第17話 裏切らないための選択
土日に相次いだ双子姉妹とのデートから三日後、水曜日。
学校では文化祭が来週に迫り、にわかに慌ただしい空気が漂ってきた。
午後の授業がすべて準備の時間に変更される、特別期間だ。
本来行われるはずだった現国の授業は潰れ、2年4組の教室では出し物のコスプレクレープ喫茶で使う飾り付けや衣装を作成している。
そんな中、俺と
模擬店を出す上で色々と書類を用意する必要があるので、騒々しい教室ではなく静かな場所で作業したいクラス委員長の陽奈希に、俺が手伝いとして駆り出された形なんだけど。
「なあ……職権乱用じゃないか、これ」
俺は書類に向き合ったまま、肩を並べて作業する陽奈希に話しかけた。
他のクラスメイトが忙しく働いている中、付き合っている男女が二人だけで抜け出すとか、仕事を口実にしている感がすごい。
「そんなことないよ。贔屓とかじゃなくて、一番勝手を知ってるのが
「一応、理に適った人選ってことか」
「うん。あんまり説明せずに書類を投げても、渉ならしっかりやってくれるし」
「まあ、去年の文化祭は『委員長の秘書』って呼ばれるくらい、ひたすら陽奈希の手伝いさせられたからな」
「あはは……ごめんね?」
陽奈希はそれほど悪びれる様子もなく苦笑する。
当時は嫌がらせか何かだろうかと疑ったりもしたけど、クラスメイトのために頑張る陽奈希を見ていたらそうではないと感じたし、彼女の気持ちを知った今なら、むしろ反対の感情があったからこそだと分かるので、責めるつもりはない。
「ちなみにもう一つ言い訳すると……クラスの皆だって地味な書類仕事よりは、飾りや衣装を作ってた方が文化祭っぽくて楽しいだろうと思ったから……って理由もあるんだよ?」
「分からなくもないけど……一番文化祭楽しみにしてる奴が、文化祭らしくない裏方でいいのか?」
俺は手を止めて、陽奈希の方を見る。
「うん、わたしは皆が楽しんでくれれば満足だから」
陽奈希は俺の方を見返しながら、朗らかに笑った。
「……陽奈希って、いつも人のために頑張ってるよな」
「お母さんから、『他の人を喜ばせるために頑張れる人間になりなさい』って言われて育ってきたからね」
陽奈希は偉ぶりもせずに、そう語る。
俺はそんな彼女に、素直に感心した。
「なんというか……陽奈希はすごいな」
「ありがと。でも……そんなに褒められると、ちょっと罪悪感が湧いてくるかも」
「……? どうしてだ」
「渉に手伝ってもらってるのは……やっぱり、二人きりになるための口実でもあったから」
陽奈希はおもむろに、俺の背中に手を回してきて。
「ん……」
そのまま抱きつきながら、キスしてきた。
唇と唇が優しく触れ合って、すぐに離れる。
「なっ……おい、ここ学校だぞ……!?」
唇を離しつつも抱きついたままの陽奈希の大胆ぶりに、俺は驚きの目を向ける。
「大丈夫だよ、誰も見てないし」
陽奈希は微笑みながら、俺の背後を見やる。
振り向くと、窓にはカーテンがしっかり掛かっていた。
……そう言えば、部室に来た時に陽奈希が閉めていたかもしれない。
これなら、隣の校舎から偶然目撃されるようなこともないだろう。
「随分と用意周到だな……最初からこのつもりだったのか?」
「うん……だから、もう一回……」
陽奈希は小さく頷いてから、もう一度とねだるように顔を近づけてきて――
ピロン、と陽奈希のスマホから、通知音が聞こえてきた。
「あ……クラスの方に呼ばれちゃった」
陽奈希はスマホを取り出して通知の内容を確認する。
どうやら教室で何かトラブルでもあったみたいだ。
「申し訳ないんだけど……書類、任せてもいい?」
「気にするな、あと数枚だ」
「おお、流石はわたしの秘書」
「ただの便利屋感覚で使うなら、手伝わないぞ?」
「じゃあ……君の彼女としてお願いするなら、これからも手伝ってくれる?」
ぎゅっ、と抱きつく力を強めながら、陽奈希は上目遣いで囁きかけてくる。
「あ、ああ……」
……冗談に冗談で返したつもりが、一本取られた。
◆◆◆
陽奈希が教室に戻ってから約十五分後。
俺は記入し終えた書類を纏め、職員室へ提出しに向かう中で、つい先程の出来事を思い返していた。
……最近はだいぶ、恋人らしくなってきた気がする。
けど、俺と陽奈希が果たして正式に付き合っている状態なのかと考えると、疑問が残る。
最初の告白が間違いで、本当は
きっかけはどうあれ、陽奈希と付き合い続けると決めた以上、真実を伝えるのが誠意だ。
そう、頭では理解していても……言い出せないまま、数日が経過していた。
多分俺は……告白が間違いだったと伝えることによって、今の関係を失うのが怖いんだろう。
もし陽奈希が悲しんだり、失望したり、怒ったりしたら。
この際、黙っておくという手もある。
それなら誰も傷つかないんだから。
でも、こんな状態のまま関係を続けるのは……やはり、陽奈希に対する裏切りだと、俺は思う。
……よし、決めた。
これ以上、先延ばしにするのはやめよう。
もしかしたら、陽奈希が傷つくことになって、俺が振られることになるかもしれない。
けど、今のままよりは、陽奈希にとってずっと良いはずだ。
俺自身については、どうなったって自己責任だし。
「…………」
それにしても。
さっきから視線を感じるのは、気のせいだろうか。
…………。
「……そこか!?」
咄嗟に振り返って見るが、誰もいない。
しかし、さっきは人の気配みたいなものを感じた。
ひょっとしたら、誰かが俺の後をつけているとか……って、考えすぎか。
俺なんかを尾行するような物好きなんて、いるはずが――
「あれ?」
俺はふと、廊下の曲がり角にハンカチが落ちていることに気づいた。
少し戻って、拾い上げる。女物だ。
……尾行していた誰かが落とした?
「いやいや……」
きっと、たまたまあっただけの落とし物だろう。
俺はそう納得して、職員室に向かった。
◇◇◇
「ふぅ……危うくバレるところでした……」
私……
尾行していることを、看過されそうになったからです。
彼には距離を置くと言ってしまいましたし、何より陽奈希を裏切るような真似は絶対にできないので、不用意に接触するわけにはいきません。
しかしながら……私は彼に対する気持ちを、抑えきれずにいました。
おかげでここ数日、今まで陽奈希に行なってきた愛情表現を、
土曜日のデート以来会話をしていないので、直接名前を呼んだりはしていませんが……心の中で勝手に呼び方を変えるくらいには、渉くんへの好意が溢れています。
ですが……彼もなかなか、勘が鋭いようです。
本当は窓の外から二人がいちゃいちゃしている場面を覗きたかったのに、陽奈希がカーテンを閉めたから……それにしても、二人はあの部屋で何をしていたんでしょうか。
ひょっとしてあんなことやこんなことまで……って、妄想のあまり脇道にそれてしまいました。
とにかくそんな事情で遠くから様子を窺えず、接近せざるを得なくなった結果、渉くんに尾行がバレそうになりました。
私としたことが、思わず冷や汗が――
「って、ありません……!?」
私は額の汗を拭こうとして、ハンカチがポケットから消えていることに気づきます。
「もしかして……逃げる時に落としたんでしょうか……」
少し前まで持っていた記憶があるので、その可能性が高いです。
あれは誕生日に陽奈希から貰った大切なハンカチなのに……!
渉くんが遠ざかった頃合いを見計らって現場に戻ってみましたが、ハンカチは落ちていませんでした。
では職員室横の落とし物箱に……と思い確認しに来ましたが、ここにもありません。
もしかして……渉くんが拾ってそのまま持っている、とか。
「だとしたらそれはそれであり……じゃないです……!」
どうにか回収しなくては!
ですが……彼にどう説明したらいいでしょうか。
いっそのこと、開き直ってこれを口実に話しかけるというのも……でもそれは陽奈希に対する裏切りになるような。
いやいや……落としたハンカチを返してもらうだけなら問題ないはず。
やましい心がなければ、大丈夫です。
……よし、決めました。
久々に、渉くんと話をしましょう。
そう考えると、なんだかドキドキしてきました……!
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