第13話 「あいつはモノじゃない」と友人に言ったらキレられた

 オレは、フミナに唇を塞がれたまま、何もできずにいる。


 ほんの数秒のことだっただろう。

 しかし、オレには永遠の時間に思えた。


 歓喜とは言えない。

 オレ自身が、フミナからの好意をまともに受け入れられていなかったから。

 またいつものジョークなのだろうと、脳が勝手に解釈していた。


 しかし、フミナの様子は、少しの冗談も感じられない。

 真剣そのものである。



 まだ、頭が回らない。



 フミナの唇が離れて、ようやくオレは自我を取り戻した。


「どういうつもりだ、フミナ?」


 オレが問いかけても、フミナも上の空で。

 ただ、虚空を見上げていた。


「いや。あの、チョコ! そうチョコがショウゾーの口から垂れそうだったから、なめっただけ、で」


 フミナの口調が、段々と細くなる。

 場を取り繕うように、乾いた笑い見せた。

 

 こいつも分かっている。

 今さら、ごまかしなんてきかないって。


 オレは、フミナの感情を意識せずにはいられなかった。

 だが、直接問いただす度胸もなく。


 いや違うな。


 この場合、相手に聞くこと自体が間違いだ。


「迷惑だった?」

 心底悲しそうな瞳を、フミナが向けてくる。


「そんな、迷惑だなんて!」


 こう言えたのが精一杯だった。

 まだ、気持ちを整理できない。


「もうちょい、うれしそうな顔をすると思ったんだけどな」


 オレ、そんなに変な顔をしていたのか。


「違う。驚いている。まさかフミナが、ここまで積極的になるなんて」


「自分でも、ビックリ」


 オレたちは向かい合いながらも、目を合わせられない。


「なんでまた?」


「最近、ショウゾーさぁ、元気ないじゃん。だから、サプライズ?」

 なぜか、フミナは疑問形で返す。


「ホントに、迷惑じゃない?」

「ああ。元気出た」


 閉じたままだった可能性が、少しだけ開いた気がした。


「その言い方ちょっと、やらしい」

「バカ。変な意味なんてないから」


 笑い合うことで、少しは緊張もほぐれる。


「マジで、ありがとな。心配してくれて」

「ショウゾーが小説を書いてないとさ、わたしも不安になるし」


 オレが礼をいうと、フミナは首を振った。


 窓の向こうで、夕焼けがすごいスピードで落ちていく。

 虫の音も変わる。




「ねえ、幼なじみなままの方が、居心地がよかった?」


 フミナがまた、まじめな口調で聞いてきた。




「なんか、困惑させただけだったかなって」

「確かにな。オレに恋愛は、まだ早いと思っていた」

「ちょ、ショウゾーお嬢様みたい」


 オレの気を紛らわそうとしたのか、再びフミナがふざけた物言いをする。


「そうじゃなくさ、作家として独り立ちできてから、恋愛は考えようって思っててさ」



 作家は食えない。



 どの作家先生も、副業が当たり前になっている。




 そんな時代は、なにも今に始まったわけじゃない。

 作家は大昔から食えなかった。


 専業作家なんて、一握り中の一握りなのだ。

 他の仕事に興味がなく、作家にだけなりたかった人たち。

 あるいは、社会に適応できなくて、作家にしかなれなかった人たちなのだ。


 オレも作家になろうとしている。

 今は、将来なんて考える暇はない。

 ただ、小説を書くことに集中したかった。


「お前さ、前に話したよな。打ち込めるモノがあるからすごいって」


「そうだよ。目標があるショウゾーは、わたしより先を見てるなって思った」


「でも、オレからすれば、共感能力が高いお前のほうが、よっぽどすごいんだよ。小説のことしか頭にないオレなんかより、ずっと」


 フミナは自分が思っているほどに、自分の長所を把握している。自分の足で地を踏みしめて歩く能力は高い。


 きっとフミナは目標さえ見つければ、ずっと世渡り上手になる。


「オレが独り立ちをする場合、小説を手放さないといけない」


 そんな根性はなかった。

 今までの蓄積を捨てる勇気は。

 何者にもなれないのだと認めることなんて。


「落ち込みすぎじゃない? だってこれからじゃん」

「かも知れない。でも、やっていけるのか不安で仕方ないんだよ」


 いつになく、弱気になっていた。

 ランキングで上がったり下がったりを繰り返し、将来がかすんで見える。


「そんな世界に、お前まで巻き込むことになるって思うと、踏み込めない」




「わたし、邪魔なの?」




 ここで引き留めないと、オレとフミナの心はバラバラになってしまう。


 オレは首を振った。


「いや、邪魔してくれていい! お前がいないと、調子が狂う」



「小説を書くために、わたしが必要なだけ?」



「違うって!」


 断じて違うと、否定した。

 だが、そこから適切な言葉が出てこない。


「心細かった。いつもいるやつがいないって、辛いなと思った。今日は特に。オレは多分、一人でも生きていけるだろう。でも、ただ呼吸しているだけになるだろう。そんなのは、すっごくつまんねーんだよ。張り合いがなくて」


 何を言えばいいのか分かっている。


 それなのに、適切な言葉を発しようとはしなかった。


 ダメだ。こんな言い方では、理由を考えていると思われる。


 分かっているのに。


 一番伝えないといけない台詞を避けている。


「ショウゾーは、どうなりたい?」

 フミナは真正面からオレを見ていた。


「分かんねえ」

 でもオレは、どこかでフミナの視線をすりぬけようとしている。


 オレの意志とは反対に、脳が「ただ呼吸だけしている生活を受け入れろ」と不愉快な指示を出し続けていた。

「お前なんかにフミナを大切にできないぞ」と。


「ただ、考えさせてくれ」

「混乱してるだけ?」

「色々ありすぎて、気持ちの整理がつかねえ」



「そっか。悩ませただけだったか」

 フミナは立ち上がる。



「ゴメン。忘れて」



 無理に笑いながら、フミナは帰って行った。




 追いかけることもできない。




 小説をアップしていないと気づいたのは、翌朝のことだった。


 そこまで精神がやられている。


 傷ついているのはフミナなのに、オレの方が勝手に落ち込んでいた。


◇ * ◇ * ◇ * ◇




「クズね」





「だよなぁ」


 翌日の放課後、オレはユカリコに昨日のことを話す。

 オレの異変に気づき、相談するように持ちかけたのだ。


 フミナは今日も、友達の家に行っている。

 あいつなりに、オレに気を使っているのだろう。


 オレは一日、フミナと話をしていない。


「自分がうまくいってないだけなのに、ただ幼なじみに八つ当たりしただけじゃない。相手はどのような結末だろうともドンと受け入れようとしているのに、当の本人は保留、と」



 足を組み替え、ユカリコが容赦ない言葉を放つ。

 ただ、その厳しい意見こそ欲しかった。



「反論できん」


「だいたいねぇ、『整理がつかない』なんて、それフミナさんの言うセリフなんだけど?」


 オレは、ユカリコの罵倒を黙って受け止める。


「そうやってね、説教されて自分だけ楽になろうなんて姿勢を取っている時点で、女々しいのよ」

「それは分かってるんだ」


「分かってないでしょ。一番しんどいのはアンタじゃないのよ」

 呆れた様子で、ユカリコは腕を組む。


「ねえ河内君、どうして返事をしてあげなかったの? 『君はオレのモノだ』って言えば、済む話だったじゃない」



「だって、フミナはモノじゃねえし」



 オレが言うと、ユカリコが黙ってうつむいた。



 今のオレには、フミナを安心させる要素がない。


 もらうとかもらわないとか、それはフミナの意志を尊重すべきだ。


「フミナをオレが自由にしていいわけねえ。フミナの邪魔してるのはオレだ」


 ユカリコは答えない。

 ずっと下を向いたまま、ブツブツと何かを言っている。



「あなた、フミナさんのこと、好き?」



「たぶ……いや、好きだ」


 ごまかそうとして、オレは言い換えた。



「でも今は、フミナに合わせる顔がない」



「だああああ!」

 何を思ったのか、ユカリコが唐突に立ち上がる。


「あんたはどうして、その言葉をフミナさんに直接言わないのよおおおおお!」


 机に両手を叩き付け、ユカリコがキレた。

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