第33話 父と子3
『なあ、シルヴィエ。お願いがあるんだけど……』
新しい衣服を届けてくれたシルヴィエに、俺は両方の手のひらを擦り付けた。おかしな儀式に見えたみたいで、大いに笑う。
『どうした? もっと服が欲しいとか?』
『その、まさかなんだ。衝撃とか、銃弾にも耐えられるような布地ってないかな?』
『何を企んでいるんだい?』
神妙な顔つきのシルヴィエは、心配そうに見つめてくる。アルネスがひとりで孤塔に向かおうとしていて、身体を防御できるようなものがほしいと懇願した。
『できれば、俺の分とふたつ』
『アンタも向かうのかい?』
『うん。連れていってはもらえないだろうけど』
父といえど、残念ながらアルネスは俺の心の最奥にある性格までは理解していなかった。置いていかれる息子の気持ちは、アルネスは分かろうとしない。
『頼むよ、シルヴィエ』
『……交換条件といこうか』
人差し指を天井に向け、シルヴィエはにんまりと笑う。
『またプリンを作っておくれ』
『そんなのでいいの?』
『今度はアーサー先生やタイラー、ハクも一緒に囲んで、ね』
『もちろんだよ! 絶対に約束する。みんなでプリンを食べよう。ハクは絶対に喜ぶと思う』
「ようやくお目覚めか」
「起きてたよ。部屋で気合いを入れてただけ」
アルネスのために用意したパンはなくなっている。食べてくれた。いつもよりジャムが多めだったのは気づいたかな。
「ひとりで向かった」
「うん」
「もっとわんわん泣くかと思ったぜ」
「まさか。泣くのはアルネスが無事に帰ってきてからだよ」
拳銃に弾を装着し、セーフティーレバーを上げる。できれば、ずっしりと重量のあるこれの出番がないことを祈る。
「遠慮なくセーフティーを外せよ」
「……そうならないよう、そういう世界を作りたい」
「この国でそう思ってんのはお前だけだ。政府どもは一切ない。お前を見つけ次第、射殺する」
「うん。肝に銘じておくよ」
「簡単な打ち合わせと行こうか」
頭に叩き込んでおけと渡された地図を広げる。
「向かった孤塔はここだ。海に囲まれた場所で、船じゃないと辿り着けない。アーサーが言うには、天候や風向、波が穏やかであれば着船できるらしい。それが今日だ」
「ここが裏口みたいなもん?」
「ああ。森が死角になってくれて、政府からは見えない」
政府は完璧ではないという、アルネスの言葉を思い出した。
「アルネスは裏口から入ったんだな」
「ああ。アーサーは爆弾で塔を破壊するつもりだが、これ以上は不特定な面が多すぎる」
俺たちが考えなければならなかった一番の問題は、アルネスはどうやって塔を脱出できるかだ。出入り口からすたこら逃げられるわけがない。
「一番良い方法は、窓から飛び降りてもらうことだけど」
「海にか?」
「そう。衝撃が少ないって言うし」
「そこらへんはお前らの意志疎通の問題だな。準備はいいか?」
薬も持った。医療キットはドイルさんが用意してくれている。
「塔が破壊されれば死が身近なものになる。覚悟しろよ」
「おう」
「俺はアーサーから言われている通り、仲間たちと政府狩りだ」
「それなんだけどさ……」
「まだあんのかよ!」
「アルネスが言ってたんだ。政府の人間は、今の現状に納得していない者もいるって。全員が全員、悪い奴らじゃないんだよ。この世界を変えたいって思ってる人だっているんだ。タイラーにも、俺はこれ以上血に塗れてほしくない」
「…………相変わらずあまちゃんだな。行くぞ」
心に留めてくれたのかどうなのか、前を向いたタイラーの顔は見えない。
彼に続き外に出ると、空気は澄んでいて遠くまで見える。山があり、森があり、冬を越えた季節では、血のような赤黒い芽が出ている。春になると、きっと綺麗な花を咲かせてくれる。毒だらけの世界だと考えられない。スキップだってできてしまいそう。
「結構歩くぞ」
「体力には自信があるよ」
人目につかないようにするため、俺たちは森に入った。しばらく雨も降っていなかったのか。足下が悪くても取られることはない。嗄れた鳥の鳴き声も、いくらか慣れた。
命を吸い取るように、大木に蔦が巻きついている。太い木は生きているのかさえ分からないほど枯れ果ててしまっている。ドイルさんの家に絡まっている蔦と同じ種類だ。家に絡んだところで栄養を補えるわけではないが、この植物も必死に生きている。
海の匂いと音がする。いつか、父と海ではしゃいでみたい。泳いだり、追いかけっこをしたり。
分かってはいたけれど、海の色が青というより紫に近い。触れたらひとたまりもないんじゃないのか。
「俺……ここで泳いでいた魚を今まで食べていたんだな……」
「良かったな。二度と食べなくて済むぞ」
「冗談じゃない。海も清浄して、また食べられるようにする」
とはいえ、アルネスが浄化してくれた魚だったんだろうけれど、こう、惑星の大半を占める大海原が変色した様子だと、先は長いし俺が生きている間は難しいのかもしれない。
先の見えない未来よりも、アルネスの命が先決だ。俺はもっと、アルネスと過ごしたい。
「でか……こんな大きな船を作ったの?」
「俺一人じゃねえ。大工仲間と一緒だ」
船の整備を終え、タイラーと体格の変わらない男がこちらに近寄ってくる。俺をじろじろ見ては、眉間に溝を作る。
「本当に人間なのか? 匂いがしないが……」
「アーサー先生直伝の薬を服用中だ。ちなみにコイツ、大先生様の息子だから指一本触れるなよ。溺愛してっから」
「先生の? 全然似てねえな」
「似てなくとも息子なんだよ。細かいことは気にすんな」
「どうぞ、よろしく」
笑ってみせると、もう一度下から上まで品定めのように見られ、にかっと笑った。
「先生には世話になった。シェリフが政府の犬である以上、頼れるのは先生だけだ。よろしく頼む」
他のメンバーとも握手を交わし、大きな船に乗り込んだ。
風もなければ波もない。恐ろしいくらいに穏やかで、この後に戦争が待ち受けているなんて想像もできない。
船の近くで魚が跳ねた。食べられなくなったといっても生きているだけで希望が沸いてくる。まだ大丈夫だと、魚に勇気付けられた。
「なんか、臭うな」
「ああ、もう始まってんのかもな」
船首近くまで行き、耳を集中させると、人の叫び声が聞こえてくる。焦げ臭いのは間違いじゃない。遠くで、灰色の煙が空を覆い隠そうとしていた。
「苛立ちをなんとかせい。小童ひとりでどうにかなるもんじゃない」
「分かってるけど、アルネスが無事かどうか落ち着かないんだよ」
「どうせ死なん。怪我人が出れば、儂と小童は人命救助が先だ。今の気持ちのまま迂闊に前に出れば、銃弾の雨を浴びることになるぞ」
自分の気持ちも優先したいが、ドイルさんの言うことは尤もだ。奥歯をぐっと噛み締め、軋むほど手すりに圧力をかけた。
何度もアルネス、アルネス、アルネスと、無事を祈る。
「おいやめろ」
「なにが?」
「呪いの言葉かよ、それ。ますます海に邪念が宿るぜ」
「失礼な。神様が珊瑚も育つ澄んだコバルトブルーにしてくれるよ……声出てた?」
「ばっちりな。そら、見えてきた」
歓迎する雰囲気など微塵もなく、鉄壁は外の世界を拒んでいる。黒い煙が立ち込める一階部分からは、白衣を着た人や防護服を着崩したまま、窓を破って逃げ惑う政府の人間。この世界を作り上げた元凶。
タイラーが戦闘準備だと叫ぶ。後ろを追ってきた船は大量の武器が積まれ、気合いの表れに男たちは叫んだ。
深呼吸をする間もなく、爆発と共に真っ黒な煙が空に向かう。薬品の匂いも微かにした。
背後で銃声がした。海に逃げ込もうとした男性が倒れ、政府の人間たちは海が駄目だと分かると森に逃げる。
「ちょっと待ってくれ! 政府は今は戦う意思がない!」
「ここにいる奴らは皆、アンドロイドにされた者だ。簡単に言うことを聞くわけがねえ」
タイラーの気持ちが痛いほど伝わる。タイラーだってそうだ。生まれたときから筋肉に打ち続けられた悽惨なドラッグは、どれほど彼を苦しめただろう。それでも、これ以上苦しまないために、俺はタイラーが握るスピーカーを奪い取った。タイラーだけじゃない。ここにいるアンドロイドたちのためにも、だ。
「森に行くなあ! 火の粉が移って火事になるぞ!」
キンとする音と声量限界の叫び声のおかげか、政府たちは足を止める。
「海に来い! 森よりはいい!」
根拠のない話だけれど、多分、森はまずい。
政府たちは互いに顔を見合わせると、不浄な海原へ飛び込んだ。
「お前何やってんだよ! まさか助ける気か?」
「知らないよ! けど放っておいたらダメだ! 政府たちも一か所に固めた方がいいだろ! 殺す殺さないは後回し!」
今度はタイラーが俺からスピーカーを奪い、耳が痛くなるほど叫んだ。
「貴様らは海にまとまっていろ! 場合によっちゃあ命だけは助けてやる! おかしな行動を取る奴は躊躇なく撃つ!」
後ろのアンドロイドたちは、一斉に銃を構える。
こうしている間にも爆発は上へ上へと続いていき、煙のせいでと塔がはっきりと見えなくなる。人間が捨てられたゴミのように窓から落ち、穏やかな海に消えていく。
見慣れていく自分にも怖かった。
「なんだ、今の……」
塔のてっぺんからだ。白い何かが海に落下した。自ら飛び込んだというより、落とされたような落ち方で、それは俺と同じ衣服をまとっていた。心臓がおかしな音を鳴らし始める。
背でタイラーが何か言っているが耳に入ってこない。俺は海に飛び込み、シルヴィエ特製の白衣で覆われたものに向かい、必死に泳いだ。
手を伸ばしてフードを取ると、思いがけない人物が顔を出した。
「ハク…………!」
頬には血が付着し、誰のものなんだと身体を探る。腹部に触れると、ハクが痛みを訴えた。
「ハク、撃たれたのか?」
「……な、ぎ…………」
「そう、俺だよ。必ず助けるから、絶対に寝るなよ」
「も……むり…………」
「諦めるな。絶対助けて見せる」
「アーサー……が…………、」
「アルネスと一緒だったのか?」
「上で…………」
「分かった」
ハクを小脇に抱えると、身体の筋肉すべてを使い、船まで泳いだ。銃声がしても、弾がどこからどこに向かっているのか分からない。
「アルネスか?」
「違う……ハクだ。担ぎ上げて」
「ハクだあ?」
「怪我してる。ドイルさん、頼む」
力持ちが多くて助かる。ついでに俺も引き上げてもらい、端で横たわった。
「こりゃあいかん。腹を撃たれている。出血が多すぎる」
「まだもうひとりいる。塔の頂上にアルネスがいるんだ」
「うう…………っ」
「ハク、死ぬな。今、ドイルさんが麻酔を打ってくれるから」
俺は息を整え、タイラーに手を伸ばした。
「タイラー、スピーカー」
もう一度借り、全身全霊をかけて声を張った。
「アルネス!」
命をかけるつもりで叫ぶ。とにかく叫んだ。
「いたら返事をしてくれ! タイラー待てって!」
「拳銃をこっちに向けた奴がいたんだよ! 肩だから死にはしねえ……多分」
「政府ども! 俺の父さんに手出したら許さないからな! アルネス! 返事くらいしろよ! ハクもここにいるぞ!」
私は死なない。彼が何度も言った言葉だ。俺と一緒に生きるって約束してくれたし、信じてる。
だから……返事をしてくれ。
──凪…………。
「アルネス!」
確かに聞こえた。俺が父の声を聞き間違うはずがない。
「海に飛び込め!」
スピーカーを投げ捨て、俺はまたも海に身体を沈める。荒い水しぶきがが飛び、ハクが落ちた辺りまで泳いだ。
アルネスがいた。
窓枠に足をかけ、戸惑いなど微塵も感じさせずにアルネスは海に身を投げ出した。脳が誤作動を起こしてしまったのか、一つ一つのシーンがゆっくりと刻まれていく。
「アルネス!」
果たして今日だけで、父の名を何度叫んだだろうか。
水面に顔を出した父を力いっぱい抱きしめると、心が締めつけられる一言を放った。
「痛い。離せ」
「ええ、なんだよそれ。俺、ショックだ……」
「違う。衝撃で左腕がいった。船に連れていってくれ」
「おう! 任せとけ!」
アルネスのためならなんだってするよ、と付け加えると、肩に頭を乗せるアルネスが笑ったときの息遣いをした。すごく好きなんだ。安心する。
「お前に父と呼ばれたとき、困惑は一切なくなった」
「迷っていたのか?」
「ああ。いろいろとな」
いろいろの内容が知りたいのだが、苦しげに顔をしかめるアルネスに、まずは船まで着くのが先だと、先を見据えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます