第5話 密室で、二人。

 翌日。昼休み。

 四時間目を終えてスマホを確認すると、ラインのプッシュ通知が表示されていたので確認したら、『天宮あまみや沙空乃さくの』なるユーザーからメッセージが届いていた。

 ――第二体育倉庫で待っているので今から来てください。聞きたいことがあります。

 と。

 沙空乃に俺のアカウントを教えた覚えはない。

 けど、誰かのいたずらにしては目的がよく分からないし、もし本当に沙空乃からの呼び出しだった場合、無視したら後が怖い。

 そして何より、シスコンな上やや拗れた関係とはなってしまったものの、好きな人と二人きりで会えるというなら、願ったり叶ったりな状況ではある。

 俺はひとまず、行ってみることした。




 校内で最も人気のないエリアに孤立するようにぽつんと建つ、その倉庫の扉を開けると。


「来ましたか」


 使わなくなった体育用具が所狭しと置かれた倉庫の真ん中に仁王立ちする、沙空乃の姿があった。

 どうやらいたずらでも何でもなかったらしいけど。


「なんで俺の連絡先を知ってるんだ」


 気になったので聞いてみると、沙空乃から曖昧な答えが返ってきた。


陽奈希ひなきから、その……聞いたようなものです」

「ようなもの、ってことは聞いたわけじゃないのか?」


 ……なんか怪しい。

 盗撮とかしてたし、ろくでもない手段で入手したのか?

 陽奈希のスマホのパスワードを勝手に解除して覗き見たとか、やっていそうだ。


「い、いいから早く中に入ってください! 誰かに見られたらどうするんですか!」


 胡散臭い目を向ける俺に対し、沙空乃は声を張り上げて有耶無耶にした。


「まあ……分かった」


 それ以上は追及せずに、俺は倉庫内に入って重い引き戸を閉める。


「それで、聞きたいことって?」  

「まず、2年4組の文化祭の出し物について、教えてください」


 2年4組は俺と陽奈希が所属するクラスだ。

 ……まずってことは、いくつかあるんだろうか。


「一応、コスプレクレープ喫茶なるものをやることに決まった」

「なんですかそれ。クレープの部分に、陽奈希の強い意志が込められていることだけは分かりますけど……」

「まあ、そこに落ち着くまでに紆余曲折あってな」


 文化祭の出し物が決定したのはついさっき。

 昼休み前の四時間目に行われていた、ホームルームでのことだ。

 教壇に立ち、クラス委員長としてその場を取り仕切る陽奈希が真っ先にクレープ屋をやりたいと提案。

 他には演劇が有力な案として出され、自分の案を押し通すため反対しようとする陽奈希に友人の女子が「伊賀崎いがさきくんと恋人役を演じたら、いい思い出になるんじゃない?」とかとんでもないことを言って誘惑したりした。

 しかし脚本担当として当てにしていた高校生小説家・公彦きみひこが、多忙のため文化祭に手を回す余裕が無いと分かった途端に、演劇をやる案はご破産に。

 流れが完全にクレープ屋に傾いたかと思われたその時、陽キャの常陸ひたち塔柴とうしばが下心からコスプレ喫茶をやりたいと言い出し、他の男子もそこに便乗。

 否定的な陽奈希を「伊賀崎にかわいい衣装着てるとこ見せられるぜ?」とか「クレープを売り物にすれば、委員長のやりたいこともできるんじゃね?」などと説得。

 他の女子たちに対しても「演劇で役に合わせた衣装着るのもコスプレするのも似たようなもんだろ」とかいう暴論で説き伏せて、クラスの意見が統一されたのだ。


 ぶっちゃけ、昼休みが近づいてきたからとりあえず話を纏めたかった奴も多いだろうけど。

 そういう意味では、無限に延長戦が可能な六時間目ではなく、強制的に打ち切る必要のある午前中にホームルームをやってしまうこの学校のシステムは、なかなかの優れものだ。 


「しかし、コスプレですか……陽奈希はいったいどんな衣装を着るんでしょう。お金払ったら好みの格好をしてもらえるオプションはあるんですか?」

「あるわけないだろ、いかがわしいお店じゃあるまいし」


 高校の文化祭に何を求めているんだこのシスコンは。


「それは残念ですが……いずれにせよ、カメラを新調する必要がありそうですね……! 素敵な情報、ありがとうございます」


 ものすごく楽しみそうな沙空乃に、お礼を言われた。


「それはどうも。けど、こんなことなら、わざわざ呼び出して聞く必要あったのか?」


 俺としては、沙空乃とこうして二人きりで会えるだけで、儲け物ではあるんだけど。


「もちろん、本題はここからです」


 沙空乃は改まった様子で、表情を引き締めた。


「陽奈希との関係ですが……とりあえずは順調みたいですね。昨日もさっそく帰り道にいちゃいちゃして」


 そう言いつつ、沙空乃は不愉快そうに「ふんっ」と鼻を鳴らす。

 ……なんだその、昨日のことを見ていたような口ぶりは。


「まさか、どこかで監視してたのか?」

「それは今問題ではないでしょう」


 訝しむ俺の問いは、平然とスルーされた。


「重要なのは、今週末のことです」

「今週末?」

「ええ。次の土日は陽奈希と付き合い始めてから初めてのお休みなんです。当然、デートには誘ったんですよね?」

「あ、ああ……そういうことか」


 沙空乃の言う通り、付き合いたてのカップルにとってはちょうどいいデートのタイミングなのかもしれない。

 しかし、俺は間違えて陽奈希に告白したのだ。

 成り行きから別れるのが難しくなり、関係を継続してはいるけど、そんな相手に対して積極的に誘いをかけるまでの図太さは、俺にはない。


「なんですかその曖昧な反応……まさか、まだ何も予定がないんですか?」


 沙空乃が俺を見る目が、険しくなった。


「まあ……な」

「あなたの方から告白したくせに、何を今更躊躇ってるんですか!」


 まるで自分のことのように、怒り出す沙空乃。

 なかなかの迫力だけど……それ以上に美しいと思ってしまうのは、不謹慎なんだろうか。

 ボーッとしていた俺に、沙空乃は追い打ちをかけてくる。


「いいですか、今日中に陽奈希をデートに誘ってください!」

「き、今日中って、また急だな……」

「できないんですか? もしそうなら、私はあなたを最低の甲斐性無しとして認定し、陽奈希にもあなたがいかに駄目な男であるかを説いた上で、別れてもらいます!」


 沙空乃は最後通牒とばかりに、宣言する。

 ちょっと判断が早すぎないか、というのは置いといて……確かにそれは困る。どちらかと言えば、前半部分が。


「……分かった。今日中になんとかする」

「ええ、そうしてください。あとでちゃんと、陽奈希に確認しますから」


 沙空乃にとってこれは、言ってみれば俺に対する第一の試練ってところなんだろう。

 溺愛する妹の彼氏として、俺が相応しいかどうか、さっそく見極めようとしているわけだ。

 ……ここは下手なことをしたらマズい。


「では、くれぐれもお願いしますね?」


 用が済むや否や、さっさと倉庫を出ていこうとする沙空乃。

 横を通り過ぎていく、その姿を見て。


 俺の中に、好きな人とまだ話したいという、欲求が湧いた。


「あのさ!」

「ひゃい!?」


 ……気持ちが前に出過ぎてしまった。これじゃあ完全にキモい奴じゃないか。

 いきなりの大声に、沙空乃は驚いて変な声をあげながら近くの棚にぶつかってしまった。

 強く打ち付けた感じではないようだが、ぶつかった際に棚からボールやら小物が転げ落ちる。


「もう……びっくりさせないでください」


 自分を落ち着かせるように一呼吸ついてから、沙空乃は抗議の眼差しを向けてくる。

 

「悪い……」

「まあ、そんなに気にしてませんけどね。これくらい」

「怪我とかはしてないよな?」

「だから、大丈夫ですって。棚から色々落ちてしまったみたいですけど……」


 沙空乃は心配する俺に、ひらひらと軽く手を降ってアピールしてから、しゃがみこんで地面に転げ落ちた小物――より正確には、小さな箱に手を伸ばして。


「ん……? これ、は」


 フリーズするように、動きを止めた。

 どうしたんだろう。やっぱり、腰かどこかを痛めたんだろうか……ん?

 沙空乃が拾おうとしてる小箱って。

 あれはいわゆる、コンドームってやつでは。

 

 改めて倉庫の中に目を向けてみれば……ここは使わなくなった道具を置いておくだけの人気ひとけのない場所、という割には小奇麗すぎる。

 埃っぽくないし、整頓されているし、臭くもない。

 まるで人の出入りが頻繁にあって、こまめに手入れされているようだ。

 そして、極めつけは。

 の高さまで積み重ねた、体操用のマット。

 

 沙空乃と、目が合う。

 俺は赤面する彼女を見て、ここがどういう場所なのか、お互い同じ認識をしたのだと察した。

 この、第二体育倉庫倉庫は……俗にいう、だ。

 そんな場所で、天宮沙空乃と……好きな人と二人きり。


「えっと……ここは、よく使うのか?」


 あまりに予想外の状況に、気が動転していた。

 いくらなんでも、最悪の聞き方だろ、俺。


「つ、使うわけないでしょう! 友達に人と密談できる場所を教えてもらったから、ここに来たんです! 今日、初めて!」


 羞恥か怒りか、沙空乃は耳まで赤くしながら、手に取ってしまったコンドームの箱を投げつけてきた。

 コツン、と箱の角が俺の額を直撃する。

 さすが運動神経抜群、コントロールも正確だ。

 しかし、その友達も友達だろう。

 よりにもよって、清楚系美少女で通っている沙空乃を、何故こんな場所に案内したのか。


「もしかして、変に意味深な聞き方をした……とか?」

「そんなことありません! 私はただ『気になる男の人と誰にも邪魔されずに会いたいんですけど、どこかいい場所はありませんか』と……!」

「いや、それじゃあ誤解されて当然だぞ……」


 どうせ『気になる』というのは『妹に近寄ってくる馬の骨として警戒している』みたいな意味であって、好意があるみたいな意味合いは微塵もないんだろうけど。

 沙空乃の友達とやらは、絶対そんな風には思わなかっただろう。


「わ、私にはそんなつもり、ありませんからね!」 

 

 動揺を露わにしながら、文句を言ってやろうとばかりににじり寄ってくる沙空乃。

 しかし、その勢いが強すぎた。


「変に期待とかはしないでくだ……ひゃっ!?」

「あ、おい!」


 沙空乃は床に落ちていたボールを踏みつけて、派手に転倒しそうになる。

 俺はそれを慌てて支えようと腕を伸ばすが――間に合わなかった。


 その結果。

 俺が沙空乃に覆いかぶさるような形で、横にあったマットの山に、二人で倒れた。

 十センチもないくらいか。息がかかるくらい至近距離にある、沙空乃の顔。

 髪から漂ってきているのか……甘ったるいにおいが、鼻をくすぐる。

 驚きに見開いた目、長いまつ毛、潤んだ唇。

 間近でこのきれいな顔を見ていると……その魅力に、惹き込まれそうになる。

 ……どころか、実際に少し距離を縮めてしまったらしい。


「ま、まってください……」


 沙空乃は、俺が迫ってきたと勘違いしたのか。


「こんなの、陽奈希に悪いです……」


 羞恥が最大限に現れた声で呟きながらも、もじもじと身を小さくよじらせて……受け入れるように目を閉じた。


 な……なんだこの反応。

 どうして沙空乃は、拒む素振りを見せないんだ。

 怯えている……わけでもなさそうだし。

 この場の雰囲気に流されたのか、それとも気の迷いなのか。


 何にせよ。

 好きな人が、目の前にいて。

 少し手を伸ばしただけで触れられる距離で、無防備を晒している。

 ……この状況で我慢しろというのは、流石に難しい。

 いよいよ限界を迎えた理性が、弾け飛んで――


 キーンコーンカーンコーン。


 昼休みの終わりを告げる、予鈴が鳴った。

 我に返ったように、沙空乃が目を開ける。


「わ、私は今なにをしようとして……!」


 言葉の途中で、沙空乃の涙目はジト目に変わって。


「あの……近いです」

「す、すまない!」


 言われて俺は、慌てて沙空乃の上から退いた。

 

 ……終わった。

 事故とはいえ、押し倒したのは事実だ。

 しかも、その先にまで事を及ぼうとした。

 沙空乃にとって俺は『妹の彼氏』という立場にもかかわらず。

 これでは幻滅されるどころか、最悪の場合社会的に死ぬ可能性すら……。


「転んだ私を助けようとしてくれたことには、お礼を言います。その先は……お互い様ということで、忘れてください。いいですね? 必ず記憶を抹消してください」


 沙空乃は立ち上がると、乱れた制服を整えながら、淡々と告げてきた。


「あ、ああ……」


 俺はなんとか声を絞り出して、返事をする。 


「では、私は行きます」


 沙空乃は感情の読めない顔で言ってから、沙空乃は出口に向かう。

 扉に手をかけたところで、振り返ると。


「この部屋を陽奈希と使うのは、絶対許しませんから」


 一言だけ言い残して、体育倉庫を出ていった。


 とりあえず、最悪の事態は免れたらしい。

 しかし俺の胸中は安堵している余裕なんてなく、鼓動が早くなりっぱなしだ。

 沙空乃は忘れろと言うが、彼女が去ってもなお、考えてしまう。

 さっき、チャイムが鳴っていなかったら、どうなって――。


『あ、危ないところでした……。チャイムが鳴っていなかったら私、妹の彼氏と……き、禁断の関係に……!』

 

 邪な男子高校生の思考を遮るように、壁の向こうから声が漏れ聞こえてきた。

 少し興奮しているような、沙空乃の声。


 ……もしかして彼女は、俺に聞こえていないと思っているんだろうか。

 この倉庫は、どうやら壁が厚いわけではないらしい。

 近くからの独り言は、普通に聞こえてくる。

 そんなことにも頭が回っていないのは、もしかしたら。


『うぅ……なんで私、こんなにどきどきしてるんでしょう……』


 沙空乃も平静を装っていただけで……正常な思考をする余裕なんて、とっくになかったんだろうか。


 ちなみに、こんな独り言を聞かされては。

 早鐘を打つ俺の鼓動は、当分落ち着きそうになかった。

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