第34話 父と子4

 引き上げるのはタイラーに任せ、俺は自力で船に上った。簡易の小部屋にはベッドまでついていて、横たえらせるとハクは苦しげに唸る。

「弾は入っておらん。欠片は取り除いたが……」

「不穏な言い方は止めてほしい」

「数時間持てばいい」

静寂を破るように、アルネスは隣のベッドに横になった。薬を取ろうとしたが、棚の救急セットから自ら選び、的確に痛み止めを選んで口に含んでいる。アルネスが敏腕医師だということを忘れてはいけない。

「持てばいいってどういうことだよ……」

「気力と運にかけよう」

 運なんて、そんな見えない不確かなものに頼りたくない。

「小童は、そろそろ薬を飲め。早死にするぞ」

「俺はまだ大丈夫だよ」

「凪、飲め」

 父の言葉は有無を言わせない。二錠の苦い薬を細かくして飲んだ。

「アーサー……いるの……?」

「ああ、私は無事だ」

「そっか……良かった……」

 ハクが笑っている。苦しいはずなのに、朦朧としているのに。

「凪……そんな顔、しないで……」

「ハク……大丈夫、絶対助かる。このまま戻って、すぐに手術しよう。そうすれば大丈夫だから」

 確信もないのに大丈夫なんて言葉を繰り返した。ハクを安心させたいんじゃない、俺が安心したいんだ。

「僕の身体は……僕が一番分かるから……。あのね……アーサー……あなたが……好きだったよ……とても」

「ああ……知っていたよ」

 折れているはずの左手で、ハクの手を握る。隣り合うベッドの上で、二人の愛も重なる。

「我儘を、どうか聞いて……」

「どうした?」

 アルネスの声は、いつも以上に優しかった。

「僕の心臓を……あなたが使ってほしい……」

「それが望みか?」

「うん……アーサーの中で、生きたい……」

「分かった。もし合わなかったら、心臓とは言わず、何かしら身体の一部を私に埋め込もう」

「うん……うん……、私……しあわせ」

 怯えた顔や俯く顔が彼女の代名詞のようなものになっていたが、今まで見た中でとびきりの笑顔だった。

 怖くないのだろうか。死が身近に迫っていて、無限の恐怖が沸いてもおかしくないのに。

「ハク…………」

 彼女は慈愛に満ちていて、俺の名を呼ぶ。

「凪と……友達になれて、良かった…… 」

「俺も! ハク、ずっと友達だからな!」

 うん、うんと何度も頷き、アーサーの手に重ねた。

「愛してる……」

 重なった手が、力が抜ける。

 一筋の涙がこめかみを流れ、枕に染み込む。

 つぶらな瞳が瞼に隠れる。

 動いていた胸が、止まった。

 数時間持てばいいは、数分で終わってしまった。

「ちっくしょう……なんでだよ……!」

 狭い小部屋にいつやってきたのか、タイラーが壁を強く叩くと、部屋全体に衝撃が伝わる。

「仕方ない……これも定めだ」

「定めってなんだよ! お前医者だろ! なんとかしろよ!」

「脳まで筋肉なのか? 失った命はもう戻らん」

「タイラー、落ち着け。船の上だぞ」

 はっきり分かった、タイラーとドイルさんは相性が悪い。このままだと、ドイルさんに掴みかかってもおかしくない。

「タイラー、ハクの望みは聞いたか? その願い事を叶えるために、お前が一番すべきことはなんだ?」

「俺は……」

「敵を見誤るな。凪は私の手を固定してくれ。使い物にならん」

「分かった」

 アルネスの言う通りだ。俺らの命だって危ぶまれている状態だ。今、それぞれが何をしなければならないのか、各々の行動力が試されるときだ。

 タイラーはまた何かを叫んだ後、小部屋を後にした。彼は仲間のリーダーという立ち位置であり、発言一つで多くの命が失われる。俺はどうしたいのか彼に伝えた。あとは、タイラーに賭けるしかない。

 板でアルネスの手を固定し、残りの痛み止めの数を数えた。そして俺が家からこっそり隠し持ってきたものもある。数からして充分だ。

「武器をこちらの船に寄せ、もう一つの船が空きました。タイラーがあちらに移動し、家に帰れとのことです」

「みんなは?」

「我々は大丈夫です。怪我人が出た場合、治療できるのは医者しかいません。どうか生き延びて下さい」

「うん、ありがとう。あなたの無事も祈ります」

 年はそう変わらない。戦争に駆り出され、どんな気持ちで拳銃を抱えているのだろうか。別の形で出会えたなら、友達になれるかもしれない。

「ドイルさん、悪いけどハクを抱っこしてくれないかな?」

「儂がか?」

「ドイルさんが一番いいんだって。まともに動けるのは俺しかいないし」

 万が一戦闘になった場合、銃を扱えるのは俺だけだろう。

 アルネスには三角巾で首と手を固定してやり、船に乗った。

 波がほとんどないといっても、銃声や人の地を踏む足音が刺激となり、来るときよりも確実に船を襲っている。銃声が聞こえるたびに後ろを振り向こうとするが、後頭部に圧迫を感じた。

「黙って前を向いていろ」

 アルネスは俺の背中にもたれ、左手には黒い物体G。

「説教をしたいところだが、それは後回しだ」

「説教? なんで? また会えたのに」

「……親子が感動の再会をしたとき、何をすべきだ?」

「うーん……ハグとかキスとかじゃないかな」

「分かった」

 ハクは穏やかな顔だ。苦しんで亡くなったとは思えない。身体を揺らしたら目を擦りながら起きそうだ。

「望みを叶えてやってくれ。それが彼女の望みだ」

「心臓はどうしたんだ? 取り返したんじゃないのか」

「撃ち抜いてきた」

「撃ち…………」

 アルネスの口から出る事実は冗談でしょうと返したいほど、とんでもない現実がつらつらと出てくる。彼はジョークを言わないので、夢でもないし舞台上の物語でもない。

 瓦礫の崩れる音の後、心臓が縮こまるほどの音が響き、俺もドイルさんも振り返る。

 孤塔が見るも無惨に崩れ落ちる。積み木を崩しているのとは訳が違うのに、いとも簡単に粉々になっていく。火の粉が森に降り注ぎ、人間の声とは思えないような叫び声が広がった。

「じゃあ、外にある空気清浄機はもう作動しないってこと?」

「ああ。だが、それも私の頭にあった未来の話だ。家にあるものは心配するな。あれは政府と何ら関係のないもので、私が作ったものだから」

「ま、まあ、毒を生み出す元凶を破壊できただけでも……」

「凪、これからが大変だぞ」

 任せておけ、の言葉に重なり、アルネスは発砲した。聞こえていたのか微妙なところだが、共に生きよう、と声がしたので、俺は大きく頷いた。

 俺たちの住む大陸に着き、人目を避けながら森を通った。野生の獣がけたたましく鳴き、戦争がいかに残忍かを表すようなサイレンに聞こえた。

 二区はいつも通りの平穏だ。これを平穏と呼んでしまうほど、俺の感覚は麻痺してしまっている。家に入り、ドイルさん共に地下に下りた。

 ハクをソファーに横たわらせ、冷たくなった手を握る。

「ハク、おかえり。家に帰ってきたぞ」

 暖めても暖めても、一向に熱を持たない。俺の体温が吸収されていく。

「ここだと安全だからな。アルネスもいるし、好きな人の側にいられるぞ。ちゃんとハクの願いも叶えてやるから」

 太股に爪を立てたりソファーを掴んだり気を紛らわせも、溢れるものは止められなかった。こんなに可愛くて綺麗な顔なのに、俺が余計な感情を出しすぎるせいで、ハクの顔が汚れていく。

「ああ…………っ……うう…………」

 優しい父は、そっと手拭いを渡してくれた。

 涙でぐちゃぐちゃになる顔を拭くが、これ薬臭くないか。ちょっと涙が引っ込んだ。

 三十分ほど泣き続けて、ようやく頭の中がすっきり晴れた。ハクのことだけじゃなく、アルネスの心配だったり仲間のことだったり、山積みになっていたものが精製された。気持ちに余裕ができると、次にやるべきことも見えてくる。アルネスは自室から出てこない。中を覗くと、ベッドで穏安らかな顔をしていた。はちきれそうなくらい心臓がおかしくなるが、胸は動いている。棚には痛み止めの薬を飲んだ跡がある。アルネスも、次の戦いに備えて準備をしている。

 ドイルさんは、キッチンで何かを作っていた。

「空腹だ。キッチンを借りているぞ」

「すげえ……ふかふかしてる。しかも甘い匂いがする……」

「膨らませるには卵白に秘密がある。レシピを教えてやるからあとでアーサーにも作ってやれ」

 ふかふかのパンには砂糖と水で作ったソースをかけ、二人で食べた。香りに釣られてか、アルネスが起きてきた。そんな目で見るなとたしなめ、俺はレシピ通りに作り、アルネスにも同じものを提供した。

「腹が満たされたところで、話せるようにはなったか?」

「もう大丈夫。覚悟も決めたし」

「早いうちに、ハクから心臓を取り出して保存する。いいな?」

 問いかけは主に俺に向けられた。嫌だなんて言えない。これがハクの望みであって、アンドロイドであっても多分腐敗が進んでいく。

「俺も手伝っていい?」

「ああ。こやつは片手が使えんから、儂と小童で手術を行う」

 手術をしないとあれだけ断言していたドイルさんにも、何か心境の変化があったんだと思う。やる気に満ちた目を見ると、信じるしかない。

「私も側にいる」

 神の一言だ。そういえば、ハグとキスはいつしてくれるんだろう。自分から言うのもこっぱずかしいし、忘れないでいてくれていると思いたい。

 冷たいハクを抱き上げ、地上の手術室に連れていった。

 服を脱がせると、まともにご飯を食べていなかったのか、あばらが浮き出ている。痛々しすぎる。食べられるものが減ったことは理由にはならない。同じ種族である人間たちに、憤り覚えた。

 身体のすべてを消毒し、手術台の上に乗せる。ハクには手術台は似合わない。鳥と戯れているときが一番だ。

「ごめんな。なるべく傷口は小さくするから」

 ドイルさんがメスを握ろうとし、遮って俺が握った。この作業は、誰にもやらせたくはなかった。ハクは、本当はアルネスにしてもらいたいんだろうけれど、残念ながら叶わない。ごめん、俺で。

 膨らみかけの胸部には絶対に傷つけないよう、メスを傾けた。真っ白な肌の奥には、ほとんど俺と変わらないものが詰まっている。赤黒い肉を開き、お目当てのものが顔を出した。骨の揺りかごに守られている。

「骨は削れるか?」

「やる。ひとりで初めてだけど」

 アルネスの手元は何度も見てきた。のこぎりで肋骨を縦に切れ目を入れる。手が震える。痛くはないかとハクを見るが、苦痛に歪んではいない。

「ハク、もうすぐだからな。心配しなくていいぞ。側にアルネスもしてくれるし」

 これだ。ハクに話しかけながらの方が、気が紛れて集中できる。心臓が通るくらいの大きさまで切った。

 繋がっている線を切り、傷つけないよう、開いた口から拳大のものをゆっくりと引き上げた。

「これに入れてくれ」

 筒上の箱の中に入れると、アルネスは密閉した。保管はアルネスに任せ、俺は縫合作業に取りかかる。

「まさか、皮膚をくっつけるのか?」

「もちろん。ハクが可哀想だろ。男だって気にするのに、目立つ傷なんかあったら女の子はもっと気にするって」

 目が勝手にしろと言っている。オーケー、遠慮なく勝手にさせてもらう。

 縫合は患者の心を救う作業だ。縫い方一つで枝分かれをしている感情が、不の方向へ向かう可能性がある。傷が目立たない縫い方で、丁寧に針を通していく。あまり時間もかけていられない。早くハクに服を着せてやりたい。

「終わった」

 地響きが地下に伝わってくる。二区も戦争になるのは時間の問題だろう。シルヴィエも、懸命に戦ってくれている。生活のために、将来のこの国のために。

「凪、ハクをどうしたい?」

「この国では、亡くなった人をどうするんだ?」

「言えない。お前には聞かせたくない」

「俺は…………」

 政府の奴らを跡形もなく消し去った方法は存在している。同じやり方は、ハクにはしたくない。言えないような恐ろしい方法ならば、尚更だ。

「俺は、ハクを天国に送りたい」

「……分かった」

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