第32話 父と子2
「さあ、これを被りなさい」
作ったばかりのフードを子供に被せ、何度か肩を叩いた。
「どこかにお出かけするのー?」
「君はママとお留守番さ」
「シルヴィエは?」
「ちょっと用があってね」
長く生き長らえたアンドロイドは、氷のようなつんとした冷ややかさがあった。雪解け水に変化したのは、人間の坊やがやってきてからだ。こんな世界に人間を連れてくるなんて、寿命を縮めようとしているとしか思えない。何を考えているんだか。幸福をまき散らすアーサー先生を見ていると、何も言えなくなってしまう。
──シルヴィエ、頼みがある。
神妙な顔をしてやってきたアーサー先生を思い出した。
──三区のアンドロイドたちは、薬の乱用によりおかしくなっている。暴動が起こる前に、なんとか止めてもらいたい。いや、暴動にかこつけて、薬の売人を締め上げてほしい。
──アーサー先生は?
──孤塔に向かう。戻って来られるか分からん。
──なんて自分勝手なんだい。あの子はどうするのさ?
──……それも、あなたに頼みたい。
ため息に乗せて、アーサー先生に伝えた。
──説教は生きて帰ってからにするよ。
──そうしてもらえると有り難いな。私は必ず孤塔を破壊する。不変が崩れるときが狙い目だ。
止めても無駄だという思いは、穏やかな言い草から伝わってくる。覚悟の言葉は根を張り、ちょっとやそっとじゃ抜け落ちない。
穏やかなときなんて、今後一切流れる保証はない。海の生き物も食べられず、森からはキメラの雄叫びが聞こえてくる。なら、私はどうするのが一番なのか。握った拳は震え、握るべきものはこれじゃないと訴える。針より、私はナイフがお似合いなのかもしれない。
──無事に戻ってきたら、また私たちに服を作ってくれ。
先生の顔は今までに見たこともない微笑みで、氷解した後にはきっと春がやってくるのだろう。希望は、捨てない。
「はあ、はあ、はあっ…………」
後ろを歩く少女の息は切れ、私はいくらか階段を上るスピードを落とした。
「少し、休もう」
階段の踊り場で腰を下ろすと、少女も少し離れて座った。物置部屋のときとはえらい違いだ。拳銃は構えたまま、離そうとしない。
「飲め」
水筒ごと投げると、取り損なった水筒は拳銃に当たり、壁に吹っ飛んだ。彼女は慌てて拾うと、異常がないか確認する。
「水に何も入っていない。汚染もされていない水だ」
「あり……がと……」
一口飲み、大丈夫だと悟ると小さな喉仏を動かし潤していく。喉の出っ張りだけを見ると、男性より女性に近い。
「美味しい……」
「凪が、プリンを作って待っていてくれる」
「プリン?」
「黄色いスイーツだ。とても甘い」
「シュガービーツよりも?」
「ああ。シュガービーツより、美味しい。シルヴィエは食べた」
「……怒ってないかな?」
「何に対して? あるはずがないだろう」
「僕……」
ハクが口を開きかけたとき、下が騒がしくなった。ばれたかと頭をよぎるが、ドアは開く様子もない。もしかしたら、物置部屋にいた形跡でも見つけられたのかもしれない。
「アーサーは……怒ってない?」
「またその話か。怒るはずがない」
「僕は……政府の言いなりで、アーサーのことも、少し話した。どんな仲間がいるとか、タイラーと仲良いとか、シルヴィエにいつも怒られているとか」
「心外だな」
「ご、ごめん……」
「タイラーと仲が良いはずがないだろう。ほら、立て」
息も整い、大丈夫だろう。怪訝な顔は何に対してなのか。
また一列になり、螺旋階段を上り始めた。相変わらずハクは私に拳銃を向けるが、その方が都合がいい。彼女が私を撃ち抜いたとしても、私は死なない。
鈍色の壁に覆われ、祭壇のように続く段差に、私は供え物を置いた。ダクト内でも、小型の土産をひと部屋ごとに献じた。久しぶりに会う、私から父に対する手向けだ。
「あともう少しだ」
三つ目の踊り場までくると、天井が近い。ここまで上り詰めたハクの額の汗を払ってやり、私はドアノブに手をかける。
「どうしたの?」
「ドアが開いている。ハク、離れろ」
万が一のためハクを遠ざけ、懐から拳銃を抜き取った。体温に触れ、生暖かく生きているようだ。
即座に扉を放ち、まっすぐに銃口を向ける。心臓に代わるものが規則正しく揺れ動き、大丈夫だとハクに視線を送る。
「何、これ…………」
目に焼き付くものは、そうそう拝めるものではない。できれば、ハクにも見てほしくなかった。もちろん、私の息子にも。これがあるから、連れてきたくはなかった。
半透明なガラスの中に、人間やアンドロイドが必ず一つは備わっているはずのものが液体の中で浮いている。何かを訴えかけているのか、泡が溢れ、泡沫となって消えた。一体、いくつあるだろうか。数えるのもおぞましい。犠牲の数だけ、器がある。
「息を……しているの……? なんで……?」
「これが政府の作ろうとしているものの正体だ。これ一つで呼吸をし、機械を動かし、世界を牛耳ろうと人体実験を繰り返している。奪い取った抜け殻には、代わりとなるものを埋め込み、永遠の命を与え、戦い続けるアンドロイドを作っている。成功例は少ないがな」
拳ほどの大きさのそれに細い管が繋がれ、片方が息をすると、正面のそれが共鳴する。歪で、胃の中のものが逆流する。
「うっ……うえ…………っ」
──汚いなあ。汚物で僕の作品に吐かないでよ。
「だ、誰……?」
──誰って、目の前にいるじゃないの。
素っ頓狂な声はマイクを通しているためか、エコーがかかり、まるで天からのお告げかと思わせる。地獄で寝ていろと、心より祈る。
部屋の最奥に、一際大きなガラスの容器が鎮座していた。たくさんの管とモニターがあり、特別で異様な存在感。私と同じく、千年以上生き続けた者。ただ違うのは、姿形がアンドロイドと臓物という差だけだ。
「誰なの……?」
「どうせ吐くのなら、あいつにぶちまけておけ」
──ひどいなあ。それが久しぶりに会うパパに対する言葉?
「パパ? え? どういうこと?」
「私の父だ。不本意で、忌々しいがな」
──やあ息子よ! 千年ぶりだね! 今日は何を盗みにきたのかな?
「今日は? まるで私が過去に盗んだものがあるという言い方だな」
──サンプルが一匹足りないんだよね。まだ見つかってないしさあ。こっそり匿ってるんじゃないの?
質問には答えず、無言で銃を突きつけた。
──ちょっと待ってよ。何に対して撃とうとしてるの?
「自覚がないのか? お前を撃てばすべてが終わる」
──その目つき、一体誰に似たんだろうね。あ、僕か。
「目のない臓物に言われたくはないな」
──君だって心臓がないじゃん。仲良くしようよ。僕の隣にあるもの、何か分かる?
特別扱いを受けた入れ物は、父と同じくたくさんの管で繋がれ、見えないよう布が被せられている。
──見せてあげるよ。可愛い息子に特別。
手のように動く管が布を巻き取り、花びらのように舞い落ちた。
ある程度、予想はしていた。集められたサンプルの中でも成功例は少なく、大成したサンプルは貴重なものであるということ。
私の体内にある代わりとなるものが警鐘を鳴らし、居場所はここではないと訴えかけている。目の前のそれがアレで、本来の居場所はここであると、共鳴りを起こしている。
──僕の息子だけあって、君はとても優秀だ。優秀すぎて、この国の空気清浄機や警報機、暖房器具もひとりで動かしているんだ。この意味が分かるね?
「話は終わりか?」
──まあ待ちなって。僕の可愛いサンプル、その手に持っているものでアルネスアーサーを殺しなさい。
「………………え?」
──できるよね? そのために来たんだよね? まさか僕に刃向かわないよね?
お願いでも命令でもない。支配者からの、ただの洗脳だ。
下を向いていた銃口が再び私に向けられた。手に持つ命を殺めるものと、表情がまるで一致しない。
「…………ハク」
「アーサー……僕…………」
「お前は、どうしたい?」
「僕に……聞くの?」
「ああ。お前はサンプルなのか?」
「サンプル…………」
「私の前で笑い、好意を見せ、鳥たちと戯れていたハクは、偽物なのか?」
ひとつの言葉に、ハクの瞳孔が揺れる。
──ハクなんて名前なんかいらないでしょ? ただのサンプルなんだから。
「黙れ。ハク、残った鳥たちはどうする?」
「僕、僕…………」
向けられる銃口が震えた。
私はトリガーに指をかけ、銃口を父ではなく、共鳴し合うそれに向けた。
父の叫び声と重なるように、銃口からは弾が弾かれ、ガラスが粉々に打ち砕かれた。管や繋がるモニターにも数発入れ、放った弾はコアとなるものに命中する。
「アーサー……! 待って、それは……!」
「構わん」
「駄目! 取り返しにきたんでしょう? 傷つけないで……!」
「大事なものは奪い返した。充分だ」
──なんてことを……。外にある空気清浄機はもう使い物にならないよ!
悲痛な叫びは耳に届いても心には届かない。残りの弾は、本当の意味での決着となろう。だが。
「………………ハク、」
私の発した音ではない銃声が鳴り響いた。わずか一瞬の出来事だった。
触手のように伸びた管は先が枝分かれしていて、器用に銃を掴んだ。私に向けてくれれば良かった。ぶれもないまま発砲される。弾は、私ではなく隣の少女を射抜いた。
二発目に入ろうとしたとき、咄嗟に身体が動いた。
「ぐっ…………!」
左肩をかすめ、息子の用意した白衣が抉られる。じわじわと赤い液体が海となり広がっていく。
怪我一つない利き腕一本で銃を構えた私は、蠢く触手に風穴をあけた。こんなにも頭に血が上ることがあるのだとどこか冷静になりながら、残り二発を中心部へ向けた。
薬剤にまみれた液体が流れ、ネズミ色の床を濡らす。自己主張のない色は、どす黒い色に変化した。
「ハク、寝るな」
弾は入っていないが、欠片は残っている可能性がある。苦しげに喘ぐハクに、脱いだ白衣を着せた。
私は窓に向けて銃弾を放つ。これが正真正銘、最後の一発。
「なに……するの…………?」
「シルヴィエが作った白衣だ。強い衝撃もそれなりに耐えてくれる」
「アーサー……?」
「窓から出れば下は海だ。外の空気清浄機は使い物にならなくなったが、家にあるものはこことは繋がっていない。凪もドイルもいる」
「アーサー……やめてよ……僕、まだ言ってないことが……」
ハクの手から落ちた拳銃を拾い、懐にしまった。
「時間がない。下に飛び降りろ。政府の奴らがこちらに向かっている。アンドロイドたちに出会ったら、助けを求めろ」
「アンドロイドたち……?」
「もうすぐ政府狩りが始まる」
隠し持っていた機具を出し、スイッチを押した。
「五分後、この孤塔は跡形もなくなる」
「ダクトや階段につけていたのって……」
「ハク、生きろよ」
私の微笑みはそれほどおかしいのだろうか。ハクの頬に涙が伝い、顔が歪んだ。
ハクを抱き上げると、フードを被せ、割れた窓から放り投げた。
愛する者が側にいてくれ、私は幸せ者だった。ダクトにつけた一つ目の爆弾が爆発したとき、私は心穏やかに父の残骸を見つめた。防弾すら備わっていないガラスを使用したのは、彼も死を求めていたからかもしれないと、本人にしか知り得ない情報が頭をよぎる。こうなることを予測し、求めていたのではないか、と。
二つ目が爆発したとき、死は常に側にあるものだと目を瞑る。
三つ目が爆発したとき、凪の声が聞こえた気がした。私が生と死の狭間を理解できていないだけで、実はもう死へ向かって歩いているのかもしれない。
──アルネス!
私は目を開けた。立ち上がる。埃に混じり、煙の臭いがした。
──いたら返事をしてくれ!
──政府ども! 俺の父さんに手出したら許さないからな!
──アルネス! 返事くらいしろよ! ハクもここにいるぞ!
「凪…………」
煙のせいか、目がはっきりと見えない。間違いなく、煙のせいだ。不覚の感情ではない。
足を踏み出すと、砂利道を歩いたかのような音がし、時折滑る何かを踏みつけながら一歩ずつ進んだ。
窓まで来ると、私の目はついにおかしくなったようだ。凪が。私の息子が。大きな船に乗ってスピーカーを片手に私の名を叫び続けている。ハクもいる。横たわる少女はドイルにより心臓マッサージを行われていた。
父が毎朝の放送に使用していたマイクをむしり取ると、私は息子の名を呼んだ。
息子は私に気づき、耳がかち割れるほどの声で、私の名を叫んだ。
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