第3話 好きな人の表情
その後は授業があり、二人で話すような機会はあまりなかったため、大した出来事や進展なんかもなかったけど。
ではその彼氏がどんな男なのかについても、興味が湧いたんだろうか。
今日は廊下ですれ違う連中が、俺の方を見てくることが多かった気がする。
放課後。
そんな、いつもと微妙に違う一日を終えて、俺はここ数日顔を出していない文芸部の部室に寄っていくことにした。
陽奈希は今日も文化祭実行委員の集まりがあるとかで、同じ部に所属してはいるが別行動だ。
「えー!? ホントにー?」
部室棟を目指して歩いていると、廊下の反対側から
三人組の女子生徒が、談笑しながらこっちに向かって近づいてくる。
「本当です。こんなことで嘘をついてどうするんですか」
「でも信じられないなー……」
俺はその三人の真ん中に位置する、長くすらりと伸びた銀髪を靡かせる女子に、目を奪われていた。
「沙空乃さんだってJKなんだし? 好きな相手の一人や二人いるのが当然でしょ」
「だよねー。妹さんに彼氏できたらしいし、次は自分の番! ……とか考えたりしない?」
「だから、しませんって」
左右から茶化してくる友人たちの問いを、どこか気品を感じさせる微笑で受け流す、天宮沙空乃に。
――ボーッとしている間に、沙空乃たちはすぐ近くまで迫っていた。
咄嗟に廊下の端に寄って、道を譲る。
……何やってるんだ俺。
いくら天宮沙空乃といえど、同級生の一人に過ぎないのに。
なんで下手に出るみたいな真似をしているんだ。
俺がそうして気後れしている間に、沙空乃たちは構わず通り過ぎて――
――いかなかった。
「そこにいるのは、
なんとあの、天宮沙空乃が。
言い寄られることこそ数あれど、浮いた話の一つもないどころか、自分から男子生徒に話しかけることは意外と少ないとも言われる校内一の有名人が。
俺の前で足を止め、話しかけてきた。
そのこと自体も驚きだけど、まさか高校生活において一度も会話する機会のなかった俺の名前を、知っていたなんて。
……なんだこれ。
別に大したことじゃないのに、やたら嬉し――
「……妹の彼氏の」
湧き上がりつつあった俺の心は、一瞬で冷却された。
……いやまあ、姉である沙空乃が、双子の妹の話題について知らないわけがないと言えば、そうなんだけど。
よりによって自分がずっと好意を寄せていた相手から、『妹の彼氏』として認識されているとは。
……なかなかに、絶望感が強い響きだ。
「あのー、聞いてますか?」
一向に反応を示さない俺に、沙空乃は再度声をかけてくる。
そんな彼女自身からは不快そうな気配は感じなかったものの、両隣の友人二人は怪訝そうに俺を見ていた。
「あ、ああ。悪い。それで、なんだって?」
「少し二人でお話がしたいのですが、よろしいですか?」
あくまでもお上品に、人当たりのいい笑みを湛えさせながら、沙空乃はそんなお願いをしてきた。
◆◆◆
天宮沙空乃に連れられるまま、俺は近場の空き教室にやってきた。
……好きな人と、二人きり。
しかも放課後の空き教室といえば、体育館裏と並んで告白の定番スポットの一つ。
だというのに、今となっては想いを伝えることすら難しい状況だ。
沙空乃にとって今の俺は、『妹の彼氏』なんだから。
……いや、いっそ陽奈希への告白は間違いで、本当は沙空乃にするつもりだったとこの場で打ち明けてしまおうか。
しかし、そんな形で好意を伝えたって、悪い印象しか与えないだろう。
とてもじゃないけど、上手くいくビジョンが見えない。
現状を変えるにしても何かいい方法を思いついてからだ。
「実は以前から、陽奈希はよくあなたのことを話していたんですよ?」
窓際に立つ沙空乃は、カーテンを閉めて射し込む西日を遮ってから、おもむろに話し始めた。
「……俺の話?」
「はい。どういうところがかっこいいとか、どういうところが好きだとか。それなのにいつも照れ隠しでキツく当たってしまって、素直になれないとか。また口喧嘩しちゃったけど嫌われてないかなとか」
「もしかして……俺のことを知ってたのも、それが理由なのか?」
「そうですね。あの子は学校から帰ってくると、いつもあなたのことばかり口にしていました」
「あいつ、そこまで俺のこと好きだったのかよ……」
今まで共に過ごしてきた一年と数ヶ月の高校生活の裏で、そんなことがあったなんて。
いくら他に好きな相手が……沙空乃の方に意識が向いていたとはいえ、陽奈希の想いにまったく気づけなかったとか、やっぱ俺ってかなりの間抜けなのでは。
挙句の果てに、そんな相手に間違えて告白するとか。
……罪悪感が半端じゃない。早くどうにかしないと。
「あんなにもかわいい陽奈希から好かれているんです、あなたもさぞかし鼻が高いんじゃないですか?」
沙空乃は、自身と髪型から化粧の雰囲気までそっくりの双子の妹をそう形容しながら、得意げに言う。
「あ、ああ……そうだな」
俺は微かに違和感を覚えながらも、ひとまず話を合わせる。
「しかも自分の気持ちを陽奈希に伝えて、両想いになれた……今はまさに幸せの絶頂でしょう」
「ははは……」
俺が本当に好きなのは、今目の前で会話している貴女なんですけどね。
……まあそんなこと、口が裂けても言える状況じゃないけど。
「それにしても……陽奈希って本当にかわいいですよね」
沙空乃はにこやかな表情で、更に双子の妹を褒めちぎる。
……どうも、様子がおかしいような。
「大好きなクレープを食べた時に見せる、ほっぺが落ちるんじゃないかってくらい幸せそうな顔がかわいいですし、私がテニスの大会で優勝した時に、自分のことのように喜んでくれるのもかわいいです。それと、映画やドラマを見て意外とすぐ泣いちゃう涙もろさも抱きしめたくなるかわいさですね……! 実際に私が後ろから抱きついたりどさくさに紛れて胸を触ったりして、マッサージだと言い訳したら疑うことなくお礼を言ってしまう無邪気さも……あの超絶美少女な姿でこの純粋さとか、本当に犯罪的なかわいさです……!」
……これが本当にあの、お淑やかな人柄で知られる天宮沙空乃か?
先程までの気品に溢れる彼女の姿は、見る影もなかった。
何かのスイッチが入ったように段々と表情を恍惚としたものに変えていきながら、沙空乃は熱っぽくまくし立ててくる。
やけに盛り上がってる……というか、後半の方はなんか危険な言葉が聞こえてきた気がするんだけど。
「な、なあ……そろそろ本題に入ってもらってもいいか? 二人で話したいってことだったけど……」
何やら不穏な空気を感じたため、俺は待ったをかけた。
「ああ、そうでした……実はあなたに、見てほしいものがあるんです」
沙空乃は我に返ったように一つ頷くと、ポケットからスマホを取り出した。
画面を俺に見せつけるように、突き出してくる。
「陽奈希の写真……? 一緒に写ってるのは俺……だよな」
そこに表示されていたのは、教室にいる陽奈希を窓の外……どこか高い場所から見下ろすように捉えた画像だった。
向かいには後ろ姿ではあるものの、俺が写り込んでいる。
どうやらこれは、陽奈希が教室で俺と会話している一幕を切り取った写真のようだ。
それ自体はありふれた、日常的風景ではある。
「けど……なんだこのアングル。まるで隣の校舎の屋上から、こっそり撮ったみたいな……」
「そんなことより! 見てくださいこの陽奈希の顔!」
俺が違和感を口にしようとするのを遮るように、沙空乃は声を張り上げた。
スマホの画面をスワイプして陽奈希の顔を拡大すると、俺の鼻先に近づけてくる。
「いや、近すぎて見にくいから……!」
俺は沙空乃の勢いに負けるように、首を少し後ろに引っ込めて、スマホの画面を見やすい位置取りをする。
「この表情、分かりますか!?」
「分かるって、何がだよ……!」
「照れているのが全然隠せてないしかめっ面の中に、ちょっぴり嬉しさを感じさせる『好きな人と話せて幸せだけど素直になれずにツンツンしちゃってます』って感じの表情……見ていたら悶え死にそうになるくらいかわいくないですか!? 私的には、陽奈希史上ナンバーワンの萌える表情だと思うんですけど!」
「そ、そうですか……」
興奮しきった状態でやや早口に語る沙空乃を前に、俺は圧倒されていた。
……だから誰だよ。今までのお淑やかな天宮沙空乃はどこへ行ったんだ。
というか、やっぱり言わせてもらいたい。
「ところでこの画像って……盗撮だよな?」
「…………」
俺が恐る恐る問いかけると、沙空乃は興奮の糸が切れたように、静かになった。
スマホを突き出していた手が、すっと降ろされる。
小さく俯くように、顔を下げる沙空乃。
透き通るような銀色の前髪に遮られて、その表情は窺い知れない。
……え、どうしてここで黙るんだよ。なんかちょっと、怖いんですけど。
おっかなびっくり様子を見守っていると、沙空乃はいきなり顔をガバっと持ち上げた。
「ええ、これは盗撮です……! だって陽奈希のこんな顔、あなたと話している時しか見れないんですから!」
そう言って開き直る沙空乃は、悔しそうに俺を睨んでいた。
「だからって、こっそり撮るのは流石にまずいんじゃ……」
「だって、仕方がないじゃないですか! 私と話してる時には、こんな顔してくれないんですから……!」
歯がゆそうな声を漏らしつつ、沙空乃は叫ぶ。
……俺は今、彼女から一体どういう感情をぶつけられているんだ。
「陽奈希といつも一緒にいて、陽奈希のことを誰よりも愛していたのは私なのに!」
……ああ、なるほど。そういう感じか。
「もしかして、天宮さんって……シスコンなのか?」
「ええ、そうです! なにか文句ありますか!」
即答だった。
有り体に言えば、俺は嫉妬されている。
皆の憧れ、学校一の美少女にして高嶺の花として知られる天宮沙空乃。
その正体は、『妹の彼氏』に嫉妬する、重度のシスコンだった。
「本当は、陽奈希が誰かと付き合うなんて……耐え難いことなんです。けどあれだけあの子が好きだと言っている相手だし、幸せそうだから……悔しいけど、邪魔する訳にはいかないんです……!」
沙空乃は絞り出すような声で語りながら、ふるふると小刻みに身を震わせる。
「そ、それはどうも……」
……俺としてはいっそのこと、邪魔をしてくれた方がむしろ好都合かもしれない。
などと、呑気なことを考えていると。
「ですが……妹を悲しませたらどうなるか、わかってますよね?」
「あ、ああ……まあ、な」
沙空乃から、キッと敵意満点の鋭い眼差しを向けられた。
……どうしよう。
これ、陽奈希への告白が間違いだったと打ち明ける道が、完全に消滅してないか?
そんな事実が発覚してしまった日には、改めて沙空乃に自分の本当の想いを打ち明ける……なんて場合じゃなくなる。
現状の敵意以上の憎悪を向けられるだけでなく、今後二度と会話をする機会もなくなるだろう。
それだけは、なんとしても避けないといけない。
「……改めて、私があなたに言いたかったことを伝えます」
「な、なんでしょう」
葛藤する俺に対し、沙空乃は腕を組み、毅然とした態度を示す。
つい、かしこまった返事をしてしまう俺に、沙空乃は告げてきた。
「あなたが陽奈希に相応しい男か……この私が見定めますから覚悟していてください」
……完全に、退路が立たれた。
俺は好きな人に幻滅されないようにするため、好きな人とは別の相手……よりにもよってその双子の妹と、円満な交際を続けていくことが決定した。
……これから先、どうなるんだ。
そうして俺が困り果て、立ち尽くしていると。
「……それにしても、羨ましいです。どうしたら、陽奈希にあんな表情をしてもらえるんですか。コツを教えてください」
どこか拗ねたような調子で、沙空乃がボソリと呟いた。
「そう言われてもな……」
「隠さずに教えてください、ずるいです!」
「いや、自覚ないからコツとか聞かれたって答えようがないんだって……!」
言葉を濁す俺に業を煮やしたか、子供のような膨れっ面で迫ってくる、校内一の高嶺の花。
大好きな妹のこととあれば、敵が相手でもなりふり構わずか。
……完璧超人と称される天宮沙空乃にも、隠された弱点があったらしい。
俺はこの日、自分以外の誰も見たことがないであろう、好きな人の表情を知った。
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