俺は沙空乃と陽奈希……双子姉妹の両方を、好きになってしまったのだ、と。
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