第10話 分からない心

 俺が沙空乃さくのとも付き合っている……という疑惑は、食堂で大勢が見ている中で誤解だと証明されたため、ひとまず収束した。


 そんな二股騒動があった日の夜。

 俺は自室にて、明日着ていく服装について悩んでいた。

 何を隠そう、明日……土曜日は、沙空乃と二人で出かけるのだ。


 元々、彼女の方から陽奈希ひなきとのデートに備えて予行演習をするということで強引に持ちかけられた話ではある。

 とはいえ、あんな騒ぎの直後、またあらぬ噂が立っては向こうは困るだろうし、中止になると思っていたけど……沙空乃は予定を変更することはなかった。


「どういうつもりなんだかなあ……」


 まあ、あくまでも重度のシスコンであるがゆえに、陽奈希のために最善を尽くしたい、ってことなんだろうと薄々察してはいる。

 けど、それでも何か、他の理由も少しくらいはあるんじゃないかと期待している自分がいるわけで。

 そうなると、下手な格好をしていくわけにはいかないのだが……俺は別に大した服なんて持っていないので、なかなか難儀していた。


「お兄ちゃーん、アイス買ったけど食べるー? ……ってなにしてんの」


 クローゼットから取り出した服を片手に頭を抱えたい気分になっていると、パジャマ姿のいろりが部屋に入ってきた。

 部屋中に散らばる洋服を見て、眉をひそめる我が妹。 


「陽奈希先輩とのデートって、明後日じゃなかったっけ」


 同じ文芸部の先輩後輩、更には陽奈希からすれば炉は『彼氏の妹』なので、その辺の事情は伝わっていたらしい。

 日曜日に、俺が陽奈希とデートに行く。

 それを知っているからこその疑問に対し、俺は事の経緯を説明した。

 




「へー、じゃあ明日は沙空乃先輩とデートに行くんだ?」


 パピコ片手にベッドに座る炉は、俺の話を聞き終えて、そんな言葉を口にする。


「いや、向こうは陽奈希のための予行演習としか思ってないって言っただろ? だからこそ、噂だって気にしてないんだ」

「だとしても、お兄ちゃんはバリバリ意識してるんでしょ? 明日なに着ていくかで、女の子みたいにめちゃくちゃ悩んじゃってるくらいだし?」


 にやにやと笑いながら、炉は言う。

 ……完全に面白がってるな、こいつ。


「そう考えたら、昼間の二股疑惑も全然間違いじゃないよね。陽奈希先輩と付き合ってるのに、沙空乃先輩のことが好きなんだし……うーん、やっぱお兄ちゃんってクズだ」


 相変わらず痛いところを突いてくる炉だが、俺の現状をこいつにだけ伝えたのは相談のためであって罵倒されるためではない。


「お前に恋愛相談なんてしたのは失敗だったかもな……」

「えー? だったらアドバイスしてあげなくもないけど」

「……何かいい案があるのか?」

「とりあえず腹を切るとか」


 適当なことを言いながら、炉はベッドに大の字で寝転ぶ。


「兄を雑に殺そうとするな。というか何時代の話だよ」


 我が物顔で兄のベッドを占領する妹を見下ろしつつ、軽くツッコミを入れると。 


「ま、今のは冗談として、ちゃんと相談に乗ってあげるとするなら……いい機会なんじゃないの?」 

 

 炉の表情が、真面目なものに変わった。

 ……寝転んでいたり、パジャマが少しめくれてだらしなくヘソ周りが露わになっていたり、パピコを吸いながらだったりと、色々締まらないところはあるけど。


「……機会って?」

「沙空乃先輩か陽奈希先輩か、この土日で二人とそれぞれデートした上で、どっちを選ぶか決めるの」

「選ぶって……そんな二者択一みたいな、シンプルな話でもないだろこれは」


 俺の言葉に、炉は意外そうに目を瞬かせた。


「んー……? そこで沙空乃先輩一択だ、って答えが返ってこない辺り……もしかして迷ってる?」

「俺が何を迷ってるって言うんだ」

「いやさ。お兄ちゃんは元々、沙空乃先輩に嫌われないために現状維持してたはずなのに……いつの間にか、陽奈希先輩が選択肢に入ってるような気がしたから」

「なっ……」


 それは、つまり。

 俺が現状を受け入れ、陽奈希とこのまま付き合い続けることを視野に入れている、と。

 ひいては、陽奈希に気持ちが傾いている……と言いたいのか。


 あり得ない――

 と否定することが、俺にはできなかった。

 ……これじゃあまるで、こいつの言っていることを認めているみたいだ。

 けど、そんなことが。


「なんにせよ……せいぜい頑張ってね、お兄ちゃん」


 冗談めかした調子で言いながら、俺の葛藤を見透かしたように笑う炉。

 ……どこまで本気なんだ、こいつ。

 

 でも。

 ただでさえややこしい状況を、余計にこじらせたのは、この俺だ。

 何かしら決断するには、確かにいい機会なのかもしれない。

 そろそろ俺は、この致命的な間違いの責任を取るべき……なんだろうか。


◆◆◆


 翌朝、午前十時。

 俺は家や高校から三、四駅程離れた場所の駅前で、沙空乃さくのと待ち合わせていた。

 あんな疑惑があった次の日なので、流石に遠方を選んだのだ。

 ……余計に後ろめたい行為をしている気がしなくもないけど、そこは深く考えないことにする。


 改札を出たところにある石像の前で待っていると、五分ほど遅れて沙空乃が駅から出てきた。


「すみません、お待たせしました」

「いや、俺もさっき来たばかりだ」

「ふむ。ありきたりな答えですが……女の子に罪悪感を与えない気遣いができていますね。まあここは及第点としておきましょうか」


 沙空乃はもっともらしい顔をしながら、試験官みたいなことを言う。

 ……それにしても。

 こうして沙空乃の私服を見るのは初めてだけど……やけに気合が入っている用に見えるのは、俺の自意識過剰だろうか。


 学校で完璧超人として君臨している時同様、凛とした大人びた雰囲気を感じさせながらも、飾りすぎない適度なラフさ。

 いつもは長く下ろした銀髪をふんわりと纏め、Vネックのトップスにデニムのパンツ、足元にはパンプスというコーディネートだ。

 とにかく、今日の沙空乃はいつにも増して、綺麗で魅力的な姿をしていた。


「あー、なんというか……その格好、似合ってるな……すごく」


 ぎこちない調子ながらも、俺はそう讃えずにはいられなかった。

 ……いきなりこんなことを言ったら、気持ち悪かっただろうか。


「ふふ、あなたに褒めてもらえるよう時間をかけて選びましたからね」


 そんな俺の心配に反して、沙空乃はまんざらでもなさそうに微笑んだ。

 これは予想外の反応だけど……それにしたって、この言いようはどういう意味だ。

 俺に思わせぶりなことを吹き込んでからかっている……とかはないよな、沙空乃に限って。

 でも、だとすると尚更、彼女が何を考えているのか分からない。

 まさか、特になんの裏もない本心なんてことは――


「む……?」


 動揺する俺を前に、沙空乃はきょとんと首を傾げてから。


「い、今のは陽奈希とデートする際にちゃんと褒めてあげられるよう、あなたに練習の機会を与えようと思ったという主旨の言葉であって、それ以外の意味はありませんからね!」


 何かを察したような様子で、慌てて捲し立てるように釘を刺してきた。


「お、おう……」

「それより、次はあなたの服装をチェックです。かわいいかわいい陽奈希の隣を並んで歩くにふさわしい格好をしているか、私が見定めてあげましょう」


 俺が戸惑う中、沙空乃は気を取り直したようにそう言って、こっちをじろじろ見始めた。

 値踏みするかのような視線で、俺の頭からつま先までを、じっくり観察してくる。


 ……一応、急ごしらえではあるものの、昨夜ネットで髪の整え方を調べて真似てみたし、クローゼットの中から女子受けの良い清潔感のある服を選んだつもりだ。

 あとは、沙空乃のお眼鏡に適うかどうか。


 程なくして、俺を観察していた沙空乃の視線が右往左往し始めたと思ったら……どことも分からないところで、ピタリと止まった。

 すごく、凝視されているような。

 まさかあまりにダサすぎて怒りを買い、睨まれているわけじゃ――


「こうして見ると、意外とかっこ…………はっ!?」


 沙空乃は何かをうわ言のように呟きかけたところで、我に返ったように首を横に振った。


「……? どうしたんだ」

「こほん……」


 俺の疑問に答えることなく、沙空乃は一つ咳払いをした。


「……ま、まあ合格としておきます。明日もその調子で行けば大丈夫でしょう」

「それなら良かったが……」


 よく分からないけどとにかく、沙空乃の不興を買ったわけではないらしい。

 逆に、お墨付きをもらえたようだ。

 これがあくまで陽奈希のための評価だったとしても……多少なり好きな人が認めてくれたという事実は、正直口ぶり以上に嬉しい。


「とはいえまだ序の口。本番はこれからです。あなたがどんなプランを立てたか、とくと見せてもらいましょう」


 沙空乃はすっかりいつもの調子を取り戻して、そう宣言した。

 対する俺は意を決して、頷く。


「……よし、望むところだ」

「そうと決まれば、さっそくデートに出発です!」


 沙空乃はどこか生き生きとして見える表情を浮かべながら、当たり前のように俺の手を取ると、そのまま引っ張って歩き出した。


「ちょっ……おい!?」


 これは、とんでもない状況だ。

 いや、本当にどうなってるんだ。

 天宮あまみや沙空乃と、俺が手を繋いでいる……だと?


 しかも、さっきデートって言ったよな。

 ……駄目だ、沙空乃が何を考えているのか、やっぱり分からない。

 出だしからこんなに揺さぶられていて、一日持つんだろうか。

 

 ……それにしても。

 柔らかくて温かくて、思いの外……小さい手だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る