第8話 雨降る病室

 雨が降っていた。

今までずっと晴天が続いていた空は、思い出したように降らせた。

雑音のようなで、傘を差して歩く二人の会話を聞き取りづらくさせる。

甘雨(かんう)だった。

何度目になるか分からない聞き返しに。

鼓動はうんざりしたようだった。

「コーマ、耳が遠くなったんじゃないの?」

「ちげぇよ」

子供らしく拗ねる光磨に、やれやれと肩を竦める。

「朝は天気だったのになぁ。雨が降るとかありえねぇし」

学校がお休みの日。

朝も早くから畑を手伝っていた光磨の頭上に、段々と近づいてくる雨雲があって。

それからはあっという間だった。

「そろそろ梅雨時だし、いいんじゃない?これで森も元通りにあるしさ」

光磨の先をてててっと、先に歩きながらくるりと振り返る。

「まぁな。それよりも、鼓動。家の手伝いしなくていいのか?最近ずっと、ツカサんとこばっかりだろう」

「うん。母さんもそっち優先でって。ツカサくん様々だよ」

鼓動のうちは食堂を経営だ。

一人息子である彼も手伝いとして、皿洗いなどの雑用をする。

本当は雑用よりも、料理をしたいらしい。

「雑用もやらなきゃならないのも分かるんだけどさ。いやになるときあるんだよね」

「わかる」

しみじみと光磨が言うと、彼はでしょう、と太陽みたいな笑みをみせた。

「そういえば。ツカサくん来てから三ヶ月だね」

二人が履いている長靴が、ぴしゃりと水溜を踏んだ。

泥がはねたが、気にはしない。

「夏始まるくらいには首都だから、なんか。さみしくなるね」

言い返すことなく、光磨は無言だった。

出来れば考えたくなかった。

だって、次にいつ会えるか分からないから。

「せっかく、おじさんのところ行くつもりだったのに。まだ、今度だね」

光磨の心中を察して、鼓動はさらりと話題を変える。

こういう切り返しの良さが、鼓動のいいところだ。

「だな。雨の中を歩くのもめんどいし。スケボーの方が楽だろう」

止む気配のない雨を見上げながら呟く。

最近、病室で音喜を含めた四人は暇を持て余していた。

元気になったツカサは、病室にいるのが嫌になってきたらしく。

月影先生にいつ、外出許可が出るかしきりに聞いていた。

本も読み尽くし、話したい話題も尽きつつある。

森などで見つけた木の実や綺麗な葉っぱを、彼に見せると不機嫌になった。

「ずっと病室つうのもつらいしな」

怒る気持ちも分からないでもないが、それで少しギクシャクしていた。

そんな所に雨で。

ツカサ同様の生還者に会わせるつもりだったことを考えても、手鼻をくじかれた。

「たぶん、それだけじゃないんじゃない?」

「?」

鼓動の意味深な言葉に、光磨は首を傾げる。

「ほら。ツカサくんの病室に詰まれている貢ぎ物だよ。あれで色々言って来る人とかいるみたいだから、気分がよけいに、悪いと思う」

それはあるかも、と。

光磨は、立ち止まった。

ツカサの病室の一角に、存在を主張するかのように積まれた貢ぎ物。

果物や野菜、洋服や下着、貴重な紙で閉じられたノートやチョーク。

それとツカサ宛ての手紙の束。

最初は、光磨たちもわいわい言いながら封を開けていた。

でもいつの間にかやらなくなった。

中身を開けようともしなくなったツカサを、白状だと思う。

「人生けいけんほーふでもないし、分からないし、答えられない。読んでてうんざりする」

そんなことは地球にいた頃からしょっちゅうあったことだと。

幸せな中にある不幸をひけらかしているようにしか、読み取れないと。

自嘲気味に言うツカサに対して、光磨は何も言えなかった。

地球の暮らしとここでの暮らしは大きく違う。

分かっていた、けど。

分かっていなかったことを突きつけられて。

驚いて、それからそれ以上は言えなくて。

「コーマ」

ぴちゃん、と水たまりが跳ねる。

訝しむ鼓動の顔と目が合って、すぐ光磨は目をそらした。

居たたまれなさを、慌てて言葉にする。

「俺、けいそつ、だったなって」

漢字も知らなくて、意味もぼんやりとしか分からない言葉を使って。

言えば、鼓動は何それ、と口を押さえる。

「でもさ、それはぼくも、だよ」

笑って、光磨の手を握る。

行こうといって、引っ張られて、雨の中を繋いでいく。

手が濡れるのも構わない鼓動に。

救われる自分に気づいて、光磨は病院に着くまでずっと下を向いていた。



***



月影医院に着くころ、雨脚は強くなって。

バケツをひっくり返したようだった。

傘の滴を軽くはらい、傘立てとなっている坪のなかに放り込む。

中に入ると、かび臭い匂いが鼻についた。

「こんにちわ。すごい雨だったね」

メルディアが奥からタオルを持って現れ、二人に渡した。

それからツカサの様子を二三聞いてから、二階へ上がる。

メルディアは二人の背に手を振っていた。

雨音が、室内にいてもうるさい。

階段に二人が通った水たまりができる。

「音喜くん、一緒に行こうって誘ってくれればいいのに」

わざわざそんなこと言わなくてもいいのに。

光磨は思ったが、居たたまれなくなったのだろう。

自分も同じだから相づちだけ返した。

やがて辿り着いたツカサの病室のドアを開ける。

色々と考えていたことが、開けた瞬間にふっとんだ。

「なんだ、そりゃ」

第一声でそう言ってしまうほど、そこにいた謎の物体がおかしかった。

ツカサの腕に抱かれた丸い物体と対面で足を組む音喜の姿がある。

「地球で作られたロボットだ、そうだ」

「すげぇ!」

「マータっていうんだ。ぼくの友達」

マータは、どこにそんな瞬発力があるのかと思うくらい跳ねて。

光磨の元に飛んでくる。

それを両手を伸ばしてマータをキャッチすると、それは腕の中で鳴いた。

「pizipizi!」

機械的な声音に、光磨は慌ててそれを放り投げた。

驚いたツカサがマータを受け止めると、それは笑うように鳴いた。

「昨日の夜中、てか今日だね。宇宙船墜落現場に妙な穴が空いててね。ツカサに聞こうとしたらそれだったらしい」

宇宙船の制御システムの一つらしい。

詳しいことは首都に持って行かれたため、分からない。

「マータはね、宇宙船で一人ぼっちだったぼくに寄り添ってくれたんだ。それからずっと一緒」

今までと違ったツカサの笑みに、光磨は心の底からほっとした。

いくら自分たちが彼を想っていても、肝心の彼にはやはり壁がある。

それをマータがいることで壊れるならばその方がいい。

「よかったな。ツカサ」

大きく頷くツカサに、ついと光磨は窓の外に視線を向けた。

窓に雨滴があたり続ける。

この雨は明日には止むだろうか。

それとも、二三日降り続けるのだろうか。

「雨が上がったらさ、じいさんとこ行こうぜ。ほら、以前話しただろう。ツカサと同じで宇宙船の生存者だっていうじいさん」

切り替えるように言えば、ツカサはマータを抱えてきょとんとした。

それから思い出したように慌てて頷く。

ツカサが何かを言う前に、音喜が声をあげる。

「行く前に僕がおじいさんに言っておくよ。いきなり行くのは憚れる」

そうだね、と鼓動がおじいさんへの道のりをツカサに説明する。

「そういえば、おじいさんってなんていうの?」

ツカサをここから誰が連れて行くかということで、音喜がいいだろうという話になった。

彼のうちからの方が一番近い。

自分たちは、村外れの入り口で二人を待つことになった。

そういったことが決まり終えたあと、ツカサが聞いた。

「言ってなかったっけ?」

「そうだったね、すっかり忘れてた」

鼓動が軽く謝るとツカサは首を左右に振った。

「えっとね、【塚本浩平(つかもと こうへい)】っていうおじいさんなんだ。おじさんっていうかちょっと迷う年齢かも」

鼓動がそう言うと、ツカサが青ざめたように見えた。

でもそれは、錯覚だったかのようにツカサは。

明るくそうなんだ、と言うから。

光磨と鼓動は、見なかったふりをした。


今思えば、それはそのとき聞いておけばよかった。

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