第12話 追憶と変化と
昨夜、部屋に乗り込んできた我が妹の
俺は改めて、自分がどうしたいのか、考えてみて。
どうせ一緒に出かけるのなら、単に
本当に楽しんでもらえるか……俺のそういう姿勢を彼女がどう受け取るかはともかくとして、それが俺にできる最善なのだ、と。
沙空乃に楽しんでもらうなら、単純だけどやはり彼女の好きなことをするのがいい。
けど、今の沙空乃が何を好きかなんて、病的なシスコンであることを除けば、俺は殆ど知らない。
何せ、高校生活の中で関わる機会が、これまでまったくなかったわけだし。
そこで俺は、自分の知る沙空乃の姿……思い出の中の『さーちゃん』から、かつて彼女が何を好きだったか、振り返ってみた。
その結果が、今日のプランだ。
そして、多分。
そんな、昔の追体験みたいなことをやると決めた時点で、俺は『こうする』とも、決めていたんだろう。
あの時の思い出のことを沙空乃に告げるのは、俺なりのけじめだ。
もしかしたら、沙空乃の記憶には残っていない出来事かもしれないし、覚えていたとしても、大した思い出だとは捉えていないかもしれない。
しかし、だとしても。
美少女双子姉妹などと称される二人との拗れた関係に対し、どんな結論を出すにせよ……必ず伝えなければいけないと思ったのだ。
◆◆◆
昔の思い出について打ち明けてから程なくして、俺と
現在、デート……していた商業施設からも離れ、あてもなく歩く沙空乃の後ろを、俺が追いかけ続けること、約十五分。
ようやく、沙空乃が足を止めた。
「あの……悪かった。こんな驚かせるみたいな伝え方になって……」
「いえ、別に気にしていません。今までずっと気づかなかった私も私ですから」
すかさず俺が謝罪すると、沙空乃は振り返って小さく笑った。
「ただ、色々と混乱してしまって……どうにか自分を落ち着かせようと思っている内に、ここまでフラフラとさまよい歩いてしまいました」
「そうか……じゃあ今は、とりあえず落ち着いたってことでいいのか?」
「ええ、まあ。ですが、あなたもそうと分かっていたなら、もっと早く教えてくれたら良かったじゃないですか」
「それは……なかなか機会がなかったからな。こうして普通に話すことすら、前までは難しかったし」
そう。
俺が間違えて陽奈希に告白してしまった挙げ句、付き合うようになって。
沙空乃が俺のことを『妹の彼氏』として認識し、敵として接してくるようになるまでは。
「…………」
「…………」
気づけば二人とも、向かい合ったまま黙り込んでいた。
その場に、何とも言えない空気が流れる。
なんだろう、この感覚は。
よく分からないけど、少なくとも悪い気分じゃない。
何せ、ようやく沙空乃と思い出を、共有できたんだから。
しかしそれは、俺にとっての話だ。
沙空乃は、あの時のことを、どういうものとして見ているんだろう――
そんな風に沈黙していると、不意に、鼻先に水滴が落ちてきた。
「うん……?」
不思議に思って、空を見上げた次の瞬間。
とてつもない量の雨が、一気に降ってきた。
「うおっ!?」
「な、なんですかこの雨は……!」
二人して慌てる中、俺は周囲に雨宿りできる場所がないか探す。
ちょうど横にあった公園に、コンクリート製のドーム型遊具があった。
あの中なら、雨を凌げそうだ。
「とりあえずあそこに入ろう!」
「は、はい!」
急いで駆け込んだ遊具の中は、屋根があるおかげで確かに雨を避けることができたものの……所詮は子供向けに作られたものだ。
高校生二人が入るには、狭すぎた。
遊具の中に座る俺と沙空乃の肩が、密着するような状態で触れ合う。
互いの体温が、これでもかと言うほどに交わされる。
……駄目だ、これ以上は心身が持たない。
現在、俺の脳内は、好きな人と密着できる喜びよりも、緊張が勝っていた。
耐えかねて、少し距離を取った、その時。
「あの、そっちに言ったら濡れますよ?」
俺の行動を沙空乃はきょとんとした顔で見て、引き止めた。
「まあ、そうだけど……」
まさか、くっついていると心臓がバクバク鳴っているのがバレそうだから離れたいです、と正直に言うわけにもいかない。
俺の口から出てきたのは、実に歯切れの悪い返事だった。
「……? では、もっとこっちに来てください」
「あ、ああ」
分かってるならなんでそうしないんだ、とばかりに沙空乃は手招きしてくる。
ここで拒否するのも不自然なので、俺は言われるがまま元の位置に戻った。
いや、やっぱりこれ、近すぎるような――
「よいしょ……こうしてみるとあなたって、結構体温が高いんですね」
沙空乃は俺を湯たんぽ代わりにでもするかのように、身をすり寄せてきた。
ただ狭いからやむを得ず肩が当たるとかではなく……まぎれもない、自発的な行為だ。
衣服越しに、沙空乃の体が、俺の体をひたすら撫でてくる。
は……どうなってるんだ?
なんだこの距離感は。
俺が昔なじみだと分かったから、接し方を変えたのか?
だとしても、この急変ぶりは、気を許しすぎでは……。
もしかして、沙空乃も……。
いや、待て。先走るな、俺。
とりあえず冷静になろう。
俺は自分に言い聞かせて、深呼吸する。
……少し、我に返れた気がする。
まだ心臓の高鳴りは、収まってくれる気がしないけど。
何にせよ、沙空乃が今どう思っているのか、様子を見たい。
「そう言えば……昔もこんな風に雨宿りしたことがありましたね。あの時は洞窟みたいな場所の入口でしたけど」
沙空乃の顔色は雨に濡れた髪に隠れて見えないものの……声は楽しそうに聞こえる。
まるで『妹の彼氏』として俺を敵視していた時にあった棘が抜け落ちたような、柔らかな声だ。
「よく考えたら危ない話だよな、子供二人だけで森に入って遊ぶって」
「まあ、そうですね。しかもあの時は夏場なのに意外と寒くて、二人でくっつきあったりした覚えがあります……ちょうど、こんな感じに」
言われて俺は、子供の頃の記憶を振り返る。
……駄目だ、思い出せない。
そんなこと、あったっけ。
確か……。
「……洞窟に入ったことまでは覚えてるけど、その後のことがどうもはっきりしないんだよな。なんか、よく分からない内に帰ったような気がするんだけど」
「それは……あなたは呑気にも、あの半分遭難しかけていたような時に居眠りしてましたからね」
沙空乃は咎めるようでありながらも、どこか愉快そうな調子でそう指摘する。
「……マジか」
「マジです」
「ははっ、道理で覚えてないわけだ……」
「ふふっ」
俺が自分に呆れて笑うと、沙空乃も濡れた髪をかき上げながら、笑い返してきた。
校内一の高嶺の花にして、ずっと憧れ続けてきた相手でもある天宮沙空乃と、何気ないことで笑い合う。
それだけのことでも、俺にとってはまるで夢でも見ているような気分だ。
「私、あの時……一人になった気がして、すごく心細かったんですよ?」
沙空乃は穏やかに、俺の目を見つめてきた。
「それは悪かったな……」
「ええ、まったくです。おかげであの時の私は、確かこうして……」
当時を再現しようとでもいうのか、沙空乃は俺の方に身を乗り出してきた。
「お、おい……」
「こんな風に、寝ていたあなたに向かって……」
諌める俺の声も、夢中になっている沙空乃には届いていないらしい。
肩をすり合わせていた状態から更に距離が近づいて、もはや抱き合っているに等しいような体勢になる。
気づけば目の前に、沙空乃の顔があった。
しかもその顔が更に、少しずつだが確実に、接近してきていて。
なんだこれ、今からキスでもするみたいな――
「あ……」
あと僅か、もうひと押しで掠めようかという所で、沙空乃が気の抜けた声とともに静止した。
「わ、私ってば、一体何を……!?」
直後、沙空乃は慌てた様子で顔を離しながら、視線を右往左往させる。
何がどうなってるんだ……さっきから、頭の理解が追いつかない。
「……あ。雨、止んでますね」
呆然としている俺の上で、沙空乃は外に目を向けてぽつりと呟いた。
「また降り出したり、濡れたままで風邪を引いたりしない内に、帰りましょうか」
沙空乃が浮かべたのは、いつも学校で見かける時の、凛とした雰囲気のすまし顔だった。
さっきまで、笑ったり慌てたりしていた沙空乃の姿は、どこにいったのか。
どうも、不自然に見える。
今の沙空乃の表情は、さっきまで露わにしていた感情を押し殺そうとしているかのような……そんな、作り物めいた違和感があるのだ。
とか思っている間に、沙空乃は俺を置き去りにして遊具の外に出ようとしていた。
「ちょっ……待ってくれ!」
俺は咄嗟にそんな沙空乃の手首を掴み、引き止めた。
「っ~~~~!?!?」
沙空乃の体がびくりと跳ね上がった。
うおっ……!?
いきなり掴むとか、ちょっと乱暴だったか……?
「あ、あの……今は引き止めないでもらえますか……?」
「悪い、痛かったか?」
「いえ、そうではなくて……」
俺が手を離すと、沙空乃は外に出てからゆっくりとこちらを向いて。
「どんな顔であなたを見たらいいか、分からなくなります……」
恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながら、弱々しい視線を向けてきた。
「な……」
俺は言葉を失った。
……いやいや。かわいすぎるだろ。
なんだこの……照れ顔みたいなものは。
どうして沙空乃は、俺をこんな表情で見ているんだ。
「私たち……もう二人きりで会わない方がいいと思います」
俺が見惚れていると、沙空乃は顔を赤くしたまま、予想外のことを告げてきた。
「えっと……どうしてそうなるんだ」
「だってあなたは、陽奈希の……私の双子の妹の、彼氏じゃないですか。それなのに私……あなたと一緒にいると、歯止めが……」
「歯止め……?」
「とにかく、私たちは距離を置くべきなんです!」
沙空乃は声高に宣言して俺の疑問を振り切って、勢いそのままに走り出し――
「…………」
――公園の出口に差し掛かったところで、沙空乃は足を止めた。
「……あの、最後に一つお願いがあるのですが」
「どうしたんだ、改まって」
しかも、最後って。
「私の名前を呼んでもらえませんか? 下の名前で呼ぶべきだと言いつけておいたのに、まだそうして貰っていないので」
沙空乃は目を逸しながら、そんなお願いをしてきた。
「あー……さっき、洋食店で一度、言った気がするけど」
今日のデートについて説明していた時、一度『沙空乃』と口にしたことは、はっきり覚えている。
……何気ないことだけど、初めてだったからそれなりに勇気とか労力を消費したから。
「そういう会話の流れの中で、みたいなのではなく……こう、面と向かって呼んでもらっていないじゃないですか」
沙空乃はもどかしそうに、俺をちらちらと見ては、またそっぽを向く。
……そんな風にされると、こっちも余計に緊張するんだけど。
本人たっての願いとあらば、俺としては答えないわけにもいかない。
「よし、分かった。いくぞ?」
「はい、どうぞ来てください……!」
……だから、そう身構えられると、こっちまで変な気を張ってしまうんだって。
ともあれ俺は、またしても莫大な勇気と労力を費やしながら、たった三文字を発した。
「……沙空乃」
「んん~~~~~!!」
瞬間、沙空乃は自分の身を抱きながら、その場で悶えるような仕草を取った。
最早、誰だこれは。
本当に、あの天宮沙空乃なのか?
彼女がシスコンだと明かしてきた時にも、同じような感想を抱いたけど、今回はまた方向性が違う気がする。
なんというか今の沙空乃は、ものすごく嬉しくけど、その感情表現の仕方に困っているような感じだ。
……うん?
俺に名前を呼ばれて、嬉しい……?
さっきからやけに距離が近かったり、キスするみたいな素振りを見せてきたり、照れたように顔を赤くしたり。
これじゃあ、まるで――。
「はっ!」
少しして、沙空乃は夢から覚めたように目を見開いた。
「だからさっきから、私は何を……」
「そのー……大丈夫か?」
俺の声に、沙空乃はぎこちない動きで、またこちらを見た。
「……このままでは噂が噂でなくなりそうなので、今の内に言っておきますが」
「噂……? というか、なんか涙目になってないか……?」
俺は戸惑いながら疑問を口にするが、沙空乃は聞く耳を持たなかった。
「わ、私はあなたとどうにかなるつもりはありませんから! ここできっぱりと、先んじて、あなたを振っておきます!」
沙空乃はヤケクソ気味に俺を指さしてそう宣言すると、踵を返して走り去っていった。
そんなわけで。
俺はこの日、好きな人に振られた。
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