第5話 空気のみどり、空のあおさ

 

 病室の窓を開けて、そこに頬杖をつくのがツカサの日課になった。

朝は少し寒いが、日が昇るごとに暖かくなる。

そよぐ風は草木の匂いや朝食のおいしそうな匂いを運ぶ。

春から雨期へ向かおうとしている。

季節の移り変わりを、肌や目で、空気で。

感じ取れる。

両手を広げて、目を瞑って、空気を胸いっぱい吸い込む。

地球とは違う。

灰色を通り越して、どす黒くなった空。

荒廃した町並み、川は黒く染まり、汚物が大量に浮かぶ。

悪臭を放ち、当然ながら泳ぐことはできない。

有害な毒で犯された空気は、清浄効果のあるマスクが義務化されている。

目にはゴーグル。

気温関係なく、肌も露出できない。

長袖に長ズボン。

それがここではどうだ。

そんなものは必要がない。

全身で感じる風と空気は、水の匂いがする。

頭上を覆う青空は、果てしなくて、美しくて、自然と笑みがこぼれた。

病院で出される食事だって、地球とは違う。

地球じゃ、サイコロ状の堅くて、噛むと吐きそうになる。

味というよりも栄養を重点に置いた、薬のようなもの。

それだって、手に入らない時があるほどに。

着るものや食べるものにだって、困る日々が。

「ツカサくん、ご飯ですよ」

ドアが開いて入ってきたメルディアは、そう声をかけた。

カートを押してくる彼女に、ツカサは大きく頷く。

「やった!」

「喜んでもらえてうれしいけど。今日もお粥よ」

飽きちゃわない?とかわいらしく小首を傾げるメルディアに、ツカサはぶんぶんと首を左右に振った。

「ぜんぜん!うれしい」

「そう?よかった。ご一緒に今日はスープも付けるからね」

はい、どうぞっと。

ツカサの膝の上に置かれたトレイには、どんぶりに入った白いお粥とコンソメのスープ。

お粥は彼が目覚めてから量を増やしながら続けている。

今日はスープ付き。

いただきます、と言い終わると同時に、スプーンでお粥を口に運ぶ。

味も素っ気もないお粥が、傷ついた体に染み渡る感覚がたまらない。

初めて食べたときは、ボロボロと泣きわめいた。

眠るベッドもふかふかで、雲の上にいるみたい。

ツカサは、自分の体が変わっていく様が面白かった。

がりがりだった手足がふっくらしてくる。

カサカサだった肌がしっとり、弾力を持つ。

髪の毛のカサつきも、艶が出て、光ってみえる。

売るために伸ばして、不時着時に短く切った髪が伸びてくる。

腰ほどまで伸びて、その髪をメルディアが梳いてくれた。

食べ終わると、メルディアが髪の毛を整えてくれる。

やがて、肩口で揺れるボブカットに、ツカサはふふふっと笑った。

「もうちょっとしたら、コーマくんたち、来るからね」

楽しみね、と微笑まれてツカサは大きく頷いた。

地球で出来た友達、光磨と鼓動、音喜。

彼らは学校が終わると、ツカサの元へ来て、話をしてくれる。

この村のことや光磨たち自身のこと。

ツカサも姉のことや地球での生活を話した。

自分にとっての普通が、彼ら興味を、感心をひく。

他愛ないことで笑ったり、怒ったりするのが胸が潰れるほど嬉しい。

ずっとここにいたい。

ツカサは強く思うようになった。

首都の人間が自分を連れていくことに、不安がある。

どうなってしまうのかを、光磨たちは知らない。

音喜にそれとなく聞いても、首を振るばかり。

そのことだけが、ツカサの胸に黒い塊となる。

じゃあね、と用事を終えたメルディアが部屋を出て行く。

ツカサは切り終えた髪を、手で触りながら小さく笑う。

かつて、地球にもあった無くしてしまった、もう二度と戻らないものが。

ここには、溢れている。

「コーマくんたち、早く来ないかな」

音喜たちの家族によって、築かれた壁はもうない。

もう、大丈夫だと彼が言ったから。

時間をおいて、少人数で、質問する時間を区切って。

そうやったから、波が引いていくように去って行った。

それをツカサは、寂しいとは思わなかった。

光磨たちがいるから、今日はどうしようかと、窓に視線を向ける。

切られた髪が風に浚うのを感じながら。

彼らが来たときに話す内容が、ほとんどないことには。

目を瞑って。



***



光磨たちの住まうところに、学校はない。

公民館を週に三度貸し切って行われる一日四時間の授業のみ。

もっと勉強したい人は、首都にある学校で通う。

だがそれも少数だ。

ほとんどの子供は、親の家業を継いだりする。

光磨たちもそうだ。

「………」

授業が終わって、鼓動は用事、音喜は家の用事と。

珍しく彼は一人で帰り道。

よく晴れた空を見上げて、光磨は一人考えていた。

ツカサのことについて。

彼と会ってからほぼ毎日、病院に通っている。

たわいもない話で一喜一憂してくれるから、こっちも得意になって話をする。

時々、話を大げさにしすぎて鼓動に注意されることもしばしば。

音喜に突っ込まれて、四人で笑ったり。

楽しかった、と思う。

ツカサも元気になって、最初に出会った頃よりふくよかになって気がする。

そして、自分たち以外にツカサの元へ会うようになると。

ツカサの容姿について、話題になる。

美しい黒い髪に、長い睫、小さな唇、声も柔らかい。

女の子みたいな見た目に、彼に会った人は夢心地で帰っていく。

日向のいい匂いがした。

触った手のひらは、柔らかかった、と。

よこしまな目で見る人も少なくはない。

それ故に、森守一族がツカサに会うのを規制した。

だから彼の元を訪れるのは、自分たちだけになった。

でも。

「どうすっかな」

最近、光磨には悩みができた。

それは、ツカサに話すことがなくなってしまった。

目新しいものがここにはない。

それでも、光磨なりに探して、伝えてきた。

鼓動が本を持ってくると言っていたから、間は保つだろう。

あと、母が学校に行く前、クッキーを作ると言っていた。

だからそれを持って行けば、大丈夫。

「よし!」

顔を上げて、ガッツポーズを取る。

首都へ行ってしまうツカサのために、今の自分が出来ることは会話しかない。

病院側の許可が出れば、外出だって出来る。

光磨のこの悩みも解消されるだろう。

またここへ、ツカサが戻ってきてほしい。

それがいつになるかは分からないけど。

ようやっと見えてきた自分の家に、胸をなで下ろすと同時に。

駆け出した。

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