第30話 宝物

 私の世界は永遠だが、残念ながら人間や他のアンドロイドはそう長くはない。ただし、ドイルを抜いて、だ。この世界の異変に気づいていたのは、ドイルも同じだった。

──空気清浄機が機能しなくなってきている。

 寝静まった後、すべての清浄機を確認したが、奇禍きかが訪れたわけではない。かといって、ドイルの推測は強ち間違いでもない。

 空気清浄機に異変が起こったのではなく、世界に異変が起こっているのだ。何十年もかけてだが、徐々に大気の毒が濃度を増し、このままでは生物の絶滅も時間の問題だった。

「小童は?」

「別室でタイラーが相手をしている」

「まるで子供だな」

「ああ、大事な息子だ」

 提供した酒を物珍しそうに眺め、ドイルは口にする。

「行くのか?」

「ああ」

「失ったものを、すべて取り返す」

「方法はあるのか?」

「タイラーから船を作ってもらった」

「そうではない。孤塔に立った後だ」

「孤塔内はすべて把握している。私の心臓がある場所も」

 ドイルは酒を飲み、足りないのか自分で注ぎ足す。

「天候などの条件が重なる日が一日だけある。その日に向かう」

「ひとりでか?」

「頼みを聞いてほしい」

 ドイルの目が酒に向く。それなりの価値のある酒だということを、気づいているはずだ。

「私は死なない。だが、試していない方法がある。高温にさらされたとき、どうなるのかは私自身にも分からん。ここに戻って来られるかさえも。その場合、息子をあなたに頼みたい」

「身勝手だな」

「ああ、本当に」

 好んで飲むものではないが、飲みやすい味だ。

「息子には、生きる知恵は与えている。植物や家畜の育て方、ある程度の医師の腕。料理もできる。問題はない」

「大ありだ、馬鹿者」

 馬鹿など、言われる筋合いのない言葉で、新鮮だった。

「息子を救って、あとは勝手にひとりで生きろと? 孤独に死ねと?」

「息子の将来を生かすために、私は孤塔を破壊する。タイラーたちも戦いの準備は進めている。政府が生き続ける限り、破壊兵器を生み出し続ける。それは空気が汚染されていくのと同じだ。空気清浄機も限界がある」

 凪には伝えていないことがある。血液検査の結果が、思わしくない方向へ向いている。正常の範囲内だが、このままでは確実に寿命が縮まっていくだろう。

「儂と小童を引き合わせた理由はそれか?」

「それもある。純粋に、心臓移植のやり方を教えて欲しかった」

「どうも、すべてがお前の手の上で転がされているようにしか思えん」

「私はそこまで策士ではないよ」

「儂の命も一か月かそこらだろう。お前が引き延ばしてくれたんでな」

 嫌味のこもった言い方だ。

「一か月もすれば、政府が儂を迎えにくる。長くて三十日間の命だ」

「私が孤塔を破壊できれば、もっと長く生き長らえるぞ。良かったな」

 ドイルの瞼が動く。

「もし、儂が小童を売ったらどうする。お前から信用を得ているとは思えん」

「信用の問題ではなく、あなたにはそれができないと踏んでいる。なぜなら、家族の大切さを理解しているからだ。その点は信頼している」

 不幸にも、家族を自らの手で葬ってしまった罪を彼は背負い続けている。町外れの森で生きている理由の一つだ。彼は人やアンドロイドと接しようとしない。医師も辞めた。

「本当に人を憎んでいるのなら、凪に腕を伝授しようなどと思わないはず。人間を憎みながらも、人間から許されたいと思っている。それは私も同じだ。大切な人を守れなかった」

 サキがいなくなってから、彼女の大きさを知った。凪を守りたいのは、贖罪の意味もある。けれどそれ以上に、千年もの間、失っていた感情を呼び起こしてくれる存在が私を戸惑わせる。

 ひねくれた笑いは誰に似たのか、ドイルは鼻を鳴らし、ふんぞり返った。

「いいだろう。すでに崩壊しかかっている国だ。お前に任す」

「私が帰って来なくとも、凪ならやっていけるさ」

「根拠のない冗談はそれくらいにしろ」

「私は冗談を言わない」

 当然ながら凪をおいて死ぬ気もあるわけがない。万が一を想定し、常に最悪の自体は頭に入れておいて越したことはないだけだ。

 愛する息子が側にいてくれて、死というものが近しいものになった。

 地上の部屋はドイルに貸したまま、私は地下に降りた。目に飛び込んできたのは、ソファーに並んで座る二人の姿だった。何の話をしているのか、神妙な顔つきは珍しい。

「アルネス、おかえり! ご飯できてるぞ。あとでドイルさんにも持っていくから」

「……何の話をしていた」

「え? 特に、何も。普通の会話だよ」

 嘘を吐けないのは誰に似たのか。少なくとも私ではない。タイラーは目を逸らすだけで、何も言わなかった。分かりやすい。

「タイラー、悪巧みか?」

「何言ってんだよ。お前の方が悪巧みを話してたんじゃないのか?」

「……やけに荷物が多いと思っていたが。とりあえずテーブルに広げているこれについて説明しろ」

「お前とお揃いの服だとよ。良かったな愛されてて」

 若干棒読みに、至極どうでもいいようにタイラーは呟く。

 お揃いの衣服は、フードがついた白衣だろうか。持ってみると、白衣よりも重みがある。風避けには良さそうだが、動作に困難を強いられそうだ。

「内ポケット付きで、お前の大好きな武器もたくさん隠せるぞ」

「何丁くらい入るだろうか」

「真顔で言うなよ」

 タイラーは肩をすくめた。

「準備は終えたのか?」

「もうばっちりよ。俺の仲間も、政府と戦う準備も覚悟もできてる」

 白衣を羽織ってみた。白衣というよりコートに近い。重みはあるが、見た目よりは動きやすい。落下しても、ある程度の衝撃には耐えてくれる布は、政府が好んで使用し、我々には手に入りにくい代物だ。恐らくシルヴィエから作ってもらったのだろう。まったく、いつ頼んだのか。

「お、似合うじゃん」

「金はどうした?」

「貸すってさ。病気や怪我をしたとき、無償で働けって」

「……引き受けたのか、お前は」

「うん。ちょっと上行ってくるな。ドイルさんにご飯届けてくる」

 トレーにはパンとキノコと豆のスープ、ザワークラフトだ。使える食事が限られている中、質素であっても、料理の腕前が上達している。彼の器用さと素質は目を見張るものがあった。

 凪が上に行き、私は三人分のお茶を用意する。お茶くらいは……うまく入れられる。

「どうやって孤塔を破壊するんだ?」

「爆弾が手っ取り早い。最上階に、塔の管理をする施設が備わっている。野暮用がある」

「野暮用ねえ……お前が言うと野暮な用に聞こえねえわ」

「知り合いがいるものでな。世間話だ」

 無事に辿り着ければ、千年ぶりの再会となるだろう。人でもなく、アンドロイドでもない姿をした生物。外での放送を聞くに、元気にしているのだろう。

「私に何かあったら……凪を頼む」

「やなこった。お前が盗んできたんだから自分で面倒みろや」

 タイラーがどっかりと腰を下ろすと、直したはずの椅子はまたしても軋む。

「ハクは無事でいるんだよな?」

「そう願いたい」

 三区の奴らが正しければ、ハクは孤塔にいる。あくまで、正しければの話だ。寂しい顔をするため、凪の前では極力話さないようにしていたが、ある仮説が私の頭にあった。

 バーでなけなしの薬を頂戴し、持ち帰った成分を調べてみた。三区でしか取れない猛毒を含んだ植物が主成分であり、わずかだが、鳥の餌としてハクが与えていた実が混じっていた。

 とある疑問が浮かんだ。私を信じたハクは、必ず薬に辿り着いて成分の分析を行うと踏んだのではないか。まだ無事でいるという知らせと、ドラッグの製作に関わっているということ。

「三区はシルヴィエに任せて、俺は残党狩りだ。こっちのことは任せろ」

 タイラーもシルヴィエも、そしてハクも、孤独に生きる私に新しい風を吹かせてくれた存在だった。友人だと豪語する息子の思考に感化されたのかもしれない。

「頼んだよ、タイラー」

 私が帰ってこなくとも、タイラーたちなら凪を助けてくれる。今の任せろには、凪も含めての任せろだろう。

 あと数日。私と凪が過ごせる日々は、そう長くない。




 この数日間は、どうやって過ごしたのかはっきりと思い出せない。ただ、いつもと違うアルネスといつも通りのアルネスが混じり合い、別人みたいな目をしていた。

 ああ……きっとそのときが来たのだと、目が告げていた。なるべく平然を装い、普通が幸せだと言い聞かせ、いつもの夕食をこしらえた。アルネスが買ってきてくれた肉と育ったばかりの野菜を鍋に入れ、調味料で味を調える。シンプルで、アルネスの好きな味だ。ふかふかのパンには甘みの強いジャムが合う。これもアルネスの好物。好きなものを並べすぎたせいか、奇妙な顔をされてしまった。

「ジャムをいっぱいつけて食べなよ」

「お前も大概だな。普段は食べ過ぎだと言うのに」

「美味くできたからね。食べてもらいたい気分なんだよ」

 嘘じゃない。どちらかというと、後者が本当の理由だ。甘いものの食べすぎは身体によくないが、食べてもらいたい気分だってある。ただそれだけだ。

 淡々とした食事を終えて、ソファーで寛いでいると、アルネスは隣に腰掛ける。少しの隙間もない。両端が空いているのに。

「お前がいてくれて、本当に良かった」

「なんだよ、やめてくれよ。今生の別れみたいだろ……!」

「凪がいたから、私は私でいられるんだ。今夜、一緒に寝ても構わないか?」

「うわあ」

 照れもせず、よく真顔で言えるもんだ。俺なんてどうしていいか分からずに、足をばたつかせるくらいしかできないのに。

「本当は赤子のときに言うべき台詞かもしれない。私は……父としてお前に何もしてやれなかった」

「そんなことあるわけないだろ! 一緒に寝るけど!」

 なんでそんなに嬉しそうに笑うんだ。脳の一部がおかしくなったんじゃないのか。おかしくなったのは俺かもしれない。だってこんなに嬉しいだなんて。幸せの絶頂で、どん底に落ちるのが怖い。

 いつもよりも早い就寝時間に、俺はバスローブを着たままアルネスのベッドに横になった。リビングの隣にある。シャワーの音が聞こえる。たまに鼻歌を歌っていたのがバレバレだったかもしれない。

 アルネスの匂いのするベッドにいると、ものすごく眠くなる。フェロモンがぴったり当てはまっているようで、毎日戻ってきてもいいよと居場所を与えてくれる。

「寝たのか?」

「起きてるよ」

 眠いわけではないが、かすれた声が出た。横にずれると、長身がすっぽりと収まる。長い髪は少し湿っていて、しっかり乾かすアルネスにしては珍しい。シャワーを浴びた後だというのに、肌は少し冷たかった。

「日本では、どうやって子供を寝かしつけるんだ?」

「絵本読んだり、子守歌歌ったりかな。あとはお尻ぽんぽんしたり」

「よし分かった」

「なんで出した案からそれを選ぶわけ?」

 反抗心が出ても、嫌な気はしない。むしろ父を名乗る人をすんなり受け入れられた自分に戸惑いがある。

「明日は、波が穏やかな日だ。天候や風向、季節、いろんなものが混じり、波が低い日が稀にやってくる。そう多くはない。だが船を出すにはまだ早い」

 少しだけ、叩く力に緊張がこもった。だから俺はなるべく平気そうな顔をしてへらっとするだけだ。今はそうしないと、感情の赴くままに攻撃的になってしまう気がした。

「…………そっか。美しい景色なんだろうな」

「美しいものは、この世にはもう存在しない」

「あるよ。アルネスは、きれいだ。世界中探したって、アルネスほどきれいな人はいない」

 力が入ってしまった。これではまるで告白みたいだ。

「……ありがとう。こんな世界で、美しいと言ってくれるのは、凪だけだ」

「うん」

「眠いだろう? 構わない」

 少しも、眠たくなんてなかった。瞬きすらもったいなくて、瞼なんか無くなってしまえばいいのに。閉じてしまえば、本当に最後になる。

 俺とアルネス、どちらが眠りにつくのが先か。勝手にひとり運動会の始まりだ。

「アルネス、聞いて。俺さ、生まれ変わったら、またアルネスと出逢いたい。何度でもどんな世界でも出逢って、前世の記憶がなくてもふたりで生きたい。笑うなよ」

「最後にはならない。心配するな」

「まだ笑ってる」

「お前にはお前のやるべきことがある。何年かかったっていい。立派な姿を見せてくれ」

「うん……」

「早く寝ろ」

「待ってくれよ、今、戦ってる最中だから」

「お前の負けだ。おやすみ」

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