第9話 嫉妬深いけど、仲良くしてほしい

 今でこそあれは照れ隠しだったのだと本人から告げられているけど、陽奈希ひなきはいつも俺に対して素っ気なく、ツンツンとした態度で接していた。

 おかげで喜怒哀楽の感情が読み取りにくいことも多々あったけど、『怒』の部分だけは、比較的分かりやすかった。

 怒った時の陽奈希は、割とあからさまに拗ねて、口調がちょっと子供っぽくなるのだ。


 あれは、間違えて告白して付き合うようになる前。

 一年生だった頃の秋、とある日の放課後。

 俺と陽奈希が、男女のペアでしか買えないとかいう数量限定のクレープを食べに行こうとしていた時のことだ。

 その時の陽奈希は、

 ――君を誘ったのは、他に空いてる人がいなかったからで……別に、君と行きたかったとかじゃ、ないから。

 と言っていたが、振り返ってみれば俺と行きたかったけど素直になれなかっただけなんだろう。


 当時の俺は全くその真意を察することができず、他の奴が空いている日に行けば良いのではと断ろうとした結果、陽奈希にこの世の終わりみたいな顔をされたので「こいつのクレープに対する執着、異常すぎるだろ……」などと軽く呆れながら、仕方なく付き合った。

 ……我ながら、とんだ鈍感野郎だったとは思う。


 何にせよ、いつもは徒歩で帰っている俺達がわざわざクレープを食べるためだけに電車に乗って向かった先の駅で。

 俺は少し陽奈希に待ってもらい、トイレに立ち寄ったのだが……用を済ませて出たところで、中学時代に同じクラスだった女友達と鉢合わせた。

 別々の高校に通うようになってからは連絡すら取っていなかったけど、中学時代はそいつと一緒に遊んだりしたことも何度かあったので、久々に顔を合わせたら思いの外会話が弾んだ。

 10分か15分か。正確には覚えていないけど、突発的な立ち話にしてはそこそこ長い間、俺は昔の女友達と話していた。


 陽奈希を待たせていることを、すっかり忘れて。

 会話の中で「これからカラオケ行くんだけど伊賀崎いがさきもどう?」みたいな流れになり、待たせていた仲間に聞いてくると言って、女友達が一旦離れたそのタイミングで。


 後ろから、服の裾をつまんで引っ張られた。

 振り向くと、そこには子供のように少し頬を膨らませた陽奈希が立っていて。

 ――一緒にクレープ食べに行くって言ってたのに……あの子と話すの、そんなに楽しかったんだ。

 と恨みがましく言われた。


 何せ、食べに行こうとしていたのは数量限定の上かなり人気のあるクレープだ。

 俺が旧友との会話に花を咲かせていた10分ちょっとが致命傷となり、もう間に合わない時間になっていた。


 ……少しだけ弁解しておくと、当時の俺はいつも陽奈希から棘のある態度を取られていたので、あまり好かれていないというか……むしろ嫌われているかもしれないとまで思っていたのだ。

 この日のことだって、ペア限定クレープを食べるための数合わせとして駆り出された程度の認識だったから、昔馴染みと偶然会ったらそっちの方に意識が持っていかれるのも、多少は仕方ないだろう。 


 とはいえ、申し訳ないことをした自覚はあったので、俺はその場で謝った。

 すると陽奈希は、

 ――別に、気にしてないもん……。

 とか言いつつも、俯きながら俺の足をゲシゲシと軽く踏んできたりしたので、怒りが収まっていないのは明らかだった。

 どうやって宥めたものかと俺が困る中。

 昔の女友達が戻ってきて、自分の仲間はオッケーだと言ってたからカラオケ行こう、と改めて誘ってくると。

 陽奈希は、

 ――どうせもう間に合わないし、そっち行けばいいじゃん。

 と投げやりな感じでカラオケに行くよう勧めてきた。


 考えようによっては、一方的に陽奈希の用事に付き合わされただけなんだから、本人がもういいと言うなら、それに甘えて昔の女友達と遊びに行くという手もあったのかもしれないけど。

 結局、俺はそうしなかった。

 ――悪い、やっぱこいつと予定あるからパス。

 と言って、断ったのだ。

 その足で元々行くつもりだったクレープ屋に二人で向かうと、食べられなかった限定クレープの代わりに、陽奈希が「定番だけど一番好き」と常日頃から語っていたチョコバナナ味のクレープをお詫びとして買ってあげた。

 その頃には、陽奈希もすっかり機嫌を直していて、

 ――明日はちゃんと、限定のクレープ食べに来るから……今日食べられなかった責任取って、君も来てね?

 と、お決まりの素っ気ない調子ではあったけど、次の日も一緒に帰ってクレープ食べに来たいと誘われた。


 当時、陽奈希の怒りの原因は、限定のクレープが食べられなかったせいだとばかり思っていた。

 その代わりとして一番好きなクレープを食べたから、怒りが収まったんだろう、と。

 けど、彼女が実は、俺のことを好きだと分かった今、もう一度考えると。

 あれは俺が他の女子との会話に夢中になっていたことで、妬いていたのかもしれない。

 怒りが収まったのは恐らく、最終的には女友達の誘いより陽奈希を優先したから……ってことになるんだろう。

 実際、カラオケの誘いを断った時点で、陽奈希は機嫌を直していたような気がするし。


 ともあれ、天宮あまみや陽奈希は……少し嫉妬しやすい性格なのかもしれない。


◆◆◆


 昼休み。

 今日は委員会などの予定がないから一緒にご飯を食べたいと誘われるまま、俺は陽奈希ひなきと一緒に学食に来ていたんだけど。

 食券を買っていた頃はまだここ最近のデレデレ状態だった陽奈希の様子が、それぞれ料理を受け取った後、俺が一足先に確保していた席にやってきた時には一変していた。

 見るからに不機嫌そうな、仏頂面だ。

 ……急にどうしたんだろう。 


「なあ、何かあったのか?」

「別に……なんでもないもん……」


 陽奈希は料理の方に視線を落としたまま目も合わせず、拗ねたように答える。

 ……ああ。これ、怒ってる時のやつだ。

 けど、心当たりがまったくない。


「いや、なんでもないってことないだろ。何か不満があるなら言ってくれ」


 よって、俺は本人に直接聞いてみることにした。

 

「…………」


 陽奈希は無言のまま、ゆっくりと顔を持ち上げて俺を見ると……意を決したように、口を開いた。

 

「さっき……わたる沙空乃さくのとも、付き合ってるって聞いた」 


 ……は??


「い、一体何を言ってるんだ……」

「やっぱり……今ちょっと、動揺した……」

「いやいや、あまりにも心当たりのないことを、突拍子もなく言われたら誰だって動揺するだろ!?」


 俺が沙空乃とも付き合っているって、何の話だ。

 どこから出てきた、そんな与太話。

 というか、もしかして。

 さっきから周りで昼食を食べている奴らの視線が痛いのは……。

 彼らが俺のことを、陽奈希だけでは飽き足らず沙空乃にまで手を出した、校内一の美少女双子姉妹を相手に二股をかけるクズ野郎として認識してるってことか……!?


「でも……今朝二人で仲良さげに登校してたのを見た人が何人もいるって、皆噂してるもん……!」

「た、確かにたまたま会って、そのまま登校したのは事実だけど……それだけで付き合ってるとかいう話になるのは、飛躍しすぎじゃないか?」 


 バン、とテーブルを叩く陽奈希に気圧されながらも俺は反論するが……どうも言い訳がましくなってしまう。


「それだけじゃなくて沙空乃が、その……渉との交際をほのめかすようなことを言ってたって聞いたし……!」


 ……ええ?

 よりによって、沙空乃本人の口から、そんな発言が……?

 まさか、あり得ない。

 俺が沙空乃のことをどう想っているかは別の話として、向こうは俺のことを、敵として見なしている。

 その敵である俺を浮気野郎に仕立て上げ、陽奈希と別れさせるための策略……という線は薄いだろう。

 以前、陽奈希が幸せそうだから、俺との交際を邪魔しないみたいなことを言っていたし。

 仮にその考えが変わったとしても……大のシスコンである沙空乃が、自分まで陽奈希から嫌われかねない手段を取るはずがない。

 ……駄目だ、余計に分からなくなってきた。


「だとしても、そんなのただの噂話で……別に沙空乃自身から聞いたわけじゃないんだろ? 陽奈希は自分の姉が、そんなことをするような人間だと思うのか?」


 俺がそう問いかけると、陽奈希は少し大人しくなった。


「言われてみれば……渉と沙空乃がわたしのことを差し置いて、なんて考えにくい……かも」

「おお、そうだそうだ」

「沙空乃はかっこいいしきれいだけど……たまに抜けてるところがある子だから、今回も自分では意図せずに、何か勘違いされるようなこと言っただけなのかも……」


 ……思い当たる節がある。

 きっと沙空乃は、昨日例の……ヤリ部屋を紹介された時みたいに、周囲の人間に対して何か思わせぶりな言い方をしたんだろう。

 おかげでそれが、変な噂として広まった、ってわけだ。


「よし、つまりこの件は勘違いってことで一件落着――」

「でも……!」


 ホッと胸を撫で下ろしていた俺の言葉が終わる前に、陽奈希は再び語気を強めた。


「そうやって勘違いされるくらい、二人は仲良くしてたってことでしょ……! わたしの、知らないところで!」

「いや……」

「さっきもあの子のこと、『沙空乃』って名前で呼んでたし……わたしが納得いかないのは、そういうところなの!」


 怒りを再燃させてそう叫ぶと、陽奈希は頬を膨らませてこちらに潤んだジト目を向けてきた。

 これは……陽奈希が嫉妬している時の顔だ。

 ……付き合うことになる前は全く意識していなかったけど、改めて見ると流石は校内一の美少女姉妹と言われるだけのことはある。


「……こういう表情も、それはそれで映えるな」

「ふぇ……?」


 ……あれ?

 俺は今、何を口走ったんだ。

 というか、これじゃあまるで――


「それってつまり……怒ってる時のわたしの顔もかわいいね……みたいなこと?」


 牙を抜かれた虎のように勢いを失った陽奈希が、目を丸くして見つめてくる。


「あー……それは、だな……」


 見事に狼狽える俺の反応を、陽奈希は図星を突いたと捉えたのか。


「ふふ……そっか。でも、わたしが怒ってる時に見惚れてるなんて、君って不謹慎なんだね?」


 一転して嬉しそうに、でれでれと笑みを浮かべた。

 ……見惚れていた。

 そういうことに、なるんだろうか。

 好きな人ではなく、その双子の妹を相手に。

 急激に湧き上がってくる、戸惑い。

 それを処理できずにいる俺に更なる追い打ちをかけるように。

 

「ふぅ……どうやら一段落ついたみたいですね」


 俺たちのテーブルの前に、事の発端である天宮沙空乃が現れた。

  ……学食中の視線が、こっちに集まってくるのを感じる。


「あ、沙空乃……」

「今回は友人が私の発言を勘違いしたことから、余計な心配をかけてしまったみたいですね。すみませんでした」

「そんな……沙空乃が謝るようなことじゃないよ?」

「ふふ、ありがとうございます」


 さっきまで疑っていたことへの罪悪感か、複雑そうな顔をする陽奈希に、沙空乃は優しく微笑みかける。

 ……ちゃっかり勘違いの原因を友人だと主張している辺り、本人に自覚症状はなさそうだ。


「ただ……一つ訂正しておくと、私は別にこの男と仲良くなんてしてません」


 沙空乃は陽奈希の隣に座りながら、俺を指さした。


「そう……なの? けど、沙空乃が男の子と二人で登校するなんて、今回が初めてだよね……」


 ……言われてみれば、沙空乃の浮いた話みたいなのは、これまで聞いたことがない。

 だからこそ、周りの生徒達もこれだけ興味深そうに注目しているんだろう。


「それ、は……」


 沙空乃がどう答えるか。

 学食にいるすべての人間が、耳を傾ける。


「……陽奈希のことで、この男と恋愛相談をしていたんです」

「……そうなの?」

「はい。実は今朝に限らず、これまでも何回か会っていたのですが……私がこの男に対して、陽奈希を楽しませたり、喜んでもらう方法について、色々教えてあげていたんです」


 小さく首を傾げる陽奈希の肩を、沙空乃はしれっと抱きとめながら頷く。

 ……心なしか息が荒くなっていたり、肩に触れる手つきがやたらベタベタと撫で回す感じに見えるのは、気のせいだということにしておくとして。

 言っていることはまあ、嘘ではない。

 ……沙空乃が言うような、などという、穏便なやり取りではなかった気がするけど。


「そっかー……二人でわたしのために、色々相談してくれてたんだね!」

「ええ。こういう話は大っぴらになるとかっこ悪いので、こそこそする形になってしまいましたけど」

「ふふふ」


 もはや全く疑うことなく、満面の笑みを浮かべる陽奈希。

 ……この辺りは、流石はシスコンだと感服せざるを得ない。

 

「ところで、沙空乃は渉と仲良くない……んだよね?」

「先程言ったとおりです。私は仕方なく、この男の相談に乗ってあげるだけのこと」


 不意に尋ねる陽奈希に、沙空乃が涼しげな顔で答えると。


「そっか。でも改めて考えると、わたしとしては……二人のことは大好きだから、仲良くしてくれた方が嬉しいかも?」


 陽奈希はさっきまで散々妬いていたのと同一人物とは思えないようなことを口にした。


「だ、大好き……!?」


 その一部だけ耳にして、恍惚とした表情で愛しの妹を眺める沙空乃。

 そんな姉を陽奈希はにこにこと見守った後、俺の方を向いてから言った。


「だとしたら二人が付き合ってないのは……ちょっと残念、ってことになるのかな?」


 ……それは一体、どういう意味だ。

 俺はその、陽奈希の無邪気な発言と笑顔に対して。

 何か、強烈な違和感というか、底知れないものを垣間見た気がした。

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