第12話 チョコバナナに「青春という名の毒」を盛られる

 あれから、小説の書き溜めは順調に進んでいる。

 だが、不調に見舞われていた。


「小説の進みが遅すぎる」と、クレームが入ったのだ。


 コメントで言われたとおり、ゆっくりすぎる。


 オレも分かっているのだ。結末もある程度は決めている。


 だが、「こうすれば確実に面白くなるよな」という展開に進めずにいた。 


 今、止まってはいけないのに。



 昼食時、オレは文芸部の部室で、ユカリコに相談した。


「河内くん、この間から小説の展開を見たわ。あれ、どうしたの? えらく小説の閲覧数が落ちているのだけれど?」


 ユカリコがオレの不調ぶりを気に掛ける。


 今日は休部中だ。

 部内にはオレたち以外、誰もいない。


「目に見えてヒロインに対する遠慮が見えるわ。何かあったの? あんなに頑張っていたのに」


「そうなんだよなぁ」


 筆が乗らない。


 思っていた展開にならなかった。


 きわどいシーンへぶつかると、話をそらしてしまう。

 あのまま突き進めば、読者も楽しんでくれるはず。

 だが、オレが執筆を拒んでいた。


「フミナさんのこと、意識しすぎてない?」


 図星をつかれて、視線が泳ぐ。


「やっぱりそうよね。あなた、今まで無意識で書いていたモノが、一気に実体を帯びてきてビビってる。そんなとこでしょうね」


 腕を組みながら、ユカリコは容赦なく発言する。

 まさに、歯に衣着せぬ物言いだ。


 しかし、オレは言い返せない。事実であるから。


「なんかな、この間から調子が悪くて」 

「フミナさんとケンカでもしたの?」

「あれから、すごくベッタリになった」



 フミナは確実に、オレとの距離を縮めに来ていた。



「よかったじゃない」

 ユカリコは自分の功績だと言わんばかりに、胸を反らす。


「そうでもないぜ。最近、現実と虚構がごっちゃになっててさ」


 ここ数日、フミナをまともに直視できなくなっていた。

 いつもの調子ではない。


「何か問題があるの? 私から見れば、あなたたちの関係に今まで何の変化もなかった方が異常だわ」



「だって、あくまでも虚構の世界だろ。オレの願望も含まれているわけで」


 オレは、小説内のヒロインを持て余していた。

 攻めあぐね、どう接すればいいか分からなくなってきている。




「自意識過剰も、ここまでくると哀れね」

 付き合い切れんとばかりに、ユカリコは深くため息をつく。




「オレにとっては深刻なんだよ」


「どうしようもないわけでしょ? あなたにとって、小説でやりたいことは、あなたがフミナさんにしたいコトよ。それでも、ガツンと書けばいいじゃない。あくまでも小説、ウソの世界なんだから」


 小説は小説、リアルはリアルだ。

 気を回す理由などどこにあるのか、とユカリコは主張してくる。


「お前と違って、オレはフミナとずっと、顔をつきあわせるんだよ。おそらくこれから先も。一期一会の仲じゃないんだ」


「気まずくなるのが怖い? 現状維持がお望み?」


「そんなところかな?」


 ユカリコはまたも肩を落とす。

「いいこと? 何を遠慮する理由があるの? 私たち小説家、ならびに志望者がやるべきことは、面白さの追求よ。面白くなるなら書くこと。人を傷つけるのは論外だけれど」


「傷つけてしまうかも知れないから、踏み込めないんだよ」


 幼なじみに幻滅されて喜ぶバカはいない、という意味で言った。


 オレから視線をそらし、ユカリコは長テーブルに頬杖をつく。

 ふてくされたように。


「やっぱ、あんたたち付き合っちゃいなさいよ。そんな素直な感情があるなら」


 なんでだよ。何を聞き違えているのか。


「今のあなたは、フミナさんと小説内のヒロインを混同しすぎ。もっと深く潜れば、このヒロインはあくまでもあなたの創造物だけと分かるわ。彼女は、フミナさんじゃないの! 彼女だって一つの生命体なんだって、自覚しなさい」


 もう話すことはないと、ユカリコはオレに退出を促す。


 焼きそばパンの包みを掴んで、オレは部室を出た。


 ユカリコが、部室の鍵を乱暴に閉める。

「ヒロインは、フミナさんのコピーじゃないわ」




「待たせたな、フミ」

 自分の教室に戻ると、フミナがクラスメイトと楽しげに話していた。

 どうやら、文化祭の話し合いらしい。


 本番当日まで時間がまだあるのに、熱心なことだ。

 何かを作っている時期が、楽しいのかも知れない。


 オレだってそうだから。


 楽しげなフミナたちの邪魔をすまいと、オレはそっと席に着く。


 フミナがオレを確認した気がした。

 が、オレは黙って本の世界に。

 


 フミナと数度の「取材」を重ね、数日が過ぎていた。

 それで、分かってことがある。


 フミナが、意外とクラスから人気があった。


 その事実は、オレを戸惑わせた。


 あいつはいつも、オレにべったりだと思っていたから。

 クラスのことなんて興味がないと思っていたのだ。


 オレには、フミナが分からなくなっていったのである。


 最近のオレは、フミナとの距離を測りかねていた。


 フミナのオレを思う気持ちは、おそらく本物であろう。


 けれど、何者にもなれていないオレは、フミナと並んでいいのだろうか。


 成績はオレの方が上だ。


 しかし、フミナは世間慣れしている。

 周りから頼られてさえいた。


 将来的にフミナの方が、要領よく世間を渡り歩けるのでは。


「小説家になりたい」なんて、変なこだわりを持つオレよりずっと。





「あのさ、ショウゾー」

 フミナが、手を合わせながらオレに近づく。

 やはり、オレの存在に気づいていたらしい。


「今日ちょっと、一緒に帰れなくなっちゃった」

「どこへ行くんだ?」

「友達の家。チョコバナナ試食会を開くんだって」


 サンプルをあらかじめ作っておいて、残りの日時は改良に回すらしい。

 文化祭直前になって慌てたくないそうだ。


 せっかちすぎな気もする。

 とはいえ、今のうちにハシャいでおこうという気持ちは分かった。

 来年は受験がある。バカをできるのは今だけだ。


「行ってこいよ。その代わり、オレにも取っておいてくれ」

「ありがと! 約束するね!」


 からかい半分で、フミナの友人が「嫁を借りていくね」と言ってくる。


 オレは反応しなかった。




 帰宅後、オレは久々に、一人での執筆に励んだ。


 一人の方がはかどるなぁ。邪魔が入らないのは、いいことだ。


 そう思ったのは、ほんの一時間くらいだけだった。


 空しい。集中できているはずなのに。


 何度も首をかしげた。


 オレの心境は、小説の中にも反映されていく。

 展開が単調になった。明らかに文章を引き延ばしている。


 文字数は多い。

 ただし、効果を本気で考えたかも怪しい風景描写が続く。

 適切文字数をなぞっただけのような。


 駄文や定型句を削除し、作品の質を上げていく。

 だが、書き直せば直すほど悪くなっていった。


 書けているのに、書いているだけ。

 指を走らせているだけだった。これではただのストレッチだ。


 気がつけば、今日の作業を全消しである。



 何度も、外を確認した。フミナはまだ帰らないのか?



 なにを言っているのか。

 オレはあいつの夫ではない。

 なのに、フミナの帰りを気にしている。


 これじゃヤンデレだ。


 なにを嫉妬しているのか?


 オレの考えている以上に、フミナがクラスから信頼を得ているのが。


 自立しているならいいじゃないか。

 正直、ホッとしている。

 一時期、フミナはオレをおちょくってないと死んでしまう生き物なのではないかと思っていたから。


 オレがすべきは、オレから巣立っていこうとするフミナを見守ってやることだ。



「ただいまー」

 フミナが帰ってくる。

 なぜかオレの部屋へ、当たり前のように。


 手には、発泡スチロールの小箱をぶら下げていた。

 ケーキを買うときに中へ詰めてもらうようなサイズだ。


「寂しかったー。ショウゾーあっためてー」

 半べそをかきながら、フミナはオレに抱きついてきた。


「今、夏だぞ。どけ。暑苦しい!」

 オレはフミナを引き剥がそうとする。


 が、フミナはオレから離れようとしない。


「ショウゾーとお話しできないのって、エネルギーめっちゃ消耗するー」


 オレはお前に抱きつかれて、消耗しそうだよ!


「そうそう。チョコバナナ作ったの。食べてー」

「夕飯の後でいいよ」

「今食べて! 腹ぺこ男子の意見が必要なんだって!」


 フミナがスマホを手に持っている。

 リアルに感想を聞きたいらしい。


「ったく」

 仕方なく、オレはその場でチョコバナナを頬張る。



「あ、うまい!」



 チョコバナナを噛みしめた瞬間、あらゆる語彙がすっ飛んだ。


「ホント?」

 フミナが、今まで見たことがないくらいの照れ顔を見せた。


「マジうまい!」


 もう、頭の中は感想どころではない。

 ずっとこの甘さを味わっていたい気分になる。


「具体的に言うと、チョコの甘さを抑えたのは大正解かも。チョコが苦いおかげで、バナナが凄く甘く感じた! 屋台のクオリティじゃねーっ!」


「うんうん。ありがと」


 感想をスマホでメモしながら、フミナが顔を伏せる。


「おいフミナ、どうした?」

 不安に襲われて、オレはフミナに近寄った。


 フミナの目が、少し潤んでいる。


「うれしくってさ。わたしが作ったチョコバナナ、ショウゾーがちゃんと食べてくれて」


 そんなことくらいで、フミナはうれしくなってしまうのか。


 今までオレは、フミナがオレに依存しているのでは、と思っていた。


 コイツは、いつでも側についてきては、オレの邪魔ばかり。


 でも違う。

 

 依存しているのはオレの方だ。


 フミナがオレに懐かないだけで、あんなにも心細いとは。


 フミナを必要としているのは、オレなのかも。









「ありが――!?」





 このままで終わるはずがなかった。


 フミナはオレに、特大の毒を仕込みやがったんだ。










 オレは、フミナにキスされた。

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