第11話 大事なのは、相手に喜んでもらうこと

「わ、私としたことが……とんだ失態です……」


 陽奈希ひなきとのデートの予行演習という名目で待ち合わせした後。

 意気揚々と沙空乃さくのに手を引かれ、駅から少し歩いた街中で。

 その沙空乃はほんのり耳を赤くしながら、頭を抱えていた。

 曲がりなりにも『妹の彼氏』である男と、手を繋ぎながら往来を闊歩するという、大胆極まりない行為をしていたことを自覚したのだ。

 

「一体何を思って、あんな真似を……」

「なんとなくそんな予感はしてたけど……やっぱりノリで行動してたんだな」


 すっかりメッキが剥がれた完璧超人を見ながら、俺はやれやれと笑う。


「あなただって、止めてくれたらいいじゃないですか……」


 沙空乃は少し憂鬱そうにしながら、抗議の眼差しを向けてきた。


「その……俺も驚いて、どうしたらいいか分からなかったからな……」

 

 これは半分は事実で、もう半分は嘘だ。

 確かに俺はいきなり沙空乃に手を繋がれて気が動転していたけど……途中からは正直、彼女の手の感触をもっと味わっていたいという思いが、強くなっていた気がする。

 

「まあ、過ぎたことは仕方がないとして……結局、どこに行くんですか? さっきは勢いで歩き出してしまいましたが……」

「そうだな……方向としては、こっちで大丈夫だ」


 気を取り直した沙空乃の問いに、俺は周囲を見回す。


「それは何よりです。では改めて……エスコート、お願いしますね?」


 沙空乃は安堵した様子を見せた後、不敵に笑ってみせた。

 俺はそんな笑顔の一つ一つにでさえ、平静を失いそうになる。


 ……一方的に好意を抱いてきた中で、沙空乃のことは、それなりに見てきたつもりだったけど。

 こういう風に素の感情を露わにしている姿は、学校では全くと言っていいほど見たことがない。

 彼女の友人や、部活の仲間……ひょっとしたら、陽奈希と話している時ですらも。

 だとしたら、沙空乃がこんな表情を見せるのは、俺だけ……なんだろうか。

 もしそうなら、それは――


 ――いや、やめよう。

 こんなことで下らない優越感に浸ったって、何にもならない。

 今は、沙空乃とのデート……を成功させることだけを考えよう。


◆◆◆


 それから五分ほど歩いてやってきたのは、駅の近くにあるランドマーク的な複合型商業施設だった。

 

「ふむ……デートとしては、定番のスポットですね。ショッピングや映画、水族館や展望台に観覧車まで揃っていますが……今日はどうする予定なんですか?」


 沙空乃自身に色恋沙汰の噂がないにせよ、俺を試すと言うだけのことはあり、その手の知識はあるらしい。

 まあ、女子高生だからある程度は……ってことなんだろう。

 きっと友達からも、恋愛話を聞かされていたりするんだろうし。

 そんな中で俺のチョイスが受け入れてもらえるか不安ではあるけど、ここで言い淀んだってしょうがない。


「……プラネタリウムに行くつもりなんだけど、どう思う?」




 俺の心配は、どうやら杞憂に過ぎなかったらしい。

 沙空乃は拍子抜けするくらいあっさりと、俺の提案を受け入れた。

 予め用意しておいたチケットで入場し、現在は沙空乃と並んで席に座っている。

 

「こういうのも、なかなか悪くないですね」


 まだ上映前ながらもリクライニングを倒し、天井を見上げながら、沙空乃はトーンを落とした声で言う。

 が、ふとこちらを見て。


「暗がりだからって、変なことしないでくださいね」

「……しないって」

「私だけでなく、陽奈希にもですよ?」


 念を押すような沙空乃の視線が、横から突き刺さる。


「陽奈希の彼氏になったからと言って、調子に乗ってべたべた触ったりしたらどうなるか……覚悟しておいてください」

「だからしないって……!」

 

 少しだけ声を大きくしながら、俺が否定すると。


「あの子を相手に何もしないって……それはそれでおかしな話ですね。もしかして、何かデリケートな問題が……?」


 沙空乃は訝しげに俺を眺めてから、恐る恐るといった様子で尋ねてきた。


「……一応言っておくけど、俺は不能とかじゃないからな?」


 そうこうしている内に、上映開始を告げるベルが鳴った。




「ふぅ……なんだか懐かしい気分になりました。見る前はどうせ本物の星空には叶わない……なんて決めつけていましたが、考えを改めないといけませんね」


 プラネタリウムを観て機嫌が良くなったのか、沙空乃は饒舌にそう語る。

 どうやら満足してもらえたらしい。


「さて、そろそろ良い時間ですし……どこかお昼に行きましょうか」

「一応聞くけど……何か食べたいものは?」

「そこは、あなたのセンスにお任せします。変なお店に連れて行ったりしたら……分かってますよね?」


 そう言って、にやりと笑う沙空乃。


「……そんなことだろうと思ったよ」


 そんな沙空乃を前にして、俺も釣られるように力なく笑いながら、歩き始めた。




 カップルに限らず、若者や家族連れなども多く訪れる商業施設の中でも、飲食店が並ぶ区画を、俺と沙空乃は歩く。

 会話は少ないものの、こうして隣で沙空乃の様子を眺めていると……あの店には興味を示したとか、あっちは興味ないとか、あそこに連れて行くようなことがあったら罵倒してやろうとか……考えていそうなことが、なんとなく分かる。

 沙空乃は学校で完璧超人として振る舞っている時同様、基本的には上品なすまし顔を浮かべているんだけど、よく見るとその時の感情に応じて、しきりに細かな変化が表れているのだ。

 そんな中、沙空乃が目の前で足を止めた店があった。

 

「そう言えば、ここの洋食店のオムライスはとても美味しいと聞いたことがあります……」

 

 沙空乃は店頭に飾られたオムライスのサンプルに、目を奪われていた。


「食べたいのか?」

「流石に分かりますか……」


 露骨に興味を示している自覚があったのか、沙空乃は苦笑するが。


「ですが、流石は人気店。超満員の上に、行列ができていますね……一体何時間待ちなんでしょう」


 洋食店の盛況ぶりを前にして、落胆するように呟いた。

 

「なあ」

「ええ、流石にあの行列の最後尾に並ぶのは骨が折れますし、どこか別のお店に……」

「そうじゃなくて。実はあの店、予約してあるんだけど」

「え……!?」

 

 俺の言葉に、沙空乃は驚きと歓喜の入り混じったような表情を見せた。




 殆ど待たずに洋食店に入り、無事にお目当てのオムライスを食べた後。

 俺と沙空乃は食後のドリンクを飲みながら、テーブルを挟んで他愛のない会話を繰り広げていた。


「実は私、子供の頃からオムライスが好きなんですよ」

「そうなのか?」

「はい。昔、田舎にある祖父母の家に一度だけ行ったことがあるのですが……そこでおばあちゃんが、普段自分で食べないような料理なのに、私のためにと張り切ってオムライスを作ってくれて……以来、好物になりました」


 沙空乃は昔を懐かしむような、優しげな表情で語る。


「なるほど、な……」


 その味は、俺もよく覚えている。

 昔、あの田舎で『さーちゃん』といつも二人で遊んでいた頃、彼女の祖父母の家に呼ばれた際、ごちそうになったことがあるのだ。


「プラネタリウムで懐かしいと感じたのも、その時見た星空を思い出したからでしょう……この辺りの空はプラネタリウムのようにはいきませんが、あそこはまさに満天の星空だったんです。あの時も、同い年くらいの子と……って、あなたには関係ない話でしたね、失礼しました」  

 

 喋りすぎたとばかりに、軽く頭を下げる沙空乃を前にして。

 俺の心中は、得も言われぬ喜びに包まれていた。

 ……あの時の思い出に浸っていたのは、俺だけじゃなかったのか。


「それにしても、今日は不思議と昔を思い起こすようなことばかり……ですが、明日もこのプランなんですか?」


 沙空乃は首を傾げながら、俺に疑問を投げかけてきた。


「私はともかくとして、陽奈希の好みとは少し違っているような……」 

「ああ、明日はまた違う」

「……? どういうことですか。それでは予行演習の意味がないじゃないですか」

「デートで大事なのは、相手に喜んでもらうこと……だと思ったんだけど、違うか?」


 俺の言葉に、沙空乃は目を丸くした。

 どうやら、戸惑っているらしい。

 ……まあ、無理もないか。


「いえ、間違ってはいないと思いますが……これでは本来の趣旨からズレていませんか?」

「だって、今日の相手は陽奈希じゃないからな」

「それは、つまり……」

「ああ。今日の相手である沙空乃がどうしたら一番楽しめるか、考えてみた結果がこれなんだけど……どうだった、今のところ。合格点は貰えそうか?」


 ……できるだけ、平静を装えたつもりだけど。

 心臓はさっきからずっとバクバクと激しく脈打っているし、緊張で気がおかしくなりそうだというのが本音だ。

 沙空乃の受け取り方次第では、すべてが終わってしまう可能性すらある。

 今日の目的を無視して、ふざけたことをしたと思われたら、その時は――


「まあ、心構えとしては……悪くないと思います。今日に関して言えば、その気持ちが結果にも、表れているんじゃないですか?」


 沙空乃は明後日の方向に顔を背けながら、俺の行動をそう評した。

 ……はっきりとした言い方じゃないけど、これは認めてもらえたってことでいいんだろう、多分。


「ですが……私の趣向に合わせるにしたって、星空やオムライスが好きなんて情報、どこで知ったんですか? まさか、尾行とか盗撮とか盗聴とかしてませんよね……通報しますよ?」


 沙空乃は疑問から何かを推測し、ハッとした顔を浮かべた後、俺にジト目を向けてくるけど。

 

「そんなことはしてないし、話ならまずそっちが自首すべきだろ」


 沙空乃は陽奈希を溺愛するあまり、今言ったことは一通りやらかしているんだろうし。


「む……ではなぜ、私の好みを知っていたんですか?」

「それは……」


 今ここで……今更ここで、真実を告げるべきなんだろうか。

 ずっと言いそびれていた、あの日のことを。


 ――入学式以来、ずっと抱いてきた憧れが、頭に蘇ってくる。

 この一年と少しの間、沙空乃を遠くから眺めるだけだった。

 けど今は、こうして目の前にいて。

 俺の言葉に、耳を傾けてくれている。


 ……だったら、迷う理由なんてないじゃないか。

 俺は覚悟を決めるように、一つ深呼吸をして。


「俺があの時の思い出を、共有していたからだ」 

「それは、どういう意味……ですか?」

「昔、田舎で一緒に遊んでた相手が俺だ……って言ったら信じてくれるか、」 


 俺はかつての愛称で、彼女を呼ぶ。

 瞬間、沙空乃の顔が、驚愕で溢れかえった。


「そ、その呼び方は!? でも、まさか……あの時の子は、女の子だったはずで……!」

「あれはなんというか……昔、そういう格好をさせられていたからなんだ」


 俺は内心歯がゆい思いをしながらもスマホを取り出して、幼き日……いわゆる男の娘のような服装をしていた時の写真を、沙空乃に見せた。


「こ、これは……間違いなくあの時の……」


 沙空乃はテーブルから身を乗り出しながら、俺のスマホに表示された画像を食い入るように見つめる。


「では、本当にあなたが……?」


 そして比較するように、沙空乃は俺の顔をまじまじと見つめた。 

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