第7話 かくして二人の関係は振り出しに戻る……?〈上〉

 陽奈希ひなきをデートに誘った翌朝、金曜日。

 自宅のマンションを出て一人で歩いて登校していると。


「おはようございます」


 後ろから、挨拶された。沙空乃さくのだ。

 前から陽奈希と一緒に帰っているから、天宮あまみや家と俺の家が学校から見て同じ方向にあるのは知っている。

 なので登校中に沙空乃と遭遇すること自体は、あり得ない話じゃないんだけど。 

 彼女がこんな風に当たり前のように声を掛けてきて、隣に並んでくるようなことは、今までなかった。


「ああ、おはよう……珍しいなこんな時間に」

「まあ、私は強すぎて朝練は自由参加ですからね。今朝は行きませんでした」

「……流石は全国大会出場のエース様だな」


 そもそも沙空乃はテニス部の朝練があるので、いつも登校時間が違うから会わなかったというのも大きいけど……今日は違うようだ。


「ふふん、まあそれほどでもあります」


 茶化したつもりが、得意満面なドヤ顔が返ってきた。

 ……沙空乃って、こんな風に自画自賛する性格だったっけ。

 少なくとも、遠くから彼女を眺めていただけの頃は、そんな印象を持つことはなかった。

 逆に、謙虚な人柄だと思っていたくらいだ。


「ですが……よく私の登校時間なんて知っていましたね」


 微かな違和感を覚える俺に、沙空乃は意外そうに言ってきた。


「……? どういうことだ?」

「だってさっき言ってたじゃないですか。『珍しいなこんな時間に』って」


 流石、というべきか。鋭い指摘だ。


「……陽奈希と一緒に帰ったりするから家が同じ方向なのは知ってたけど、その割に朝見かけたことなかったからな。それで普段は俺と違う時間帯に登校してるんだろうなって思ったから、そう言っただけだ」

……って他になにか理由があるみたいな言い方に聞こえますけど」


 沙空乃は不思議そうに、横から俺の表情を窺ってくる。


「い、いや別に……言葉の綾だろ?」


 実際には、彼女に対して好意を持っているからこそ、そういう細かいところまで意識していたという理由があるからなのだが……つい言葉の端に出てしまったようだ。


「そうですか……? なんにせよ、ちゃんと陽奈希をデートに誘ったみたいですね」


 ……真意が悟られるかもという心配は、杞憂だったらしい。

 沙空乃は少し疑問を抱くような素振りを見せたものの、それ以上追及することはなかった。


「あの腑抜けめ……とあなたへの恨み言を呟きながら寝ようとしていたら、あの子ってば嬉しそうに私の部屋に入ってきて報告してくれましたよ」


 陽奈希への愛おしさと俺への憎たらしさが入り混じったような顔で、沙空乃は言う。


「まあ、とりあえずは上手くやれたみたいだな」

「とはいえ私からすれば、まだあなたは『妹の彼氏』として不安だらけです。結局デートに誘えたのも日付が変わるギリギリでしたし」

「うっ……」 

「そこで、あなたに第二の試練を与えます」

「……試練?」

「はい。土曜日に予行演習をします」

「えーっと、つまり?」

「陽奈希とデートする前の日に、私と二人で遊びに行きましょう」


 ……マジか。

 俺が沙空乃と、二人で遊びに行く……だと?

 

「そ、その……どこに?」 

「それを決めるのはあなたの仕事です。私を陽奈希だと思って、どうしたら一番喜んでもらえるか考えながら、きっちりエスコートしてください」


 があった次の日にこれって。

 ……期待しても、いいんだろうか。

 いや、違う。

 沙空乃はあくまでも、陽奈希のためにやっているだけだ。

 最愛の妹が幸せで楽しいデートを満喫できるよう、その相手である馬の骨を鍛えようとしているだけで、それ以上の他意はない……はず。

 大体、徹底したシスコンぶりを見せる沙空乃が、陽奈希を差し置いて……なんてことがあるわけない。

 でも、ひょっとしたら――


「私が陽奈希の代役では不服ですか? まあ……私みたいな口うるさいのが相手では仕方ありませんけど……そこは我慢してください」


 一人で葛藤して黙り込んでいた俺の態度をどう取ったのか、沙空乃は複雑そうな顔をして言った。


「不服とか口うるさいとか、思ったことないぞ。むしろ最近は、天宮沙空乃も意外と普通なんだって感じたよ」

「む……普通、ですか?」


 そこはかとなく不服そうに、沙空乃は首を傾げる。

 どうやら、彼女の完璧超人としてのプライドを刺激してしまったみたいだ。


「その、悪い意味じゃなくて……話しやすいというか、親近感が湧いたって意味でな。天宮さんって……言い方は悪いけど、もっとお高く止まった感じかと思ってたから」

「そうですか……」


 フォローを入れてみたものの、沙空乃はまだ小難しそうな顔をしていて。


「……確かに、あなたの前ではキャラが崩れていたかもしれません」

「キャラって……まさか作ってたのか?」


 てっきり、『妹の彼氏』である俺を敵として認識しているからこそ、辛辣な態度で接しているだけだと思っていたんだけど……。

 あの、校内の誰もが憧れる完璧超人としてのは、意識的に作られたものだったのか……?


「作っているというほどではないですけど……周りの皆さんがかっこよくて美しい私を求めるのだから、どうせならそれに答えたいじゃないですか。実際に私ってかっこよくて美しいですけど」


 ……自分と瓜二つの見た目をした双子の妹を溺愛しているくらいだし、そういう自己評価も当然なんだろうか。

 まあ、間違っているとは思わないけど、それにしたって。


「なんというか、ナルシストだなあ……」

「し、失礼な……! 私は自分を客観的に見る能力に長けているだけです!」


 俺の言いように、沙空乃は驚いて肩を跳ねさせた。


「その割に、普段は誰かに褒められたら絶対謙遜するようなイメージがあるけど」

「それは、そういうお淑やかさみたいなものを期待されるから、応えているだけの話です」

「つまり、見栄っ張りってことか?」

「微妙に引っかかる言い方ですが、間違ってはいません。ただ……」

「ただ?」

「あなたの前ではなんでこんなに素が出てしまうんでしょう……やっぱり、幻滅します?」


 どこか弱々しく見える微笑みを浮かべながら、沙空乃は問いかけてきた。

 周りに散々完璧超人として持ち上げられてきた、彼女ではあるけど。

 その超然的な地位を維持するために、きっと人には見えないところで、並々ならぬ努力をしてきたんだろう。

 沙空乃の笑みからは、そんな彼女なりの苦労が、窺えた気がした。

 だから俺は、首をきっぱりと横に振った。


「まさか、あり得ないよ。俺が天宮さんに幻滅するとか」


 逆はあるかも、しれないけど。


「やけに自信たっぷりですね……?」

「さっき言っただろ。俺は今みたいな天宮さんに対して、親近感が湧いたって」

「なるほど、そうですか……」


 俺の言い分に、沙空乃は顎に手を当てて考えるような素振りを見せて。


「なら、呼び方が他人行儀ですね。親近感と言うなら、じゃなくて下の名前で呼ぶべきです」

「いや、でも……いいのか?」


 頭をよぎるのはどうしても、昨日のことだ。

 あの時の、目の前で俺に無防備を晒した、沙空乃の姿。 

 それを踏まえての、この提案。

 ……何か、意味があるんじゃないかと思ってしまう。


「ええ。せっかくなら、陽奈希と同じがいいじゃないですか」


 そう言う沙空乃の顔は、至って穏やかだった。

 まるで、それ以上の意味なんて、あるわけがないだろうとばかりに。

 あくまでも、自分が大好きなのは双子の妹だとばかりに。


「そう、か……そういうことなら、分かった」

「ふふ、変な期待でもしましたか? 駄目ですよ、あなたは『妹の彼氏』なんですから」 


 沙空乃は余裕綽々とばかりに、不敵な態度を取ってみせた。 

 ……まるで二人の関係は、今まで通りだと宣言されたみたいだ。


 けど、あれだけのことがあったのに沙空乃の心に爪跡を残せなかった落胆……みたいなものは、全くなくて。

 むしろ俺は彼女の笑顔を前にして、不思議と安心感を覚えていた。


 何故なら俺がよく知る、あの幼き日の夏の『さーちゃん』は、こんな風に。

 喜怒哀楽の感情表現が豊かで、時折得意げに振る舞って人の心を揺さぶろうとし。

 ちょっと見栄っ張りでかっこつけな面がある……まさに、今の沙空乃のような女の子だったのだ。

 ひょっとしたら……こういうのを、惚れ直したって言うんだろうか。


 けどこれ……捉え方によっては振られてないか?

 と、絶望的な答えに行き着いた俺に。


「それにしても、土曜日が楽しみになってきましたね?」


 沙空乃は不意に、爽やかな笑みを向けてきた。

 びくり、と体が動きそうになるのを、俺はどうにか抑える。

 ……なんだその、思わせぶりな言動は。


 どうやら全く脈がないわけではないと、信じたい。

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